第16話 偽装悪女は白夜公の真意がわからない②
「では、案内しよう」
そう言ってフェリクスは一歩こちらへ近づくと、シンシアが腕を取りやすいよう曲げた右腕をわずかに外側へと差し出した。
(ここに手を添えろってこと、かしら?)
まさかエスコートしてくれるとは思わず、シンシアは少し戸惑いながらフェリクスの腕に左手を添える。
相変わらずフェリクスは無表情ではあるが、シンシアが歩きやすいよう歩く速度を調整してくれている。
さらに階段を降りる時は一段低い位置で支えてくれ、馬車に乗る時はステップを上りやすいよう手を差し出し、シンシアが転ばないよう、実に紳士的にエスコートしてくれた。
我儘な悪女を怒らせないため、形式的なエスコートに過ぎないのかもしれない。しかしこれまでまともに男性にエスコートされたことのないシンシアにとっては、何とも刺激が強く試練のような時間だった。
悪女を演じるためには、当たり前のようにそれを受け入れ、堂々と振る舞わないといけない。
そうわかってるのに、緊張で早鐘のように鳴る心臓がせわしなく動くせいで、馬車に揺られるシンシアにはどっと疲れが押し寄せていた。
「大丈夫か? 顔色が優れないようだが……」
正面に座るフェリクスが、微かに眉根を寄せて声をかけてくる。
悪女がおとなしくなったせいで、怪しまれているのかもしれない。
「あら、わたくしの身を心配してくださるのですか?」
「管理者として、当然の責務だからな」
(心配を当然の責務と言われても、まったく嬉しくないわね)
機械的なフェリクスの言葉が、シンシアにはただ監視対象者の不具合を確認しに来ただけにしか思えなかった。
離宮に滞在していないフェリクスが、毒殺の実行犯でないのは確かだ。しかし計画の首謀者である可能性は極めて高い。
彼が黒幕なら、毒の効果がどれくらいでているか見定めに来た可能性も捨てきれない。
「この一週間……公爵様が一度も会いに来てくださらないので、さみしかっただけですわ」
毒なんて効いてないアピールをしつつ、シンシアはわざと面倒な悪女を演じた。
『私を殺したいなら、コソコソしてないで直接いらっしゃい』と、強烈な皮肉を込めて。
こんな面倒なことを言ってくる悪女の相手なんて、フェリクスも本心ではきっとしたくないはずだ。嫌悪感でも示してくれるだろうと見越して、シンシアはそこから交渉を持ちかけようと思っていた。
「………………っ、すまない」
しかしフェリクスは三秒ほど間をおいて、なぜか素直に謝ってきた。その声は低く、どこか絞り出すように震えていた。
(気のせいかしら? いま、一瞬冷気を感じたような……)
密閉された車内なのに、窓ガラスがうっすらと白く曇っている気がする。
けれどフェリクスはすぐに表情を戻し、静かに口を開いた。
「これからは、もう少し顔を出すようにしよう」
なんということだ、監視の頻度を増やしてしまった。
『調子に乗るな』とか、『分をわきまえろ』とか、苛立ちを示す言葉を待っていたのに。これでは嫌われている前提で持ちかけようとした交渉ができない。
けれどフェリクスのことを探るには、好都合なのもまた事実。この監視用の指輪を外してもらうには、遅かれ早かれフェリクスとの交渉は避けられないのだから。
(嫌味を真摯に受け止めるなんて、白夜公は真面目な方なのね……)
「ええ、お待ちしております。だってこの国の法律では、三年白い結婚が続けば、離婚事由として認められますものね」
王令による政略結婚を、そう簡単に白紙にすることはできない。それでもこう言っておけば、フェリクスから不興を買うのは目に見えていた。
まさか悪女の方から離婚を切り出されるなんて、屈辱以外の何物でもないだろうから。
案の定、鉄壁だったフェリクスの表情が強張り、その青い瞳が、わずかに苦痛に歪んだように見えた。
まるで鋭利な刃物で、不意に切りつけられたかのように。
人は怒りの感情を露にした時、そこには必ず触れられたくない弱点が垣間見える。シンシアはフェリクスの弱点を探るために、彼の感情の揺らぎを静かに観察した。
(やはり、プライドを刺激されるのは不快なようね)
「君は……公爵夫人としての務めを、果たしたいのか?」
「わたくし退屈ですの。それに箱庭に閉じ込められるだけのお飾りの妻なんて、心底つまらないですわ」
そう言ってシンシアは、挑発的な笑みを浮かべた。
お金や宝石だけ与えておけば満足する悪女と思われないように、シンシアはフェリクスの意識を変えさせる。
手厚い警備の離宮から脱出するには、外に出ても怪しまれない自然な状況を作っておく必要がある。
こうして不満を漏らしておけば、フェリクスも管理者として何らかの対策を打たざるをえなくなるはずだ。
真意を探るようにこちらをじっと見たあと、フェリクスはそっと目を伏せて答えた。
「……そうか、考えておこう。だが今は、身体も本調子ではないだろう? 回復を優先させてくれ」
そんな話をしていたら、ちょうど馬車が止まった。大きな門をくぐると、車窓の外には離宮より立派な庭園と屋敷が見える。どうやら本邸に着いたようだ。
フェリクスには話をうまくはぐらかされた気がしないでもないが、意思表示はできた。
シンシアは気を引き締めて、フェリクスにエスコートされながら馬車を降りて本邸へ足を踏み入れた。
大勢の使用人に出迎えられ、案内された応接室。そこで待っていた恰幅の良い中年男性と視線が交錯した瞬間、シンシアに緊張が走る。
(まさか、お父様の差し金……⁉)
かつてフォレスト商会と懇意にしていた、デニール宝石商会の当主サイラス。グスタフの悪事の片棒を担っていた人物が、そこに座っていた。










