惚れられ薬を飲んだゾイ!
「これでよろしいですか?」
「おっけーおっけー」
平均的な成人男性よりも分厚い手のひらと、ごつごつと節くれだった太い指を持つアーマは、身長二〇〇センチメートルの巨躯をやや窮屈そうにかがめて、今しがた採取した草を見せる。
それを確認するのは、一二〇センチメートルの背丈の、華奢な肩まわりをした少女のような姿の――ゾイである。
アーマが採取した草を見せられたゾイの返事は、きわめて軽いものであったが、その大きな瞳に繋がる脳みその中に詰まった叡智は、きわめて素早く、正確にその草が目的のものと判断した。
あどけない少女にしか見えないゾイは、空前絶後の天才だ。古代に実在した妖精女王の数少ない末裔にして、先祖返り――とにかくなんだかとってもすごい存在なのである。
「王国の至宝」だのなんだのともてはやされ、王太子チャールズからの寵愛を特に受け、その他大勢の人間からもちやほやされながら、数々の画期的な薬や道具を発明してきた。
そんな王国にとって超重要人物であるゾイは、ひとりでふらふらと外を歩くなんてことはできない。
見つかれば、たちまち「ゾイに恩義ある派」「ゾイカワイイ派」「ゾイは神派」などなどの人間に囲まれて、もみくちゃにされてしまうからだ。
今、ゾイがいるのは王国の端っこに近い辺鄙な山間部であったから、その心配はないものの、王太子の近衛騎士を務めるアーマが護衛の任を全うしている。
アーマは先のとおり背丈二〇〇センチメートルの大男である。女性はおろか、平均的な成人男性ですら圧倒するその立派な肉体に宿るのはしかし、粗暴さからはもっとも遠い紳士的な精神であることをゾイは知っている。
アーマはその見た目から誤解されることも多いが、実のところとても心優しい青年なのだ。
ゾイの最大のパトロンである王太子チャールズとアーマは乳兄弟という間柄で、その王太子からもアーマは一目置かれている。
しかし、なぜかゾイとは壁がある。
見えないが、分厚い壁がゾイとアーマのあいだに立っているようだった。
なんだか視線が微妙に合わないし、用事が終わればさっさと立ち去ってしまうし、普段から寡黙だと聞いてはいるが、ゾイがいると妙に無口だ。
ゾイはアーマとじっと見つめ合いたかったし、用事が終わっても一緒にいたかったし、もっとおしゃべりして彼のことを知りたかったが、それが叶ったことはなかった。
ゾイはこれまで、ひとびとにもてはやされ、ちやほやされて生きてきた。カワイイカワイイと言われて、可愛がられて生きてきた。だがアーマはゾイとは距離を置きたがっている様子。
ゾイはこれまで、あまたのひとびとを笑顔にしてきた。だが、アーマはいつもむっつりと無表情のままだ。
なぜなのか、ゾイにはわからなかった。
ついさっきだって、この山脈一帯を支配し、その頂点に君臨するエンシェントドラゴンからゾイはその鱗を貰い受けた。ゾイが「ちょうだい」とおねだりして、一発だった。
そんなやり取りにアーマはわずかに目を見開いて、おどろいた様子だった。しかしゾイに対しては、やはりむっつりとした顔のまま、なにかを問いかけたりすることはなかった。
ただ、「今後もおひとりではお会いにならないほうがよろしいかと」という、忠告めいた言葉を口にしただけだった。
ゾイにはアーマの言葉の真意はわからなかったが、心配されたことは単純にうれしかった。
しかしそんな浮いた気持ちは、ゾイが発明したソリ型の転移装置でアーマと共に王城に戻ってすぐ、ちょっぴり霧散してしまった。
「王太子殿下の近衛騎士を連れ回すだなんて何様のつもりかしら~?!」
する必要があるのかよくわからない、妙な高笑いと共にゾイの前に現れたのは、公爵令嬢のベラだ。長く艶やかな金髪をくるくると螺旋状に巻いて、真っ赤な口紅を引いた、迫力のある美女である。
