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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死なないホムンクルスと生き返ってもいないひと

作者: ほしのゆ


 わたしはいつもあなたについて考えている。もういないあなた。ただの一度も会ったことのないあなた。

 無意味なことだろうか。だが、これは人が教会に通い経典を開き聖歌をささげるようなものだ。


 人は神について考える。己の始原、「いる」と聞かされ、たしかに自分が存在するからには少なくとも「いた」と推測しうる創造主のこと。

 多少違うのは、わたしの場合、創造者はヨセフ・フィオ博士であり、目の前に存在し共に生活していることだ。そしてあなたはいない。「いた」と聞かされ、たしかにわたしが存在するからにはかつて「いた」はずのあなた。


 経典では土塊を基に最初の男と女(アダムとイヴ)が生まれた。わたしの基はあなただ、ヴィクトリア。

 フィオ式人造生命体(ホムンクルス)であるわたしのもとになった女性。


 最初にわたしがあなたについて知ったのはその死に方だった。


 あなたは処刑されたその直後に、献体として、王宮にある博士の研究所に運び込まれた。血がしたたり温もりさえ残るほど新鮮だったという。それは術の成功を格段に引き上げる幸運な状態だ。少なくとも、博士とわたしにとっては。


 傷口もきれいなものだった。鋭く重い刃で機械的に一思いに断首する処刑方法が、人道派の学者によって発案され採用されたばかりだった。それまでの死刑囚は何度も斬り損なわれては、処刑台でのたうち血と悲鳴を喚き散らしながら死んでいくものだったそうだが、あなたの場合はきっと、ほんのひと息、いや息を吐く間もなかっただろう。

 その慈悲深い刑の名残は、今もぐるりと、私の首をひとめぐりしている。


 あなたはわたしになったが、わたしとあなたは似ていない。


 博士の術の要は、魔石だ。大量の魔力がこもった特殊な結晶を人体のあらゆるところに埋めこみ、その力で喪われた機能を回復させる。なので服を身につけていても、わたしの眉間にもこめかみにも顎にも耳にも、埋まった石が見える。


 そもそも、わたしとあなたとでは、顔立ちもずいぶんと変わっているだろう。どれほど苦痛なく死んでも、死ねば人の体は変異する。そして博士は顔面整形の術については専門ではなく、魔石の癒着具合を確認するときほどには、人間の美醜に注意を払わない。あなたの象徴のように人が話す常葉色の髪も、施術のためにそり落とされてから色が浅くなり、なかなか伸びない。


 あなたをとても美しい女性だったと人はいう。人間の美には様々な尺度があるが、あなたの美は、あなたと異なる性の人間を惹きつける美だ。


 わたしのものとなった体からも、それは見てとれる。全身の皮膚に埋まった多数の小さな魔石と、その魔力がもたらす新陳代謝で青白く発光する体は、人のそれとはほど遠いだろう。だが、肢体のかたちはまだ、あなたのままだ。


 左右対称の乳房のゆたかな張り。対比してすっきりと薄く、細くくびれた腹部。あなたがわたしとは別の生まれ方をしたしるしである小さなへそ。その下は幼子のようにむきだしのまま、ひんやりと閉じている。再びまろみをおびた腰からつながる臀部は熟れた果実のようにやわらかい。成熟した肢体だが手足はほっそりと伸びていて、戯れに握りしめればぽきりと折れそうにか弱く見える。


 もちろん、ホムンクルスであるわたしには魔力による補整があるため、どれほど鍛えぬいた人間であってもそのような事は起きえない。とはいえ、わたしの体だけを見た者たちの多くが、似たような評価をした。


 かつてあなたの周りにいた人間たちを、わたしはほとんど直接には知らない。あなたの美に惹きつけられた男たちは数多くいたはずだが、会えたことはない。会っても彼らも、わたしとあなたの関わりに気が付かないだろう。


 わたしが知るあなたの人生の系譜は、ほとんど新聞記事などに残されていたものだ。


 あなたはこの国の貴族の家に生まれた。ヴィクトリア・アトリー。名前の由来は「勝者」または「勝利の女神」。だが、その割に負けてばかりだった。あなたが美をもって生まれたゆえの不幸だと人はいう。


 男と女が命を生み出す昔ながらの手法は、その過程で人に大きな快楽を与える。だから人はその行為を求める。食欲と同じだ。生存には不可欠だが、ときに食事と同じように目的をはずれ、不必要なほど過剰な欲や嗜好の偏りがうまれる。特に男たちはむやみやたらにその接合行為をしたがるが、行為がもたらす新たな生命の誕生には興味を持たないことも多い。


 わたしの理解によれば、この国ではその為に、子を産み増やすための相手役を事前に決める制度がつくられたようだ。それを婚約という。あなたの相手役、婚約者は、新聞によると、生まれて三年目には決まっていた。まだお互いの体が成熟する前から相手役を固定するのは、間違った相手との間違った行為を防ぐためだが、互いの意思さえ不確かなところで決められた約束事はかえって問題を増やす。それはよく起きる悲劇で、実際にあなたに起きた。


