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三毒 (下)  作者: 釈 義紀
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大学経営権をめぐる死闘

第7話 ジレンマ


【異議申立却下】

猫柳(校長)を含む旧理事7名分の意見書を裁判所に提出したことで異議申立が認められるかと期待を寄せたが、猫柳の翻意によって振り出しに戻った結果、仮処分申立てが認められた際の〝判決理由〟を覆すだけの切り札を裁判所に示すことが出来ない中、平成28年11月25日、裁判所は異議申立を認めないという判決を下した。

裁判所の判決理由は前回と同様の内容であった。6月10日時点の総理事数は13名である為、議案を可決する為には過半数である7名の賛成が必要であるというものだ。

この判決に学内外の反体制派幹部達は狂喜した。まるで本訴で勝訴したかの如く勢い付いた。中でも団体交渉の席上での大学・中高組合側の攻撃は凄まじかった。

「裁判所が6月10日の理事会での決議を無効だと言っているのだから、その時に新しく決まった理事会も無効だ。ということはその理事会から選ばれた(谷川)理事長も無効であり、その理事長が選任した(北村)事務局長も無効のはずだ。よって、我々は北村さんを理事長職務代理者として認めない。我々の団体交渉の相手は、真の理事長職務代理者といえる猫柳校長である。」組合委員長の別府が喧嘩腰で北村を罵った。

「別府先生、今回の裁判の判決は、本訴を争うにあたっての仮処分を認めたものであって、6月10日の新理事会を否認したものではないのですよ?それは本訴に於いて裁判所の判決が下されて初めて、6月10日に戻って理事会をやり直すのか、それとも現理事会が戻るのかが決まる訳ですから。」北村が冷静に回答しても、従業員代表と称してこの団体交渉に参加する者達とは、まるで議論がかみ合わない。

「だから、仮処分が認められ、異議申立が否認された時点で、6月10日の理事会が無効であると裁判所が認めたことになるんですよ。潔く認めたらいいじゃないですか?認めて理事長職務代理を猫柳校長に譲れば良いのですよ。」

「勝手にその様なことが出来る訳ないでしょう?現時点ではまだ新理事会も成立しているし、谷川理事長も、理事長の職務代理者としての私(北村)の権限も生きています。私は権限が欲しくて言っているのではない。今、私が理事長職務代理者という職務を放棄して、誰が職務代理者をやるんですか?」

「だから、猫柳校長と言っているでしょう。」

「猫柳校長を職務代理者に誰が任命するのですか?正式に理事会の承認がないと勝手に理事長職務代理者は出来ませんよ?」

「北村さん、貴方こそエセ理事会の任命で選ばれた、いわばエセ理事長職務代理者でしょう?」

「それは違います。本訴に於いて正式に6月10日の理事会をやり直す様に命が下された時に初めて、理事長職務代理者の任が解かれます。その時は、笠井前理事長が一時的に(理事長として)戻られ、旧理事会の理事としての権利を有する者が再度招集されて旧理事会を開催して、新たな理事会が承認されてから新理事長も決まるのです。それまでの間は、笠井前理事長が理事長の職務代理者となられる。それが法的に正しい流れなのです。」

「もう貴方と話をしても埒が明かない。とにかく、我々は北村さん、貴方と団体交渉をする気はありません。」そういうと、組合員長の別府は席を立ち、団体交渉の会場をあとにした。

こうして団体交渉は決裂した。翌日、組合はいつもの様に〝組合員ニュース〟と称する教職員〝扇動〟手段を用いて自分達の都合の良いように書き並べ、北村・堂本のふたりを罵倒した。別府達は、それらの記事が北村・堂本にだけ配布されないように小細工をして学内に偽情報をばらまいた。

組合側があくまで北村を理事長職務代理者として認めようとしないものの、冬期期末手当だけは支給してやらないと、それをローンの返済原資として家計に充てている者をはじめ、多くの教職員に迷惑をかけることになる。

北村は、交渉は今後とも継続するという条件のもと、前年度支給率と同率という、教職員からすれば恵まれた条件を応諾した上で、予定期日での支給に踏み切った。

仮処分を認める命令を発した裁判所に対しては再考を求める不服申し立てをしたが却下された。もうこれ以上、争っている時間はない。一刻も早く本訴を起こさせ、正式に裁判所から6月10日の理事会での決議無効を判決して貰う他にない。

利害関係者が原告と被告だけであれば、双方が和解すれば済む話であるが、今回の裁判では原告・被告以外に利害関係者が存在する。

裁判の被告にならなかった他の理事の意志やその地位を無視して、当事者だけで勝手に和解をし、現理事会を無効にしてやり直すことは〝法的〟に出来ない。

本訴での正式な判決なしでは法務局が登記変更に応じないのだ。

本訴で正式に裁判所(司法)の判決が下れば、当時者以外の新理事7名も、基本的には異議を唱えず判決に従うことになる。

よって、今は一刻も早く原告の本来目的であるところの〝本訴〟を起こして貰い、悪戯に時間をかけることはせず判決を受け、現時点で権利を有する旧理事が集まり、理事会を開催するしか選択肢はない。

原告が直ぐに本訴を申し立てるとは限らないため、春海弁護士をはじめとする大学側は、12月6日、裁判所に対して相手の尻を叩く意味で〝起訴命令〟を提出した。

起訴命令とは、債権者が仮処分だけを中途半端に行って本訴を提起しない場合に、債務者が裁判所を通じて債権者に対して本訴提起を促すよう求めることが出来るという制度である。この申請を受けると裁判所は債権者に対して相当期間を定めて裁判を起こすように命令を出し、もしこの命令に債権者が従わない場合には、仮処分の命令が取り消される というものだ(民事訴訟法)。

ここまでやっておけば、債権者側は黙っては居られなくなる。仮処分の命令が取り消されては元も子もないので、必ず本訴提起をするはずだ。


【理事懇談会】

いよいよ天下分け目の合戦の仕切り直しも大詰めが近づいてきた。

反体制派を支持する一部の教職員は、異議申立が認められなかったことであたかも戦争に勝利したかの如く雄叫びを上げ、各所で祝杯をあげた。

一方で、現体制支持派はまるで通夜の如くに沈んだ。子細を知らない理事の中には「裁判で負けた事は決定的で、もはや挽回は難しい」と白旗を揚げる者もいた。

天知と春海は〝ここは大至急、理事を招集し、今後の作戦を周知する必要がある〟と考え、12月10日、都内のホテルに全理事を集めた。開会にあたり谷川が冒頭の挨拶をした。

「理事の皆様、本日はお忙しいところを急遽、お集まり頂きありがとうございます。皆様におかれましては、裁判所への申し立てが立て続けに却下された事で、今後の行方について不安を抱いておられる方も多かろうと思います。本日は、春海先生から仔細についてご説明頂き、皆様に安心して頂きたいと存じます。それでは、春海先生、よろしくお願いいたします。」

「弁護士の春海です。さて、本学の旧理事である大学・中高同窓会会長両氏による当学校法人や新理事6名に対する職務執行停止を求める仮処分申立事件について、東京地方裁判所は去る11月25日付で本学と6名の理事が行った異議申立を却下する決定を下しました。本学としてはこの決定は甚だ承服し難いものですが、既に2つの決定が出た以上、これを尊重して速やかに紛争を解決する必要があると考えます。しかし、仮処分決定はあくまで仮の判断に過ぎません。この決定を以て登記の変更は法的に出来ません。〝裁判所による終局的判断〟になり得ないからです。彼らは勝ち誇った様に騒いでいますが、このままでは解決しないのです。解決するには本裁判に於ける裁判所の判断が必須なのです。よって、我々は速やかに起訴命令申立を行いました。それを以て12月7日付で東京地方裁判所から原告両氏に起訴命令が発布されました。これは、命令後1ヶ月以内に本裁判の提起を命じるものです。今後は、これを受けて提起される本裁判の過程で速やかな終結を図って参りたいと考えています。本裁判で6月10日の理事会決議の無効が確定すると、新たな理事が選任されるまで旧理事が理事の地位にあることになります。」

「弁護士先生。と言うことは〝認諾(民事訴訟において、被告が口頭弁論または準備手続きで、原告の訴訟上の請求である権利主張を肯定する陳述をすること)〟をするという事ですか?」

「そうです。ここは何よりも早期決着が必要です。〝認諾〟というと〝負け〟と思われる方も多かろうと思いますが、この認諾は〝勝利の認諾〟なのです。これから重要なポイントについてご説明します。」

「笠井前理事長が理事会を招集し、ご本人を含む全12名の理事で改めて理事会を開催し、新理事の選任決議をして頂くことになります。」

「旧理事総数は13名ではないのですか?」

「そこが重要なポイントなのです。6月10日時点で理事の1人であった下山学長は,本年6月30日に辞表を提出され、既に退職金も受け取っておられます。学校法人と学長との法律関係は準委任契約と解釈されていますので、いつでもこれを解約することができ、従って、辞表を提出することによって辞任となります。また、学長は充て職として理事の地位にあるのですから、学長を辞任された以上、本裁判で6月10日の理事会決議の無効が確定するか否かに関わらず、現在は当然に理事の地位も失っていることになります。」

この説明を聞き終わると、全ての理事の目の色が変わった。

「理事総数12名であれば、6対6の可否同数となった場合に、今度こそ、議長である笠井理事長の議決権が活きる訳です。」

そこで谷川が笑いながら口を挟んだ。

「皆さん、ここに居られる猫柳校長先生は、6月10日時点では相手方に付いておられたが、今や私達の同志。今は6対6ではありませんよ。7対5です。完全過半数ですよ。ねぇ、猫柳校長先生?」

「えぇ。まぁ。」

猫柳は、裁判所に対して谷川理事長を支持するという表明書を出しておきながら、ひと月足らずで相手方の証拠書類として〝撤回〟の表明を出すという卑怯な事をしているだけに、いかにもバツが悪そうに小声で返事をした。

今やここに居る誰もが〝東京仏教大学の小早川秀秋〟のことばなど信じてはいなかった。ただ、旧理事総数12名で新たな理事を選任することが決定的な今、彼はまさに〝小早川秀秋〟として、勝ち馬であるこちら側に付くことは間違いない。猫柳に対して批判を口にこそしなかったが、理事の中に彼を信頼する者は誰一人いなかった。

「しかし、向こうがあくまで下山学長が旧理事であると言い張って来たらどうしますか?」

「下山前学長にその権利がないことは法的に認められることなのです。その前提で、笠井前理事長が下山前学長を除く旧理事11名を招集し、全12名の旧理事による理事会を開催します。その上で、笠井前理事長が再度、新しい理事を選任します。恐らく、ここにお集まりの皆様がそのまま再選されるだけでしょうが。ですから、本当に今回の裁判は、結果的に本学を危機に曝しただけで、他に何の意味もなさなかったということなのです。」

「旧理事総数12名として旧理事会が招集されれば向こう側の旧理事達は〝勝ち目がない〟と思い理事会をボイコットするのではないですか?」

「そもそも今回の裁判の目的は、6月10日の理事会決議を無効にして新理事会を決め直すということです。よって、少なくとも原告両氏は旧理事会が招集されれば当然、出席する義務があります。総理事数が12名であることに不服であるから欠席するということになれば、裁判で訴えてきた目的に対する自己矛盾になります。更にその先に〝自分達の思い通りの理事メンバーによる新理事会の組成〟という隠れた目的が暴かれます。それは通りません。」

「それを達成する為には手段を選ばないのではありませんか?」

「もし、理事会をボイコットする理事がいて、その為に理事会が流会になり、更に招集をかけてもボイコットを繰り返すとすれば、いつまで経っても新理事会が決められず、結果的に来年度の重要決議が間に合わなくなります。そうなれば、文部科学省からの行政指導どころの騒ぎではなくなります。業者への支払いも出来なくなり、全ての学校運営が滞ることになります。20億円近い補助金の支給も見送りとなるかも知れません。そうなれば、大学は閉鎖への道を辿ることになるでしょう。そういった場合の責任は当然、ボイコットした理事にありますから、大学は彼らに対して数億円単位での損害賠償を請求する訴訟を起こすことになるでしょう。彼らにそれを受ける覚悟があるとは思えません。」

「しかし、このままでは彼女たちの訴訟は何の意味もなさないことになります。手ぶらで納得するでしょうか?」

「かといって、ここにおられる新理事の皆さんには何の責任も過失もありません。今度、笠井前理事長が戻られて新理事名簿を再作成される際に、その名簿からここに居られる方々の誰一人として外される理由はありませんよ。」

「それは確かにその通りですね。」

「彼女たちは、6月の理事会に齟齬があったことを認めさせ、やり直させたということで一旦は裁判の目的は遂げたということにするしかないでしょう。そこから先の事に関しては、下山学長がお辞めになったことで、ご自分たちが考えていたシナリオとは大きく狂いが生じたかも知れませんが、それも身から出たサビ。自業自得というものです。」

「今は、彼女たちが裁判所からの起訴命令を受けて、本学のために一日も早く本訴提起をしてもらうことを祈るばかりです。彼女達が本訴を提起すれば、裁判所からの第1回目の呼び出しで我々は裁判所の判決を〝認諾〟し、速やかに登記変更を行い、笠井前理事長に旧理事の招集をかけて頂き、今度こそ、理事総数12名のもとで、寄附行為に則った理事会議決を行い、新理事会を決議致しましょう。」

