第122偵察小隊 応答、なし
ヘリから見下ろすと、そこはまるで緑の海のように見えた。それは深海まで続く、深い深い海だ。俺たちは重要な任務を帯び、このとんでもない場所に降ろされる。まあしょうがない。兵士なんだからな。俺たちに戦場は選べない。いまやそこらじゅうが戦場なのだ。だからこうした任務も、淡々とこなす。それが優秀な兵士っていうもんだ。違うか?
そこは暗く、そして空気さえ澱んだ、じめじめしたところだ。
森は静かだった。見渡す限りの緑に覆われた、それでもこの国ではどこにでもあるつまらない風景だった。
俺たちは昨夜、ヘリによりユング―ス低地のはずれに降下した。偵察目標から八千メートル離れたさらに低地の小さな茂みだったが、五人の完全武装の兵を隠すには十分すぎるほどの窪みだ。
「ヘイリー、位置を確認しろ」
「マイク、無線で状況を知らせろ。これより無線が使えん」
「ユリ、ネイザン、周囲を見張れ」
俺はハンドサインで隊員たちに合図した。小隊は無言で行動する。それが訓練された俺たちなのだ。俺たちはイギリス特殊空挺部隊、通称SAS。いまはE国の新兵器、オーラーレーダーというやつを探りに来ていた。
それは何者からも隠すように、こんなとんでもないジャングルの奥地に、ご丁寧に作られた。
「ヒックス、あたりには何もいない。それこそ獣一匹もな。まるで俺たちから隠れるようにな。こんなことはありえねえ。どうしちまったんだ?かくれんぼでもしてんのかよ」
俺に食ってかかるようにヘイリーが言った。敵地のど真ん中で緊張するのはわかるが、そこまでナーバスになるのはいただけない。
「ヘイリー、しゃべるな。ネイザン、ヘイリーを見てやれ。必要ならパラセタモールを」
パラセタモールはアセトアミノフェンという鎮静剤で害は少ない。一般薬としても普通に売られている。
「ヒックス、大丈夫だ、落ち着いた」
「ユリ、バックアップだ。マイクの後ろにつけ。これより前進だ」
俺たちは音もたてずに森を素早く歩ける。厳しい訓練の賜物だ。森には様々な仕掛けがある。地雷やトラップ、そして人感センサーや収音装置だ。音を立てたら即、砲弾が襲ってくると思っていい。
…人の足跡だ
…パトロールか?
…わからんが、小隊規模で移動している
俺とマイクがハンドサインで会話しているあいだ、他の者はあたりの警戒を怠らない。
…それにしちゃ気味が悪いな。鳥の声さえしない
…まだ寝ているんだろう。それより出発だ。足跡はわれわれと同一の目標に向かっている。迂回していくか?
…いや、足跡をたどろう
ネイザンが先頭に立った。足跡に沿って進んでいる。ずっと登りの道だ。装備のショルダーパッドが肩に食い込んでくる。
…止まって!
ユリが何か見つけたらしい。俺は素早くユリのもとに行った。
…どうした?パトロールか?
…ちがう。だけど、なにかいた
…獣か?
…そうじゃない。だが危険な気がした
…今は?
…何も感じない
…警戒を怠るな。進むぞ
俺たちは再び立ち上がった。ジャングルじゃあこういうことはよくある。息をひそめた獣。大蛇、それに毒蜘蛛。どれもこれも恐ろしい。だが人間ほどじゃない。俺たちは知っている。この世界で、人間ほど恐ろしいものは、いないのだ。
いくつかのトラップと地雷を避け、目的地に近づきつつあった。
…なあヒックス
…なんだネイザン
…気がついていたか?
…ああ。どうなっている?可能性は?
…ヘリで吊り上げられた、かな。それしかやつらの足跡をロストする理由がねえ
…他には?
…消えちまった、か。煙のようにな
足跡の渇き具合から時間はそう経っていない。せいぜい一時間位だ。ヘリでピックアップされたなら音でわかる。
…おい、ヒックス
マイクが何か見つけた。
…薬莢だ。それも一発だけ
…5.56ミリか
…ああ、こっち側のライフルだぜ?