 婚約者の名前はローレンス・ローガン。商家の息子。貴族であるあなたとは、身分が違うため、その両者はあまり一緒には暮らさないものだという。だが子どもの育成には経済的地盤が重要なので、何らかの理由があったのだろう。二人は相性をみるために頻繁に引き合わされたが、ローレンスは成長するにしたがってあなたを最適な相手役とみなさなくなった。


 決定的なのはあなたの両親が死に、アトリーという名前があなたのものではなくなったときだ。代わりにあなたの叔父がアトリーを名乗り、あなたはただのヴィクトリアという孤児になった。「ヴィクトリア・アトリー」でないあなたは婚約者として定めた相手ではないとして、ローレンスは一方的に婚約の破棄を告げる。


 それがあなたを追い詰める。親を失い、嫡子としての相続権を失い、家名の庇護を奪われたあなたに、婚約は唯一残された将来への手形になるはずだった。何より幼少より親しんだ『婚約者』からの拒絶は少女の心を損なう。


 窮したあなたはローレンスを誘惑し、婚約破棄の撤回を目論んだという。確かに子どもができれば、婚約は破棄どころか決定的になる。


 だが、そのときのあなたの年齢では、まだ子どもを孕める余地はなかったはずだ。また破棄すると言ったローレンスが、あなたのそんな誘いに応えるだろうか。女がその気でも、機能的に男がその気にならなければ、行為は成立しない。


 なので実際は、そんな行為はなくローレンスがあなたを貶めるために嘘をついた。あるいはローレンスこそが快楽のためにあなたをそそのかしたのではないかという推測もある。


 いずれにせよ、あなたはそのあやまちのために罰を受けることになった。あなたの髪は囚人の証として短く刈られ、アトリーとなった叔父があなたをかつてのあなたの家である屋敷に閉じ込め、肉体への苦痛という罰を加えた。それがいまもわたしの腰にわずかに変色した箇所が見える理由だろう。これは魔石が消しきれなかった死斑ではなく、もっと古い、あなたが生前受けた傷のなごりだと博士は判じている。


 なおローレンスの受けた罰はどこにも書かれていなかったのでわからない。


 あなたは結局子どもを孕まなかった。それでも罰は続き、あなたには苦痛のほか労役も課せられた。叔父のものとなった屋敷をきれいに掃除し、食事を作り、主たちの身の回りの世話を行う。叔父とその一家を満足させて、はじめて食べるものが与えられる。生きることが許される。


 叔父の一家。そこにはあなたと同じ年頃の子どもが二人いた。兄のマシューと妹のリリア。どちらもあなたという囚人の看守だ。ふたりは暴力ではなく言葉であなたを罰し、支配した。当時屋敷にいた使用人の証言が残っている。


 ふたりは日常的にあなたのことを侮辱した。「男を誘惑するしか能がない売女」に類する様々な卑語を、表向きは上品につくろった兄妹が少女に投げつけるさまは、あまりに醜悪で、見た者はみな吐き気がしたそうだ。


 なお、このアトリー家の兄妹のうち、マシュー・アトリーはまだ生きている。彼はあなたの存在を、その美をどう感じていただろうか。尋ねれば語るだろうか。もちろん実際に尋ねることは難しい。ホムンクルスのわたしが監獄にいる彼と面会するのは不可能ではないまでも、ひどく困難だ。


 やがて、あなたの髪が伸び体が成熟しその美を発揮し始めると、叔父の妻と娘はあなたを屋敷から追放するよう求めた。あなたは新しい檻、同じ年頃の貴族の子弟子女の通う学園へ送り込まれる。


 そういえば、使用人の証言の続き。この人物はあなたが屋敷を出て学園の寮に移った後、屋敷の管理や食事作りなどの仕事を引き継いだのだが、主人一家の要求はあまりに高く、たったひとりの少女が今までそれに応えていたことに驚いたという。


 あなたは家事が得意だったようだ。だがホムンクルスであるわたしには、記憶同様その技能は引き継がれていない。それがあれば、博士もたくさんの家事特化型ホムンクルスを開発する必要はなかっただろう。四つ足の獣たちから作られたホムンクルスは、いまではこの屋敷どころか国中で働いており、掃除、洗濯、調理、ごみ捨て、荷物の運搬、何でもこなす。


 屋敷内において、わたしの仕事は彼らの監督だ。元が獣である彼らは発声機能をもたないが、ホムンクルス同士意思疎通ができるわたしなら、より高度な仕事を命じられる。それと博士の手伝いと来客の対応も、わたしの仕事として残されている。


 わたしは博士のために本や論文や新聞を朗読する。博士の言葉をペンで書きとる。いずれも獣の体には難しい作業だ。そういえばペンを操る技術は、あなたから引き継いだものだろうか。話すこと歩くことと同様に訓練は必要だったが、博士とは似ても似つかぬ、読みやすい文字が書けるようになったのは、あなたの体だからではないかと思う。あなたの文字はきれいだったと博士も言っていた。


 あなたは、博士のような異才ではないが、優等生ではあった。修道院ではなく学園へ通えたのも、奨学金を得たからだ。

 学園は所詮檻だがそれなりに広い檻だ。

 本来なら貴族アトリーの娘としてごく当たり前に通えていたはずの学び舎で、平民のヴィッキーと名乗る。同じ学園に通うマシューとリリアから、表面的には無関係を装いながらも、裏では引き続き監視され下僕として扱われる。