「我々がこれ以上争うつもりがないことや、下山前学長が自己都合での辞任であることから法的に旧理事としての資格も喪失されていることを示した書簡を〝谷川理事長所感〟として学内教職員に一斉に流す予定です。これは理事長の単なる〝所感〟なので裁判所から禁止されている〝職務執行〟には当たりません。」

「これを教職員に流せば、浮動票をこちらに取り込むには相当の効果が期待できますね。」

「その通りです。もとより〝反・笠井理事長〟が骨身に染み込んでいる人間は何を言っても聞く耳を持たないでしょうが、重要な事は、根も葉もない噂を流し続ける組合幹部や大学執行部の人間の話を鵜呑みにして向こうの城に身を寄せている〝善良な教職員たち〟をこちらに取り込むことです。今回のこの書簡は、基本姿勢はスクエアかつ誠実な心を持つ教職員であればきっと理解出来るはずですよ。」

「楽しみですな。」

こうして理事懇談会は全員の結束を固めて閉会した。

翌日、〝理事選任決議について(所感)〟という題目で、谷川理事長名の一斉メールが全教職員あて送付された。

予想通り、その反響は凄まじかった。まず、朝倉が慌てて総務課宛連絡をしてきた。

「下山学長の退職金を大学に返金したいので、口座番号を教えて欲しい。」

北村と堂本は当然この申し出を一蹴した。前代未聞とも言える常識外れの依頼を恥ずかしくもなく申し出る厚かましさに二人は顔を見合わせて失笑した。

組合もまた、性懲りもなく出鱈目な組合ニュースを出したが、いつもとはニュアンスが違った。

「双方の弁護士が、谷川理事長が1期で辞めることを条件に話し合いをしている。」

根も葉もない内容であるが、言い換えれば〝谷川理事長が1期で辞めることさえ認めれば、組合・教職員は今の理事会が再選されても承認する準備がある〟と言いたいのだろうという推測が成り立った。

堂本は、1通の書簡が学内の雰囲気を一変させ、潮目が大きく変わりつつあることを感じた。今回も、春海と天知の思い切った策略がズバリ的中した。


【ジレンマ】

谷川サイドが認諾をするというのは原告側の弁護士達も予想をしていなかった。

しかし、そもそも、裁判の論点自体が6月10日の理事会の議決が有効か無効かということなので、谷川等が〝認諾〟をして〝負け〟を認めても、下山前学長が自己都合退職をして旧理事の権利を放棄してしまっている今、総理事数は12名となり、理事会をやり直した場合に、〝寝返り〟が起きない限り、賛成と反対は同数となる為、谷川サイドの〝負け〟はなかった。

仮処分申し立てに対して学校側は真っ向から立ち向かったが、結果的に仮処分申し立てが認められ、理事等の手足が縛られた。理事会機能が停止させられ、挙げ句、異議申し立ても却下された。その結果、大学は真綿で首を絞められる様に徐々に弱まり、今や危機的状況に陥りつつあった。

谷川をはじめとする笠井前理事長擁護派の中には〝東京仏教大学を救う為に、自分達が〝名誉の撤退〟を行い、騒動を収めよう。〟と提案する者もいた。

しかし、ここまで来てしまったら〝名誉の撤退〟などあり得ない。徹底的に〝悪性腫瘍〟を叩き潰さない限り、学校は反乱再発のリスクを内包する事になる。

これだけの〝騒動〟を巻き起こして大学を混乱に導いた〝悪〟の権化達に対してその責任を問うどころか、逆に経営権を渡すなどと言う選択肢は、太陽が西から昇ろうともあり得ない。

一方で、反体制派側も、今となっては振り上げた拳を降ろしたくても降ろせない状況に追い込まれてしまった。敗北の先に待っているものは、自分達に対する懲罰や報復と考えているだけに、こうなったら徹底交戦を貫く考えだ。

ここまで拗れたら共に納得がいく〝和解〟などはあり得ず、どちらかが〝完全勝利〟を得るまで闘うしかなかった。

いよいよ、東京地方裁判所からふたりに起訴命令が発布された。

年が明けた1月7日までに本裁判の提起をしなければ、仮処分は取り消される。そうなっては元も子もない。

裁判所の2度の判決を以て教職員や一般世論を味方に付ければ、谷川サイドはいずれ白旗を掲げるだろうと睨んだ読みが完全に外れて、原告サイドは浮き足だった。

「東京仏教大学連絡協議会」という名の下に〝田上村〟の同志達が集い、緊急会議を開いた。

「さて、どうしたものか。このまま、本訴を提起しなければ、年明け早々にも仮処分が取り消され、これまでにやって来た事が水の泡になる。」

「本訴は提起するしかないでしょう。ただ、本訴の開廷を出来るだけ引き延ばしましょう。あくまで谷川を理事長と認めない、北村を理事長職務代理者として認めないという主張を貫くのです。引き延ばしの手段としては、東京都弁護士会会長宛に、理事長の〝特別代理人候補者〟の推薦を依頼しましょう。当学校法人は〝理事長不在〟なので、至急、〝臨時の理事長〟を推薦して欲しいと頼むのです。」

「効果はありますか?」

「効果があれば御の字。ないにしても時間稼ぎにはなる。更に、裁判所に対して北村以外の〝理事長職務代理者〟の選任を申し込みましょう。これをやれば1ヶ月は時間稼ぎが出来ますよ。」

「時間稼ぎをしている間に、本学にとっての時間もなくなりますよ。もし、3月末までに理事会が開かれない場合には大変な犠牲を払う事になります。そうなれば当然、我々教職員もただでは済まないでしょう?」

「ただ、嫌がらせの時間稼ぎをする訳ではありません。その間に、教職員が最後の団結をするのです。〝当学校法人は民衆(教職員)で成り立っているのだ〟と、〝このままでは卒業式を学長不在で迎えることになる〟と、向こうサイドの旧理事に訴えて、理事の一角を取り崩すのです。今、総理事数12名で、敵6名・味方6名と言われています。これを崩してこちらに取り込めば勝てます。」

「今更こちらに翻る理事などいないでしょう?」

「いや、分かりませんよ?向こう側の最後の砦は西日本大学の中田総長(本学理事)です。この重鎮をこちらに取り込めれば、一気に大逆転への道が開けます。中田総長は常々、〝本学の卒業生に万が一、学長不在で卒業式を迎えさせる様なことがあっては申し訳ない〟と、相当な責任を感じておられる。この弱点を突くのです。」

「それでは中田理事には私が交渉してみよう。」田上(元理事長)が名乗り出た。

あとはいつ本裁判を提起するかということだけが原告・被告弁護士団の焦点となった。そうして平成28年12月27日、原告側は期限ギリギリになって本訴を提起した。

真に大学の危機を救おうと思うのであれば、起訴命令が出されて直ぐに本訴を提起し、大学側の認諾を以て早々に裁判を終わらせ、一日も早く新しい理事会を組成するという行動を起こすはずである。

しかし、原告のふたりは、煩悩の中でも最も重いとされる三毒〝貪・瞋・とん・じん・ち〟に冒された人間たちに操られ、結果的に自分たちの意志のままには動けなくなっていた。

もう彼女たちの中には闘う気力は残されていなかった。本音は原告という立場から逃れて、どこか遠くに雲隠れをしたかった。

京極(前常務理事)も任期満了後は地元の奈良に戻り、これ以上闘うつもりはなかった。神田(前事務局長)は北村が事務局長の椅子に座り認証評価機構に対して見事な対応をしてその手腕を見せてから後は、自分の居場所がないことを悟ったのかすっかり大人しくなった。

しかし、田上・朝倉・中山・別府・黒川の5人はたとえ同士討ちになろうとも最後まで闘うつもりでいた。

今回の訴状の請求には〝下山大観が学長の地位にあることを確認する〟という一文が追加で盛り込まれてあった。彼らなりの〝苦肉の策〟であった。

このまま、素直に本訴が開廷され、争うこともなく〝認諾〟で判決が出てしまえば、谷川や春海のシナリオ通りに事を進められ、それは実質的には〝負け〟に等しい事になる。ここは何としても〝下山学長の理事職権限〟の回復を裁判所若しくは被告側に認めさせるしかない。彼らはやれる事はどんな事でもやる覚悟を決めた。

自ら放棄した旧理事(学長)のポストを取り戻す為に、(下山を8番目の同志として呼び寄せた)朝倉がここにきて(下山の援護射撃要員として)原告に加わった。もはや恥も外聞もなかった。

いよいよ、本訴を争うという裁判所からの呼び出しを待つばかりとなったはずが、待てども待てども春海らの元に裁判所からの招集通知が来なかった。

それは、原告側が予定通り、裁判所に対して〝職務代理者選任申立〟を求めた為、裁判の時効が一時的に中断されてしまった事に因るものだった。

いよいよ、裁判所もしびれを切らし、原告側に「事務連絡」を書面で通知した。

裁判所も、原告が本訴勝訴という本来の目的を遂行しようとせず、悪戯に期日を引き延ばしているという事が十分に理解できた為、暗に〝早くしろ〟と催促してきたのだ。

このまま、本訴を開廷し、被告の〝認諾〟という形で裁判所の判決を受けてしまえば、学校側は、裁判所の判決文を持って登記所に行き、谷川理事長の登記を抹消し、笠井理事長を再登記する。その上で、笠井理事長が、現時点で権利を有する旧理事に招集をかけて旧理事会を開催してしまえば総理事数は12名となるので、8名の理事が集まれば理事会は成立する。

理事会が成立すれば、笠井理事長が新理事会構成員を提案し、7名以上の賛成があれば新理事会は成立するのだ。

原告側は裁判には勝っても、最終的には敗北が待っているという〝ジレンマ〟に襲われ身動きが取れないでいた。


【田上VS中田】

年が明けて平成29年がスタートした。

年初早々、田上は西日本大学の中田総長に連絡を取り、緊急で面談をしたいとの申し出をしていた。

「明けましておめでとうございます。田上です。大変ご無沙汰をしております。」

「明けましておめでとうございます。田上さん、お久しぶりですね。年初早々にどうされましたか?」

「中田総長もご存知の様に、未だ以て裁判は決着が付かず、いよいよ年も明け、待ったなしのところまで来てしまいました。この状況についてどの様に感じておられますか?」

「私は、3月に卒業する学生に誰が卒業証書を渡すのか?ということが一番、気がかりです。」

「その通りです。今のままでは学長不在の中、学長代行の中山副学長が証書を渡すことになります。」

「中山副学長には申し訳ないのですが、卒業証書に〝学長〟ではなく〝学長代行〟という肩書きを記し与えるというのは実に忍びないですね。」

「何とか一刻も早く、本来あるべき新・理事会を組織して、大至急、学長を選任すべきではないでしょうか?」「それが理想ですが、良い方法はありますか?」

「本訴などと言っていては時間がありません。やはり〝和解〟しかないと思います。」

「私も、どちらかが勝った、負けたというのではなく、〝和解〟が出来るのであれば、それが1番良いと思います。1年前に教職員から理事長の不信任表明文が出されました。その後、突然〝理事長解任請求〟が出され、理事会が二分しました。私は〝理事長解任〟というクーデターは〝学校法人の恥〟ですから、決してやってはいけないことだと申し上げて来ました。クーデターを起こした8名の理事の責任は最も重いと思いますが、結果的に〝裁判で負ける様な新理事会の決め方〟をした他の理事の責任も重いと考えています。ですから、旧理事は全員、責任を取って辞任すべきだと思うのです。」

「私も同じ意見です。旧理事は全員が辞任して、全く新しい理事メンバーで、本学の立て直しをすれば良いのです。それこそ〝喧嘩両成敗〟による〝和解〟なのです。」

「私は、本当にそれが出来るのであれば、〝名誉の撤退〟も悪くないと考えていました。そこで春海弁護士や谷川理事長にも進言しました。その後、春海弁護士と谷川理事長が、原告側に対して〝新理事会のメンバー案〟を出す様に提案したそうです。ところが、そこで出て来た案は、主要役職に自分達を、それ以外の理事には彼らの傀儡といえる人間をはめ込み、こちら側の新理事を完全に排除したものだったそうです。私は正直、がっかりしました。せめて、今回、新しく理事に選任された人だけでも理事に残すというのが道理でしょう?」

「今回、選任された〝新理事〟が〝笠井さんの息のかかった〟人間だから外されたのではないですか?」

「私は、6月10日に新しく選出された理事の方々を良く存じ上げておりますが、皆さん、立派な方ばかりです。〝笠井さんの息がかかった〟などと証拠も根拠もない〝色眼鏡〟で人を判断することに対してガッカリしています。」

「もし〝和解〟をしないとすれば、3月10日の〝卒業式〟までに〝新学長〟を選出することは難しいでしょう。」

「春海弁護士は〝認諾〟で本訴を一刻も早く終わらせ、笠井理事長が旧理事会を招集して〝新理事会〟を組成すると仰ってましたが、双方が協力すればまだ間に合うのではないのですか?」

「それをしたくないから相談に参ったのです。それをすれば、総理事数が12名である今、それこそ6対6の可否同数で笠井さんの1票で決してしまうじゃないですか?そうなれば、今の理事会がそのままスライドで選出されてしまい、我々がこれまで1年かけて闘って来た苦労が水の泡になってしまいます。」

「田上さんはそれほどまで6月10日に選出された新しい理事会がお嫌いですか?」

「理事会の違法な決まり方と、そこに旧理事のメンバーが残っていることがたまらなく気に入らないのです。これは教職員の総意です。」

「私も先ほど申し上げた通り、旧理事全員に責任があると思っていますよ。しかし、双方が私利私欲を優先してしまい、〝円満な和解〟が望めないとすれば、もう司法の判決に委ねるしかないのでしょうね。その結果、どちらかが勝者となった時に、勝者は驕り高ぶる事なく謙虚な気持ちで学校の改革に取り組む。それしか残された道はなさそうですね。」

