世界で一番可愛い妹と、どうぞお幸せに! ~私は命令通り、国一番の醜男に嫁ぎます~
「また妹を虐めているのか、ミッシェル・バーキット!!」
休み時間にわざわざ隣の教室までやってきて声を荒らげているのは、私ミッシェル・バーキット侯爵令嬢の婚約者であるプリジェン王国の王太子ダスティン殿下だ。
「別に虐めているわけではありません。妹のためを思って言っているのです」
「それが虐めだというのだ!」
ダスティン殿下の背中には、つぶらな瞳を潤ませた妹──リナ・バーキットが縋り付いている。
「こんなにも可愛いリナの容姿を馬鹿にするなど、お前はいったい何様のつもりだ!? リナに嫉妬しているだけではないか!」
そう。妹のリナは愛らしい外見をしている。
うっすらと桃色が差した白い肌。
ぷっくらと膨らんだ頬。
健康的ですらりと伸びた手足。
丸くぱっちりとした大きな瞳。
これら全てが並々ならぬ努力の賜なのだが、男性陣はどうもそれが分かっていないようだ。
「リナは僕の天使なんだ。お前みたいな皮肉屋とは違ってな!」
じろりとこちらを睨め付ける王太子殿下。
彼はいつもこうだ。
長女の私よりもリナが婚約者だったら良かったのにと、周囲にも公言して憚らない。
「さてはお前、僕がリナに気があるからそんな意地悪ばかりするんだろう!」
「いいえ、とんでもない」
ダスティン殿下の言葉に首を振って答えるも、彼は私の言葉など聞いてはくれない。
最初から聞く気はないのだろう。
「僕達は、もうすぐ卒業だ。そうしたら、僕は父の名代として二年の諸国外遊に出なければならない」
「ああ、殿下……!」
リナが大袈裟に嘆いてみせるが、これも公務。
大事な外交だ。
二年かけて諸国を回るのは大変だとは思うが、次期国王として周辺諸国に顔を繋げる大事な役目を担っている。
「このままでは、安心して外遊も出来ない。ミッシェル・バーキット、僕はお前との婚約を破棄する!!」
おっとぉ、こんな教室──衆人環視の前で、婚約破棄と来ましたか。
「そして、僕はリナと結婚する」
「殿下!!」
二人はひしと抱き合い、愛を確かめ合っている。
まぁ、そうね。
私の代わりに妹と結婚するのなら、我がバーキット家の名に傷は付かない。
付くのは私の名前だけだわ。
「本当によろしいのですか、殿下……うれしいっ」
「ああ、僕こそ世界一可愛いリナと添い遂げられるなんて、この国一番の果報者だ」
教室の空気なんてそっちのけで、二人は盛り上がっている。
まぁ、いいわ。
私だってこんな殿下と一緒にならない方が、気楽だもの。
「その申し出、承りました」
私が大人しく頭を下げると、殿下はムッとしたように表情を顰めた。
まだ何か気に食わないのかしら。
「それだけでは、妹を虐めた罰にならぬな……そうだ、ミッシェルお前は国一番の醜男と言われるウィットル辺境伯に嫁ぐがいい!!」
周囲から、息を呑む音が聞こえてくる。
ウィットル辺境伯──豚のように肥えた男だとか、醜悪な外見はまるでモンスターだとか、様々に噂される貴族だ。
辺境を守る彼は滅多なことでは王都に来ることはなく、だからこそその噂ばかりがどんどん一人歩きしている。
「……かしこまりました」
こうなってしまった殿下に何を言っても、もはや手遅れだろう。
これでも国王陛下を除いてはこの国一番の権力者なのだ。
私が下手に逆らえば、リナはともかくとして、お父様やお母様に害が及びかねない。
かくして、卒業を目前に控えた私は婚約を破棄され、卒業と同時に国境のウィットル辺境伯家に嫁ぐことになった。
ウィットル辺境伯領は、広大な森を有している。
通称“魔の森”と呼ばれ、モンスターが多く棲息する土地だ。
そんなところについて行きたい使用人など、誰も居ない。
私は少数の護衛のみを引き連れて、辺境伯領へと嫁いだ。
私を護衛した騎士達もまた、すぐさまバーキット領に戻っていった。
嫁入り道具や持参金もない、たった一人の嫁入り。
それもまた、私らしい。
腹の立つ王太子殿下からようやく解放されたのだから、辺境伯領での暮らしを存分に楽しもうじゃないの!
