第一章:転生からで死刑宣告
前世――東京、2025年
「株式譲渡契約書にサインすれば、体面は保たれる」
冷たい声が耳元で響いた。
取締役会議室。高層ビルの最上階。窓の外には東京の夜景が広がり、無数の光が闇を切り裂いている。かつて、これは自分の帝国だと思っていた。今、すべてが遠ざかっていく。
黒田陽介は目の前の書類を見つめた。
黒田化学工業株式会社――自分が十年かけて築き上げた会社。父が遺した倒産寸前の町工場を、年商五十億円の新素材メーカーに育て上げた。不眠不休で働き、銀行を説得し、技術者を口説き、顧客を開拓した。
そして今、最も信頼していたビジネスパートナーが、そのすべてを奪おうとしている。
「陽介君」副社長の大河田が穏やかな笑顔を浮かべた。「君は疲れている。六年間、一日も休まず働き続けてきた。そろそろ休んでもいいんじゃないか? 六十パーセントの株式を譲渡すれば、五億円が手に入る。世界一周旅行もできるし、新しい事業を始めることもできる」
五億円。
確かに大金だ。だが自分の会社の真の価値は、この数字の五倍はある。新開発した導電性ポリマーが量産化されれば、業界全体の構図が変わる。大河田はそれを知っているからこそ、今このタイミングで契約書を突きつけてきたのだ。
「考える時間をあげよう」大河田が言った。「三十分だ。決断してくれ」
会議室には他に五人の取締役がいる。かつて、彼らは自分の味方だと思っていた。だが今、全員が大河田の側に立っている。誰一人、自分のために弁護してくれる者はいない。
陽介は知っている。三ヶ月前から、大河田は水面下で工作を進めていたのだ。株主を抱き込み、顧客に圧力をかけ、銀行に密告する。気づいた時には、もう手遅れだった。
「これは君が一手に育てた会社だ」大河田は続けた。「だからこそ、醜い争いは見たくない。円満に引退してくれれば、君の功績は永遠に記憶されるだろう」
嘘だ。
署名したら、自分の名前は会社の歴史から抹消される。それは分かっている。
だが、選択肢はない。拒否すれば取締役会は彼を解任し、一銭も手に入らない。さらに悪いことに、大河田が用意した「粉飾決算」の証拠がマスコミにリークされる。
これはすべて罠だった。
最初から。
三年前、資金繰りに困っていた時、大河田が現れた。「君の技術に賭けたい」と言って、三億円を投資してくれた。陽介は彼を恩人だと思った。信頼した。副社長に任命し、大半の経営権を委ねた。
それが間違いだった。
陽介はゆっくりと立ち上がった。喉が渇いている。
テーブルには大河田が用意した赤ワインが置かれている。「署名の前に、最後に一杯どうだ?」――これは彼が勧めたワイングラスだ。
陽介はグラスを手に取った。
このまま屈服するのか? 十年の努力を、五億円で売り渡すのか?
だが、他に方法はない。
彼はグラスを掲げた。
赤ワインが喉を通る。
苦い。
妙に苦い――
次の瞬間、天地が回転した。心臓がほとんど止まりそうになり、息ができない。視界が歪む。床が迫ってくる。
倒れる直前の一瞬、大河田の満足そうな表情が見えた。
あの笑顔。すべてが計画通りだという笑顔。
毒――
「まさか……」
陽介は床に倒れた。
意識が途切れる。
誰も助けに来ない。取締役たちは立ち上がりもしない。全員が冷たい視線で彼を見下ろしている。まるで予定されていた出来事であるかのように。
闇が押し寄せてくる。
こうして終わるのか? 三十二年の人生。裏切りで幕を閉じるのか?
父さん、ごめん。会社を守れなかった――
そして――
意識が完全に断絶した。
---
**異世界――フランス王国、1778年**
「ガシャン!」
激しい衝撃音。
万華鏡のような色彩が脳裏で爆発した。真紅、深青、金色、墨緑――無数の光点が砕けたガラスのように、闇の中で回転し、衝突し、再構成される。
体が動かない。まるで麻酔をかけられたように、意識だけが先に目覚めた。
薄暗い光が闇を切り裂く。
視界は最初ぼやけていたが、次第に鮮明になっていく。目に映ったのは、湿った石壁。苔と黴の斑点だらけだ。壁の隅には汚い藁の山があり、腐臭を放っている。
ここは……どこだ?