取り巻きの令嬢と侍女、総勢七人で現れたベラは、ゾイを目の敵にして種々の嫌がらせを講じてくる。
その理由は王太子妃の選定から漏れた八つ当たりだとか言われているが、ゾイはベラではないので真の理由は定かではない。
いずれにせよ、先だって王太子妃に内定したセシリアのほうがゾイは好きだ。
セシリアはゾイにつっかからないし、嫌味を言わないし、香水のにおいがきつくない。ゾイにお菓子をくれるし、優しくなでてくれる。
「お言葉ですが、自分は殿下よりゾイ様のご意向には配慮するよう命じられております。ベラ様のご心配は有難いですが――」
「ふ、ふんっ! それくらいわかっていましてよ! けれど、いつまでもそうやって殿下のそばをうろちょろできると思わないことね!」
ゾイは、自分の不利とみればすぐに撤退できるベラの判断の速さだけは、尊敬できると思っている。
それよりも――途中で言葉を切られてしまったが――あからさまな嫌味を言ってきたベラにも、心配りの言葉をかけられるアーマには感心した。
アーマはだれもを圧倒する巨躯を持っているが、だれに対してもこういった柔らかい態度を取れるから、王太子にも一目置かれているわけである。
ゾイは天才だが、元来口が上手いわけではないし、反論するとなるとけちょんけちょんに相手を言い負かしてしまうこともある。
対するアーマの柔和な物腰に、ゾイは尊敬のまなざしを向けた。
アーマはそんなゾイの視線に気づいた様子だったが、ふいと目をそらされてしまう。
ゾイはそんなアーマの態度にひそかにショックを受けたものの、肩からかけたクマのぬいぐるみ型のポシェット――マジックバッグの中身を思い出して気を取り直す。
エンシェントドラゴンにおねだりして手に入れた鱗、それから採取した草の数々を、ゾイが与えられている研究室にストックされている他の材料と組み合わせてできるもの――それを作るために、今日ゾイはアーマと王城を出たのである。
――惚れ薬。いや、惚れられ薬とでも言うべきだろうそれを、ゾイは作ると決めたのだ。
なぜなら、ゾイは小耳に挟んでしまったのだ。
アーマの女性の好みが、背が高くて、歳上で、グラマーな体型だということを。
ゾイは身長一二〇センチメートルほど。間違っても背が高いとは言えないだろう。
体型はわざわざ言及するまでもない。ゾイは、だれが見てもグラマーからはほど遠い。胸部から腰部を通り、臀部までの線はとても平坦である。
唯一、歳上という条件だけは当てはまる。ゾイは少女のような姿――というか少女にしか見えない容姿をしていたが、立派な成人女性であり、アーマよりいくつか歳上だった。それは多くの人間を大いにおどろかせるが、事実だった。種族が違うので厳密な感覚としては少々勝手は違うのだが……。
ただ歳上という要素一点のみで、アーマの寵愛を勝ち取ることが難しいことは、ゾイにもわかっていた。
というか、現在進行形でアーマからは壁を作られているのだ。
つまり、今のままのゾイでは、アーマからの愛を得られないことは明白だった。
ならば選択肢はみっつ。
ひとつ、あきらめる。――これはナシだ。ゾイはアーマから愛されたいのだ。ちやほやされたいのだ。その欲望には抗しがたい。
ひとつ、見た目を変える薬を作って飲む。――これはアリ寄りだったが、却下した。ゾイは己の「カワイイ」に関しては絶対の自信を持っている。それを折り曲げて変えるのは、ナシだ。それにゾイを寵愛する王太子チャールズや、その婚約者のセシリアは、ゾイを「カワイイ」と言っている。そこを変えてしまったら、色々と不都合が生じるだろう。
