死神にプロポーズ(続編)
「テラ、おはよう」
あの日以来、真琴は毎朝テラに声をかけるようになった。
天気のいい日はもちろん、激しい雨の日も、冷たい雪の日も、必ず窓を開けて風の使いに戻ったテラに声をかける。
テラとは天界の使いで、真琴が十八歳のとき、真琴を迎えに来た死神だ。
死神と聞くと怖く聞こえるかもしれないが、そうではない。
人がこの世に残した時間に寄り添い、迷わないように天国へと案内する。
怒ることも、泣くことも、笑うこともない。
静かに微笑むだけ。
常に心乱してはいけない。
旅立つ者が怖がらず、安心できるように寄り添う。
それが死神の使命だ。
テラが真琴の前に現れたとき、最初は真琴も、ただ怖くて、拒絶した。
だが、真琴は次第にテラの傍だと安心できるようになり、「テラと一緒にいたい」という想いが強くなった。
「テラ、私が死んだら結婚してくれる?私、テラと一緒に行く、テラと一緒なら怖くない」と、テラにプロポーズをした。
テラも、いつの間にか真琴が大切な存在になり、自分の使命を忘れて、どうにかして真琴を生かせてやりたいと願うようになり、天界の王に相談した。
王の答えは、「使命を果たせなかった死神の姿は消えてなくなり、二度と死神には戻れない」だった。
数々の試練を乗り越え、死神になれるのは、わずか一握り。
死神とは名誉なことだ。それでも、テラはそれを捨てて真琴を助ける決心をした。
真琴を助けたことで、テラは死神の姿を失った。だが、テラに後悔はなかった。
もとの姿の、風の使いに戻ったテラは、大空を大自然を吹き抜けていた。
テラが真琴の前から姿を消してから、真琴は、ただの一度も、テラのことを忘れることはなかった。
姉の結婚式の日、ウエディングドレスを着た姉の姿を見ながら、「私がウエディングドレスを着る日は、テラに横にいて欲しい」と、叶わぬ夢を重ねた。
どんなに歳月が過ぎようと、テラへの想いはつのるばかりだった。
あれから三十年が過ぎた。
真琴は、いつか自分の声がテラに届く日がくる、そう信じていた。
その頃、天界では大変なことが起きていた。
数人の死神が、王の部屋へと続く長い廊下を走って王の前に来た。
「なにごとじゃ?」死神たちの様子が尋常ではないのが、すぐにわかった。
「はい、二月に旅立ちの予定の方のもとに、お迎えに行ったのですが、私たち死神が見えないようで、誰が行ってもわかってもらえません」
王は驚いた。
そんなことがあるのか?
今まで一度もなかった。
王は言った「早くなんとかしなければ、その者に死の日がきてしまうと、その者は一人で天国へ行かねばならぬ。恐怖も恐れもあるじゃろう、どんなに心細いか…道に迷うと大変なことになる」
「早くその者に知らせねば」
王が、「その者の名は、なんという?」
死神から渡された名簿を見て、王は驚いた。
そこには真琴の名前があった。
「これは…」
他の死神たちも、テラと真琴の話は知っていた。
今では伝説となり、テラは死神たちの中では勇者のように語り継がれている。
死神として、人の最後に寄り添えることは、とても名誉なこと。
それを捨ててまで、一人の女性を死から守った。
だが、王は頭を抱えた。
「あ…なんということだ…あのとき何としてでもテラを止めるべきだった」
数秒の静けさの後「わかった。私が行こう」そう言って、王は立ち上がった。
突然の王の言葉に、死神たちは驚いた。
王がお迎えに行くのは、死神が人のお迎えに行くようになって以来、初めてのことだった。
王は直ぐに真琴のもとに行った。
そこには家の窓を開け、朝の冷たい風に向かって「テラ、おはよう」と言っている真琴がいた。
王は、あのときのテラを思い出した。
自分は消えてもいいから真琴を助けたい。と言って、消えていったテラ。
真琴は今も、そのテラだけを思っている。
その想いが強過ぎて、他の死神が見えない。
迎えにきた王とて、真琴には見えなかった。
真琴の目の中も、胸の中もテラだけだった。
王は「なんという二人だ、死神と人がこれほどまでに…」
だが、なんとかしなくてはならない、このままでは、真琴は一人、孤独な旅に…。
王は空まで上がると、大きく手を広げた。
そして、見えない波に乗せるかのように、声を震わせ、響かせた「テラよ、私の声が聞こえるか、私が見えるか、テラよ返事をしておくれ」しばらくすると、王の周りを風が吹いた。「おお、テラか?」
姿をなくしてしまったテラだが、王にはテラの息使いがわかる。
