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「氷室の回廊、千の死顔」(3)

【閲覧注意】 本話には、以下の要素が含まれています。苦手な方はご注意ください!!!


残酷な描写

カニバリズム(人肉食)を想起させる表現

主人公による自傷・自死行為


通路は、妙に長かった。


揺れる蝋燭の火が、エドの影を歪に引き伸ばす。 下へ行けば行くほど、空気は粘度を増し、肌にまとわりつくように冷え込んでいく。


(……寒い)


エドは身震いし、無意識に細い腕を抱いた。 やがて、足裏の感触が変わった。木の板ではない。カチカチに凍てついた、凍土だ。


階段が尽きる。 頼りない灯りを掲げ、エドは目の前の光景を凝視した。


「ここは……氷室?」


巨大な地下空間。 闇の中に、無数の巨大な氷塊が、まるで墓標のように静かに佇んでいる。森然とした白い冷気が漂っていた。


強烈な違和感が胸を圧迫する。 好奇心に突き動かされ、彼は燭台を掲げ、最も近くにあった氷塊に近づいた。

氷の層は厚く、表面は白く濁っている。 うっすらとだが、中に赤と白の何かが封じ込められているのが見て取れた。 処理された獣肉のようだ。


エドは安堵の息を吐いた。ただの食糧庫だったのか? 彼はさらに奥へと進む。 だが、奥へ行けば行くほど、氷塊の形は……奇妙に歪んでいった。


(これは……何の動物だ?)


エドはある巨大な氷塊の前で足を止めた。 震える手を伸ばし、袖で氷の表面の霜を拭い取る。 燭台を近づける。

揺れる炎が氷面に映り込み、その透明な媒質を通して、中に眠る「それ」を照らし出した。


!!!


瞬間、エドの瞳孔が針の穴のように収縮した。 全身の血液が、一瞬で凍結する。


毛皮はない。 獣の蹄もない。


氷の中に封じ込められていたのは、顔だ。 土気色に変色し、目は固く閉じられているが、口元には未だに人の良さそうな笑みを浮かべたままの、中年男の顔。


――マルクおじさん。


「あ……」


エドの手が痙攣し、熱い蝋が手の甲に垂れたが、熱さなど感じもしなかった。 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。


「な……なんで……」


恐怖が冷たい手となって、心臓を鷲掴みにする。 彼は弾かれたように振り返り、蝋燭の光を周囲に林立する氷塊へと向けた。


彼は駆け寄り、狂ったように次々と氷の霜を拭い取っていく。

ここにはメイおばさん……あそこにはカールおじさん……。 いる。 みんな、ここにいる。


「オエッ……うぅ……」


巨大な恐怖が神経を押し潰し、呼吸さえままならない。 彼はよろめきながら後退り、この地獄から逃げ出そうとした。


だが、振り返ったその瞬間。視界の隅が、最深部の隅にある数個の氷塊を捉えた。

あそこには……何かがいる。 魂の底から湧き上がる、絶対的な戦慄。首がギギギと軋み、強制的にそちらを向かされる。


霜を拭う。 中を見た瞬間、エドの精神は――完全に崩壊した。


「あ……あぁ……」


喉から、壊れたような呻きが漏れる。 そこに凍っていたのは……「自分」だったからだ。


しかも、一体ではない!


ズラリと。 凄惨な死に様を晒す『エド』たちが、そこに並んでいた。


ある者は首にどす黒い絞殺痕を残し、苦悶に顔を歪めている。 ある者は胸を刃物で蜂の巣にされ、血まみれになっている。 ある者は全身に無数の斬撃を受け、乱れ斬りにされた肉塊と化している……。


すべての「エド」が、死ぬ直前の茫然、恐怖、絶望の表情を浮かべたまま、静かに今のエドを見つめていた。



キィィィン――!!!