 それでもあなたは勉学に没頭し、良い成績を残す。マシューやリリアよりも試験結果は良く、それがまた彼らを刺激する。それ以上に、庶民の奨学生の名が知られるようになると、望まぬ注目があなたを苦しめる。身丈にあわない制服を野暮ったく着て、常葉色の髪をそっけなく結び、リリアに言われて不格好なメガネをつけていたとしても、気づく者はその美に気づく。


 そして身分違いの男たちがあなたに構うようになる。エドゥアルド・エイムズ。フィリップ・カッシング。ジョーイ・デイル。高位貴族の子息であり、学園の君臨者。彼らにとってはアトリー兄妹もしょせん下僕のひとりでしかない。


 最初は庶民でありながら優秀で、外見は野暮だが上品な所作を持つあなたを、物珍しく遊んでいただけだろう。次第に、あなたの美しさが彼らを刺激した。それとも、アトリー家で苦痛と罵声にさらされ臆病になったあなたの、その小動物に似た振る舞いこそが原因だろうか。彼らは次第に本気であなたを囲いこみだした。なかでも執着心の強いエドゥアルドは、己の永の相手役として、いまの婚約者からあなたに挿げ替えることさえ考え始める。


 そんな彼らに、あなたの過去を告げたのはおべっか使いのマシューだろうか。それとも妬心にかられたリリアだろうか。


 婚約を重視するこの国の貴族は、特に女にこそ貞淑を求める。男たちは他の男のものになった女を赦さない。たとえあなたが正式には彼らのものでなくても。裏切りは彼らの自尊心を損ない、執着は憎悪に、敬愛は軽侮に、思慕は支配欲に代わる。


 あなたはまた誘惑者にされた。彼らはあなたに騙され純真な心を弄ばれた被害者だ。そして彼らはあなたに償いを求めて、罰を与える。罪だというその行為を、力づくで受け入れさせる。


 一度罪を犯したのなら、もう一度犯しても罪にはならないのだろうか。あるいは一度罪を犯したのなら、永劫罰を受けなければならないのだろうか。穢れは何百日何千日の代謝を繰り返しても肉体に残るのだろうか。ならば罰は何の意味があるのだろうか。彼らの一方的な断罪と理不尽な処罰を、あなたはどう思ったのだろう。


 それが道理に合わないことを彼らとて知っていた。罰という名目を離れても続けられたその行為に、彼らは対価を与えるようになる。


 それはアトリー家からの精神的経済的な自由。肉体の苦痛と苦役は別のものに変わり、あなたは学園を去るが、新しい家を手に入れる。男たちが夜毎に訪れる家。あなたは主であり奴隷である。


 あなたの人生の中でいつもあなたはあなた自身のものではなかった。ままならぬ人生の間、あなたにひとつでもみずから望み、得たものがあったのか、わたしにはわからない。客のひとりから家宝のネックレスを盗んだと訴えられて捕まったとき、そして弁護も与えられずに極刑が下されたとき、あなたは真実何を考え何を望んだのだろう?


 そしてわたしは、何を望むのだろう。




+++




 屋敷を訪れる客の対応も、わたしの仕事だ。


 博士自身は人づきあいを基本必要とせず、人里離れた深い森の中にこの屋敷を構え、わざわざ自ら開発した魔石転移陣で王宮の研究所へ通っている。王宮での雑事は任せられる限り役人と弟子に任せている。が、どうしても本人でないといけない用向きなら対応することもある。

 それなのに、わざわざ屋敷へやって来るとなれば、客はみな人目を避ける理由のある者ばかりだ。


 ほとんどは博士の開発した理論技術への誤解が原因だ。博士の術は死体を活用し魔石というエネルギーを加えて新しい生命を創るものであって、決して、死者をその人格のままよみがえらせるものではない。なのに時折、死者の蘇生という夢に踊らされてしまう者たちがいる。


 愛する者の蘇生を求める者は、実際に死体を抱いてやってくる。病に倒れた子ども。年をとって死んだ母親。事故にあった妻。最愛なる存在だったものの、傷んでいく死体の横で彼らは訴える。無理だと説明しても、意固地に叫ぶ。ここに来れば死者を蘇らせてくれると聞いたのだ。なぜ助けてくれないのだ。なぜお前たちはその奇跡を独り占めするのだ。


 懇願しに来ているのか、なじりに来ているのか、わたしにはわからない。それでもわたしは説明する。博士自身、最初は死者を蘇らせたいという欲求から研究をはじめたそうだから、彼らの誤解もしかたないのかもしれない。わたしが時間をかけて彼らに対応するのを、例えば博士の弟子などは無駄だと嫌うが、博士自身は特に咎めだてはしない。


 それに何時間でも何日でもわたしには苦ではない。罵倒と哀願の傍らで死体が傷み続けても、わたしは要求を拒み理屈を説き続けることができる。魔力のおかげで誰もわたしに対抗したり害したりすることはできない。