ひとつ、ゾイがアーマに惚れられるような……惚れ薬ならぬ、惚れられ薬を作って飲む。
ゾイは最後の選択肢に飛びついた。
そして惚れ薬ならぬ、惚れられ薬を開発すべく、今は失われた古代語で綴られた古文書を読み解き、与えられた明晰な頭脳と太古から連綿と続く継承した叡智を総動員した。
高原にて採取した草を煎じ、蒸留し、エンシェントドラゴンから貰った鱗を焼いて砕き、混ぜ――そしてなんやかんやして、惚れられ薬は完成した。
「できた……!」
ゾイは王城内に与えられた研究室で、ぴかぴか七色に光る大釜を前に、思わずため息にも似た感嘆の息を吐いた。
大釜に満たされた液体を冷まし、ゴブレットへと慎重に移す。
ゴブレットに注がれた惚れられ薬は大釜にあったときほどの輝きは失われていたが、相変わらず不思議な七色の光を放っている。
ゾイは気がせいてゴブレットの中身を飲み干したあと、「惚れられ薬」なのだから目的の人物であるアーマの目の前で飲むのが最適解だということに気づいた。
七日七晩考えに考え抜いて開発を続けていた影響が、ここにきて出た。
しかしゾイは「最短距離でアーマに会いに行けばいい」と結論づけ、しかし一応惚れられ薬の効果を打ち消す、解除薬もちゃちゃっと作って遮光効果のある茶色い瓶に詰め込み、研究室を飛び出した。
この曜日のこの時間帯、アーマは休憩時間として割り当てられていることをゾイは知っている。そして立派な王城の影になる裏庭で素振りに励んでいることも。
こっそりと、しかし素早くそこへたどりつければミッションコンプリート。
……そのはずであった。
「あら……ゾイ様、柱の陰に隠れてどうしましたの?」
「おや本当だ。ゾイ、そんなところでどうしたんだい?」
しかし途中で運悪く王太子チャールズとその婚約者セシリアに出くわしてしまった。
当然、王国の重要人物であるふたりはふたりきりでいたわけではなく、護衛の近衛騎士やら侍女やらをぞろぞろと引き連れていた。
ゾイの常日頃から「カワイイ」と言われ続けている、その愛らしい顔は見事に引きつった。
ゾイは今、自身が開発した惚れられ薬を服用した状態だ。
そしてその効果は、たちまちのうちにあらわれて、ゾイの首を絞め始めた。
「ゾイ様……今日はなんだかとってもいいにおいがしますわ……」
セシリアの目が酩酊状態のように定まらなくなり、とろんと恍惚に揺れる。
そしてふらふらとした足取りでドレスの裾を揺らしてゾイに近づく。
ゾイは反射的に逃げようとしたが、ゾイの身長はおよそ一二〇センチメートル。セシリアとは、歩幅があまりにも違いすぎた。
ゾイはたちまちのうちにセシリアに捕まる。
二の腕をつかまれ、やや乱暴に引っ張られて――それから、背中にセシリアの小顔がぶちあたったのはゾイにもわかった。
スーッという音がした。
セシリアがゾイの背中に色白の顔をくっつけて、そこで周辺の空気をいっぱいに吸っている音だった。
ゾイは困惑した。
想定外の出来事に身を強張らせるが、そもそも今のゾイはセシリアに二の腕をつかまれているので、身動きは取れない。
そんなゾイとセシリアに、王太子チャールズの驚愕に打ち震える声がかかった。
「なっ……ずるいぞセシリア! ゾイを吸うなんて……! そんなこと、私だってしたことがないのに……!」
ゾイはさらに困惑した。
ゾイが戸惑ってまごついているあいだに、王太子チャールズもゾイに近づく。
その目は瞳孔が散大しているように見え、また爛々と輝く捕食者のようにも見えた。
「私だってゾイを吸いたい!」
王太子チャールズの叫びにも似た声に呼応するように、ゾイの周囲を近衛騎士や侍女たちが取り囲む。
「そんな、殿下方だけなんてずるいですよ!」
「わたしたちだってゾイ様を吸いたいです!」
――熱狂が、そこにはあった。
