第10話 偽装悪女は侍女たちを観察する①
翌朝、ニナが二人の新しい侍女と一緒に朝の身支度を整えにやってきた。
「おはようございます、シンシア様! 今日は先輩方も一緒です!」
元気いっぱいなニナの後ろで、こちらを見てあわわと恐れ慄いている二人の侍女の姿があった。
「に、ニナ……勢いよくドアを開けすぎよ……」
「朝からそんなに大声を出しては……」
「あ、すみません! つい嬉しさのあまり!」
やっぱりニナは変わってるのだと、侍女たちのその反応でシンシアは妙に納得した。
「貴女たち、お名前は?」
シンシアが問いかけると、二人は顔を青ざめさせて、慌てて挨拶の礼を取る。
「失礼しました、本日より専属侍女として務めさせていただく、マリアと申します」
「同じく、本日より専属侍女として参りましたセイラと申します」
ヘビに睨まれたカエルのように、マリアとセイラはその場で身体を竦ませている。
「マリア先輩は優秀な着付師で美容のプロ、セイラ先輩は凄腕のティーブレンダーで給仕のプロなんですよ!」
絶妙に空気を読めないニナが、そう二人の紹介を補足してくれた。
なるほど、こちらはきちんと専門的技術のある侍女が選出されているようだ。でも――。
(家名を名乗らないということは、二人もおそらく平民。私と近い距離で接する者には、処理しやすい者を選んだのかしら?)
シンシアは、二人をじっと観察する。
後ろ髪をシニヨンに纏め、濃紺の長袖ワンピースの上に白いリネンのエプロンを羽織る。そしてヒールの低い革靴を履く統制の取れたスタイルは、どうやらアイゼン公爵家の侍女としての正装のようだ。
濃紺の前髪を一切の乱れなく左右に分けているのがマリア、深い緑色の前髪を斜めに流しているのがセイラ。
ニアより背の高い二人の年齢はおそらく、二十代後半といったところだろう。
(良識もありそうだし、二人ともそれなりに経験は豊富そうね)
「それは楽しみね」
シンシアが悪女っぽくわざと口角を上げると、マリアとセイラはビクっと肩を大きく震わせた。
(そうよ、これが普通の反応なのよ。ニアが変なだけで)
「それならマリア、あとで庭を散歩したいから、適した装いにセットしなさい」
「かしこまりました。準備して参ります」
「それからセイラ、寝起きで喉が渇いたの。わたくしに、お茶を淹れなさい」
「はい、おまかせください」
ニアの説明にどこまで信憑性があるのか、シンシアは試してみることにした。
とりあえず適材適所の仕事をお願いすると、ニナが「わ、私の仕事は……」とうるうるした瞳でこちらを見ている。
「そうね……汗を流したいから、ニナは湯浴みの準備をしてきて」
「かしこまりました!」
ニナが浴室に消えたあと、ソファーに移動して座っていると、準備を終えたセイラがブレンドティーを注いでくれた。
慣れた手付きの洗練した所作で、目の前に置かれたティーカップから、爽やかなレモンの香りが立ち上る。
シンシアはティーカップの取っ手を掴む前に、左手の親指と人差し指で、薄い白磁の飲み口の縁を微かに撫でた。
その際、さりげなくヴィスデロペで有害なものが混入してないか、確認を取る。
(『悪食』よ。このカップに潜む悪意を喰らい尽くせ)
こうして対象物に直接触れることで、魔力の流れを視覚的に隠すことができる。
(毒物は入ってなさそうね)
シンシアは悪女の仮面を被り、にっこりと不敵な笑みを浮かべて、緊張した面持ちのセイラに声をかける。
「カップの温度にも、きちんと気を配ってくれたのね」
するとセイラは大きく目を見張ったあと、嬉しそうに頬を緩めて答えた。
「はい、もちろんでございます! 最後まで美味しく飲んでいただけるように、温度管理は徹底しております」
毒物検査って不自然な動作を誤魔化せたのはいいけど、疑って確認を取った手前、向けられる喜びに満ちた眼差しにシンシアは内心、若干の気まずさを感じていた。
安全を確認したシンシアは右手でティーカップの取っ手を掴むと、ゆっくりと口に運んだ。
寝起きの身体に染み渡るように、まろやかで優しい甘みが広がり、爽やかなレモンの香りが鼻を抜ける。後味はスッキリとして、飲みやすい。
(不思議ね、身体が軽くなったみたい)
「……これ、何をブレンドしたの?」
「美肌に良いレモンバーベナをベースに、デトックス作用を高める焙煎したダンデライオンの根と胃腸の働きを助けるアニスシードを加え、身体のバランスを整えるブレンドしております」
シンシアの質問に、セイラはやけに饒舌に答えた。その顔は真剣そのもので、瞳の奥には揺るぎない情熱とが垣間見える。
(公爵家でも、ダンデライオンを使うのね……)
シンシアは驚くと同時に、コーデリアが激怒して侍女にお茶をぶちまけていた光景を思い出した。
『まあ、可哀想に。私に雑草を淹れるなんて、よほどこの家の仕事がお辛いのね』
貴族として完璧であることに、コーデリアは異常なほどの執着を持っていた。
だからこそ、ダンデライオンのような「どこにでも自生する雑草」をお茶として出すメイドを心底軽蔑し、そして哀れんでいた。
それは子爵家に来る前まで平民として過ごしていたコーデリアにとって、自身の出自を想起させる忌むべきものだったのだろう。
けれどコーデリアはそれを『怒り』ではなく、『教育』という名の排除で処理した。
『貴女のような方が、無理をして高貴な場にいるのは不幸だわ。だから私が、その重荷から解放してあげる。……感謝なさい?』
ダンデライオンティーを出したその侍女は、コーデリアの慈悲深い笑顔と共にその場で解雇され、子爵家を去ることになった。
(あの侍女は、コーデリアの体調を気遣いそのお茶を淹れた。優秀な侍女だったのね……)
一流の使用人は、主人のために毎朝体調に合わせた最高の一杯を淹れると、シンシアは本で読んだことがある。
セイラの淹れたお茶は間違いなく、今のシンシアの体調を整える優れた一杯だった。
(昨夜、少し無理をして夕食を全部食べたから、胃がもたれていたのよね。セイラはあの短い時間で、私の不調を見抜いてこのお茶を淹れた……どうやら実力は本物のようね)
一口飲む度に、弱った胃に優しく染み渡り、すっきりと浄化されていくのを感じる。
シンシアは生きるために『悪女』の仮面を被っている。けれど、コーデリアのような『笑顔で人の尊厳を踏みにじる真似』だけは、死んでもしたくないと思っていた。
歪んだ善意で優秀な人材を切り捨てるのは、愚の骨頂に他ならない。
「美味しかったわ」
素直な感想を伝えると、セイラは嬉しそうに目を細めた。目の端には、うっすらと涙まで見える。
「お口に合ったようで、光栄にございます」
少し大げさすぎやしないだろうか。
よほど恐ろしい悪女を想像されていたのだろう。地面に埋まっていた評価が、普通の対応をしただけで跳ね上がってしまったらしい。
(……皮肉なものね。でもこの『落差』をうまく使えば、思ったより簡単に情報を引き出せるかもしれない)
「シンシア様、準備が整いました」
その時、湯浴みの準備を終えたニナが声をかけてきた。
「ええ、今行くわ。セイラ、朝食の準備を整えておいて」
「かしこまりました」
セイラには朝食の準備をするよう頼んで、シンシアは浴室へと向かった。