〝家康に過ぎたるものは2つあり、唐の頭に本多忠勝〟という言葉があるが、〝東京仏教大学に過ぎたるものは中田総長(理事)〟と言っても過言ではない程に、この人物の器は並外れていた。中田理事こそが東京仏教大学の見張り番であり、東京仏教大学理事会の〝看板〟でもあった。

田上は〝中田理事を落とせば敵の牙城は崩せる〟と睨んで今回の直談判に臨んだ。

しかし見事に玉砕された。

朝倉が理事8名の血判書を集め、京極(常務)を含めれば9名まで頭数が揃いながら、理事会招集に必要な10人目のあと1名を集められなかったのは、中田理事がそこに立ちはだかったことが大きく影響した。

言い換えれば、中田総長(理事)が笠井を護る選択をした事が勝敗を決したと言っても過言ではなかった。

教職員の殆ど全てがクーデター側に回る中で、堂本が笠井を擁護する立場を取った大きな理由のひとつは〝中田理事が選択される立場こそ正義〟という思いであった。


【笠井理事長復活】

第1回公判は平成29年2月3日に行われた。

予定通り、大学側の弁護士である春海は相手の申し出を認諾した。

それを受けて、2月6日、裁判所から本訴裁判の判決がなされた。

「6月10日の新理事選任決議は無効」という判決が申し渡され、早速、昨年6月10日に発足した新理事の登記が抹消された。

春海は笠井に連絡を取り、笠井理事長の再登壇を依頼した。

笠井はこれを快く承諾した。

平成29年2月8日。笠井が約8ヶ月ぶりに理事長室に戻って来た。

思えば、笠井に請われて堂本がこの大学に来たのが平成27年4月。その時点で笠井降ろしの機運は高まっていたが、堂本の出現が結果的には導火線に火を付ける形になった。それ以降の〝田上村の村民たち〟のふたりに対する誹謗中傷・嫌がらせは実に凄まじかった。

東京仏教大学という名門校には常に募集定員以上の学生・生徒が集まり、経営は順風満帆が続いた。その中で田上元理事長が長期政権〝田上村〟を築きあげ、強大な人脈を東京仏教大学グループに遺して笠井に理事長ポストを譲った。

最初は田上の操り人形であった笠井が、少子化の影響による収支悪化の波が年を追う毎に激しさを増す中で、一念発起して改革を決断した。

しかし、改革には〝教職員評価制度〟や〝人件費の圧縮〟といった〝痛み〟を伴うものもあるため、これまでぬるま湯の中で大学の恩恵を受けてきた教職員にとっては〝出来ることならば避けたい〟というのが本音であった。

〝田上理事長の頃は良かった。笠井を追い出して、我々田上村の村民で、もう一度、田上体制を再建しようじゃないか〟というのが今回の謀反・暴動の元となる思想であった。笠井はその思想の元に結束した〝田上村の村民たち〟によって理事長のポストを追われた。

しかし、謀反クーデターを是としない理事たちが身を挺して城を護ったことで、笠井(理事長)を〝解任〟させずに任期満了まで繋ぎ止める事が出来た。

それがあったからこそ、前理事長として再登壇が叶ったのである。

笠井が大学を訪れたその日の朝、堂本はさっそく、理事長室のドアをノックした。

「理事長、おかえりなさい。お待ちしておりました。」

「にわか理事長とはいえ、まさかもう一度、理事長としてこの部屋に入るとは思ってもいなかったですよ。」

「ご苦労様です。本学にとっては無駄な半年間ではありましたが、この間に、学内の至る所に隠れていたガン細胞をいくつも見つける事が出来ました。早々に旧理事12名による旧理事会を開催して頂き、今度こそ誰にも文句を言わせない新理事会を1日も早く承認頂きたいと思います。よろしくお願いします。」

「堂本さん、新しい理事長を誰にするかという相談もありますので、早速、現理事の皆さんを集めて理事懇談会を開催しましょう。」

平成29年2月13日。理事懇談会当日。

昨年6月の理事会で決議された新理事会の発足については裁判所から否認され、同日発足した新理事の登記が抹消されたため、〝谷川理事長〟は現時点では〝幻〟となった。常務理事・事務局長のポストも一旦は空席の状態である。

笠井が臨時の理事長として旧理事会を開催し、あらためて新理事メンバーをノミネートして承認されない限りは主要3役(理事長・常務理事・事務局長)のポストは確定しない。

笠井は昨年6月にノミネートした理事13名のうち12名はそのまま残し、若山副学長理事に代わる新理事として中山副学長を加えた。

新学長が決まるまでは学長理事のポストは空席として、スタート時点では13名がノミネートされることになった。

そうして理事懇談会には病床にある香月を除き全員が出席した。

「皆さん、ご無沙汰をしておりました。笠井です。さて、皆さんも既にご承知おき頂いておるとは思いますが、我々は可及的速やかに旧理事会を開催し、遅くとも3月中旬までには新理事会を発足し、新理事長・常務理事・事務局長を決めなければなりません。私は、本日ここにお集りの皆様に対して、あらためて新理事としてノミネートさせて頂く事をお願いしたいと存じます。何卒よろしくお願い致します。」

「笠井理事長。我々はもとよりそのつもりでここに参りました。私(谷川)は、半年前に全会一致で理事長として推挙され、一度は理事長を務めさせて頂きましたが、(訴訟という)まさかの事態が起きまして、ほとんどその務めを果たせておりません。挙句の果てには理事長という職責をはく奪されてしまいました。もし、皆様からチャンスを頂けるものであれば、再スタートを切らせて頂きたいと考えております。」

「天知です。私からもひと言よろしいでしょうか。私もこのメンバーでもう一度、理事会を組成できるのであれば、理事長には谷川理事の続投が望ましいと考えます。可能であれば私に常務理事を、北村さんに事務局長を任せて頂けるのであれば必ずや当学校法人を立て直してみせます。」

谷川・天知両理事の突然の立候補発言には、そこにいた(北村以外の)誰もが何かの間違いだろうと自分の耳を疑った。

谷川が僧籍を持たない立場で理事長職に就いた事に対する教職員・卒業生・保護者の反発は予想以上に激しく、谷川を理事長として認めないという署名の数は内外を合わせると笠井の辞任を求めた署名の数を優に超えていた。そもそも訴訟までに至った争いのトリガー(引き金)は長谷川の理事長就任であったことは紛れもない事実として理事の誰もが認識していた。

それにも関わらず谷川は続投の意志を表明し、天知はそれを支持しようとしている。堂本にはふたりの真意が全く読めなかった。


【春海・天知の企み】

理事懇談会の翌日、堂本は春海弁護士事務所に呼ばれた。

そこには堂本の他に天知・北村も呼ばれていた。

「本日はお忙しい中をお三方にお集まり頂きましたのは他でもありません、新理事長を誰にするかという事の相談です。私は谷川理事がもう一度、理事長に返り咲き陣頭指揮を執られるのが一番良いのではないかと思いますが、皆さんはどうお考えですか?」

「私も谷川理事以外に今の東京仏教大学の理事長を務められる人はいないと考えています。あの方の剛腕を以てすればこの難局をも乗り越えられると信じます。」

春海に続いて天知が持論を述べた。

北村は基本的に自分の意見を主張するタイプではなく、あくまで直属の上司である天知に忠実であった。天知が白と言えば自分も白、黒と言えば自分も黒と、たとえそれが間違っていようとも異を唱える事はなかった。自分のポリシーを明確にせず、ただ〝忠犬〟に徹する。

堂本から観ればそれが北村の〝唯一の欠点〟であったが、天知にとっては北村の比類なき忠誠心は、理事会において〝確実な2票〟を手中に入れている事を意味し、何よりの強みであった。

春海と天知が熱く語り合う〝谷川新理事長による新理事会構想〟を堂本はただ黙って聞いていた。

「堂本次長は我々の構想についてどう思われますか?」

「僭越ながら、思うままに言わせて頂きますと、私は、谷川理事長ではもたないのではないかと思います。」

堂本の思いがけない言葉を聞いて春海と天知の表情が強張った。

「春海先生は現場をご存じないからご理解頂けないかも知れませんが、谷川理事が新理事長に就任されてからというもの、それまで中立を保っていた教職員までもが反対派に回ってしまいました。船が全く動かなくなってしまったのです。これは私にとっても誤算でした。宗門の力というものがこれ程までに根強いとは思いませんでした。本学は創設以来100年という長い間、ただの一度も例外なく理事長と学長には宗派内住職が就任して参りました。それを今回、たった4人の宗派内僧侶理事が全員賛成したからと言ってその例外を認めてしまいました。谷川理事は実業家としては素晴らしい実績をお持ちですが、教職員や卒業生らにとっては、あくまでトップは宗派の伝統を護るということが重要でした。」

「堂本君、私はね、そういった宗門のしがらみにいつまでも憑りつかれていては改革など出来る訳がないと考えているんだよ。そもそも本学の理事のポストに宗門の坊さんが4人も名を連ねている事自体がおかしい。それに同窓会OG2名と理事長や学長を合わせると理事の過半数が宗門関係者で占められる。そもそも寺の坊主や専業主婦に学校改革の何が分かると言うんだ?」

予想もしなかった天知の過激な発言に堂本は言葉を失った。春海が続けた。

「そんな事だから本学はこれまで思い切った事がやれなかったのですよ。ようやく笠井理事長が改革の旗揚げをしようとされましたが、孤軍奮闘で誰も笠井さんの味方をしませんでした。私も天知さんと同じ意見です。谷川さんが理事長に就任されれば、宗門理事やOGの理事数を大幅に削り、外部有識者や実業家を理事に据える様に寄附行為を改正すれば良いと思います。その方が当学校法人の改革が進むと思いますよ。」

「確かに宗門理事数と同窓会理事数は多少調整しても良いと思いますが、理事長と学長は仏教系学校である本学の〝顔〟ですから、そこは触らずに、トップを支える常務理事や事務局長、副学長といった肩書きに改革派実力者・経験者を据えれば改革は進むと思いますが。その方が余計な波風が立ちません。」

「堂本君、それは考えが甘いね。理想と現実は違う。私は谷川理事こそが、今の本学の改革を成せる唯一の人物だと思う。彼が理事長になり、私がその脇を固めてこそ、反体制派の残党共を黙らす事が出来る。」

「天知(常務)理事はこの半年の間、裁判所から執務停止処分を命じられて出勤されなかったので現場教職員のアレルギー反応を直に見ておられません。私や北村理事(事務局長)の様な現場を見てきた人間からすれば、谷川理事が再度、理事長に返り咲かれる様な事があれば、船の漕ぎ手である教職員達は皆、働いているフリをしながら働かない事が目に見えています。ねぇ、北村理事。」

「んんん…、まぁ、そうは言っても皆、サラリーマンだから、働かないという事はあるまい。」

「ほうら、北村君もこう言っている。堂本君の不安は杞憂だよ。それにね、私は、この大学が今のまま基本金を取り崩しながら赤字を補填する様な体質から抜け切らなかった場合は、大学を廃校しても構わないと考えているんだよ。基本金とは本来、将来的に必要となる資産の取得(古くなった校舎の建て替え等)の為の積立金であり、赤字補填の為の貯金ではない。それを教職員の多くは勘違いをして、〝うちには数百億円の貯金があるのだから潰れる事はない〟などとほざいている。年に数十億円ずつ赤字補填を続ければ校舎の建て替え計画も立てられないまま、ライバル校との競争に負け、うちは10年で淘汰されるよ。我々が乗り込んで、先ず宗門の勢力・影響力を剥ぎ取る。そして人件費率を70%から65%まで引き下げる。反対勢力にはあの手この手で手足をもぎ取っていく。それでも駄目なら大学を潰してリセットすればよい。」

天知がこれ程までに過激な人物であったことに堂本はただ驚くばかりであった。

春海・天知・北村の3対1では何を言っても無駄だと思い、堂本はそれ以上の反論をしなかった。

この日を境に、春海・天知を中心とした新理事会構想会議に堂本は一切呼ばれなくなった。


第8話 創業家


【春海・天知VS笠井・堂本】

「そうですか。天知理事はどうしても谷川理事を再度理事長に推す考えですか。教職員や同窓会からあれだけ激しい抗議文や嘆願書を送られながらまだ懲りないのですね。」

「理事会主要3ポストを谷川理事長・天知常務理事・北村事務局長の3人で固めさえすれば〝民の声〟は力でねじ伏せられるとお考えの様です。理事長・学長を宗門から迎えるという本学の100年以上続く伝統そのものを見直すとも仰っていました。最後には〝大学を潰しても構わない〟とまで。私は天知さんに初めてお会いした時に、〝救世主〟が来てくれたと感じましたが、どうも見当違いだった様です。」

「さて、堂本さん、ここからどう動きましょうか?」

「笠井理事長と私とで既に次の理事長候補は決めてあるではないですか。いよいよ、この方に理事長職を引き受けて頂けないか、お願いをしに参りましょう。」

堂本は本学に着任した当時から評議員メンバーのひとりに大きな関心を抱いていた。

評議員の大半が反対派勢力である中、その人物はしっかりとした自分のポリシーを持ち、肝心な局面においては臆することなく発言をし、どの様な罵詈雑言を浴びせられようともぶれる事もなく、その発言内容は常に東京仏教大学の将来を見据え、大学や宗門に対する深い愛情にあふれていた。