 そのうちに怒り狂っていた彼らも、理解して泣き崩れる。愛するものを愛するもののまま元に戻す方法などなく、産まれるのはただこの青白く冷たい別の存在なのだと。

 抜け殻のようになった彼らを、転移陣で人里へ返す。戻ってくる者はいない。


 強固な彼らの願いを折り潰す以外の方法があればいいと思い、同じように蘇生を願った博士自身はどうして心を変えたのか、聞いてみたことがある。


(「あきらめたわけじゃない。僕は自分が死んだ両親に真実生き返ってほしいわけではないと気が付いたんだ。それよりも、自分に都合の良い存在を創り出したい。それが僕の願いだった」)


 愛に盲いた者たちには理解されなかったが、実際そういう客も多い。


 死者を棺に入れて、これを従順なホムンクルスに変えてほしいと言ってくる者がいる。単純な労働力としては魔石にかかるコストが見合わないので、基本的に相続が絡むことが多い。時機悪く死んでしまった者を、あるいは殺してしまった相手を操ることで、利益を得ようという輩は金を積み上げる。しかしすでに名誉も報酬も、望んでいる研究環境も持っている博士相手には意味もなく、彼らには専用の出口(監獄行きの転移陣)で引き取り願うことになってる。


 それから、性欲処理の相手に仕立ててくれと見目の良い死体を運んでくる者もいた。なかにはわたしを買いたいといった者もいる。だが博士は顔の美醜同様、性欲や性的機能の復元には興味がないので、やはり交渉は無意味だ。


 そしてたまにホムンクルスは死者への冒涜だと怒り狂う者たちもやってくる。


 彼らの言う通り、あなたは己の肉体だったものへの扱いを嫌悪するだろうか?

 だが、あなたの感情と思考を司っていた脳が、すでにわたしのものである以上、その問いかけは無意味だ。あなたは存在しない。だからわたしは存在する。それがすべて。


 死者をすぐに擬「生者」化するのは人の悪い癖だと思う。

 とはいえ脱し難い習慣だともわかる。わたし自身でさえ、あなたについてこうして考え、想像し、ときに呼びかけてしまうのだから。


 さまざまな理由で屋敷を訪れた客のほとんどが目的を果たさずに帰り、なかには用済みになった死体を置いていく者もいる。その処理までがわたしの仕事だ。


 わたしは博士にもらった魔石をいくつかと、弟子に用意させた簡易の術を使う。魔石の力で死体を動かすだけの術だ。わたしの指示のもと、自らの墓穴を掘ってそこに横たわる、かつて人であったものたち。


 あなたの人生にかかわった者たちも、今はほとんどが地中に埋まっている。


 ローレンス・ローガン。あなたの元婚約者。

 エドゥアルド・エイムズ。あなたの上得意のひとり。

 フィリップ・カッシング。あなたの上得意のひとり。

 ジョーイ・デイル。あなたの顧客管理係。

 リリア・アトリー・デイル。あなたの従妹。


 ローレンスの死の理由は知らないが、それ以外はみな新聞にあった。あなたがマシューをそそのかして盗ませたというカッシング家のネックレスは、分解されて市場に売られていた。ところが捜査の結果、売ったのはカッシング家のフィリップ自身で、ひそかに得た金で大量の武器を購入したことが明らかになる。すべて王家への叛逆罪とみなされ、フィリップはもちろんカッシングの一族郎党はみな慈悲深い刑に処された。


 直後、フィリップの親友で知られたエドゥアルド・エイムズは戦場から敵国へ亡命をはかったが、向こうで二重スパイを疑われ、拷問を受け死んだ。


 ジョーイ・デイルは密かに家を放逐され、あなたとの商売経験を活かそうと娼館の経営をはじめる。ところがなにかで裏社会の流儀に反した罰を受け、最後はすべて豚のえさになったそうだ。

 なおデイルと結婚したリリアはその二年前に夫に殴り殺されている。


 あなたの窃盗罪の実行犯とされたマシューはいまも監獄にいる。もとは貴族専用の屋敷に軟禁されているだけだったが、事情が明らかになって一般の監獄へ移された。その監獄では貴族ほど酷い目にあうそうなので、まだ生きているのは奇跡だが、本人がどう考えているかは知らない。


 一連の事情が判明して扱いが変わったのは彼だけではない。あなたの冤罪、男たちが意図的にあなたに押しつけた数多の罪は晴らされた。名誉は回復され、今では、貴族の身勝手な扱いに生涯を翻弄された悲劇の女性として語られている。事実と推測にいくらかの誇張が織り交ぜられた、あなたの人生という名の物語だ。


 わたしには、本当のあなたがこの物語をどう受け止めるのかわからない。喜ぶのか怒り狂うのか気にも止めないのか、それ以外のどんな反応がありうるのか。あなたについて知り、あなたについて考えるほどに、わたしはあなたが何を嫌い何を厭い何を憎み、何を好み何を愉しみ何を喜んだのか、知らないことを知る。


 それでもわたしはあなたの物語をあつめる。博士を除けば、あなたはこの世界とわたしを関連づけるよすがだから。


 そんなあなたを、なんと呼ぼう。わたしの基? わたしのはじまり? わたしの前世? わたしを宿すことなく生み出した、母なるひと?