私ミッシェル・バーキットには、前世の記憶がある。
とはいえ、前世で定番だった異世界転生物みたいに無双が出来る訳ではない。
前世の私はただの一社会人、機械的な知識は勿論、農業の知識も、醤油の作り方も知らない。
仕方ないじゃない、二十一世紀の日本は検索すれば何でも調べられた時代なんだもの。
頭に入っていることなんて、ごく限られている。
そんな私が、唯一前世の記憶を頼りに活用出来たこと。
前世の私は、スポーツジムで働いていた。
といってもインストラクターではなく事務員だったのだが、健康指導の講習は受けていたし、栄養学の入門くらいは身につけていたので、窓口で生徒さんの相談に乗ったりもしていた。
という訳で前世の知識を生かして、幼い頃はぶくぶく肥え太っていた妹を運動させ、バランスの良い食事メニューを考えて、肌のケアまでして、世界一可愛いとまで言われるあの男受けする外見を作り上げたのだ。
男からチヤホヤされたがるくせに、リナは気を抜くとすぐに太ってしまう体質だ。
そのくせ堪え性がなく、甘い物に目がない。
食べ過ぎるな、運動をしなさいと叱りつければ、すぐ誰かに泣きつく。
体重が元に戻って、困るのは自分だというのに。
どうしてリナの幼い頃を思い出したかというと、初めてお目にかかった辺境伯様が、リナの幼い頃を思わせる外見をしていたからだ。
いや、リナの幼い頃よりも重症かもしれない。
むくむくと丸みを帯びた体格。
ぱんぱんに膨らんだ肉。
油が浮いて、にきび痕の残る皮膚。
なまじ身長がある分、コロコロと丸い体格は、巨人の赤ん坊みたいだ。
一緒に食事をと誘われた時、辺境伯様は時折吐き気を堪えながら食べ進めているようだった。
「辺境伯様、大丈夫ですか? あまりお加減がよろしくないのでは……」
「あ、ああ、いや、私はいつもこんな感じだから……気にしないで大丈夫です」
私が声を掛けると、辺境伯様は浮き出る汗をハンカチで拭きながら、しきりに恐縮されていた。
どうも、女性と話すのが慣れていないらしい。
国中から醜男と蔑まれているのだから、当然かもしれない。
とはいえ、酷い話だ。
彼は少々……いや、かなり太り気味ではあるが、顔立ち自体は整っている方だ。
適度な運動と食事制限、肌も油物などを控えれば綺麗になるのではないだろうか。
うん、ますますリナの幼い頃を思い出すわね。
それよりも、問題は──多分、辺境伯様は過食症だ。
その原因をどうにかしないと、根本的な改善には至らないだろう。
「失礼ですが、辺境伯様。何かストレスになることをお抱えではないでしょうか」
「え? 私が?」
「ええ、吐き気などを催されているようなので、どこか体調が悪いのではないかと」
私が問うと、辺境伯様は細い金糸の下で、澄んだエメラルドグリーンの瞳をぱちくりと瞬かせた。
うん、やはり彼素材は良いのよね。
磨けば光る逸材な気がする。
「それは、まぁ……ウィットル辺境伯領は知っての通りモンスター被害が多いところだし、その上に最近は人手不足が激しくて、武官だけではなく文官の手も足りないんだ」
私が辺境伯領に向かうと言った時の、侯爵家の人々の反応を思い出す。
あんな場所には近付きたくもないといった様子だった。
確かに、他領からそう思われているようでは、優秀な文官を連れてくるのは大変そうね。
かといって、ここは辺境。
常にモンスター被害に晒されている。
育てるとしたら、文官よりも武官の方が優先されるという訳だ。
なるほど、辺境伯様は太めでありながら文武両道、自身も動ける御方。
モンスター討伐を始めとする領地を守る為の働きだけでなく、領地を統べる為の仕事も、全てが彼の双肩に掛かっている。
「でしたら、領政は私がお手伝いしましょう」
「えっ」
ウィットル辺境伯様は、私の言葉が信じられないといった様子で呆然と声を上げた。
「……人手が足りないのですよね?」
「そ、それはそう……なんだけど……」
「ご安心ください、こう見えても王太子殿下の元婚約者としてそれなりの教育は受けております。」
嫁いできたからには、ウィットル辺境伯領は我が領地となるのだ。
その為に働くのは、当然と言えるだろう。
なのに、どうして辺境伯様はこんなに不思議そうな反応を見せているのだろう。
「それは、とても……助かります。ですが……」