しかしゾイだけがその熱狂の中心部にあって、取り残されていた。
ゾイはその場から逃げ出そうとしたが、どこにそんな力があるのか、案外と馬鹿にできないセシリアの握力のせいで身動きが取れない。
あわや王太子チャールズを筆頭にもみくちゃにされて吸われる――というところへ、奇妙な高笑いの声が割って入る。
「とうとう馬脚をあらわしましたわね~?!」
たびたびゾイに嫌味を言い、種々の嫌がらせをしていた公爵令嬢ベラだった。
今日も艶やかな長い金髪を螺旋状に巻き、目覚めるような赤い口紅を引いている。
「貴女の目的はわかっていましてよ! 国の重鎮たちを魅了し傾国せしめんとするその悪しき目的――わたくしが挫いて差し上げますわ~!」
ゾイはベラが見当違いな思い込みをしていることにはすぐに気がついた。
しかし今この状況から脱せる鍵もまた、ベラにあることに気づいた。
「わかった……ベラ、ゾイを捕まえて欲しい!」
ゾイは渾身の力でセシリアの手を振り払い、ひとびとの輪を突っ切ってベラのドレスの裾にしがみついて言う。
ゾイは覚えていた。ベラが魔法を使えることを。そして本来であれば習得が難しい転移魔法を使いこなしているということも。ベラが自慢していたのを、ゾイは覚えていたのだ。
「ゾイ様っ!」
セシリアたちの悲鳴にも似た痛切な声を背中で聞きながら、転移魔法特有の奇怪な揺れをゾイは感じて目をつむった。
そして次に目を開いたときには、王城内の白亜の柱や天井、廊下に敷かれた深紅のカーペットはなく、薄暗い灰色の石造りの部屋があった。
部屋に作られた窓には曇り空がいっぱいに広がっており、高所に移動したことは理解できた。
しかしここが一体どこなのかまでは、ゾイには見当もつかなかった。
ゾイは先ほどまでしがみついていたベラを見上げて、ここがどこなのか尋ねようとした――が。
「ふふふふふ……これでようやく貴女とわたくしはふたりきり……連れ帰ってわたくしが生涯管理して差し上げますわ~!」
ベラが鼻息荒く、先ほどのセシリアや王太子チャールズのように目を爛々と輝かせ、瞳孔を不安定に揺らしながらゾイを見下ろす。
ゾイは、ベラには惚れられ薬は効いていないのだと思っていたが、それこそが見当違いな思い込みだったのだ。
ゾイは興奮した様子のベラから距離を取ろうと、無意識のうちにあとずさる。
しかしふたりが転移した石造りの部屋は見渡すまでもなく全景が視界にすべて収まるほど、狭い。
じきにゾイの背中は灰色の無骨な壁へとぶち当たった。
「ハアハア……怖がることはありませんわ……! ただわたくしが、わたくしだけが生涯可愛がって差し上げるとそう言っているだけですのよ……!」
惚れられ薬に惑わされたセシリアや王太子チャールズとは一線を画すベラの様子のおかしさに、ゾイは震え上がった。
明らかに、ゾイが想定していた挙動ではない。
そのとき、ゾイはいつも肩から提げているクマのぬいぐるみ型のポシェットの中に、惚れられ薬に対応してちゃちゃっと作り上げた解除薬があることを思い出した。
これを飲めばベラも正気に戻る――。
ゾイはそう考えて、ポシェットに手を突っ込もうとした。
しかし次の瞬間、耳をつんざくような轟音と共に、石造りの部屋は地震に襲われたかのように激しく揺れて――天井がまるっと破壊された。
冷たく強い風が、天井と壁の一部がなくなった部屋の中に吹き込む。
ゾイとベラの頭上には唐突に薄い灰色の曇り空があらわれた。
そして――
「ハアハア、今すぐゾイを吸わせてくれ……!」
巨大な翼を広げた、エンシェントドラゴンが天井を失い、壁の一部が崩れた石造りの部屋のすぐそばで、滞空していた。
だがその金色の瞳は要素のおかしなベラと同様に爛々と輝いていて、やはり様子がおかしい。