 答えは出ない。名前をつけるのは他者にその存在を伝えるためだ。けれど、わたしにはあなたについて語る相手がいない。たまの招かれざる客にはそもそも他者の話を聞く余裕はなく、それ以外は博士と、ごくまれに博士の弟子が出入りするばかり。博士の意識は常に研究に没頭していて、弟子の意識は常に博士に向いている。




+++




 わたしは屋敷を出て町を歩く。博士の組んだ転移陣を魔石で操り、今では国中へ一瞬で移動することもできる。人と接するとき、わたしは、あなたの名前をもじり、ヴィと名のる。


 あなたの家はもうないが、あなたが住んでいたあたりにもよく行く。貴族街と平民が暮らす下町との境目。娼館も教会も、どこの町にもそういったところにあるようだ。そして娼館の女たちも教会の女たちも昼間の町中では厚手のフードで顔と体を隠しているので、わたしも似たような格好でまぎれこむことができる。


 今日は裏路地で子どもたちをつかまえた。彼らに字を教えてやりながら、町のことを教わる。最近の町には活気がある。戦争に勝ったのだ。お祝いに教会でも珍しいお菓子が配られた。真っ白い焼き菓子からは乳の味がして、よその国の子はお菓子を食べて育つのかと、ひとりの子が尋ねる。教会で育つこの子たちのほとんどは親の顔を知らない。


「ぼくはあったかい泥で育ったんだよ」


 生まれる前の記憶があるという、奇妙な子が淡々と教えてくれる。


「いつまでも寝ててよくて、誰かにけられることも、おなかがすくこともない、あったかいところで、泥にくるまれてたの。でもずっとはそこにいられなかった。だんだん狭くて苦しくなって、だから外に出たんだ」


 でも寒くって泣いちゃった、と心底哀しそうに言う。枯葉色のその髪は、触れるとくしゃりと音がしそうだ。手を伸ばせば避けられる。代わりに他の子がわらわらと寄ってくる。彼らは自分にかまってくれて、殴らない大人が好きだ。


「ヴィはどこから来たの?」

「わたしは冷たい石にかこまれて生まれたの。気がついたら、かたい石のベッドの上にいた」


 目を丸くする幼子たち。いつも自分たちが寝ている木の板とどちらがかたいか冷たいかと悩みこむ。


「いたかった?」

「ううん。痛くなかったけど、動き方がわからなくて、大変だった」

「泣いた?」

「泣かなかったよ。泣き方もわからなかった」

「泣くのなんて簡単だよ。フィルもローラもちょっと叩いただけでびぃびぃ泣くよ」

「教会でね、あんまり大きい声で泣くとブラウがやってくるんだ。でも泣いてるやつのまわりでぐるぐるするだけ。あいつバカだから」

「あっちいけって言っても、言うこときかないの」

「そのくせブラウの仕事の邪魔をすると、代わりに掃除しなきゃいけないんだ」


 ブラウとは家事特化型のホムンクルスのことらしい。茶色い犬型で教会内の簡易な掃除を仕事にしている。わたしは彼らに提案する。


「じゃあわたしからブラウに泣いていても寄ってこないように言っておこうか?」

「むりだって。ブラウは神父さまの言うことしかきかないよ」

「大丈夫、わたしが言えばきくよ」

「本当?ヴィ、すごいんだね」

「みんなはそれでいい?泣いても誰もやってこないほうがいい?」


 泥の中で生まれた枯葉色の髪をした泣き虫なフィルが、ひとりだけ首をふった。わたしはその望みを叶えてあげることにして、また彼らと話をする。


 かつてあなたが生まれ育った家にも奇妙な子どもがいた。

 いつもぼんやりと地面や空を眺めていたかと思えば、土や草を掘り起こしたり、虫を殺したりして遊んでいた。言葉はおそく、本を読み聞かせても反応しない。使用人は不気味がり、両親はいずれ我が子を施設に預けることになるだろうと気をもんでいた。


 だがあなたにとっては、その奇妙な子どもはただのかわいい弟だった。たったひとりの、あなたが守るべき弟。根気よく文字を教え、本を読み聞かせ、彼がいきものに興味を持つなら、さまざまな図鑑を開いて、名前を教えた。きれいなあなたの字とは似ても似つかない汚い文字だが、彼が自ら、それも怒涛の勢いで、何かを書き始めると誰よりもよろこんだ。


 両親が事故死すると、あなたは後見人となった叔父に弟の留学を認めさせた。あなたはすべて叔父の言うとおりにするから、彼から勉強だけは取り上げないでほしい。この子はきっとすごい学者になって、皆のためになるような偉大な発見をするからと訴えた。


 実際、あなたの弟は異才を発揮し、飛び級で大学を卒業した。王宮の古代魔法研究所へ入り、国で最も偉大と呼ばれた賢者に認められ、養子になる。誰ももうその天才の元の家名など気にしない。


 大きな予算も与えられて、ますます研究に没頭する。特に古代の遺産であり、古の魔法生物の死骸から生まれたという魔石の研究は彼の得意分野になる。魔石の解析と並行して、岩石ゴーレムの研究からより生体に近いものへと進み。そしてホムンクルスという、世界を変える偉大な発見をなしとげる。


 その頃、あなたは一部で名の知れた高級娼婦として貴族たちの中に独自の地位を持っていた。ところが、とある高貴な一族の屋敷から、国宝にも等しい宝を盗んだと訴えられ捕まる。馴染みのほかの男を脅して盗ませ、それを密かに敵国の情夫へ与えたと。実行犯による暴露(マシューによる偽証)に基づいて、あなたは顧客も国も裏切った悪女と罵倒されながら死罪になった。処刑は速やかに行われ、遺体は、罪人自身の申し出により研究の糧として活用されることとなり、王宮の博士のもとへ届けられる。