…同じ口径だからって味方とは限らん
…わかってるよ
戦場では敵の弾も貴重だ。死体から奪えるものはすべて奪う。それが鉄則だ。だがいまは空薬莢しかない。
やがて谷に出た。予定より大幅に遅れていたが、それも作戦計画に綿密に計算されている。ジャングルでの足跡が原因なのだが、それを確かめる命令は出ていないし必要もないと判断した。
谷底には川が流れ、かなり水量が多かった。深く切れ込んだ谷は、落ちたら命はない。
「もうしゃべってもいいぞ。川の音で集音装置も効かんからな。ただし無線はダメだ」
俺は水筒から水を飲みながらみんなに言った。マイクとユリはしゃがんでレーションを食っている。ヘイリーとネイザンはあたりを警戒している。相変わらず鳥の声もしない。静かすぎてかえって心がざわついて来る。
「ヘイ、ヒックス。ねえ軍曹。おかしくない?」
「何がだ、ユリ」
「前にボリビアのジャングル、覚えてる?」
「ああ、墜落したCIAの輸送機の捜索だったな」
「あそこじゃ虫も獣もわんさかだったわ」
「そうだったな。リーガー伍長はあんときキンタマをでかいムカデに喰われちまって」
ヒッヒッヒとマイクが笑った。
「サッカーボールぐらいに腫れちまいやがったっけ、やつのがよ」
まわりを哨戒しているヘイリーとネイザンも笑ってる。
「ところが輸送機の中の荷物を回収しようとしたら」
「敵が襲ってきた、な…」
「それも大隊単位だったわ。もう死ぬって思った」
「ああ、ありゃあマジヤバかった」
「だけど助かった」
「そうだな…」
「あの積み荷は何だったの?」
「わからん。わからんが、それを知る必要はない。われわれには、な」
俺は水筒をベルトのポーチに戻し、そう言った。必要はないのだ。ただ作戦を遂行する。それだけでいいのだ。なにも見てはならないし、知ってもならない。それが戦場で生き抜くコツだ。
「あたし、あれ以来、食い物の味がしないんだ…」
そう言ってユリはレーションの残りをベッと吐いた。それを足で踏みつけ、土の中に埋めた。
「恐怖で味覚を失うのはよくあることだ。まあ、除隊して家庭でも持ちゃあまた戻るぜ」
俺はそう気休めを言った。あのときオールソーは視力を、ウイリアムは片足を、そしてリーガーは命を失った。俺は何を失った?俺はあのときのままだ…。
「ヘリだ!」
ヘイリーの声でみな岩陰や木陰に飛び込んだ。ロシア製のヘリの音だ。攻撃ヘリではないようだが、武装はしているだろう。
「おかしい。飛行がでたらめだ」
ヘイリーが目視で追っている。ヘリの異常かパイロットに何かあったか…。
「行ったようだな」
「飛行訓練でもしてたんじゃないか?」
「それにしちゃ、下手くそだったぜ。まるでしょんべん我慢しているおめえのケツみたいにな」
ヘイリーにネイザンが中指を立てた。
「行くぞ」
谷を越えたら目的の場所だ。それは高台にあって、周囲ににらみをきかせているはずだ。俺たちは下から這い上がるように進む。施設の一部が見えてきた。バカ高いアンテナだった。
「頭を低くしろ。赤外線で見られる。なるべく地面に近くだ」
みな地面を這うように進んだ。こんなものはなんてことはない。
「待って、軍曹!」
ユリの慌てた声がする。声を出すなと言っておいたのに。
…どうした?
…見て、これ
ユリの鼻先にさっきユリが吐き出したレーションが、あった。
…どうなっている?
…わからないわ。でもこれさっきのよ?
「軍曹!」
今度はネイザンだ。なんなんだ。
…声を出すな
…足跡だ
…なんだと?
…一度ロストした足跡だ。同じものだ。間違いねえ
…たしかか?