理事懇談会の1週間後、笠井と堂本は、都内でも有数の由緒ある寺院でもある、その評議員の自宅を訪ねた。

ふたりは応接室に案内され、しばらくすると住職が現れた。

「加山さん、ご無沙汰をしています。先般は本学の次期理事に就任頂く旨ご了解頂きありがとうございます。」

「いやいや、他ならぬ笠井さんの頼みですから引き受けない訳にはいかないでしょう。」

「本日お伺いしましたのは、重ねてお願いしたい儀がございまして。」

「さて、どういったことでしょうか?」

「次の理事長職を加山さんに引き受けて頂きたいのです。」

加山は何も言わず背凭れに背中を預け、顔を天井に向けて目を瞑った。

その静寂はわずかな時間であったが、堂本にとっては長い時が音を立てて流れ続けたように感じられた。加山がようやく口を開いた。

「笠井さん、私はもうじき70歳に手が届こうかという老体です。しかも持病を抱えています。大きな騒動の渦中にある東京仏教大学のトップを務めることなどとても荷が重過ぎます。どなたか他の方を当たってみてください。」

「ご存知の通り、実業家として素晴らしい功績を残された谷川さんが理事長に就任されれば大学の改革が実現するのではないかと思い、寄附行為の禁じ手を断行しましたが見事に失敗に終わりました。それまでの私に対する反発は教職員と一部の卒業生のみによるものでしたが、谷川理事長に対しては、それまで中立を保っていた教職員までもが新理事会反対派に回り、更には卒業生や保護者の多くから反対の意見書が寄せられました。挙句の果てに、宗門の本山からも〝顛末書〟での報告を求められました。結果的に同窓会会長の2人が裁判を起こすトリガーとなったのは、宗門以外の〝外の血〟で本学の〝歴史と伝統を汚す〟ことは、たとえ改革の為といえども許すべからずといった、ほぼ全ての本学関係者の〝総意〟に後押しされた結果であったと言えます。」

「宗門の本山までもが相手方についたとなれば勝ち目はありませんね。」

「その時点で我々の中から、次期理事長としての谷川さんは完全に消えました。ところが、谷川さんは懲りる事もなく、理事長就任に強い意欲を持っておられます。更に谷川さんを強く推しているのが天知さんです。天知さんは宗門理事総数を大きく削減し、空いたポストに外部から有識者や実務経験者を理事として迎え入れたいと考えている様です。そのような事をすれば改革どころか、いよいよ船は動かなくなってしまいます。よそ者が〝宗教〟をなめてかかると大きなしっぺ返しを喰らいますよ。」

「しかし、天知さんを招致されたのは笠井理事長でしょう?そのようなお考えのお方と知りながらお招きになったのですか?」

「私が招致した方々には悉く期待を裏切られました。常務としてお迎えした京極さん、学長候補としてお迎えした若山さん、そして天知さん。参謀であった朝倉さんにまで反旗を翻されました。私に〝人を見極める眼力〟がない事も然ることながら、基本的に私には〝人徳〟〝人望〟というものが欠けているのかも知れません。そうした猛省を踏まえて、次の新理事長の人選こそは決して間違ってはならないと考えました。」

「そういう事でしたら、私はとてもその期待に応えるだけの器量を持ち合わせておりませんよ。それに、家内が絶対に許してくれません。彼女は私の寿命を縮める様な事に対してはことさら監視が厳しいですから(笑)。」

「加山さん、今日のところは一旦引きあげます。数日後にもう一度伺います。何卒、お考え直し頂き、私の願いをお聞き届け頂きます様に、何卒、何卒、よろしくお願い致します。」

笠井と堂本のふたりは一時間ほどの交渉を終え加山邸をあとにした。

「堂本さん、どうしましょうか?」

「次の訪問は本学の宗派内僧侶理事全員で押しかけましょう。僧侶理事全員の総意であることを示せば山が動くかもしれません。それでも駄目ならば最後の砦、京都の宗門本山にお願いして宗務長クラスに動いて頂きましょう。まさに〝三顧の礼〟を以てしてでも首を縦に振って頂かないと、名門東京仏教大学が消滅の危機を迎えることになります。」


【春海・天知の油断】

丁度同じ頃、春海弁護士事務所内に於いて、春海・天知・谷川・北村による戦略会議が行われていた。

「本日はお忙しい中をお集まり頂きありがとうございます。今回は天知さんのご指示通り、堂本さん抜きで戦略会議を開く事とします。それにしても、私(春海)は、堂本さんがあのようなお考えをお持ちだとは思ってもいませんでした。」

「そもそも彼は銀行員あがりで笠井さんから本学に招かれた人間です。学校の事については全くの素人ですよ。昔から私(天知)の傍で仕事をして来た北村さんはこの道のベテランですから、彼が事務局長に就任すれば、堂本が居なくても何とかなりますよ。」

「さて、裁判の判決も下りましたので、3月の上旬にも旧理事会を開催することになると思います。旧理事会を開催し、新理事会の構成メンバーについて旧理事会理事で承認する事になります。新理事会理事のノミネートですが、寄附行為に従って旧理事会の理事長である笠井さんが人選をする事になります。笠井さんによれば、昨年6月の陣容とほぼ同じ顔ぶれにするという事です。」

「それだと反対派が黙っていないでしょう。昨年の6月と同じことが起きませんか?」

「下山前学長が自己都合退職をして頂いたお陰で、旧理事会の総数は12名になりました。恐らく賛成が6名、反対が6名になります。同数の場合は議長である笠井さんが1票を投じて決しますので、笠井さんの案が採択されるという訳です。」

「下山学長が早々に退職届を出されたことが勝敗を分ける鍵となるなどとは考えもしませんでしたよ。」

「東京仏教大学に対する思い入れが強ければそうはならなかったはずです。朝倉が票集めの為に外部から連れてきて突貫工事で補った〝偽物〟ですから、メッキが剥がれるのも早かったという訳です。さて、新理事が決まれば、そのメンバーで直ちに新理事会を開催する事になります。そこで先ず新理事の中から新理事長を決め、新理事長が決まれば、新理事長が議長を務める中で、常務理事と事務局長を選任するという順番になります。」

「春海先生、それまでにやっておくべき事はありますか?」

人一倍慎重な性格である北村が春海にたずねた。

「そうですね。新理事メンバーの中で谷川さんと天知さん以上に弁が立つ人はひとりも居ません。対抗馬も居ません。安心して構わないと思います。」

「そうですか・・・。」

「北村君、新しい理事メンバーの中に谷川さんの対抗馬はひとりも居ないよ。あとは新理事会の席上で、私(天知)が谷川さんの推薦人となり、口頭で推薦理由を強くうったえれば、恐らく反対する理事はいないだろう。」

天知は、キャリアを積む毎に自信過剰に拍車がかかり〝自分の考えこそが正しい〟となかなか反対意見を受け入れない、更には反対意見を言う者を排他する様な一面があった。

北村は〝本当に大丈夫だろうか。他の理事にも根回しをしておいた方が良いのではないか〟と考えたが、下手に水を差せば天知から何を言われるか分からないのでそれ以上は口を挟まなかった。


【三顧の礼】

「加山さん、もう一度お伺いしたいのですが、お時間を頂けないでしょうか。」

「あぁ、笠井理事長。何度お越しになっても私の結論は変わりませんよ。遠いところをお越し頂くだけ申し訳ない。他の方をお当たり下さい。」

「実は、旧理事会の宗門理事お二人ともに加山さんの理事長就任に賛成をして頂いており、次回はそのお二人が是非とも同席したいと仰っています。何とかお時間を作って頂きたくよろしくお願いします。」

「そうですか。分かりました。それではいつにしましょうか。」

ふたりはその週の週末(2月25日)に会う約束をして電話を切った。

今回は笠井・堂本に、旧理事会の宗門理事2人が加わり加山邸を訪れた。

「加山さん、この度は無理なお願いをお聞き入れ頂き感謝します。」

「いえいえ、こちらこそ、このような遠いところまではるばる皆さんでお越し頂き、かえって申し訳ありませんでした。」

「加山さん、私ども宗門理事は昨年6月、ただただ東京仏教大学の改革を願うあまり、宗門から理事長を選出するのではなく、実業家の谷川さんを〝一時的に〟理事長にするという〝禁じ手〟を容認しました。しかし、やはりそう甘くはありませんでした。谷川さんが理事長に就任してからというもの、それまで中立であった教職員や卒業生、保護者、宗門関係者の多くが反対派に回り、笠井理事長時代以上に厳しい環境に追いやられてしまいました。下山学長のお陰で九死に一生を得ましたが、次にもう一度、谷川さんを理事長に再選しても同じことが起こる事は目に見えています。もう宗門僧侶から理事長を選出するしかないのです。そうして理事長職を務められるのは加山さん、あなたをおいて他に考えられません。」

2人の宗門理事がそれぞれの思いのたけを精一杯にうったえた。

「皆さんがお見えになる前に西日本大学の中田総長からお電話を頂きました。中田総長は西日本大学が女子大学の時代に総長に就任されました。それ以来、共学化を含め様々な改革を進められ、当時2千人規模の女子大学を現在の1万人規模の総合大学にまで大きくされました。その方が、今回の皆さんの思いを是非とも受け止めて欲しいと仰いました。一旦は何があってもお断りすると決めていた私の中で大きな迷いが生まれました。本日、旧理事会の宗門理事の皆さん全員がわざわざ足を運んで頂きました。お引き受けしない訳には参りません。」

「加山さん、そのお言葉を頂戴するまで、我々は3度でも4度でもお伺いするつもりでおりました。本当に感謝致します。ありがとうございます。」

「ところで、谷川さんがまだ諦めておられないとお聞きしました。更に顧問弁護士と天知さんまでもが結託しておられるとか。勝算はあるのですか?」

「それについては堂本さんの方から説明します。堂本さん、よろしくお願いします。」

「はい、分かりました。新理事長職を加山先生がお引き受け頂けるとなれば、谷川さん陣営に対して過半数の票数を確保することは然程難しい仕事ではありません。ただし、春海弁護士や天知理事には新理事会当日まで悟られない様に水面下で動く必要があります。新理事会メンバー13名のうち加山理事に賛成して頂ける票が確定しているのは、現時点ではここにおられる2名の宗門理事の皆さんだけですが、笠井理事長と私は明日から中田総長をはじめ同窓会理事、中山新理事、香月理事、猫柳校長等に対して直接お会いして交渉をする予定です。」

「中山さん?確か彼は向こう側の人ですよね?」

「そうです。彼が反対派に回ったのは、私が若山副学長のみを理事にしたことへの恨みからなのです。今回、私が理事長を退任するタイミングで彼を理事にすれば、彼をこちら側に取り込むことが出来るのではないかと考えました。若山副学長理事の後任人事でもあり、またいずれは下山学長の後任として中山副学長をそのまま学長に昇格させようと考えています。それまでは学長不在のまま、中山副学長に学長代行を務めて頂きます。そのことを彼に伝えましたら、涙を流して喜んでいました。彼は加山理事長にとって強い味方になってくれるはずですよ。」

「彼もずっと平の副学長として冷遇されて来ましたからね。それは良い人事ですね。」

「笠井理事長が中山副学長を新理事に推薦されました。この恩に対して仇で返されるはずはありません。ですから中山新理事は加山理事長に票を投じてくれるはずです。教職員・卒業生・ご父兄・宗門総本山が悉く谷川理事長にアレルギー反応を起こしました。今回の決戦が、宗門東京支部の名門である加山理事と谷川理事との一騎打ちとなれば、谷川理事側の票は恐らく谷川・天知・北村の3票だけになります。本学の教職員理事・同窓会理事・宗門関係理事が万が一にも谷川さんに投票したとなれば、その理事は教職員や同窓会から袋叩きに合うでしょう。」

「我々が推薦する加山理事を〝私(笠井)の傀儡〟と疑い、投票を辞退するという行為も考えられます。それが考えられるのは、校長の猫柳と、創業家の香月理事、それに同窓会理事2人の計4名です。しかし、それでも我々の獲得見込み票は6票です。負けることはありません。ただし、我々のこの動きは理事会のその時まで相手に悟られてはなりません。谷川・春海・天知といった狡猾な3人に加えて慎重な北村がいます。何を仕掛けてくるか分かりません。私は中田総長に仁義を切った後に、校長理事の猫柳、同窓会理事の2人に頭を下げに参ります。香月理事に対しては私と堂本さんとで直談判をする予定です。」

「私はこの闘いのキャスティングボートを握っておられるのは創業家である香月理事ではないかと考えています。ですから、香月理事を落とせば情勢は一気にこちらに傾くと思います。」

「堂本さん、私もそれは感じています。しかし、香月理事をこちら側に取り込める可能性はありますか?」

「実はつい最近、大きなチャンスを天から授かりました。理事長と私に一計がございます。まずは香月理事のご自宅にお伺いして、策を弄してみます。」

「分かりました。吉報をお待ちしています。私は何とか家内を説得してみます。これが一番手強いかも知れません(笑)。」

それから1週間後。

笠井と堂本は、新たに理事5名から加山理事長支持の約束を取り付けた。

猫柳、香月(代行の長男)の2人は態度保留として明確な意思表示をしなかったが、2人ともに谷川に投票をしない事だけは約束をした。


【うちなる敵との情報戦】

新理事会の新たな理事を決める旧理事会と、新理事長・新常務理事・新事務局長の3役を決める新理事会の日程が3月6日に決定した。

2月27日、堂本は谷川から食事会に誘われた。堂本は谷川サイドからの〝探り〟と分かりながらその誘いを受けた。谷川は自分が理事長に就任した後の堂本に対する処遇や、大学の改革についての思いについて諭すように語った。堂本も丁寧に谷川の話を聞いた。