 博士は、あなたの弟は、あなたの切り離された首と体をつなぎ合わせると、研究中の魔石をありったけかき集め、その身にひとつひとつ埋め込んだ。


(「僕が誰かわかる?」)


 わたしが覚醒したとき、彼は最初にそう尋ねた。もちろんわたしは「いいえ」と思った。声を出すことも身を動かすこともうまくできなかったけれど、ちゃんと伝わったようだ。彼は、博士は、あなたの弟は、笑って喜んだ。


(「ああよかった成功だ」)


 その後、わたしという成功を得た博士の研究は格段に進み、彼が生み出した様々な人造生命たちはいまやこの国中で働いている。少々不気味だが有用で、もはや人にとってなくてはならない存在だ。初めは力も弱く単純な動きしかできなかった家事特化型も、博士とその弟子により日々改良が加えられた。


 最近では軍でも有効に活用されている。それらは魔導生物兵器とよばれ、大国に脅かされるばかりだったこの国に圧倒的な力をもたらした。人の言葉も介し、命令に従って行動する四足の兵器たち。彼らのほとんどは複数の獣の体を基にして、人よりも強い魔力を持っている。


 同じ魔石を持つものとして、わたしは彼らのことを身内のように近しく感じる。そして彼らもわたしを知っている。存在する数多のホムンクルスの中でも最も多くの魔石を有するわたしを、彼らは無視しえない。


 もしもわたしがこの国を滅ぼすようにと命じたら、彼らは素早く確実に仕事を果たすだろう。


 あなたを愛さなかった人たち、あなたも愛さなかったこの国のなかで、わたしは思う。


 それがわたしの望みだろうか?




+++




 あなたと博士は成長した後、一度だけ再会している。


 あなたはすでにアトリーから独立していて、研究所への就職を祝おうと弟を密かに呼び寄せた。研究以外に興味のない博士が、あなたの環境を不思議にも思わないことはあなたにもわかっていただろう。


 長い常葉色の髪を美しく垂らしたあなたは、すっかり大人のようだった。淑女のように化粧をして、黒に近い橡色のドレスを纏う。装飾はあなた達の母親がしていたように慎ましく、小さな宝石がひとつだけ。蠟燭の灯りに照るそれよりも輝かしい笑顔で、唯一の家族の成功を喜んでいる。


 そんなあなたに促されるまま、博士は近況を語る。古代魔法を研究して両親を蘇生させる方法を探している。それは人を死から解放する素晴らしい研究だ。ところがそんな天才の考えを、大人たちは禁忌を犯すものだと諌め咎める。それでも彼は、あなたならもちろん賛成するだろうと思っていた。


 あなたは否定も止めもしなかった。ただ、むかし幼い博士に文字を教えたときのように話しかけた。


(「あなたは一度死んだ人をその人のままよみがえらせようというのね。それって死んだ人には余計なお世話じゃないかしら?」)

(「どうして? 誰だって死にたくないだろ? お父さまもお母さまも生き返ったら、きっとよろこぶ。昔みたいに僕や姉さまを抱きしめて笑ってくれるよ?」)

(「ええ、あなたはそうあってほしいのよね。生き返っても私たちを愛してくれるふたりであってほしい」)

(「……姉さまもこれはいけないことだと言うの?」)

(「いいえ。ただ生き返ることが必ずしもある人には喜ばれないかもしれないってこと。わかるかしら?」)


 国の最も賢い大人にすら認められた弟が首をふると、あなたはちいさく笑った。一方的な謎かけに勝った子どものように。


(「私なら、もう一度生まれてまで私でいたいとは思わないわ。せっかく死んだのに、生まれ変わってもこの私のままだなんて、いったいそれのどこが幸せなの?」)


 その言葉を、弟は忘れない。


(「もしもあなたが生き返らせた者に愛されたいと願うならよく考えて」)


 だからここにあなたはいない。




+++




 その日屋敷に戻ると、博士の弟子に出迎えられた。珍しいことだ。彼は博士のことを心から崇拝していて、その研究を押し進めることだけにすべてを捧げており、わたしのことは屋敷の家具の一つとでも思っている。


「どこに行ってたんです?」

「お散歩」


 男の脇を抜けて部屋へ向かおうとすれば腕を掴まれる。成人男性の平均より背丈はあるが、体重はずっと少ない。ひょろひょろした日陰の木のようなその体ごと引きずっていくのはたやすいけれど、その前に「待ってください」と言われたので立ち止まった。


「ひとりで屋敷の外に出て、何をしていたんです?」

「だからお散歩。博士は?」

「陛下に呼びつけられました。晩餐までには逃げ出して戻られるかと。食事の用意は?」

「してある。ブラウンシチュー、サワードウブレッド、オレンジ、赤ワイン。デザートもいる?ミルクプリンならできるけど」

「いりません。それで、あなたは今まで何をしていたんです?」


 子どもの頃の好物をあげれば、しかめっ面になる。そこからの三度目の問いに、わたしはまじまじ彼を見た。ちょっと汚れた眼鏡の向こうで、かんらん石(ペリドット)の目が細まる。陽に当たらない暮らしのせいで血色の悪いこけた頬に、汚れの目立たない濃い色のシャツとパンツを着ているところまで、昔の博士にそっくりだ。いくら尊敬しているからといっても、そんなところまで真似なくてもいいと思う。エルネスト・フィオ。博士の養子で、あなたの義理の甥である、おかしな男。