「テラよ、聞いておくれ。お前は真琴という娘を覚えておるか?」
テラは「もちろんです…王、真琴が…?」
王の言葉にテラは焦った。
天界で名前がでることの意味を、テラは十分わかっていた。
王は話し始めた。
「真琴は二月に旅立つ予定になっておる。だが、どの死神が迎えに行っても真琴には見えぬのだ」
「真琴は今もお前だけを想っておる。お前への愛が強過ぎて、他の死神が見えぬのじゃよ」
「お前も知っている通り、このまま真琴に旅立ちの日が来ると、真琴は一人孤独な旅立ちをしなくてはならぬ」
テラも同じだった。真琴のことを忘れたことなど一度もなかった。
真琴の幸せだけを願っていた。
テラは、今まで王の傍で静かに風を吹かせていたが、天界へと竜巻を起こした。
激しく、狂ったように天界を吹き荒れた。
まるで時間を止めてしまうかのように吹き荒れた。
そして風はピタッと止まった。
テラは呆然としていた。
「テラよ…」
王が声をかけると、テラは静かに言った「王、私はなんと愚かなことを…三十年前の私の勝手な判断が、こんなことになるとは…」
テラは悔しかった。悲しくて、やりきれなかった。
そんな自分を八つ裂きにしてやりたいと思った。
でも、八つ裂きにする体もない。
王にはテラの息ずかいで、テラの心が伝わった。
「テラよ『一千年の扉』を覚えておるか?あの扉の向こうには、我々には想像を超える厳しい試練があるという。私も聞いただけで、まだ誰も行った者はない。覚悟を決めた者だけが扉を開ける。そして、一千年の試練を乗り越えた者だけが、願いを一つ叶えることができる。だが死神には戻れぬ、風の使いにも戻れぬ、無論、人間界にも行けぬ。『一千年の扉』の向こうに行った者は、一千年の過酷な時間を受ける。扉の前で待つ者には一ヶ月だ。テラよどうする?時間がない」
テラに迷いはなかった。
「王、ありがとうございます。行かせてください」
王は、わかった。と言って持っていた杖を高く振り上げた、そして呪文を唱えた。
すると、そこには死神の頃の姿のテラがいた。
「『一千年の扉』に行くための体じゃ、途中で力尽きたり、続行不可能になると、体は消えてなくなり、外に出てくることは二度とない。よいな」
「はい」そう答えるとテラは王に頭を下げ、直ぐに「一千年の扉」の中に入っていった。
水の修行
激しく流れ落ちる凍えそうな滝の中でも、真琴のことだけを考え、滝に打たれ続けた。
火の修行
燃え盛る炎の前で、炎の熱さと痛みに耐え真琴が、一人にならないようにと、それだけを願い坐禅をくんだ。
山の修行
あるときは、凍りつく岩山を、いつ足を滑らせるかわからない恐怖と戦いながら登り、あるときは、足をとられて前に進めない、灼熱の砂漠を歩き続けるときも、真琴が無事天国に行けることだけを願って歩いた。
修行は、繰り返し千年続いた。
テラが「一千年の扉」の向こうで修行の間、王は、テラの生還を信じて願った。
そして「真琴、頑張ってくれ。テラは必ず帰ってくる」
王と死神たちは、テラの生還と、真琴の延命を祈った。
テラが帰ってくれば、テラは死神には戻れないが、真琴に声をかけることはできる。
真琴もテラの声を聞けば、テラの言葉なら真琴に届く、王はそう信じた。
王は毎日、死神を真琴のもとへやった。
真琴には死神が見えないが、死神たちは、交代で真琴の様子を毎日見守った。
テラが「一千年の扉」へ行って、二十日が過ぎた頃、死神が「王、大変です」と、王のもとへ走ってきた。
「真琴さんが倒れました。危険な状態です」と、伝えた。
王は驚愕した。
なんということだ、テラが帰ってくるまで、まだ十日近くかかる。
まだ、他の死神が見えない真琴、このままでは真琴を一人旅立たせることになる。
「一千年の扉」は外からは開かない。
王も、死神たちもテラが生還することを、真琴の延命を、より強く祈った。
死神たちは毎日真琴のもとに行き、王に真琴の状態を知らせた。
緊迫した日が続いた。
テラが「一千年の扉」に行ってから。
一ヶ月、ついに扉が開いた。
開いた途端、テラは扉の外に出て倒れた。
そこにはボロボロになったテラが、息絶え絶えになっていた。
それでも「ま…こと…ま…」
王はテラを抱き起こした「テラよ…」
王は初めて涙を落とした。
そして、今は真琴のことは言うまい。
そう決めた。
王は天界の支え人を皆集めた。そして時間がない、一刻も早くテラの治療を頼んだ。
死神たちは真琴の様子を、王に伝えた。
刻一刻と迫る時間の中で、王はつぶやいた。「私は天界の王とは名ばかりだ、なんと無力なことだ…」