その翌日、今度は北村が堂本を誘ってきた。北村との飲み会は夜8時から日付が変わり深夜2時まで延々と続いた。北村からの〝探り〟は堂本の一挙手一投足、言葉の節々にまで及んだ。しかし、堂本は一切、笠井サイドの動きを口にしなかった。

谷川・北村からの報告を受け、今度は弁護士の春海が笠井と堂本に会いたいと言ってきた。2日間にわたる敵方の〝探り〟を通じて、敵が何も策を打っていない事を確認した堂本は〝勝利〟を確信していたが、ふたりは決して敵にそれを悟られない様に十分な下打ち合わせをしてから春海弁護士事務所に向かった。

「笠井理事長、堂本さん、本日は急にお呼びだてして申し訳ありませんでした。裁判も結審し、理事会の日程も決まりましたので、理事会までの段取りについて打ち合わせをしておきたいと思いました。本日はあなた方以外に北村理事にもお越し頂いております。」

「さて、本題に入ります。来る旧理事会で審議される〝新理事〟の顔ぶれはその後、変更なしということでよろしいでしょうか?」

「若山副学長理事のポストが空いておりましたので中山副学長に新理事を務めて頂こうと考えております。」

「そうですか。それでは学長ポストは空席として現時点では13名という事でよろしいですね?」「その通りです。」

「笠井理事長は新しい理事長にはどなたをお考えですか?」

「それは新しく理事に就任された皆さんがお決めになる事であり、私が口を挟むような事ではありません。」

「それはそうですが、我々は谷川さんこそ新理事長が務まる唯一無二の人物だと考えているのですが、どう思われますか?」

「その点については私の思いと必ずしも同じではありません。」

「何故ですか?谷川理事長・天知常務理事・北村事務局長のお三方こそが、まさに東京仏教大学に改革をもたらすことが出来ると思われませんか?それ以外に誰がおられますか?」

「ですから、先程から申しております様に、それは私が決めることではありません。」

「それでは笠井理事長は次の理事長を誰にするかのアイデアがない中で谷川さんを否定されているのですか?」

「私は特にどなたを理事長として推薦するという立場にありません。ただ、谷川さんが新理事長に就任されれば、学内外ともに混乱するのではないかと心配しているだけです。」

「その心配は杞憂に終わるでしょう。理事長の権限は絶対的であり、その両脇を固める常務理事と事務局長もこれまでの京極さんや神田さんとは訳が違います。」

「そうですか。それならば大丈夫でしょう。私は3月6日に旧理事会を開催して新理事会理事の議案が承認されれば、それでお役御免です。」

「そうですか。本日はそれを確認したかったものですから。お忙しいところをお越し頂き誠にありがとうございました。それでは3月6日に理事会会場にてお会いしましょう。」

「春海弁護士先生もお越しになるのですか?」

「私も万が一の時の懐刀・知恵袋として同席して欲しいと、谷川さんと天知さんから頼まれましてね。」

「そうでしたか。それは心強いですね。よろしくお願い致します。」

笠井と堂本はここに新たに芽生えようとしている〝三毒悪〟の存在に対して背筋が凍る思いがしていた。


【旧理事会開催】

平成29年3月6日。旧理事会。

昨年5月末に在職期限を迎えた京極(前常務理事)を含めた旧理事会メンバー12名(笠井を含む)が招集された。そこには解任された神田(前事務局長)、自己都合退職をした下山(前学長)、3月末で定年退職となった若山(前副学長)の3名の名前はなかった。

総理事数12名のうち、8名以上の出席で理事会成立となるが、今回は出席者11名に委任状出席1名(香月理事)を加え12名全員の出席となったことで流会となることなく無事に旧理事会が成立した。

今回も新理事会の人事案は事前に知らされない為、意思表示が出来ない〝白紙委任状〟は賛否の票数にはカウント出来ず、分母の理事総数12名には加算されるものの、賛成票数には加算出来ない為、実質的には反対票と同等の効果を持った。

しかし、今回の〝香月理事の委任状〟はこれまでの〝委任状〟とはその意味合いが全く違った。

「皆さん、ご無沙汰をしておりました。まさか再び理事会を招集し、新しい理事の選任をすることになろうとは考えもしませんでした。本日は香月理事から頂きました〝委任状〟を含め、理事全員にご出席頂きましたお陰で、無事に理事会が成立致しました。何よりも先ず、このことを御礼申し上げます。」

笠井が冒頭の挨拶をして深々と頭を下げた。

「さて、実は皆さんにご報告がございます。この度、私は、香月理事より〝全権を私に委任する〟という内容の委任状をお預かりしております。事前に内容を開示出来ない人事案につき、賛成票としての1票には加算出来ませんが、創業家が私どもに付いて頂けたのは、本当に心強く思っております。」

笠井のこの〝驚天動地〟の報告に対して、場内のほぼ全員が驚愕し、誰一人としてその言葉を信じようとはしなかった。

しかし、確かに委任状には香月理事から笠井理事長に〝全権を委任する〟と書いてあった。

「これまで香月理事のお名前で委任状が出されていましたが、これは殆どが香月理事ご本人の意志によるものではないという事が最近になり判明致しました。香月理事の過去の委任状は〝評議員〟を務めておられる香月理事のご子息が、香月理事の承諾もないまま代筆をされ、委任状を提出しておられたということをお父様ご本人から確認しております。また、東京仏教大学を正しい方向に導いて欲しいとの強いご要望のもと、ここに委任状をお預かりして参りました。」

笠井派の理事から自然と拍手が沸き上がった。一方で反体制派理事達の表情は一機に青ざめ、動揺を隠せない様子であった。

ここで笠井が新たに選出した新理事の名簿が皆に配布された。

「ご存知の通り、昨年6月10日の理事会での決議は無効となりました。新理事会のメンバーのどなたにも過失責任や齟齬があった訳ではありません。ですから、私は6月10日にお願いしました理事メンバーの方々にあらためて理事職をお引き受け頂けないかお願いしたいと思っております。ただし下山学長と若山副学長は既にご退職されておられます。また、本学を相手取り裁判を起こされたお2人の理事にも退任を頂きます。新たに中山副学長に理事職をお願いしたいと考えております。」

「議長、ひとことよろしいでしょうか?」

大学同窓会会長が議長に発言の許可を求めた。

「裁判を起こしました私共同窓会理事ふたりは、6月10日の決議の決め方があまりに強引であった上に、裁判所も認めたとおり、寄附行為に抵触しているとの思いから提訴に至りました。そうしてその思いが実り本日に至っております。勿論そのあとは私共が理事総数の過半数を押さえた中で、ある程度、我々の意向が反映された理事会を組成したいとの思いがありました。しかしながら、下山学長が辞表を出され、旧理事としての職責がなくなることなど全くの想定外でした。今、それを争うつもりはありません。ただ、ひとつだけ教職員の思いを伝えたいと思います。」

「どうぞ、遠慮無く仰って下さい。」

「寄附行為に〝理事長は東京教区の僧籍を持つ者から選出する〟とあります。勿論、原則ではありますが、やはり、仏教系の学校法人であるからには、安易にその原則を逸脱してはいけないと思うのです。理事長には徳も人望もある僧侶から選出し、その理事長を神輿に乗せながら、理事長以外の常任理事4人(常務理事・事務局長・学長・校長)が神輿を担ぎ、改革を推進すれば良いのではないでしょうか?」

「議長、私もひとこと宜しいでしょうか?」

次に中高同窓会理事が議長に発言の許しを求めた。

「私も今の意見に賛同致します。もし、谷川理事が再び理事長に選ばれるのでしたら1期だけという条件にして頂きたい。谷川理事はあくまで本学を正常化するまでの繋ぎであり、3年後には必ず僧籍に理事長職を譲ると一筆書いて約束をして頂きたい。私は、理事長が仏教の僧籍を持つ者であるということと、創業家である香月家を理事ポストから外さないという、このふたつの条件だけは、我々が今後も守り続ける義務があると思うのです。本来ならば創業家のご子孫で僧籍を持つどなたかが理事長を務めるというのが本学の理想だと思うのです。万が一にも創業家が蔑ろにされ、かつ、仏教系の学校法人でありながら僧籍をも蔑ろにされるようでは、創業者であられる香月哲治先生に申し訳が立ちません。ですから、もし、このあと、理事長を決める際に、僧籍を持たない方が理事長に推薦される場合は、先ほど申し上げました条件を前提として頂けないでしょうか?」

「ただ今、おふたりの理事から頂きました提案について、どなたかご意見がある方はおられますか?」

「議長、宜しいでしょうか?」

「谷川理事、どうぞ。」

「昨年6月、僧籍を持たない私が理事長に推挙され、満場一致で理事長を拝命致しました。当時から〝火中の栗を拾う役割〟と言われておりましたが、現実には〝火中の栗〟以上に酷い状態で、本当に失うものが多いミッションでした。お陰様でこの歳になって教えられることも多々ございました。私は理事長職にはこだわりません。どなたが理事長になられても、私が理事を外れることがあっても、本学を愛する気持ちに変わりはございません。これからも未来永劫、東京仏教大学のために、協力を惜しまない所存です。私は今回、理事長を引き受ける際にも、1期限りと申しておりました。その意図するところは、今、おふたりの理事がおっしゃった想いと全く同じでございます。私も、おふたりのご意見に同意致します。」

「それでは、意見も一通り出揃いましたので、この辺で決を採りたいと思います。私が提案しました新理事の案に賛成頂ける方は挙手を願います。」

出席した理事全員が賛成した。創業家である香月理事が委任状を敵方である笠井に渡したという事実は、反対派理事全員の戦意を完全に喪失させた。

香月理事の委任状は今回の人事案においてもこれまでと同じ様に〝意思表示〟が出来ない為、賛成の1票には加算出来ないが、今回の委任状だけはこれまでの委任状とは比較にならない程の〝効力〟を発揮した。

理事会のあとに開催される評議員会に於いても、旧理事会のやり直しで新たに承認された理事会が6月10日に選任された理事会のメンバーとほぼ変わらない内容であることを易々と認めるはずもなく、相当に荒れ狂うことが予想されていた。

しかし、評議員会の冒頭で、議長から〝香月理事の委任状が笠井理事長に託された〝という事実の報告がなされると、その殆どが反対派で占められた評議員がまるで通夜の席上かの様に静まりかえった。

特に、評議員の一員として会議に出席していた香月評議員(香月理事の長男)は、これまで、理事である父親の〝1票〟を略奪して〝委任状〟として謀反軍に渡していたことが暴かれ、かつ父親が反対勢力に加勢したものだから、まるで狐に化かされたかの如く右往左往するしかなかった。

これまで天皇〝田上旧理事長〟と〝創業家〟という強烈な両看板を楯にやりたい放題、言いたい放題を尽くしてきた悪徳教職員達が一斉に静まりかえった。

〝創業家の香月理事が委任状を向こうに渡した。〟

この瞬間に〝官軍〟と〝逆賊〟が完全に入れ替わった。

評議員会も静粛な中、新しい理事会を受け容れた。そして、その後に開かれた(後)理事会において正式に〝新・理事会〟が無事に誕生した。


【創業家・香月家】

香月哲治がアメリカから帰国した頃(明治30年代)の日本は女子中等教育がようやく地方に拡がりつつあり、仏教者による婦人会活動・女子教育事業も高揚期を迎えていた。アメリカでの女子教育を見聞した経験から、哲治は日本における穏健な女子教育の必要性をあらためて痛感し、高等女学校で学びたいという女子の希望に応え、卒業生に広く社会で活躍できる教育環境を整えたいという思いが旨に溢れた。哲治は命をすり減らし、血の滲むような努力を重ね、ようやく明治40年5月〝東京仏教女学校〟の開校を実現した。現在の東京仏教大学の前身である。

それから100年の歴史を積み上げ、その間に素晴らしい経営者・経営陣の見事な采配の下、また、愛校心に満ち溢れた多くの卒業生・関係者に支えられ、盛り立てられ、都内では右に出る女学校がない程の名門校として自他共に認知される盤石の地位を築いてきた。

明治40年から昭和20年までのおおよそ40年間を創業者哲治が理事長を務め、そのあとを長男の文治が受け継いだ。文治は昭和21年から昭和46年までの26年間、理事長を務めた。その間に文治は東京仏教女子大学を共学化し、総合大学・東京仏教大学として盤石の地位を築き上げた。

昭和59年に前理事長の田上が中学・高校の校長を務めたあたりから、東京仏教大学グループ内での恩・縁・義理によって繋がった人脈や、仏教関係寺院で広い派閥を持つ者に権力が集中し始めた。そのことは同時に創業家を表向きは奉りながらも実態は形骸化させていくシナリオを意味していた。

平成7年にいよいよ田上が強力な人脈に物を言わせて理事長職に登り詰めた。

それから12年間で香月哲治が創業した名門校は〝田上村〟と化し、〝田上村の村民〟による〝やりたい放題の楽園・我が世の春〟が10年以上続き、その間に創業家である香月家は〝お飾り〟化され、理事の〝椅子〟は用意するが決定権は持たせないという〝田上独裁専権〟が続いた。