「何です?」

「博士のことだけ考えていたいあなたが、どうしてわたしを気にするのかわからない」

「屋敷が空だったから驚いたんです。出かけるときは声をかけるかメモを残してください。マナーですよ」

「マナー? なにそれ?」


 この屋敷で常識を振りかざす非常識を嗤う。何が言いたいのかと問えば、おかしな男は嫌いな葉物を前にしたときのように顔をゆがめて目をそらした。


「……心配したと言えば伝わりますか? あなたは知らないでしょうが、最近先生の魔導技術を狙って世界中の国がこの屋敷を探ってるんです。そういう連中にあなたが拐われたのかと思いました」

「ああ、戦争に勝ったから? 町でもお祝いがあったって聞いた。ホムンクルスたちに見回りさせておくよ」

「町に行ったんですか? なぜ? 暇なら先生の仕事を手伝えばいいでしょう?」

「仕事はしてるし、お散歩はしたかったからしてきただけ。エルネスト。わたしを心配する必要はないって、わかってるよね?」

「わかってますよヴィわかってます」


 早口で力なく答える男の顔は土気色だ。そこでようやくいつまでも手を離さない理由が、彼自身が倒れないためだとわかった。おかしな言動もそのせいらしい。

 抵抗をいなして彼の部屋まで運ぶ。二階の角部屋。ホムンクルスたちが常に完璧に整えてあるベッドに放り込み、風を通すために窓を開けた。


 夕暮れの空の下、濃い影絵となった森がいつも通り屋敷を囲んでいた。そこに点在する魔石の獣たちにも特に異常はない。たくさんの屍に守られて、ここはいつも通り平和だ。


 宵闇の漂う室内に灯をともす。かつて彼を迎えたとき、博士と見様見真似で整えた部屋は、多少色褪せながらもまだその趣を残していた。ベッドや衣類棚のほかは、子どもが3人は寝転べる広い書き物机と壁一面の本棚だけ。成長につれて埋まっていったその棚には、まだ拙い字の分類票がつけられたくず魔石のコレクションが残ってる。町の子のほとんどが退屈に感じるだろうこの部屋を、与えられた子どもが心底喜んだのは双方運が良いことだろう。


 その子はわたしがはじめて文字を教えた子どもでもある。環境の悪い孤児院から引き取られてきた欠食児童は、食べさせればすぐに柔らかくふくらんだ。陽にあてて、よく体を動かせて、ようやく一人前に育った。


 それなのにまたしぼんでしまっている。横たわる男の眼鏡を外したその顔に、もっと小さくてもう少し頬が丸くて柔らかかった子どものことを重ねて、残念に思う。一つは加齢のためだろうが、どうも食事も睡眠も足りていないようだ。その点、人は不便だ。食べて寝なければ、魔力も体力も回復しない。魔石の埋まった指で触れても回復させられない。


 生きた人間の体に魔石を埋めることもなくはない。それでこの国の王子の麻痺した右手も動かせるようになった。だがあくまで「死んだ」部位を魔石で動かしているだけて、怪我そのものを治癒するわけではない。魔石の力を生きた人がそのまま活用するのは難しい、と前に他ならぬこの男が言っていた。


 養い子は成長して博士の弟子として認められるようになると、研究の助手も体調管理も王宮でのフォローも全部自分が引き受けると豪語して、あまり屋敷にはあらわれなくなった。たまに来ても話すことといえば、博士のことか研究の進捗ばかり。


「……そこにあなたがいると昔みたいですね」

「絵本でも読んであげようか」


 戯れ言を返すとかすかに笑う。よろよろと身を起こしたエルネストはホムンクルスから水をもらって一息ついた。顔色もすこし戻ったところで、尋ねる。


「あなた病気なの?」

「いえ?」


 昔から熱や怪我を隠す子どもだったので、よくよく観察する。しぶしぶ弁明した。


「このところ視察が多くて……疲れが出ただけです」

「視察?」

「新型の運用結果を確認したくて戦場に行ってたんです。博士から報告をあげてもらったら陛下がことのほか喜んでるようで。また予算が増えそうです」


 そんなことばかり嬉しそうに告げたあと、はっと気まずそうに目をそらしたのは階下でのやり取りを思い出したからだろう。もちろんわたしにも彼にも、出かける前に報告し合う義務はないけれど。


「えーと町でお散歩、でしたか。何か面白いものでもありましたか?」


 へたくそに埋め合わせようと尋ねてくるのがおかしい。


「変な子がいたの。枯葉色の髪の毛でね、かわいい男の子で、まるで昔の博士みたい」

「先生の子どもの頃なんて知らないでしょう。似てるというなら、せめて私のほうでは?」

「あなたは髪が違う」


 手を伸ばせば、避けずに触れさせてくれる。癖のついた常葉色の髪を手ですいて整える。あなたによく似ているだろうその髪は手入れが足りないのかすこし傷んでいた。それを告げるとまた目を細めて不満げだ。