どうやら、ゾイが惚れられ薬を作るに当たって鱗を譲ってくれたエンシェントドラゴンと同一個体であるらしいのだが、どうにもこうにも様子がおかしい。
しかしベラも惚れられ薬の影響下にあり、様子がおかしい状態であるので、人間を遥かに凌駕する巨躯を持つエンシェントドラゴンを前にしても、一歩も引く様子が見られない。
「ゾイ様はわたくしのものだけになるのですわ! つまり今後はわたくししかゾイ様を吸えませんのよ!」
「な、なんだと……?! そんな暴挙――許すものか!」
エンシェントドラゴンのコウモリのような翼の、翼膜がさらに広がり、ごつごつとしたトカゲのような口が大きく開いた。
エンシェントドラゴンの口腔内が、陽炎に揺れる。
ゾイはエンシェントドラゴンは炎を吐こうとしているのだと思って、その場で反射的に身を縮こまらせてしまう。
しかし次の瞬間、今度は半壊した石造りの部屋の隅から何者かの影が飛び出し、たちまちのうちにエンシェントドラゴンの巨躯を――吹き飛ばした。
その影は、実に背丈二〇〇センチメートルほどはあるように見えた。
短く刈り上げた黒髪、ごつごつとした頬骨、分厚い胸板に、ふしくれ立った太い手指……。
「アーマ!」
ゾイは思わず喝采にも似た、喜びの声を発していた。
部屋の隅から飛び出してきたのは、間違えようもなくゾイが惚れられ薬を飲むきっかけとなった、アーマだった。
アーマの黒っぽい瞳はいつも通り、理性的で、冷静で、しかし――今ばかりは柔らかな色を失っているようにゾイには見えた。
「な、なんですの~?! ドラゴンを吹き飛ばすだなんて……!」
「くっ、かほどの魔法弾を放つ人間がまだこの世にいたとはな……!」
アーマはいつもは腰に佩いている大振りの魔法剣を今は抜いて、小柄なゾイをその大きな背中のうしろに隠す。
「ゾイ様、いったいなにごとです?!」
天井と壁の一部を失った石造りの部屋は、エンシェントドラゴンが翼を羽ばたかせて滞空していることもあり、先ほどからごうごうという風の音が絶えない。
必然、アーマは叫ぶようにゾイに問うことになった。
「ゾイが惚れられ薬を飲んだせいなの」
「……それは、どうすれば効能が消えるんです?」
「ゾイが持ってる解除薬を飲めば」
「では、すぐに飲んでください! それまで私がお守りします!」
「ゾイ様はわたくしのものですわ~~~!!!」
「ワシにもゾイを吸わせろおおおおおおお!!!」
アーマの宣言を聞いたからなのか、瞳を爛々と輝かせ、様子のおかしいひとりと一頭の標的がゾイを背にするアーマへと切り替わった。
ゾイはアーマの「守る宣言」に心をときめかせる暇もなく、あわてて魔法のポシェットをまさぐり、ちゃちゃっと作った解除薬を詰めた茶色い瓶を取り出し、躊躇することなく中身を飲み干した。
それでもすぐに惚れられ薬の効果が打ち消されることはなく――アーマはしばし、ベラとエンシェントドラゴンを相手に死闘を演じることになったのだった。
そのあいだはもちろん、アーマはゾイを背に、先の宣言どおり彼女に傷ひとつつけることなく、それどころかベラとエンシェントドラゴンとの激闘を制したのであった。
「ごめんなさい」
ベラによってゾイが連れて行かれたのは、王宮の敷地内の、その片隅にある石造りの塔だった。
もとは物見のために作られたらしいが、いつからか政争に敗れたり、不品行の王族を幽閉するために使われるようになり、さらに時代が下って今はその忌まわしい歴史からだれも近づかなくなり、忘れ去られた塔だった。
その塔がエンシェントドラゴンにぶっ壊された。
王都の上空をエンシェントドラゴンが過ぎ去るだけでも大騒ぎだというのに、王宮の敷地内の石造りの塔をぶっ壊した。