現・香月哲人理事は香月哲治の孫にあたるが、高齢に持病が重なり、数年前から病床の身にあった。

平成27年5月の理事会に車椅子で出席をして以来、理事会に姿を見せることは無かった。それ以降の理事会は全て、理事長に委任する旨を記した〝委任状〟を提出してきた。平成28年2月に勃発した〝理事長解任要求事件〟の血判状に〝香月哲人〟理事の名前があった。

香月哲人理事は創業家の名を汚すようなことをされる筈はなく、真意を確かめるために笠井が複数の理事を伴い、哲人理事宅を訪ねたが、長男で評議員をしている香月昭治に面会を阻まれた。

実は、この時既に香月昭治は朝倉から〝理事〟のポストを褒美に買収されていたのだ。昭治は父親の印鑑を取り上げ、父親の名前を血判状に記入し、捺印した。

それ以降は全ての理事会における〝委任状〟が、理事長宛ではなく、謀反軍の総大将である京極(常務)宛てに変わった。

結局、この〝謀反〟は〝痛みを伴う改革など行わない悠々自適な田上ファミリーの再来を望む教職員〟〝理事長職を狙う複数の理事〟〝理事職を狙う評議員〟といった〝三毒〟に塗れた人間達の〝私利私欲戦争〟以外の何ものでもなかった。

ある日、堂本にとって思いもよらない〝好機〟が訪れた。

それこそまさに〝創業家ご先祖が導いてくれた奇跡〟であったのではないかと後に堂本は振り返った。

平成29年3月6日の旧理事会から2か月ほど遡る1月下旬、鍋島から重大な情報が入った。

「堂本さん。実はあるところから創業家に関する情報が入りまして。役に立つ情報かどうかは分かりませんが。」

「鍋島さん、どういう情報ですか?」

「香月理事とその長男との仲が悪く、今は別居しているという噂を耳にしました。」

「それは我々にとってビッグチャンスになるかも知れませんよ?」

「どういう事ですか?」

「香月理事は一昨年5月の理事会に車椅子で出席されて以来、姿を見せておられません。その後の理事会は、理事長宛の委任状を受理して処理をしておりましたが、昨年2月に勃発した〝笠井理事長解任請求事件〟の解任請求をした理事一覧に香月理事の署名・捺印があったので、我々は〝創業家がこのような事をなさるはずがない〟と真相を確かめるべく、香月理事ご本人を訪ねたのですが、長男から門前払いをくらい一切、会わせて貰えませんでした。」

「ということは、ご本人の意志確認は出来ていないということですか?」

「そうなんです。しかも解任請求事件以来、今日まで全ての理事会に於いてクーデター側の1票として委任状が理事会宛て提出されてきました。しかし、それが本当に香月理事ご本人の意志を以て出されたものなのか、ご本人の筆跡なのかについては、息子さんのガードが堅く、いまだ以て会わせて頂けていないので確認が出来ていない状況なんですよ。もしかしたら、長男が勝手にお父様の代筆をして委任状を敵方に預けているのかも知れないのですが、創業家ということもあるから強引なやり方はしたくないので動けませんでした。」

「ということは、今、香月理事本人が長男の元を出て別の所に住んでおられるとして、その場所さえ突き止めれば、お逢いして真相を伺えるかも知れないということですね?」

「ご本人の意志で敵方に加担されておられるとしたら、それはそれで諦めもつきます。しかし万が一、ご本人が全く事情を知らされない中、第三者が勝手にやっていることだとしたら、それをご本人に伝えることで風向きが大きく変わる可能性はあります。」

「長女さん夫婦のところに香月理事ご夫婦ともに身を寄せておられる可能性もあります。色々な線から当たってみます。」

「私も地場の不動産屋さんを巻き込んであらゆる可能性を手当たり次第、当たってみます。」

こうして〝香月理事捜索大作戦〟がスタートした。

それから数日後、鍋島から堂本宛に連絡がはいった。

「堂本さん、見つかりましたよ。やはり長女夫妻のところでした。」

堂本はこのことを直ぐに笠井に伝えた。

「それは大変重要な情報ですね。情報源は間違いないのですね。」

「私と同期入職しました鍋島さんが、学内の情報通から仕入れた情報で、信憑性は高いと思われます。」

「それでは何とか、香月理事に直接お会いして、真相を突き止めたいですね。」

「それしかありません。更に、長男は勿論のこと、敵方の誰にも悟られない様に事を運ぶ必要があります。」

「香月理事には誰が会いに行きましょうか?」

「ここは笠井理事長と私とで行くしかないと思います。もしも香月理事がこれまでの事情をご存じないか、もしくは敵方に洗脳されているとしたら、理事長自ら誠心誠意、事実をお伝えされるのが良いかと思います。」

「そして出来る事ならば、委任状を我々の方に託して頂く様にお願いしてみましょう。創業家という〝錦の御旗〟を奪還し、我々が理事会・評議員会で御旗を掲げれば、反体制派の理事・教職員は静まりかえるでしょう。」

こうして笠井理事長をリーダーに〝香月理事調略作戦〟が始まった。

平成29年3月4日。旧理事会の2日前。

「ごめんください。」

「はぁい。どちら様でしょうか?」

「私、東京仏教大学理事長の笠井と申します。突然お伺いして申し訳ありません。実はお父様に火急にお伝えしなければならない事がございまして、ご連絡もせずに参りました。」

「少しお待ちください。父に伝えて参ります。」

長女は直ぐに戻ってきた。

「父が会うと申しておりますので、どうぞお上がりください。」

笠井と堂本のふたりは意外にもあっけなく香月理事と会える喜びと緊張に思わず武者震いをした。

ふたりが奥の間に通されると、それまでベッドに横たわっていたのか、脱いだばかりと思われるパジャマが奇麗に畳んで置かれ、簡単な服装に着替えをして車椅子に移った様子の香月理事が待っていた。

「理事長、ご無沙汰をしています。堂本さん、初めまして。香月です。」

さすがは香月創業家ご子孫だけあって香月理事は病床にありながらも礼をわきまえておられた。

「香月理事、本日は突然お伺いして申し訳ありません。実は、大学が大変な事態に陥っております。全て私の不徳の致すところでお詫びの言葉もありません。万策尽きて最後の頼みで香月理事にお願いに参りました。」

笠井はこれまでの経緯について詳しく説明をした。

「そんな大変な事態になっていたのですか?私は息子から何にも聞かされておりませんでした。」

「お嬢様はご存じでしたか?」

「はい。ただ、弟から〝親父には心配させない為に何も知らせるな〟と言われておりました。〝自分が父に代わり全て仕切るから〟と。私も母も弟に言われるまま、父には何も知らさず過ごして参りました。この様な状態の父に東京仏教大学の騒動を伝えたところで心労をかけるだけですから。」

「委任状のことはご存じですか?」

「委任状はこれまで全て笠井理事長に委任するということで、理事会の度に息子に渡していましたよ?」

「笠井理事長宛という文字は理事が書かれましたか?」

「いや、今は手の自由が効かないので、委任状に判だけ押して、あとは息子に書いて貰っていました。」

「そうですか。」

笠井と堂本は顔を見合わせて深く頷いた。

息子が父親に宛名が白地の委任状を差し出し、判を押させた後に自分で宛名を書いていたのだ。

ふたりはそのことを香月には知らせなかった。信頼する息子がその様なことをしていたなどと暴いたところで父親に心配をかけるだけだ。

「香月理事、明後日、やり直す形で旧理事会が開催されます。ついてはこれまで通り、私宛に委任状を頂けませんでしょうか?折角参りましたので、この場で頂けたら有り難いのですが。」

「それは全く問題ありませんよ。」

「ありがとうございます。それから、本日、我々が参りましたことはご長男様には内緒にして頂けますか?」

この言葉を聞いて香月の顔が一瞬曇ったが、直ぐに笑顔で答えた。

「良いですよ。私は創業家がこれまでに築きあげた学校法人の歴史と伝統を護る義務と責任があります。あなた方に託します。ただし私のわがままを聞いて頂けますでしょうか?」

「何なりと仰って下さい。私に出来ることであれば必ずお望みどおりに致します。」

「ふたつあります。ひとつは、次の理事長には必ず宗門僧侶の中から選任して頂きたいということ。もうひとつは・・・今後とも創業家を立てて頂きたいということです。私はこのように長く病床につき自由が利かない体ですが、新しい理事会が立ち上がりましたら、学校法人が落ち着きを取り戻してからでも構いませんから、私は理事を引退し、長男にその席を譲りたいのです。不肖な息子ではありますが、私にとっては掛け替えのないひとり息子です。どうか、東京仏教大学の役員として重用して頂きたく、何卒、よろしくお願いします。」

「香月理事、先ずひとつめのお願いについてですが、我々は加山理事を次の理事長にと考えています。昨日までに谷川派を除くすべての理事に根回しは終わっており、加山さんが間違いなく理事長に選ばれるはずです。」

「おぉ、加山さんですか。それは素晴らしい。あの方ならばきっと大学を再建してくれるでしょう。」

「ふたつめのお願いについてですが、私は理事長を退任しますので、私にその権限はありませんが、加山新理事長に必ずその願いを叶える様に申し伝えます。ご安心ください。」

「ありがとうございます。よろしくお願い致します。」

「こちらこそ、何とお礼を申し上げて良いものか。このご恩は生涯忘れるものではありません。」

ふたりは頭を深く下げ、何度も香月に礼を述べて香月邸を後にした。

「我々が全てを話さなくとも香月理事はおおよその見当をつけて我々に協力をすると決められましたね。」

「父親が一番息子のことを解っているものだ。我々から長男がこれまでにして来たことを話さなくとも解るのですよ。」

こうしてふたりは〝天皇家の錦の御旗〟にも値する〝創業家の委任状〟の奪還を見事に成し遂げた。

この〝委任状〟が二日後の旧理事会に於いて笠井達に絶大な力を与えた。


第9話 三毒


【新理事会誕生】

平成29年3月6日。旧理事会(前)の後に評議員会が開催されたが、旧理事会同様に、創業家香月理事から笠井(理事長)への〝全権委任する〟という書状が絶大な効力を発揮し、評議員会も無難に閉会した。評議員会が終わり、旧理事会(後)において新理事会の発足が承認された。その後30分の休憩を挟んで〝第1回新理事会〟が開催された。

控室で待機していた新理事会のメンバー13名(香月理事は委任状出席)が理事会会場に集まった。

いよいよこれから、最重要議案〝新理事長の選出〟についての採択がなされる。

「新理事の皆さん、お疲れ様です。私は先程開かれました旧理事会において理事長職を満期退任することになりましたが、規定に則り、当理事会の一号議案におきまして新理事長が決定しますまでは、私が議長として進行を務めさせていただき、新理事長が決まり次第、新しい理事長に議長をバトンタッチしたいと存じます。よろしくお願い致します。それでは、先ず、理事の方の中から立候補される方がおられれば、挙手をお願いします。」

笠井の呼びかけに対して自ら立候補する者はいなかった。ここまではシナリオ通りであった。理事長選出の際は事前におおよその本命が決まっており、理事長を除く常任理事(学長・常務理事・事務局長・中高校長)の誰かがその本命理事を理事長候補として推薦し、席上で推薦理由を説明するというのが慣例であった。今回の場合は全ての理事に推薦の権利が与えられた。

「議長、よろしいでしょうか。」

「天知理事、どうぞご発言ください。」

「私は谷川理事を理事長に推薦します。推薦理由としましては、昨年6月の理事会において理事長を決める際に満場一致で谷川理事を理事長として選出した際の理由の繰り返しになりますが、恒常的な経営赤字体質となった本学を立て直せるのは、事業家として全国規模での成功を成し遂げられた実績を持つ谷川理事の他には考えられないという事です。宗門僧侶からの理事長輩出という原則については、一旦はお預けとさせて頂き、谷川理事が本学を立ち直らせた後に、しかるべき僧籍を持つ理事者にバトンを渡されれば良いと考えます。今はその時ではありません。今は先ず改革を断行する事。それが出来る人はこのメンバーの中には谷川理事しかおられません。」

「それでは、谷川理事を候補者のおひとりと致します。他に推薦者はおられませんか?」

「議長、よろしいですか?」

「中田理事、どうぞ。」

「私は加山理事を推薦いたします。昨年、新理事長を決める際に、私を含め満場一致で谷川理事の理事長就任に賛成いたしました。しかし、その後、教職員のみならず、同窓会や多くの宗派寺院までもが反体制派に回りました。大きな力が反体制派に加わった結果、収まるものも収まらなくなり、〝裁判〟という事態にまで発展してしまいました。その間、辛うじて通常業務だけは処理出来たものの、改革と呼べるものには一切手を付けられず、むしろ、赤字幅だけが拡大した一年でした。これは谷川理事長の責任ではなく、本学の歴史と伝統を軽視して宗門僧侶以外から理事長を選出してしまった我々理事全員の責任であります。同じ轍を踏んではなりません。教職員や同窓会、宗門宗派を甘く見てはいけません。ここは原則に立ち戻り、宗門僧侶から理事長を輩出すべきです。その点、加山理事は東京都内でも有数の名門寺院の住職をされており、ご人望ご人徳ともに優れたお方です。この方に理事長を務めて頂きたく、推薦致します。」

天知は苦虫を嚙み潰したような顔で中田を睨んだ。

「ここまでに谷川理事、加山理事のおふたりがノミネートされました。他にご発言がある方は挙手をお願いします。・・・他に推薦がない様ですので、ここで締め切らせて頂きます。それでは、これより多数決に移りたいと思います。谷川理事と加山理事のどちらかおひと方に挙手をお願いします。」