…ああ、こいつの、左足のかかとの靴底のグリップのゴムが変形している。同じものだ
…また戻って来たって言うのか?
…きっとそうだ。さっきのヘリ、あれじゃあねえか?
…考えられるな。警戒しろ。このあたりにいるかもしれん
そのとき、岩陰からこっちに何か投げ込まれたのを目の隅にとらえた。
「グレネードッ!」
皆一斉に退避行動を起こす。俺はとっさにそれを蹴り飛ばし、谷に落とした。
パーン
軽い音…標準の破片型だ。
「ヘイリー!ネイザン!敵は見えるか!」
「確認できん」
「見えません!」
ちきしょう、どこから投げてよこした?
「ユリ、マイク、援護してくれ。あの岩陰まで進む。なにか動いたら迷わず撃て」
「まかせて」
「あいよ」
俺は這って岩陰まで進んだ。ここまでは攻撃はされてない。俺はライフルの安全装置を解除した。そうっと立ち上がる。音をたてない。敵の息づかいは聞こえない。誰もいない感じがする。
「おい、誰かいたか!」
ヘイリーが堪らず、大柄のあいつらしく、軽機関銃を構えながらそう怒鳴っていた。
「いや、誰もいない」
小隊全員であたりの様子を窺ったが、それらしい敵はどこにもいなかった。
「何なんだよ!どこから攻撃してきやがった」
「落ち着けヘイリー。やつらは用心深いんだろう」
「やつら?おい、いまやつらって言ったか?なあ軍曹!なにか知ってんじゃねえのか!」
ヘイリーは俺につかみかかってきた。マイクがそれを押しとどめている。
「よせ、ヘイリー!こんなところでもめるな!」
「しかし軍曹はなにか知っている!知ってて隠してんだ!」
「よせ、ヘイリー。軍曹は何も知っちゃいない」
「わかるもんか!こいつははなからおかしいんだ。なんでこんなとこなんだ?こんななんにもねえところで、俺たちは何をしてるんだ?」
「バカ、任務だろう。新兵器の捜索だぞ」
「新兵器?こんなジャングルのど真ん中で?おかしいだろ。誰に使うんだよ。ちょっと考えりゃあわかるだろ。そんな高性能な兵器を、俺たちたった五人で探らせようって、マジ本気でやらすなんて、司令部の奴らが考えてるわけはねえだろ!」
ヘイリーの言う通りだった。初めからバカな作戦だった。だが疑問は持たなかった。それが訓練された軍人ということだ。マシーンだ。マシーンに徹する。それが近代戦における兵士のありようだ。それを大きく逸脱する行為は、軍務規定505に違反する。
「ヘイリー、今すぐ改めろ。おまえは軍務規定違反だ」
「何憲兵みたいなことぬかしてんだよ。だいたいてめえは前から気に食わなかったんだ」
「やめて二人とも!どうしちゃったの?」
「引っ込んでろ、ジャップ!」
パスン、と乾いた音がした。俺のライフルにはサイレンサーがついている。ジャングルじゃ音は響かない。
ヘイリーは苦し紛れに軽機関銃を発射した。俺がやつの右肩を撃ちぬいた。文字通り片手撃ちしかできない。あたりゃあしない。
「やめろ、ヘイリー!」
「うるせえ!」
マイクが被弾した。頭を吹っ飛ばされた。脳漿がジャングルの大きな木の葉に飛び散るのが見えた。
俺はさらに三発をヘイリーに向け撃った。ヘイリーのあごと胸と腹部に当たった。みな貫通したようだ。
「なんてことを!」
仰向けに倒れたヘイリーにユリが駆け寄った。痙攣をおこしているヘイリーはもう助からないだろう。
「殺さなくてもいいだろう!」
ネイザンがマイクに駆け寄り傷口を見ている。頭を吹っ飛ばされたんだ。もう助からない。ネイザンが誰に向かって言ったかわからなかったが、それは二人に向かってだとは容易に想像できた。
「軍務規定505だ」
俺は冷たくそう言った。軍とはそういうものだ。でなければただの人殺し集団になってしまう。
「あんたそれでも人間なの!」