「何か問題でも?」
「いえ、それではあまりに貴女がお気の毒で……」
「私が?」
この流れで気の毒などと言われるとは思わなかった。
私にしてみれば国中から醜男と蔑まれながら国境を守り、ストレスで過食症まで起こしている辺境伯様の方がよっぽど気の毒なのだが。
「申し訳ございません、夫となる者が私のような……こんな男で……」
ああ、なるほど。
辺境伯様は貴族達のくだらぬ戯れ言を全て真に受けているのだろう。
だから自分に嫁がされた私を気の毒だと考え、しきりに恐縮しては、さらに胃を痛くしているのだ。
自分自身が彼の吐き気の原因になっているとは思わなかった。
「その点については、ご心配なく。私自身は、殿下に嫁ぐよりもこの地に来られてずっと良かったと思っております」
紛れもない本音だというのに、辺境伯様の浮かべた笑いは、力無いものだった。
……きっと、私が彼を慰める為に親切心で言っているとでも思っているんだろうなぁ。
そんなこと無いというのに。
さーて、すっかり自信を無くしてしまっているこの辺境伯様を、どう変えていくか。
リナの時みたいな運動、食事面のサポートだけではなく、メンタル的なケアも必要になってきそうね。
面白いじゃない。
政略結婚とはいえ、妻になったんですもの。
夫の為に、尽くすといたしましょう。
まず取り組んだのは、食事メニューの改善。
油っぽいものを控えて、間食を減らす。
特に寝る前の食事を控えていただき、朝食はしっかりと摂る。
辺境伯邸の料理長としっかり話し合って、辺境伯様用の特別メニューを一緒に考案した。
どうしてこの食事が良いのか、今までの食事はどこが良くなかったのか、逐一説明を交えて話し合ったなら、いつしか料理長が私のことを師と仰ぐようになっていた。
いや、流石にそれは大袈裟よ。
私はメニューの考案は出来ても、調理に関する腕前は素人に毛が生えた程度だ。
師弟関係は誤算だったが、料理長の協力は得られた。
さらに調理の為のスパイスを手配する過程で、この地にはスキンケアに使えるヘチマやキュウリ、香草類が豊富に採れることが判明した。
さすがは魔の森を有する領地、自然豊かだ。
運動に関しても、辺境伯様は元々辺境の守りを担う武人。
私が政に携わる雑事を受け持てば、自然と騎士達の指導と訓練に割く時間が増える。
若い騎士達と共に走り込む姿を見れば、ダイエットの効果はそう遠くないうちに出てくるんじゃないかしら。
問題は、ウィットル辺境伯領が抱える慢性的な人手不足だ。
特に、文官の数が圧倒的に足りていない。
私が忙しく仕事に取り組んでいるのを見て、私の専属侍女になったステラが堪らず手伝いを申し出てくれたくらいだ。
「ごめんなさいね、ステラ。こんなこと、貴女の仕事ではないというのに」
「いえ、少しでも奥様のお手伝いが出来るなら、それが一番です」
ステラは若いながらに気が利いていて、活発な子だ。
元々は孤児らしいのだが、辺境伯家で働くようになってからは読み書きを教わったらしく、書類の仕分けまで手伝ってくれる。
「本当は、計算も出来たら良かったのですが……」
「あら、計算なら教えるわよ」
「えっ、本当ですか!?」
ステラの食いつきっぷりは、なかなか凄いものだった。
そこまでして、勉強したいと思うのだろうか。
「是非お願いします、奥様!」
「ええ」
こうして、政務の合間にステラに計算を教えることになった。
最初は指を使ったり、紙に書いて一つずつ数えながらだったけれど、元々要領が良く、物覚えの早い子だ。
九九を教えたら、次の日には全て暗記してきた。
きっと私が書いた九九表と一晩中にらめっこしていたのだろう。
「勉強熱心なのは良いけど、ちゃんと身体を休めることも大事だからね」
「はい、それは分かっているのですが……」
どうしてこんなにも勉強熱心なのだろうと聞いてみたら、ステラは休みの日に、孤児院の子供達に読み書きを教えているそうなのだ。
「私が計算が出来るようになったら、今度は子供達にも計算を教えられるかなぁって……」
「まぁ、それは素晴らしいことね!」
前世の記憶を持つ私にとって、義務教育で習う程度の計算は、出来て当たり前。
転生してからも、こと数字に関しては、困ることは一度も無かった。
でも、この世界の人々は違う。