大事件である。
しかし同時刻、王城へとつながる正門にはひとびとが殺到して大騒ぎとなっていた。
「ゾイ様を吸わせろ~~~!!!」
ひとびとは口々にそう叫び、熱狂し、そんな群集を前に大急ぎで固く閉じられた王城の門を破壊しようとさえした。
大事件である。
……すべては、ゾイが開発した惚れられ薬のせいだ。
だからゾイは「ごめんなさい」したわけである。
想定していた効能を遥かに超える効果を出してしまった惚れられ薬は即刻破棄され、ゾイは自ら謹慎を申し出た。
世が世であれば国家転覆未遂だとかで処刑されてもおかしくはない。それはさすがにゾイにもわかっていた。
それでも王太子チャールズや、その父王はゾイの貴重な血筋や頭脳を惜しみ、また故意ではないとして不問にしようとしたので、さすがにゾイは自ら謹慎を申し出たわけである。
さすがのゾイも、今回の一件はこたえた。自業自得なので、なおさらだ。
ゾイの部屋をおとなう者はその最大のパトロンである王太子チャールズを筆頭にあまたいたが、ゾイは謹慎中としてすべて断った。
……だが、そんなゾイの元へアーマはやってきた。
「……お聞きしたいことがあるのです。どうか、入室を許可していただけませんか?」
ゾイはアーマを巻き込んでしまった。幸い、ゾイ同様にアーマにも怪我はなかったものの、多大な労力を払わせてしまったことは事実。
なれば、ゾイはアーマの疑問に直接答えるくらいはしたほうがいいだろう。
ゾイはそう考えて、固く閉じていた部屋の扉を開けた。
「あの惚れられ薬の効能についてなのですが……。あの薬は、ゾイ様への好意を増幅させる薬で間違いありませんか?」
「そうだけど……」
なぜ今さらゾイが開発し、今はレシピも含めて破棄された惚れられ薬についてアーマがわざわざ尋ねてきたのか、ゾイには皆目見当がつかなかった。
ゾイが作り出した惚れられ薬は、そう命名はしたものの、文字通りの効能を発揮することはなかった。
すなわち、服用者――先の場合はゾイ――に対する元からある好意を増幅させるのみで、ハナから好意を抱いていない人間を惚れさせる――もっと言えば、魅了させることはできないのである。
それは、ゾイも最初から理解していた。
ただ、想定よりも増幅される幅が大きすぎたのだ。
そして想定外の大事件を起こしてしまった。
ではなぜ、そんな不完全とも言える惚れられ薬をゾイは開発し、飲んだのか。
ゾイは賭けに出たのだ。
アーマの中に少しでもゾイに対する好意があると、確認したかったのだ。
すっかりしょんぼりと落ち込んでしまっていたゾイは、洗いざらいその経緯をアーマに吐き出した。
「そ、そんなに私は……ゾイ様へ冷たくしているように見えましたか……?」
「冷たいと思ったことはないけど、壁とか溝があるなとは感じていた」
「それでゾイ様は……傷ついていた、と」
「そうなのかな? アーマが目をそらすとことかはイヤだなって、思ったけど」
「そ、そうですか……」
アーマは呆然と――ショックを受けているように見えた。
ゾイは無理からぬことだと思った。
なにごとにも真面目なアーマは、今回の大事件の発端が自分だと知って、おどろいたに違いない。
もしかしたら、真面目だから責任を感じたりしたかもしれない。
「アーマのせいじゃないよ。ゾイがアーマを惚れさせたかったのは本当だけど……もうしない」
ゾイはすっかりと――アーマへの想いをあきらめるつもりだった。
こんな大事件を起こしてしまったのだ。
アーマがゾイを好きになるはずもない。
「アーマがゾイのこと好きじゃないの、わかったし」
惚れられ薬を服用した状態のゾイを前にしても、アーマは常日頃と一切態度が変わらなかった。