ユリの気持ちはわかる。だれだって死は恐い。だがそれを乗り越えてこそ、本当の兵士となれる。この俺のように。
「そいつらから離れろ、ユリ、ネイザン」
「な、なに言ってんだよ!救援を呼ばないと。まだ間に合うかもしれないだろ!」
「そうよ!ヘリを呼ぶべきだわ!」
「離れろと言っている」
「ヒックス!しっかりして」
「軍務規定505だ」
俺はライフルの引き金を引いた。が、弾は出なかった。一弾倉、撃ちつくしていたのだ。
「銃を降ろして、軍曹!」
ユリが拳銃を構えていた。俺は構わずポーチから替え弾倉を抜いた。同時にユリは発砲した。一発、肩。二発、胸、三発、また胸。これは明らかに軍務規定違反だ。死を持って摘発する。
「お、おい、ユリ!様子が変だ!やつは倒れねえぞ?」
ユリはさらに撃った。右目に当たった。それにかまわず俺はライフルの弾倉を替え、装弾した。
「ユリ、ヤバい!逃げろ!」
俺は二人を殺さなければならない。そして死を持って軍務に服させなければならない。右目の視界が奪われた。なにかが垂れ下がっている。目玉だ。引きちぎる。邪魔だ。目はひとつあれば足りる。何の問題もない。
「どうなってんだ、あいつ!」
「わからないわよ!でもいまはそれどころじゃないでしょ!」
「ああ!逃げなきゃな!」
緑のジャングルで、これからかくれんぼが始まる。それはそれは楽しい楽しいかくれんぼだ。追ってくるのは死。見つかって殺されるのか、生きてジャングルを出れるのか、それは誰にもわからない…。
「第122偵察小隊、聞こえるか?第122偵察小隊、応答せよ!」
「どうだ?」
「第122偵察小隊応答ありません」
「そうか…」
初老の男が汗ばんだ軍服の上から、副官が渡してくれたミネラルウォーターをかぶった。
「しかしここはやけに暑いな」
「今年は異常だと言ってましたね、司令部の天気屋どもが」
「まあしょうがないさ。で、生き残っているのは?」
「二名ほどです」
「二名もいるのか?少し精度が落ちたんじゃないのか?」
「調整は必要ですね」
「まあうまいこといかさんとな。なんせ予算ギリギリなんだ。この計画はな」
「ですが、機械の兵士というのはどうでしょうか?どうも融通が利かないような気がしますね」
「きみ、戦場でいちいち融通利かせていたら、あっという間にゲリラどもに支配されてしまうよ。ここは機械のような意思を持ったものじゃないとな。文字通りあいつは機械の意思を持っている」
副官の男は書類を見ながら大きくため息をついた。
「なにか問題でも?」
初老の男が副官の眉間の皺を眺めながら聞いた。
「ジャングルに降りて行ったのは四人ですよね?」
「ああ、第122偵察小隊は四人編成だ」
「偵察ヘリの報告じゃ、五人いたと」
「ふうん」
それは深い深いジャングルで、繰り返し行われる新兵器開発のための実験…
生き残るのは、いったい機械なのか、それとも人間なのか、それは誰もわからない。ただ言えることは、今もこのジャングルの中で、数百、いや数千の人間の兵士と、機械の兵士が戦っているのだ。いや、そのどちらでもない者も、いる…。
「ユリ!」
「何よ」
「お前、ほんとは機械なんかじゃねえだろうな?」
「何を馬鹿なこと言ってんのよ!」
「ちがうのか?」
「ちがうに決まってんでしょ!」
「そうか、そんならいいんだけどよ…」
「そんなことよりあいつを倒す方法考えなきゃ」
「そうだな…。なあ、あいつとボリビアのジャングルでって言ってたな」
「そうよ」
「それっていつの話なんだ?二十年前からSASはボリビアから手をひいてるんだぜ?」
金属のこすれる音がした。
「…おいおいおい!」
そして射撃音。さあ、またかくれんぼ、だ。
おわり