起き上がろうとしたが、手首と足首に冷たく重い感触が伝わってきた――枷だ。
鉄製の枷。重くて、ほとんど動けない。
何だって?
驚愕と困惑の中で、部屋全体が薄暗闇に包まれていることに気づいた。唯一の光源は高い位置にある鉄格子付きの小窓で、そこから差し込んでくるのは普通の月光ではなく、不気味で淡い緋色の光だった。
無意識のうちに頭を上げ、視線を少しずつ上に向けると――
鉄格子越しに、空中に――
真紅の満月が高く掲げられ、静かに照らしている。
これは……!
彼は勢いよく立ち上がろうとしたが、体がまだ完全に適応していない。両足に力が入らず、重心が崩れ、尻が冷たい石のベッドに激しくぶつかった。
バン!
手でベッドを押さえ、再び立ち上がり、慌てて周囲を見回した。
これは小さな部屋――いや、独房だ。
左側には重い樫の扉があり、鉄の帯で補強されている。扉には小さな覗き窓がある。扉の横の壁には消えたランプが掛けられている。
右側の壁は、灰白色の石ブロックで積み上げられ、亀裂と水染みだらけだ。壁の隅には古い木桶が置かれており、生理的な用途のためのものだろう。
正面の壁の高い位置に、あの鉄格子付きの小窓がある。そこから真紅の月光が差し込み、床に斜めの血のような光の影を落としている。
扉に近い壁の隅には破れた布と腐った藁の山があり、寝床として使われているようだ。
扉の向こうには砕けた銅鏡の破片が壁の隙間に挿し込まれており、微かな赤い光を反射している。
一瞥すると、鏡の中の自分がぼんやりと見えた――
黒髪、褐色の瞳、粗布の囚人服、痩せた体型、平凡な顔立ち、蒼白い顔色……
枷、石牢、囚人服、そして地球とは異なるあの真紅の月。
「転生した……」彼は呟いた。
ライトノベルを読んで育ったから、こういうことは想像していた。だが実際に遭遇すると、一時的に受け入れられない。口で言うのは簡単でも、いざ当事者になると話は別だ。
その時、一つ一つの記憶の断片が突然飛び出し、ゆっくりと脳裏に現れた。
ルーン・ウィンスター、二十歳、フランス王国パリ(ぱり)市民、夜警……
父はかつて普通の港湾労働者で、事故で死亡。母は再婚し、幼いルーンを孤児院に残した……
聖母憐憫孤児院で育ち、修道女テレーザだけが彼を気にかけていた……
十六歳でパリ夜警隊に加わり、最底辺の夜間巡回の仕事をした。治安維持、浮浪者の追い払い、時々酔っ払いの喧嘩の処理……
給料は微々たるもので、辛うじて生計を維持……
三日前、臨時の命令を受け、何か重要な物資を護送することになった……
そして……
記憶がここで突然混乱し、断片的になった。
馬車がある、森がある、叫び声がある、そして……頭部の激しい痛み?
その後は、連行され、尋問され、監獄に閉じ込められた。
王家の軍資金窃盗で告発された。
二日後、判決が下される……
二日後?
彼は心臓が跳ね上がり、急に頭を上げた。
記憶はまだ続いている――
この世界は、完全には18世紀のフランスではない。
この世界には魔法がある。
剣術がある。
魔獣もいる。
貴族は魔法と剣術を掌握し、真の超常者だ。平民はただ仰ぎ見るだけ。
夜警は最底辺の執行者で、魔獣に直面した時は、騎士の救援を待つしかない。
ルーン・ウィンスターは、そういう普通の、卑しい、超常の力を持たない平民だ。
そして今――
彼、黒田陽介は、この不運な夜警に転生した。
「待てよ……」
彼は呆然と自分の両手を見た。
これは彼の手ではない。
これは粗い、胼胝だらけの、若いがすでに風霜に晒された手だ。
「本当に……転生したのか?」
彼は呟いた。
そして、現実の残酷さが押し寄せてきた。
二日後に判決が下される。
王家の軍資金窃盗で告発されている。
だが原主の記憶は肝心な部分が欠けている――あの「臨時任務」で何が起きたのか? なぜ告発されたのか? 黄金はどこに行ったのか?