読み書きも計算も、教わることが出来るのは、恵まれた環境に居るごく一部の人々だけ。
皆日々の稼ぎを得ることに精一杯で、教育にまで気を配る余裕はないのだ。
「……勿体ないわね」
「え?」
自然と、考えが口に出ていた。
私の声にステラが反応し、首を傾げている。
「ねぇ、ステラ。今度から私と貴女のお勉強時間に、孤児院の子供達も呼んでみない?」
「奥様!?」
そう提案した時のステラの驚きようは、私の予想を遙かに超えていた。
貴族の奥方、しかも侯爵家から嫁いできた私が、孤児院の子供達に勉強を教える提案をするなど、とても信じられないといった様子だ。
「本当によろしいのですか……?」
「勿論。ただ、読み書きと計算が出来るようになった子供達には、色々と仕事を手伝ってもらうことになるけれど」
「それはもう、勿論ですとも!!」
ステラという孤児院との窓口があったからこそ始められた、この取り組み。
私以外にも子供達に勉強を教えられる人材が居るなら、何も孤児に限らなくても良いのかもしれない。
前世で言うところの、寺子屋みたいな感じかしら。
計算を習った子供達は、これで買い物の時に釣り銭が分からなくて困ることがなくなると喜んでいた。
こんなにも身近で大事なことなのに、この世界は教育をおろそかにしすぎなのよね。
おろそかというよりは、貴族と平民の格差が大きすぎると考えるべきなのかもしれない。
こんな風に考えられるのも、私が前世の記憶を持っているからだろうか。
数ヶ月もしないうちにステラはこの世界で必要な計算を見事にマスターして、子供達に教えられるほどになった。
今では立派な先生だ。
政務をこなす傍らで子供達に勉強を教える毎日。
忙しいけれど、とても充実している。
何より、子供達の成長はとても著しい。
この分だと、数年もしないうちに領の文官不足は解消されるんじゃないかしら。
忙しい今は、きっと水やりの時期なのよね。
彼等が立派に育って、ウィットル辺境伯領の為に働いてくれるのを待ちましょうか。
こんな下心を持ちながら勉強を教えているというのに、領民達の間では私のことを聖人聖女と崇める動きがあるというから、困ったものだわ。
辺境伯様のスキンケアの為に作った化粧水は領の新たな特産品となって、王都の貴族達に飛ぶように売れている。
その分忙しさも増しているけれど、人材不足は子供達が成長する数年のうちには解消されそう。
ウィットル辺境伯領に来てからというもの、忙しくも充実した日々が過ぎていった。
そうして、あっという間に二年が経過した。
もうすぐ、王太子殿下が諸国外遊から戻ってくる時期だ。
私達ウィットル辺境伯家にも、王家から結婚式の招待状が届いた。
王家としては、私と辺境伯様に招待状など出したくはないのだろう。
とはいえ、一応私はリナの姉だ、出さない訳にはいかない。
「旦那様、王都に行かれるのは随分久しぶりなのでは?」
「そうだなぁ、六年ぶりくらいか」
夫婦仲も良好。
政略結婚ではあるが、辺境伯様──旦那様は、元々人を気遣うことの出来る素晴らしい御方だ。
今では、ウィットル辺境伯家に嫁げと命令した王太子殿下に感謝しているくらい。
「王都に行ったら、きっと皆驚くわよ……!」
私にとっても、二年ぶりの王都。
さてどうなっているかと胸をときめかせていたのだが、あいにくの大雨で旅程は大幅に遅れてしまった。
大雨の被害が出たのは、私達だけではない。
王都に向かう他の貴族達は勿論のこと、外遊から戻ってくる王太子殿下の足まで遅らせることになってしまった。
とはいえ、どうにか結婚式までに王都に到着することは出来た。
まずは王城に赴いて、挨拶を……と思っていたら、折り良くと言うべきか、それとも折り悪くと言うべきか、王都に戻ってきた王太子殿下と丁度出くわしてしまった。
「なんだ、ミッシェル・バーキットではないか」
二年ぶりに会う王太子殿下は、相変わらずの傲慢な笑みを浮かべていた。
「ご無沙汰しております、王太子殿下。今はミッシェル・ウィットルでございます」
「ふん、流石の貴様もウィットル辺境伯領で大人しくなりおったか」
そう言って、愉快そうに笑っている。
うーん、大人しくなったと言うべきかしら。
元々そんなにあれこれ派手に動く方ではないと思うのだけれど、どうも彼の中では妹を虐めるろくでもない姉というイメージが強いらしい。