そしてゾイが開発した惚れられ薬は、服用者への好意がなければ、まったく効果がないもの。
だから、アーマはゾイに対して一切の好意を抱いていないのだ――。
それでもゾイはアーマに失望したり、嫌いになったりはしなかった。
アーマはそれでもゾイを守ってくれた。
それまでも、壁は感じても冷たいと思うような態度は取ってこなかった。
そんなアーマだからこそ、だったからこそ、ゾイは自分への好意が彼の中に少しでもあるかどうかを確かめたかったのだ。
けれども、ゾイはアーマはおろか、アーマが大切にしているひとびとにも多大な迷惑をかけてしまった……。
しょんぼりと落ち込むゾイのつむじに、なぜかあせった様子のアーマの声が落ちてくる。
「お、お待ちください。『好きじゃない』というのはその……誤解です」
「なんで? 今さら言い訳しなくていい。ゾイの薬が効かなかったということは、ゾイが好きじゃないってこと。そのことでゾイがアーマをどうこうしようとしたりは――」
「――それが、誤解なのです!」
ゾイはアーマが突然大きな声を出したので、おどろいて目を丸くした。
「お、おどろかせてしまい申し訳ございません。しかし、どうしても看過できないことでしたので……」
「……誤解、って」
「薬は……効いていました。とても」
「……え?」
ゾイは素早くまばたきをする。
そんなゾイを前にして、アーマは恥ずかしそうに目を細めて視線をそらす。
「効いていましたが……ゾイ様の前で理性は失うまいと、抗したのです。本当は、すぐにでも貴女に抱きついて、攫って、吸いたかった……。けれどそんなことをすればゾイ様を傷つけてしまうのではないかと思い、また、その……貴女の前では格好をつけたかったのです。衝動に抗し、貴女を守れる、格好の良い男だと思われたかったのです……」
「それだと、アーマはゾイが好きなように聞こえる」
「好意はあります……もちろん。そういう衝動に駆られる薬なのでしょう?」
「うん」
「ならば、ゾイ様にはもうおわかりのはず」
乙女のごとく恥ずかしがり、目を伏せるアーマを前にして、ゾイはもう一度素早くまばたきをした。
「アーマは……ゾイのことが好きなんだ」
アーマの頬がほのかに赤く染まった。
「ならどうして」
ゾイがその先の言葉を口にせずとも、アーマにはゾイの疑問が手に取るようにわかったのだろう。
アーマは恥ずかしそうに頬を染めつつも、すっかり観念した様子で話し始める。
「ゾイ様とのあいだに、意識的に壁を設けていたのは事実です。ゾイ様には近づきがたかったのです。なにせ、私はこの体躯です。ゾイ様は小柄な方なので……傷つけてしまわないか、潰してしまわないか、怖がらせてしまわないか……とても不安で」
「そんなに不安?」
「はい。それに殿下にも『お前がゾイを潰してしまわないか不安だ』と言われたことがありますし。――いえ、殿下のお言葉が冗談半分であることは理解していますよ。けれどもやはり、私からするとゾイ様はあまりにもお小さく可憐なので……」
「じゃあ、アーマが高身長で歳上でグラマーな女のひとが好き、っていう話は?」
「な、なんですかそれ。そんな噂があるんですか……?」
困惑するアーマを見て、ゾイは噂は噂なのだとようやく安心することができた。
「ゾイはアーマでつぶれたりしないよ」
「しかし……」
「じゃあもっと体が丈夫になる薬を作る。なんだったらもっと体を大きくする薬も――」
「そ、それはちょっと……」
「じゃあ別の薬を作る。勇気が出てヘタレが直る薬とか」
「そ、それもちょっと……」
……かくして、アーマという恋人を得たゾイは、ますます薬品発明品開発に邁進することになるのであったが、その後は大事件を起こすことは――あまりなくなったのであった。