「谷川理事を理事長にと思われる方、挙手をお願いします。」

天知と北村のふたりが手を挙げたが、他に手を挙げる者がいなかった。その瞬間、天知の顔から血の気が引いた。

「それでは加山理事を理事長にと思われる方、挙手をお願いします。」

中田を筆頭に、9名の理事が手を挙げた。

この様子を見届けながら、最後に、谷川が手を挙げた。

対抗馬である谷川が、自分の〝負け〟を悟った瞬間に相手側に回り、加山候補に賛成の手を挙げたのだ。天知と北村は完全に梯子を外される形となった。

「結果が出揃いました。加山理事が獲得された票は10票。谷川理事が獲得された票は2票。香月理事は委任状を出されておりますが今回の理事長選に関しては無効票といたします。以上の結果、新しい理事長には加山理事に就いて頂く事に決まりました。」

会場が拍手に包まれた。北村はがっくりと肩を落としていたが、天知は予想もしない結果をもたらしたのは笠井と堂本の策略に違いないと確信し、堂本を睨みつけたが時は既に遅かった。

「北村君。笠井と堂本にやられたな。香月理事の委任状の件にしても、今回の加山理事への賛成票にしても事前に仕掛けておかない限り、ここまで上手くはいかない。」

「笠井さんと堂本君を少し舐めていましたね。我々の油断がもたらした結果です。それにしても我々が推薦した谷川さんは手のひらを返して加山さんに手を挙げました。狡猾な方ですねぇ。」

「その通りだ。これで議事録には私が〝教職員から忌み嫌われている谷川さん〟を推薦し、私と北村君のふたりだけが谷川さんに賛成票を投じたという事実が記されることになる。谷川さんは最後の最後に私達を見捨てて、自分だけ沈む船から新しい船に乗り換えたという訳だ。汚い奴だな。そういう人間を応援していた我々に見る目がなかったという事か。」

ふたりを横目に谷川は加山に対して惜しみない拍手を送っていた。

堂本はこの滑稽な様子を見ながら、自分が谷川・天知・春海から離脱し、笠井と共に加山新理事長誕生に向け尽力して来たことが間違っていなかったと確信した。

「それでは、新理事長も決まりましたので、私はここで議長を加山理事長にお譲りして、退出させて頂きます。最後になりましたが、これまでの長きにわたり、私の様な不甲斐無い理事長をお支え頂きました皆様おひとりおひとりに心より感謝申し上げたいと存じます。ありがとうございました。加山理事長、こちらへお越しください。就任のご挨拶を頂きたいと思います。その後に、加山理事長の就任最初の仕事として、第2号議案である事務局長の選出、第3号議案である常務理事の選出について、議事進行をお願いしたいと存じます。よろしくお願い致します。」

こういうと笠井は議長席を加山に譲り、満場の拍手で見送られながら理事会会場をあとにした。

その表情は、すべての大仕事をやり遂げた〝男〟としての達成感と満足感に溢れていた。

加山が理事長就任のあいさつを終えていよいよ事務局長・常務理事を決める議案に移った。

「さて、第2号議案ですが、私(加山)としては、事務局長には北村理事に引き続きお願いしたいと思っております。彼は人柄も良く、多くの教職員から信頼されています。また、認証評価という大きな難題も無難にクリアされ、6人の新任理事者が業務停止で動けない時にも堂本さんと2人3脚で危機を乗り切って頂きました。私はこの方こそ、事務局長に相応しいと考えます。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。」

反対意見もなく満場一致で北村(理事)が事務局長に選出された。

「さて、次に第3号議案に入りますが、その前に10分間だけ休憩を挟みたいと思います。」

このインターバルは堂本からの依頼によるものであった。

「加山理事長。天知理事は〝宗門理事〟を経営から排除しようという考えをお持ちの方です。たった今も谷川理事を強く理事長に推されました。こういう方を常務理事にすれば必ず禍根を残します。特に、天知理事の傀儡である北村理事が事務局長に決まった今、天知理事を常務理事にしてしまえば、理事会の決定権を持つ理事票の2票を彼に与えてしまう事になります。これは非常に危険です。」

「確かにそういう懸念は残りますね。ではどうしましょうか。」

「本学の寄附行為では〝常務理事は必須ポストではない〟となっています。ここは一旦、常務理事は適任者不在という事にされて議案を見送られてはいかがでしょうか?しばらく天知理事の動きを観察されて、彼が真に常務理事として信頼出来ると加山理事長が判断されれば、それから理事会の議案に諮られても遅くはないかと存じます。」

10分間の休憩を経て、理事者全員が席に着いた。

「さて、第3号議案の常務理事選任についてですが、理事長としての私の考えを皆さんにお伝えしたいと思います。常務理事という役職は理事長の補佐役として常に理事長を支え、理事長不在の際には理事長代行として経営を担って頂く事になります。理事長と常務理事、事務局長の3役は常に心をひとつにしておく必要があります。この度のクーデターについても、結局のところ、常務理事と事務局長がしっかりと理事長を支えられていれば、未然にそれを防ぎ、ことを荒立てることもなく、最善のランディングが出来たはずです。そういう意味において、現時点では、ここにおられる皆さんのどなたも、常務理事としてお願いするに相応しいと感じる方がおられないというのが正直なところです。よって、この案件は一旦ペンディングとさせて頂き、しかるべき時期に再度、議案として上程してはいかがかと思うのですが。」

これを聞いて天知の顔から血の気が引いた。同席していた谷川(理事)、春海(弁護士)の顔色も一気に青ざめた。

「理事長、よろしいですか?」

「天知理事、どうぞ。」

「私は常務理事に任命されない場合には理事職も辞めさせて頂きます。私は前理事長からこの学校法人を立て直して欲しいと乞われて参りました。もしただの外部理事のひとりとして理事会にだけ呼ばれる立場となれば改革に携わる事は出来ません。更に、先程、事務局長に就任しました北村君も私が辞める場合には共にこの法人を去ることになると思います。」

北村は黙って俯いて天知の話を聞いていた。天知が話をしている間に、谷川が堂本の傍にやってきた。

「堂本君、何とか理事長を説得して天知理事を常務理事にしてはくれんかね?君の事も悪い様にはしないから。頼むよ。」

「谷川理事、何か勘違いをされておられるようですね。私は何の発言権もない事務局の一員です。それは私ではなく、理事長に対してお願いされることではありませんか?」

「まぁ、それはそうだが・・・・。」

谷川は加山に理事長のポストを奪われたものの、天知が常務理事に就任し、北村(事務局長)と共に現場のワンツーを押さえていれば、春海顧問弁護士とタッグを組みながら次の理事長選に望みを繋げられると考えて一旦は加山に加勢をしようと考えた。しかし天知が常務理事に就任しなければ、自分の次期理事長への望みどころか、理事としての職責さえも奪われかねないと焦った挙句、堂本に縋り付いた。

「理事長、弁護士の春海です。当学校法人の顧問弁護士としてひと言よろしいでしょうか?」

「春海弁護士、どうぞ。」

「私はこれまで20年以上に渡り、本学に仕えて参りました。この度のクーデターにより本学は未曽有の危機を迎えてしまいました。私の力不足から裁判には敗訴してしまいましたが、結果的に今、ようやくあるべきところに落ち着きつつあります。理事長にも加山理事という立派な方が就任されました。加山理事長であれば、教職員・同窓会・宗門宗派のいずれからも文句が出ないでしょう。問題は現場です。実際に現場で日常を采配するのは常勤の理事5名(常務理事・事務局長・学長・副学長・校長)です。特に常任理事3役と呼ばれる理事長・常務理事・事務局長の3人のうち、スタートから常務理事と事務局長のふたりが不在となれば、せっかくの新理事会が機能しません。そうなればまた、戦に負けた落ち武者たちが息を吹き返さないとも限りません。確かに天知理事は谷川理事を理事長として推薦しました。しかし、それは既に過去の話です。選挙が終われば我々は皆、同じ志を持つ同志なのです。今、本学には天知理事と北村理事の力が必要不可欠なのです。加山理事長、何とかお考え直し頂きたく、どうかよろしくお願い致します。」

「これは非常に重要な内容です。ここは、中田総長(理事)がどのようにお考えか本音のところを別室で伺ってみたいと思います。5分間ほどお時間を下さい。堂本さん、あなたも来てください。」

加山、中田、堂本の3人が会場のとなりに用意されていた小会議室に入室した。

「さて、中田理事、どうしたものですか。是非ともご意見をお聞かせ下さい。」

「天知理事が辞めるというのは本気でしょう。となると、傀儡の北村理事も辞めさせられるでしょうね。春海弁護士が仰る通り、ふたりが同時に辞めるとなると今、最も重要であるガバナンスの強化や業務運営に支障をきたす事になるでしょう。せめて北村事務局長だけでも残って頂ければ何とかなると思いますが、彼ら2人は官庁に勤務していた頃からの上司と部下の関係。しかも共に60代後半で、扶養家族は奥方だけでしょうから、北村理事がここにきて保身のために戦友を裏切るようなことはされないでしょう。」

「やはり、天知さんを常務理事として承認するしかありませんか。堂本さんはどうお考えですか?」

「おふたりの前で誠に僭越ですが、私の意見を申し上げます。天知理事を常務理事にした場合のリスクについて笠井理事長時代と比較をしてみました。1つ目に、加山理事が新理事長に就任されたことで、笠井理事長憎しで戦っていた教職員や同窓会は攻撃の標的や大義がなくなり、恐らくは鎮まります。2つ目に、クーデターから始まり、裁判まで起こし、勝訴したにも関わらず、最終的には望む結果に至らず、逆にクーデターを起こした理事者の大半が理事から降ろされてしまいました。その間、本学の運営が停滞し、ライバル校から大きく水を開けられました。また再びクーデターを起こす様な理事者が現れれば、本学を愛する内外の関係者達が黙っていないでしょう。3つ目に、今回の騒動の結果、創業家理事を味方に取り入れることが出来ました。これが一番大きいですね。クーデターを起こした理事で残っているのは猫柳校長だけですが、彼の任期もあと1年です。見渡してみても今や理事者内に天知理事の味方をする者は谷川理事と北村事務局長のふたりだけです。これでは多勢に無勢。自分勝手なことは何もやれないでしょう。私も当初は天知理事の常務理事昇任には反対でしたが、ここは中田理事が仰る通り、天知理事の常務理事昇任を認めるしかないかと考えます。」

「おふたりのお考えは良く解りました。それではこのあと再開します理事会の第3号議案において、天知理事を常務理事に昇任させるという事で手を打ちましょう。ただし、私は次の理事改選の際には、谷川理事にはご退任頂こうかと考えています。更に、顧問弁護士も他の方に交代頂くつもりです。」

「それは良いお考えだと思います。実は私もこの騒動が落ち着きましたら、退任させて頂こうかと考えています。」

「中田理事、それは困ります。是非、これからも私を支えて頂きたく、よろしくお願いします。」

「私は、今回の騒動の当事者である旧理事会の理事は、その責任を取って全員が退任すべきだと考えています。加山理事長体制が落ち着きましたら、タイミングを見て辞表を出したいと考えています。」

「そうですか。中田理事のご意志は相当に固いと受け止めました。尊重致します。私は、いまだに〝笠井理事長の傀儡〟と呼ばれている宗門派理事のふたりについても可及的速やかに他の僧侶に席を譲ってもらおうと考えています。本人達は〝傀儡などではない〟と申していますが、この際ですから〝笠井色の一掃〟をしようかと思います。宗門理事でしたら交代要員の2~3名は何とかなりますから。」

「そうですね。それが宜しいかと存じます。それでは、皆が待つ議場に戻りましょうか。」

こうして3人が議場に戻ると、それ以外の理事は全員が席に着いて理事長の戻りを待ち構えていた。

「皆さん、お待たせしました。それでは理事会を再開いたします。当初の予定通り、第3号議案の審議に移ります。事前に常務理事として天知理事が推薦されています。天知理事は席を外して頂けますか。」

天知が退席して、審議が再開された。

「理事の皆さん、天知理事の常務理事就任に対して賛成の方は挙手をお願いします。」

理事は皆、加山・中田会談の結果に従おうと決めていたので、いの一番に挙手をする者はいなかった。暫くして、中田が賛成の手を挙げた。それを見た他の理事達も手を挙げはじめ、結果的に満場一致で天知(理事)の常務理事就任が承認された。

「天知さんを呼んでください。」

天知が議場に呼び戻された。

「天知理事、採決の結果、満場一致であなたが新しい常務理事に就任されることが決まりました。これから3年間、よろしくお願いします。」

「ありがとうございます。先程は皆さんを脅す様なことを申し上げて大変失礼しました。常務理事を拝命しましたからには全身全霊を以て本学の立て直しに尽力したいと存じます。よろしくお願いします。」

こうして、新理事会が発足し、理事3役である理事長・常務理事・事務局長も決定した。

堂本にとって、サラリーマン人生の30余年を〝銀行員〟として勤めあげたことも、残された第2の人生のたった5年間をこの学校法人に捧げることになったことも〝ご縁〟あってのことではあるが、そのたった5年間の始まりの2年間の中で起きた「お家騒動」は、これまでの人生において堂本が経験をしたことがない出来事であり、まさに〝三毒=貪・瞋・痴〟そのものであった。