すると後ろから「王、それは違います」振り向くとそこにはテラが立っていた。
「テラ、お前、もう大丈夫なのか?」
「王、王の計らいのおかげです。ありがとうございました」「王、真琴は大丈夫でしょうか?」
王はテラに今の真琴の状態を話した。
そして「テラ、真琴を救えるのはお前だけだ」
テラは「王、私は『一千年の扉』の向こうで、真琴のことだけを願いました。
真琴が一人で旅立つことのないように。
迷うことなく真琴が安心して、天国へ行けるように。それだけを願いました」
「わかっておる」王は言った「テラ、お前は死神には戻れぬ。だが、今の真琴に届くのはお前の声だけだ。テラ、死神アスクと一緒に真琴のもとへ急いでくれ、真琴には時間がない」
テラとアスクは真琴のもとへと急いだ。
病院のベッドには、弱々しく息をする真琴が
いた。
テラが知っているあの笑顔はなく、静かに眠る真琴がいた。
テラは自分の手で抱き上げ、真琴を天国へと連れて行ってやりたかった。
だが、死神でないテラには叶わぬことだった。
真琴を見つめるテラにアスクが言った。
「テラさん、時間がありません」
テラは頷き、真琴のそばに行き「真琴、私です。真琴、目を覚ましてください」
「真琴」「真琴」
真琴は静かに目を開けた。
「テラ、テラなの?」
死神の使命を失ったテラが、真琴に見えるはずはなく、「真琴、私の声が聞こえるのですね、残念ですが、真琴には時間がありません。もう死神でない私は、真琴に付き添うことはできません。
真琴、私を信じてください。すぐそばにいる死神アスクを信じてください」
懐かしいテラの声、テラの声がはっきり聞こえる。
真琴は涙が溢れ出した。
「はい…テラ」
すると、真琴の目にはアスクが見えた。
アスクは安心したように「真琴さん、間に合ってよかったです。私は死神アスクです。真琴さんをお迎えに来ました」そう言ってお辞儀をした。
真琴も「ありがとうございます。よろしくお願いします」と、もう、ほとんど動かなくなった手を差し出した。
アスクは真琴を抱き上げると、持っていた釜に乗り、天国ではなく天界へと行った。
姿のないテラは傍で見守るだけだった。
天界に着くと、王は無事真琴を迎えたことに安心した。
真琴は驚いた。さっきまで意識も薄れかけ、手を動かすことも、ままならなかった。
それが、天界では自分の力で立っていた。
体には、痛みも辛さもなかった。
王は言った「テラ、アスク、ありがとう。
真琴はここから天国へ行ける、そしてここからの付き添いは、テラ、頼んだぞ」
テラは「えっ、王、私は…」
すると、テラの体が少しずつ曇りガラスの中から浮き出すように現れた。
「テラ!」
真琴は直ぐにテラに駆け寄った。
「真琴、私が見えるのですか?」
真琴は「はい」と大きく頷いた。
嬉しくて、涙が止まらなくなった真琴はテラに抱きついて泣いた。
「王、これは…」
テラが聞くと、王は「テラよ、お前はよくやった。だが、お前はもう風の使いには戻れぬ。死神に戻ることもできぬ。ましてやその体は、人間界にも行くこともできぬ」
テラは小さく「はい…」と答えた。
「テラ、お前はこれから真琴と天国に行き、天国で真琴と暮らすのじゃ。二人の想いは、三十年の歳月も、『一千年の扉』さえも乗り越えた」「テラ、これが私からお前への最後の指令じゃ」そう言って王は微笑んだ。
「王…」
テラは王に深々とお辞儀をした。
アスクも微笑んで「テラさん、ここからはお願いします」と言って、真琴の名前の書かれた天国行きのパスポートを渡した。
テラは「アスク、ありがとう」
だが、テラの表情が曇った。
人を天国に案内するには、死神の釜が必要だった。
死神でないテラには釜がなかった。
すると、王は「テラ、これでお行き」と言って、テラの肩にマントを掛けてやった。
「王、このマントは、王の大切な…」
テラは言葉がなかった。
「テラ、そのマントはお前たち二人を必ず、天国に運んでくれる」
「真琴、しっかりテラにつかまるようにな」
「はい」少し照れて、でも幸せの笑顔の真琴だった。
テラは真琴を、マントの中へ包み込むように抱き寄せた。
テラと真琴は、何度も王と死神たちに礼を言った。
「テラ、真琴、二度と離れるでないぞ」
「はい」二人は笑顔で答えた。
王と死神たちに見送られ
二人は天国へと続く風に乗り、煌めく何千万の星の中を旅立った。
「テラ、ありがとう。私とても幸せです」
「真琴、ありがとう。これからはずっと一緒です」