「ヴィ、あなたまだあの女のことを気にしてるんですか?」


 招かれざる客たちに懇切丁寧に応じるわたしを見たときみたいに言う。そんな彼の態度はいつものこととはいえ、わたしにはよくわからない。


「あなたは気にならないの?」

「ええ全く。そもそもあんな女のことなんか気にして何になります? あの女は確かに生きたいように生きられはしなかったかもしれませんが、少なくとも死にたいように死んだんでしょう?」


 あなたをまるで目の前にいないかのように振る舞う。


「でもエルネスト、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 わたしが重ねて言えば、嫌いな葉物を前にしたときのようにまた目をそらした。


「……だからなんだっていうんです? 確かにその女の腹から出たのかもしれませんが、私の親は孤児院から拾い上げてくれた先生だけです」


 それで思い出したのか、博士を迎えに行かなければと掛布をはがそうとする。そんな彼を押しとどめる。もうしばらく休んだほうがいいし、迎えならもうやった。あなたの話をしたいのだと言えばあっさりと従い、その割に不満げに吐き捨てる。


「どうしたんですヴィ。迷惑な客相手に自分でいつも言ってるじゃないですか。死者は何も望まないし、何も受け取らない。問題はあなたが何を望んでいるかでしょう」


 だからそれが問題なのだ。


「あなたたちは単純だから。博士の望みは真理の解明。あなたはそんな博士の役に立つこと」


 でもわたしには何もない。


「ヴィそれは違います。先生と私の望みはそんなことじゃない」


 眼鏡をつけ直して博士の弟子は薄く笑いながら、どこか誇らしげにわたしの言葉を訂正する。


「ホムンクルスたちは強くなりました。屋敷係(ハウスメイド)は貴族ならほとんどの家に採用されてますし、兵隊(アームズ)も警備の名目でこれから配されていくでしょう。そしてこの国の次代の王の利き手にも魔石が埋まってる」

「十分ね」


 うめよふやせよ地にはびこれ。異形の生命体の有益性はいまや戦争を通じて他国にも知られ求められている。けれどそれでもまだ足りないと男は言う。


「ええまだ足りません。私たちは、私たちが死んだあとも生き続けるあなたに、残せるだけのものを残したい。できることならこの世界の全てでも」


 それは、コレクションの中からいっとうきれいな魔石を手のひらに置いて差し出した子どもと同じ表情(かお)だった。

 たからわたしも、かつてのようにその子どもを抱きしめてみた。いつのまにかこの手に余るほど大きくなったけれど、あいかわらずその体温はとてもあたたかい。


「……世界はたぶん要らないけど、あなたが死んだらあなたの体を使ってホムンクルスは創るかも」

「どうぞ、私たちのイヴ。思うままに生きられる限り生きてください。それが私の望みです」


 少し顔をあげて目を細めた彼はわたしに手を伸ばす。節ばった器用な手が短いわたしの髪をくしゃくしゃと遊ぶ。


「ヴィ晴れた日に木の葉が陽に透けているのを見たことは?」

「木漏れ日のこと?」

「そうそれ。私はあれを見るのが好きなんです。あなたの髪の色を思い出すから」


 やはりおかしな人だとわたしは笑う。それならわたしを見ればいいのに。まだここにいるだから。


 エルネストは、先生とわたしを愛してる。だからここを離れて、世界を作りかえる仕事に専念したい。

 博士は家族に愛されたかった。だから元の家族をとりもどすことをあきらめて、代わりに遺されたものたちを引き取った。

 ヴィクトリア、あなたは? 子どもを愛していた? 罪を引き受ける代わりに生まれた子どもを生かすことを認めさせて、あとは全て投げ捨てて、それであなたの望みは本当に叶った?


 愚かで臆病で不器用で欲深い、わたしの家族たち。


 いつかこの世界に生み出された新たな生命たちが、それぞれの望みを抱いたなら、人と敵対することもあるだろう。そのとき争いが起きるのか、ただ離れていくのか、何かを分かち合うのか、わからないけれど。わたしはそのさまを見ていきたいとは思う。そこで生まれる苦しみや悲しみや楽しみや喜びの中に、きっとあなたたちのことを思い出すだろうから。

 でもその前に。


「ねえエルネスト。博士が帰ってきたら、久しぶりに三人で晩ごはんね」


 とりあえずいまはそれがわたしの望み。










蛇足 その後の世界。






元エルネストくんが、魔物と呼ばれるようになったホムンクルスたちを率いて人類と敵対

人類の対抗手段として魔石を介した魔法という技術が開発され、生まれつき魔法の得意な少年が、勇者として魔王討伐を志すことに

しかし魔物たちの圧倒的な数とパワーには敵わず、苦境に陥ったとき、賢者を自称する変なお姉さんが現れ、奇跡の回復術で勇者を助けてくれる

死ぬほどの怪我を負いながら何度もパワーアップしながらよみがえった勇者はついに魔王を倒す

しかし魔王が自分と同じ髪色をしていることに気がつき、無限輪廻を予感して終わる


そんな小話もあるかもしれないなーと書き終わったあとに思いました

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