「して、辺境伯はどこだ。僕に挨拶もなしか」
「ご無沙汰しております、殿下。この度は誠におめでとうございます」
私のすぐ後ろに控えていた夫が、殿下に挨拶をする。
その姿を見て、殿下がぽかーん……と口を開けた。
「は? お前は、誰だ」
「私です、トリスタン・ウィットルにございます」
国一番の醜男と蔑まれていた、我が夫トリスタン・ウィットル辺境伯。
その名は醜男の代名詞とまで言われていた。
その彼が、今長身に爽やかな笑みを浮かべ、王太子殿下を見下ろしている。
「は? いったい、なん──」
この二年間、私が政務を担当していた分、彼は騎士達と共に魔の森でモンスター退治に勤しんでくれた。
魔の森に赴かない時には、騎士達と共に欠かさず訓練をして、毎日身体を動かしていた。
料理長と一緒に作り上げた食事メニューもバッチリ。
政務によるストレスも軽減して、今では過食症の症状はほとんど見られない。
脂分を控え、スキンケアも入念に行ってきた。
結果どうなったかというと、元々輝く金の髪と澄んだエメラルドグリーンの瞳を持つ彼は、長身で引き締まった美丈夫へと変化していた。
爽やかさの中に、武人らしい逞しさがある。
醜男の評判なんてなんのその、最近では街を歩けばすれ違う女性が皆旦那様を振り返るくらいだ。
「な……ななな何があった!?」
「全て妻のおかげです」
にこにこと答える旦那様。
「私はただお手伝いしただけですわ」
「いや、君が居てくれたからこそ、私は変わることが出来たんだ」
こんなやりとりも、もう何度目だろう。
辺境伯家の皆はすっかり慣れてしまって「このおしどり夫婦が……」みたいな生温い視線を向けてくる。
「人はこんなにも変わるものなのか……」
そう呟く王太子殿下の声にかさなるようにして、重い足音が響いてきた。
どんどん近付いてくるそれは、王城から出てきたようだ。
「殿下、お帰りをお待ち申し上げておりました!」
聞き慣れた、それでいて久しぶりに聞くこの声は、我が妹リナのものだ。
「おおリナ、ずっとそなたに会いたかっ──」
振り返った王太子殿下が、ピタリと硬直する。
声も、身体も、指先までもが凍り付いたようで、彼の姿は石像さながらだ。
「り……リナ?」
「はい、殿下。ずっと貴方のお帰りをお待ちしておりました」
震える声を絞り出した殿下の前で、くねくねと身を捩る我が妹。
その姿は幼い頃を彷彿とさせるほどに、でっぷりと肥え太っていた。
あまりの衝撃に王太子殿下の足が震え、まるで地震のようにその場がぐらりと揺れた──ような気がした。
「久しぶりね、リナ。私が居ないからと、すっかり気を緩めてしまったみたいじゃない。あれほど食事には気を使うように、運動もしなさいって言ったのに」
「だってぇ、お城のお料理が美味しいんですもの!」
この二年間、リナは王太子殿下の婚約者として王宮に滞在して、王太子妃教育を受けていた。
毎日勉強で忙しくしているのかと思いきや、随分と甘やかされていたみたいね……。
「貴女は太りやすい体質なんだから気をつけるようにって、あれだけ言ったのに」
「んもう、お姉様はいつもそればっかり!」
頬を膨らませ、拗ねたような表情を浮かべるリナの姿に、王太子殿下が一歩後退る。
私はこの顔見慣れているんだけどなぁ。
これはこれで可愛らしいとは思うのだけれど、やはり男性から見たらそうではないってことなのかしら。
「口うるさいお姉様なんて、大嫌いよ! 私には、私を世界一可愛いと言ってくださる王太子殿下がついているもの!」
そう言って王太子殿下を見上げるリナの顔は、甘ったるい媚びが浮かんでいた。
王太子殿下だけでなく、周囲の騎士達まで、一斉に皆後退って距離を取る。
リナ一人だけが、その様子に気付いていない。
あーあ、だから言ったのに。
まぁ、私のお小言はリナ本人だけでなく王太子殿下にも不評だったようだから、仕方ないわね。
「王太子殿下、不束な妹ではありますが、どうぞ末永くよろしくお願い致します」
少し気が早いけれど、どうせすぐに結婚式が催されるのだ。
これくらいのフライングは許してもらおう。
貴方が世界一可愛いと言った妹です。
どうぞお幸せに。
私は私で、ウィットル辺境伯家で幸せをつかみ取ります。