『頭部に怪我をしていた……殴られて気絶したのか? それとも何か事故があったのか?』
彼は後頭部を触ってみた。かすかに腫れている感覚がある。
『原主はおそらく何が起きたか全く知らず、身代わりにされたのだろう』
待っているのは絞首台か、流刑だ。
「異世界転生なら、平和な村で目覚めて、優しい家族がいて、ゆっくりとチート能力に目覚めて、冒険者として成り上がるはずじゃないのか」
彼の声が石牢に響き渡った。
「『転生したらスライムだった件』とか『のんびり農家の異世界生活』とか。なんで俺は最初から地獄モードなんだよ……」
最近の異世界転生作品は、ほとんどそういう展開だ。スローライフ系、チート無双系、ハーレム系――どれも主人公に優しい。
「なんで監獄から始まるんだ。しかも二日後に処刑されるって……」
彼は頭を抱えた。
彼の叫びは石牢の中で虚しく響いた。
彼は藁の山に倒れ込んだ。
『十二国記』を読んでいた時は面白いと思ったが、まさか自分が同じような過酷な状況に投げ込まれるとは思わなかった。いや、あの主人公たちよりも悲惨だ。少なくとも陽子には麒麟がいたし、時間の余裕もあった。
自分には何もない。二日後に処刑される。
「せめて……せめてチート能力くらいあるはずだろ……」
彼は目を閉じ、心の中で呼びかけてみた。
「システム?」
静寂。
「ステータスウィンドウ?」
やはり反応がない。
「スキルツリー? 魔法? 何でもいいから」
完全な沈黙。
彼は目を開け、天井の黴の斑点を見つめた。
「サインインシステム? 初心者ギフトパック? ガチャ? ルーレット?」
やはり何もない。
「ショップ? クエストパネル? 実績システム?」
何も現れない。
「『開く』とか『スタート』とか『起動』とか言わないとダメなのか?」
彼は考えられるあらゆるトリガーワードを試した。
「属性? 能力? 才能? 血統?」
「鑑定? スキャン? 分析?」
「ヘルプ? 説明? チュートリアル?」
どの呼びかけも、死のような沈黙しか返ってこない。
ただあの真紅の月だけが、鉄格子越しに冷たく彼を照らしている。
彼は座り直し、深呼吸して、様々な動作を試してみた。
手を前に伸ばし、火球が飛び出すことを想像する――何も起きない。
両手を合わせ、光の治癒を想像する――やはり何も起きない。
目を閉じて瞑想し、体内の「魔力」を感じようとする――空腹感以外何も感じない。
彼は「変身」「覚醒」「解放」と大声で叫んでみさえした――
結果は隣の独房の囚人からの罵声だけだった。「うるせえ。気違いが」
彼は力なく座り込んだ。
「本当に……何もないのか」
彼は苦笑した。
本当に何もないようだ。
真紅の月光が彼の蒼白い顔を照らし、その表情を一層凝重に見せている。
沈黙が長く続いた。
そして、彼は深呼吸した。
「いや、違う……」
彼は自分を冷静にさせようとした。
発散は終わった。今は現実に向き合う時だ。
化学企業の経営者として、彼は数え切れないほどの危機を処理してきた。倒産寸前の会社を立て直し、競争相手との戦いに勝利し、市場での地位を確立した。銀行の取り立て、顧客の契約不履行、競争相手の悪意ある買収――毎回絶体絶命だったが、毎回乗り越えてきた。
最後は裏切りで毒殺されたが、それまでの十年間、彼は常に冷静に状況を分析し、最善の解決策を見つけてきた。
今も同じだ。
チート能力がないなら、前世の知識を使えばいい。
超常の力がないなら、前世の頭脳を使えばいい。
「まず……」
彼は立ち上がり、狭い独房の中を歩き回った。枷がガシャガシャと音を立てる。
「事件の詳細な状況を把握する必要がある」
「原主が実際に何を経験したのか、具体的に何で告発されているのかを知る必要がある」
「事件記録が必要だ、証言が必要だ、すべての証拠が必要だ」
原主の記憶によれば、あの任務は臨時的で、突然のもので、しかも過程で事故があった――頭部に怪我をし、記憶が途切れている。
『これはおそらく単純な窃盗事件ではない』
『もし本当に俺が軍資金を盗んだなら、なぜ俺が殴られて気絶させられるんだ? 泥棒が自分自身を気絶させるか?』
『これはむしろ……誰かが仕組んだ罠のようだ』
窓の外、あの真紅の満月が静かに掲げられている。
不気味で冷たい。
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