堂本が在任したその時期が、100年の東京仏教大学史の中で最悪の時期であったというのは彼にとって単なる〝不運〟であったのか、もしくは当学校法人の歴史最大の危機が〝必然〟であり、その危機を乗り越える為の〝救世主〟のひとりとして神仏が彼を送り出したのか、それは東京仏教大学の〝戦争〟に終止符が打たれた後に〝歴史の証人〟達が判断することだ。

堂本は、巡り合わせとはいえ、ご縁があってこの〝戦場〟に居合わせたからには、全身全霊で「三毒」に冒された〝逆賊〟達の退治をしようと心に決めた。しかし、クーデター側に加勢する〝ほぼ全ての教職員〟を敵に回して〝謀反〟に立ち向かい打ち負かしたことの代償は大きく、平職員である堂本の帰る場所は完全になくなってしまっていた。


【離職】

長い闘いが終わり、クーデターを起こした理事の大半は東京仏教大学を去った。

加山新理事長の元、天知も北村と共に真摯に業務を遂行した。ようやく大学に平穏が戻った。

しかし、そこに堂本の居場所はなかった。

クーデターが成功することを願っていた大半の教職員にとって、堂本は〝憎き仇〟であった。〝お前さえ笠井に味方をしなければ我々が負けることはなかった〟という思いが多くの教職員に残った。

教職員からの〝四面楚歌〟を浴びながら、更に堂本を苦しめたのが〝この恨みは決して忘れん〟と〝堂本排除作戦〟に乗り出した天知の存在だった。

天知は北村に対して〝堂本を干す〟ように命じた。それからは事務局次長の堂本が事務局長の北村から相談を受けることが一切なくなった。すべては天知と北村のふたりだけで決められ、常任理事会に諮られた。

天知と北村の陰湿さは京極(前常務理事)と神田(前事務局長)のそれをはるかに上回った。

堂本の脳裏を〝自分の選択は正しかったのだろうか?〟という問いが何度も過ったが、その答えにたどり着く事はなかった。

人生は〝分岐点〟の連続であり、答えが明確な分岐点での進むべき道の選択は容易であるが、むしろ、どちらが正解であるか全く読めない分岐点にぶつかる事の方が多い。そうして誤った選択をすることも少なくはない。誤った!と思っても引き返せないのが人生だ。しかし、そこで諦めてしまうのではなく、軌道修正に向けて最大限の努力をすることこそが重要であり、それが出来るか否かでその人の価値も変わってくる。〝塞翁が馬〟の様に、〝誤った〟と思ったことが結果的に正しかったということもある。

堂本もまさに今、その〝分岐点〟に差し掛かっていた。そうしてその決断が正しいか否かを判断する為に、ふたりの人物の元を訪ねた。

東京中央銀行丸の内支店。

「支店長、ご無沙汰をしています。この度は色々とご心配をお掛けしました。」

「堂本さん、ご無沙汰をしています。担当から事情は聴いています。今回は大変でしたね。結果的にクーデターは収まったということですね。」

「はい。ただ、問題はまだ完全には解決しておりません。新理事会が発足したまでは良かったのですが、その後の新理事長選において、性懲りもなく実業家の谷川理事を強引に推す勢力がありまして。事前に他の理事に根回しをしていましたので、無事に宗派僧侶であられる加山理事が理事長に就任されましたが、悪い事に谷川理事を推挙した天知理事と北村理事が本学事務職のナンバーワンとナンバーツーとして選任されて、実質的に現場を取り仕切っています。天知常務理事は理事長選における敗退をいまだに逆恨みしておられ、私は完全に蚊帳の外に置かれている状況です。」

「それはいけませんねぇ。堂本さんが改革の一翼を担われて推進されなければ、役所あがりの人間だけではなかなか改革など望めないでしょう?それでは笠井理事長が描いておられた3つの改革にも手が付けられていない状況ですか?」

「3つの改革案のうち、多目的な学習や研修を行う施設を持つための新キャンパス用地買収は実行しました。新学部を設立し新たな学生を確保する構想については看護大学か看護学部を設立する構想を描き東京中央大学と話をするところまでは進んでいます。小学校を設立する構想についてはなに一つ手を付けられていません。これからという時にクーデターが勃発し、1年半もの長きにわたり、改革がストップしてしまいました。」

「これから再開しようにも、その常務理事と事務局長が堂本さんを排他しようとしているのであれば、これは由々しき事態ですね。このことを現理事長はご存知なのですか?」

「いえ、加山理事長にはお伝えしていません。加山理事長が天知常務理事に忠言されても、それを聞き容れるような方ではありません。かえって私への攻撃が激しくなるでしょう。そこで、本日、支店長にお時間を頂いたのは、これから申し上げます私の身勝手な決断をお許しいただけないかというご相談です。」

「それはどういう相談ですか?」

「せっかく、銀行人事部からご紹介頂き入職させて頂きました学校法人東京仏教大学を、自己都合で退職させて頂きたいと考えています。銀行から頂戴したご恩に仇で返す様な事になってしまい、大変心苦しいのですが。」

「・・・そうですか。確かにこれだけの騒動が勃発して、結果的に理事長を守り切ったとはいえ、堂本さんの味方はほぼ全員が外部理事で、内部理事や教職員の大半が敵方でしたものね。その多くが大学に残っているのであればとても働けないですね。銀行は行員を送り出した先で、行員にとって不可抗力的な出来事、例えば倒産などですが、そういう事が発生した場合は、送り出した行員を呼び戻し、あらためて新しい就職先を斡旋するという制度になっています。堂本さんの場合もそれに該当します。堂本さんは出向ではなく一旦は退職されていますから、銀行員として呼び戻すことは出来ませんが、ハローワーク等に登録を頂き、失業扱いという登録をされ、銀行からの回答を待って頂ければ、どこかそれなりの企業を斡旋できると思います。いかがですか?」

「支店長、ありがとうございます。大変ありがたいお言葉ですが、現役の行員さん達が第2の人生を控えておられる中に私が割り込むのも気が引けます。先ずは自分で探してみようかと思います。やはり次も学校法人に絞って就職活動をする予定です。」

「分かりました。壁にぶつかった時には遠慮なくご相談ください。私が現役であるうちは全力でご支援します。今回の場合は堂本さんが再就職先を見つけた後に〝銀行斡旋〟という〝保証〟を後付けすることも可能だと思います。」

「ありがとうございます。感謝します。」

堂本は中田にもこれまでのお礼を兼ねて退職の意志を架電で伝えた。

「中田総長、先日の理事会では色々とお世話になりました。本当にありがとうございました。」

「おぉ、堂本君か。君はよく頑張ったね。君がいなければあの破廉恥なクーデターが成功し、東京仏教大学の歴史に汚点を残していたかもしれない。よく笠井理事長を支えたね。」

「ありがとうございます。私など理事長と皆さんの間を走り回っただけで何もしておりません。」

「私の失敗は、天知さんを常務理事として残してしまったことです。あの新理事会までに常務理事として真に相応しい人物を新理事メンバーとして忍ばせておくべきでした。そうすれば天知さんが選ばれることはなかった。彼は実に狡猾な男です。今は大人しくとも隙を見せればいつ何時、牙をむくかも分かりません。その下で働くあなたも大変でしょう。」

「中田総長、本日はお別れのご挨拶のつもりでお電話しました。実は、私、来月末を以て東京仏教大学を退職します。昨日、銀行の支店長にも伝えました。北村事務局長には今週末にも退職願を提出する予定です。」

「えぇ?本当ですか?それで、次の職場は決まっているのですか?」

「いえ、まだ何も。銀行から再度紹介するとのお話はありましたが、銀行にお願いすれば、紹介いただいた企業の業種が万が一、自分がやりたい仕事ではない場合もお断りが出来なくなります。それよりもハローワークに登録をして、希望業種を絞って探してもらう方が、結果的に納得が出来る気がします。」

「・・・堂本さん、確かあなたの出身は福岡でしたね?私の大学も福岡である事はご存知でしたか?」

「はい。私は福岡県で生れ育ちました。大学から東京に移り、東京で就職をし、それ以降今日までずっと東京です。中田総長がトップを務めておられる西日本大学が福岡の大学である事も存じ上げておりました。」

「堂本さん、あなたさえお嫌でなければ、私の大学で私の〝改革〟の手伝いをして頂けませんか?福岡への単身赴任もしくはご家族とともにお越し頂く事になりますが。」

「え?」

堂本は中田からの思いもよらない言葉に、返す言葉を失った。

「うちも今、〝改革〟が出来る人材が不足しています。あなたの様な方にお手伝い頂ければ大変有難い。ただし、最初はあまり良い条件は出せないと思います。最初から部長・課長の待遇をしてしまうと、周りの反感を買います。最初は〝参事〟として中学校・高校の立て直しのお手伝いを頂く事になります。年収も今よりもはるかに低くなると思います。うちは人件費比率を非常に低く抑えています。東京仏教大学の人件費比率70%超に対してうちは50%台前半です。そういったことを納得して頂いた上で、本学にお越し頂けるのであれば是非ともお願いしたいと思います。」

「あまりに突然で、しかも具体的なので正直驚きました。」

「実は、今、大学の附属中学校・高校の立て直しが経営上の最大のミッションで、私が昨年度から中学・高校の校長も兼務して改革を進めているところなのです。ちょうど人材を公募しようとしていたところでした。それで条件等も具体的に申し上げられたという訳です。あなたも条件がより具体的な方が判断しやすいでしょう。答えは急ぎませんが、出来れば今月中に頂ければ助かります。」

「中田総長、ありがたいお言葉を賜り心から感謝致します。中田総長の下で働けるのであれば、私にとってはこれ以上の喜びはありません。考える時間など必要ありません。是非、よろしくお願い致します。」

「おぉ、そうですか。でもそんなに安易に返事をしてもよろしいのですか?私の大学にも天知の様な人間はおりますよ?入職されてから〝こんなはずではなかった〟と仰らないでくださいね?笑」

「私の方こそ、中田総長のご期待に沿う様に頑張ります。ところで、今後のことについてご指示を頂けますか。」

「実は、ゴールデンウイーク明けにでも本学に入職して手伝ってもらいたいところですが、あなたが東京仏教大学を退職されて直ぐに同じ仏教系グループに属する私の大学で働きだしたとなると、私からあなたを引き抜いたように見えますから、2か月間ほどインターバルをおいてはいかがでしょうか?その間に西日本大学のパンフレットや寄附行為でも読みながら勉強をなさって下さい。」

「分かりました。」

こうして、思いがけなく堂本の西日本大学入職の内々定が決まった。

平成29年4月末日付で堂本龍平は東京仏教大学を退職した。

平成27年4月1日に〝出向〟という形で本学に勤務してからわずか2年1か月という短い期間であったが、堂本にとっては長く険しい道のりであった。

堂本の退職に対して加山(理事長)は強く慰留し、当初は退職願の受理を拒んでいたが、〝中田総長の下で働くことになった〟事情を堂本から聞かされると、最後は快く送り出してくれた。

堂本にとってこれからまさに第3の人生が始まろうとしていたが、まさかその2年後に、西日本大学においても、東京仏教大学を上回る規模のクーデターが勃発することなど、この時は思いもよらなかった。


【三毒】

人は誰しも心に様々な迷いを持っており、これが俗に言う〝煩悩〟であり、その煩悩の種類は百八つあると言われている。その中で最も人の心を毒す煩悩が〝三毒〟である。

貪欲どんよく」「瞋恚しんに」「愚痴ぐち」略して「貪・瞋・とん・じん・ち」を〝三毒〟と呼ぶ。「貪欲」とは、欲深く、際限なくモノを欲しがること、「瞋恚」とは、自己中心的な心で怒ること、「愚痴」とは、物事の道理に暗く実態のないものを真実のように思いこむことである。

この三毒こそが人間の諸悪・苦しみの根源であり、我々が最も克服すべき煩悩なのである。

哀しいことに、人は生まれて間もない物心もつかない時期から〝貪欲な心〟を持っている。

母親の乳房にむしゃぶりつきながら、一方の手では飲んでいない方の乳房を握りしめ、独占しようとする。

乳児から既に始まっている〝煩悩〟は、親からの悪い因縁(悪い遺伝子)を受け継いだものであるが、人は生涯、この〝欲望〟と、それを抑えなければいけないという〝理性〟との狭間に立たされながら成長していく。

人はこの世に生を受けてのち、親や教育者たちから情操教育を受けながら道徳心を培い、〝悪因縁〟の影響を極力抑えようと努力をし、出来るだけ〝人様に迷惑をかけない人間〟として人生を全うしようとするのが一般的な姿だ。

そもそも〝生まれながらの善人〟などはこの世に存在しない。生まれもっての煩悩をいかに抑えられる人間になれるか、自分の悪い性根(悪因縁)という(つぼ)にどれだけ(ふた)をし続けられるかで、その人の価値が変わってくる。

平常時には閉められていた蓋も、非常時になると開いてしまう。非常時にも蓋を閉められるか否かが、人の〝人としての真価〟を左右する。

「貪・瞋・痴」はあらゆる人の心の中にあり、いたるところで顔を出す。それは、仏道や神道に身を置く人間であっても例外ではない。

この物語の舞台となった大学は、仏教の教えを「建学の精神」とし、教職員の多くが僧侶や寺院関係者である。それにも関わらず、ここで起きた出来事は、まさに〝三毒〟に冒された者達による、血で血を洗う〝醜い闘争〟として、この大学の歴史に深い傷として残り、再び同じ轍を踏まないためにも、これから永く大学内で語り継がれることだろう。

(完)

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