第19話 偽装悪女と白夜公は交わらない
アイゼン公爵家、本邸のとある一室にて。
魔法医レイスの診察と治療を受けたシンシアは、案の定問い詰められていた。
「それで奥様。どうしてあんなにも、魔力回路が激しく損傷されていたのでしょうか? まさか、またスキルを……?」
さすがに埃を吸い込んだという言い訳では、もうごまかせない。
怪しまれずにレイスを納得させるには、やはり悪女のフリをするしかなかった。
「……公爵様が、毎日同じ花を贈ってくるせいですわ。私とは真逆の白い花を、あてつけのように。気分を害しても、仕方ないでしょう?」
うんざりした様子でわざと大きくため息をついたシンシアは、開き直ってそう答える。
「なるほど……ちなみになぜその花が贈られていたのか、理由をお聞きしたりは?」
「浄化効果があって神聖な花だとは、侍女に聞いたわ。だけど、限度っていうものがあるでしょう?」
シンシアは不快感を露わにして、冷たく言い放つ。
「屋敷中が真っ白な花で埋め尽くされて……まるで、死人への手向けみたいで、縁起でもなかったわ」
レイスは何かを察した様子で、「確かに、そうですね」と頷いた。そして彼は、こう言葉を続ける。
「申し訳ありません、奥様。フェリクスは機能性を重視するあまり、昔から少々そういう方面に疎いもので……意識を改めるよう伝えておきます」
(なんとか、ごまかせたようね)
「ええ、お願いするわ」
フェリクスを悪者にしてしまったことに良心が痛むも、なんとかこの場を乗り切ることができた。
それに今回稼いだヘイトで、フェリクスは今度こそ『図に乗るな!』って怒るに違いない。
王令に背きたくなるほど嫌な悪女になることで、ここから逃げたいシンシアと追い出したいフェリクスの目的はより合致する。
まだ毒殺犯の決定的な証拠は掴めてないけれど、それはあくまでも交渉の切り札にすぎない。
それが必要ないほどフェリクスの感情を揺さぶることができれば、最悪なくてもいけるはず。
『殺したいほど嫌な悪女』から死の偽装を提案されれば、フェリクスもきっと同意してくれるはずだ。
しかしそんなシンシアの思惑は、予想外の形で裏切られることになる。
◇
サイラスの件が一段落した数日後。
公爵邸の執務室で一息ついたフェリクスのもとに、焦った様子のレイスが訪ねてきた。
「大変ですよ、フェリクス! 奥様の容態が悪化していました」
空気を清浄する魔法具の設置は完了した。もうヴィスデロペで埃を吸い込む必要もないはずだ。
それにシンシアがヴィスデロペを使用したという報告も、特に上がってきていない。
一体なぜシンシアの容態が悪化してしまったのか、フェリクスには皆目見当がつかなかった。
「何があった?」
「どうやら原因は、ストレスのようです」
「そうか。馴染みの宝石商が悪事を働いていたのだ。ショックを受けるのも無理はない」
「違いますよ、原因は貴方です!」
間髪を容れずに否定され、フェリクスは予想外の事態に思わず目を丸くする。
「…………俺?」
「説明もなく、毎日同じ花が届くことに、奥様はひどく憤りを感じられておられました」
「あれはシンシアの容態がこれ以上悪化しないように、応急処置としてセレスティの花で代用を……」
「ええ、わかっています」
レイスはそう同意を示したあと、諭すように言葉を続けた。
「最初にそれを、きちんと説明すべきだったのです。理由もわからず同じ贈り物が届き続ければ……普通、良い意味には捉えませんよ」
まさかシンシアの体調を悪化させた理由が、自分自身にあったとは。これは管理者として、由々しき事態だ。早急に対策を打つ必要がある。
しかしフェリクスはこれまで、騎士道を重んじ、武を極めてきた人間だ。繊細な魔法の扱いより、圧倒的に剣の扱いの方が慣れている。
マナーとしてのエスコートを一通り学びはしたが、『繊細な女性の心の機微』までは理解できるはずもなかった。
頭を抱えるフェリクスの前に、一冊の本が差し出された。ピンク色の大きなハートが目立つ表紙をした、本屋で見かけても一生手に取ることがなさそうな本を。
「…………女心を掴む誠意ある謝罪講座?」
「早急に学んで実行してください。奥様が健康でなければ、厄災が暴発する危険が高まります」
渡された本と真剣なレイスの顔を交互に見て、フェリクスは静かに頷く。そして実に由々しき事態だと、その本を受け取った。
「それでは、僕はこれで。離宮の薬草園で少し、薬の材料をいただいて帰りますね」
「ああ、わかった」
レイスが退室したあと、フェリクスは受け取った本に視線を落とす。
(今度は……俺が、跪く番なのか?)
悪事を働いた者たちが、許しを乞うため跪く姿を幾度となく見てきた。愚かな者たちを反面教師に、これまで清く正しく生きてきたつもりだ。
しかしそんなフェリクスにも、一つだけよく理解できないものがあった。それは、女心だ。
建前と本音が交錯する貴族社会では、女性たちは常に恐ろしい仮面を被っている。
かつてまだ新人騎士だった頃、とある行事で火急の事態が起きた。
その際フェリクスは騎士道に基づき、軽症の公爵令嬢よりも重傷を負った身分の低い侍女の救助を優先したことがある。
「私は大丈夫ですから」という令嬢の言葉を尊重し、一人でも多くの民の命を救うため最善を尽くした。
だが後日、その令嬢から「私を蔑ろにして恥をかかせた」と陰で非難され、周囲の貴族令嬢たちからも冷酷な男だと顰蹙を買う羽目になってしまった。
言葉を真に受けるのがどれほど危険なことか。論理や道理だけでは通用しない、感情に支配される独特の空気感。そこから真実と正解を読み取ることなど、不可能だ。
女心は騎士道の道理さえも歪めてしまう、恐ろしく不可解なものだ。そう知って以来、フェリクスは貴族女性たちとは極力距離をおくようになった。
(いつまでも、逃げるわけにもいかないか……)
尊敬する伯父――国王の期待と信頼を、裏切るわけにはいかない。
フェリクスはそう心に言い聞かせて、恐る恐る本を手に取りページをめくった。黙々と活字を追いかけるフェリクスの顔は次第に曇り始め、どんどん青ざめていく。
なんの説明もなく、相手にとって不快なものをただ毎日贈り続けた自身の行いが、どれほど誤解を与える行為だったかを自覚して。
(なるほど、これは完全に盲点だった……)
離宮を訪れた時、いたるところに飾られていたセレスティの花を見て、フェリクスは自分だけが満足していた。
しっかりと浄化された空気に。
管理の行き届いた空間に。
(どうやら俺は、彼女に相当な我慢を強いていたようだ……)
飾られたセレスティを見る度にきっと、シンシアの心は苛立ちであふれかえっていたことだろう。
その上事前の連絡もなく押しかけ、半ば強引に離宮から連れ出した。最悪なことに、そこで馴染みの宝石商人の悪事まで重なってしまった。
しかもサイラスの後処理に追われていたフェリクスはここ数日、シンシアのことは使用人たちに任せきりで、完全に放置していた。
(寂しかったと訴えてきたあの言葉はやはり、あまりの孤独に耐えかねて……思わず漏れた言葉だったのだな)
そう考えると、素直に不満を口にしてくれるだけありがたいとさえ、フェリクスは思っていた。
「謝罪は誠意ある対応を、か……」
自分に足りなかったものを自覚したフェリクスは、それからしっかりと計画を立てて準備し始める。シンシアのストレスを緩和するために――。