「ぐっ……あああ……」


鋭利な耳鳴りが脳内で炸裂した。エドは頭を抱え込む。 忘却していたはずの、惨絶極まる死の記憶が、決壊したダムのように理性を飲み込んだ。


――窒息の苦しみ。気管を潰す、あの優しい手の感触。

――肉に食い込む刃の冷たさ。ハナの顔をした怪物が、胸にナイフを突き立てる激痛。

――引き裂かれ、毒殺され、転落死し……。




「やめろ……やめてくれぇぇぇぇ!!!」


数え切れない死。 終わらないループ。 すべての痛みがこの一瞬に重なり、脆弱な神経を狂ったように打ち据える。


「ウプッ……!」


猛烈な吐き気が喉まで込み上げる。 エドは口を押さえ、体の震えが止まらない。


その時だ。 さらに恐ろしい、さらにおぞましい想像が、毒蛇のように脳髄へ潜り込んできた。

彼は思い出した。数分前、キッチンでの出来事を。 彼が手に持っていた、あの肉……。 色はどす黒い深紅で、脂肪が一切なく、キメが異常に細かすぎた「獣肉」。



あれは……。 あれは、まさか……。


「――プツンッ!」


心理の堤防が、決壊した。


「オエェェェェェ――!!!」


エドは凍てついた硬い地面に、激しく膝をついた。 胃袋が激しく痙攣し、胃酸と、言葉にできない恐怖が混じり合ったものが、堰を切って噴き出した。

死寂に包まれた死体博物館の中で。 少年の肺を絞り出すような、絶望的な嘔吐の音だけが、いつまでも響き渡っていた。




「部屋にいないと思ったら……」


聞き覚えがありすぎる声が、頭上から降ってきた。 本来なら優しいはずのその声色は、今は氷水に浸した絹のように冷たく、唯一の出口から幽幽と響いてくる。


「まさか、こんなところまで自分で入ってくるなんて……悪い子ねぇ」



「お……お前……」

エドは魂の底から湧き上がる吐き気と目眩を強引に呑み込み、凍てついた包丁を杖代わりにして、震える体で辛うじて立ち上がった。


「一体……なんの化け物だ――!!!」


「酷い言い草ね、エドちゃん」


薄暗い蝋燭の光の下、“タリア”は優雅にドア枠に寄りかかっていた。 普段の清純さとは異なり、今の彼女の目元には、心臓を凍らせるような妖艶さが漂っている。彼女は狼狽する少年を見下ろし、完璧な笑顔を浮かべた。


「大好きなタリアお姉ちゃんを捕まえて『化け物』だなんて……お姉ちゃん、傷ついちゃうなぁ? ん?」


「黙れェェェ――!!!」


エドは喉が裂けんばかりに絶叫した。


「その姿で、その声で喋るな! 反吐が出るんだよ! 姉さんを返せ! 正体を現しやがれ、この薄汚い……化け物がァ――!!!」


許せなかった。 自分の中で最も神聖な存在が、これほど汚らわしいモノに冒涜されていることが。


「ふふっ……」

“タリア”は口元を隠して笑う。その瞳の奥には、底知れない闇が広がっていた。


「正体? 本当にいいの?」


「まさか……忘れたわけじゃないでしょ?以前、『私』の真の姿を見たお前が……どれほど無惨に死んだかを」


ブォン――!


その言葉は、錆びついた鍵のように、限界を迎えていたエドの脳を強引に抉じ開けた。 名状しがたい恐怖の記憶が、黒い濁流となって脳内に逆流する!



――異常に細長く、ねじれ、引き伸ばされた異形の影。

――呼吸するかのように蠢く、白黒の不気味な紋様で構成された『皮膚』。

――そして……目鼻立ちの一切ない、不吉な記号だけが焼き付けられた、ツルリとした惨白な頭部……。



「あ――! あがあぁ……あアアアアアアア――!!!」


エドは人ならざる悲鳴を上げた。 彼は燭台を投げ捨て、両手で頭を死ぬほど強く抱え込み、狂ったように近くの硬い氷塊に何度も頭を叩きつけた!


ガン!ガン! ガン!


額が割れ、鮮血が流れ出して視界を塞ぐ。 だが、恐怖の残像は脳裏にこびりついて離れない。魂ごとすり潰そうとしてくる。


「はぁ……本当に聞き分けのない子」

エドの狂態を見下ろし、“タリア”は呆れたように首を振る。



「掘り出さなきゃ……これを……掘り出さないと……」


エドは震える手で、右手の包丁を持ち上げた。 焦点は合わず、瞳には狂気だけが宿っている。


「俺の脳みそから……出て行け……出て行けェェェ!!!」


ザシュッ……


ザシュッ……


ザシュッ……


悪夢のような異形の姿を、記憶の中から物理的に掘り起こそうとするかのように。 無意識のうちに、エドは包丁の切っ先を、自分の頭皮に何度も突き立てていた!



「おい! ガキ、よせ――」

流石の怪物も異変を察知し、制止の声を上げようとした。



「うああああああああ――!!!」


ズブリッ!!!


肉を貫く鈍い音。 エドは渾身の力で、包丁を根元まで、自分のこめかみに突き刺していた!


少年の体が、一瞬にして硬直する。 瞳の光が消える。 そして、糸の切れた人形のように、棒立ちのまま後ろへと倒れた。


ドサッ!


氷室に再び死寂が戻る。 凍土の上を、鮮血が広がる微かな音だけを残して。



「……チッ」

“タリア”は階段の上に立ち、心底つまらなそうに溜息をついた。


「刺激が強すぎたかしらね。早まったわ」


“それ”は優雅な足取りで降りてきた。 血の海に沈み、すでに事切れたエドを見下ろし、その声には僅かな未練が混じる。


パチン。


“それ”が軽く指を鳴らす。


次の瞬間。 陰湿で冷たい氷室は消滅した。 代わりに現れたのは、陽光と温もりに満ちた、あの見慣れたログハウスの寝室だった。


“タリア”はエドを優しく、壊れ物を扱うように柔らかいベッドへ寝かせ、甲斐甲斐しく布団を掛けてやる。

熟睡する少年を見つめながら。 “それ”は白皙の手を伸ばし、その掌に不吉な暗赤色の光を纏わせると、エドの綺麗な額にそっと押し当てた。


その直前まで、そこには致命的な風穴が開いていたはずだった。 だが今、傷口は時間を巻き戻したかのように急速に塞がり、傷跡一つ残さず完治していく。


「やっぱり……この不愉快な『記憶』は、もう一度消しておかないとね」


「そうじゃないと、次の『ゲーム』で、私が楽しめなくなっちゃうもの」


暗赤色の光が浸透するにつれ、エドの苦悶に満ちた眉間がゆっくりと解け、呼吸は穏やかで深くなっていく。


全てを終え、“タリア”の完璧な仮面を被ったその顔が、ゆっくりと近づく。 細い指先が、少年の瞼、鼻先をなぞり……。 最後には、その柔らかな唇の上で止まった。


「うふふ……♪」

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