松木さん
とりあえず自分の教室へ行き、体育着に着替えようとする。
入ると、何人かの生徒も準備をしているようだった。
今日は、午前中はどの組も練習があるらしく、午後の時間は普通の部活動の時間に当てられているようだ。
練習場所は、グラウンド、正門を少し進んだとこにある開けたスペース、1階の小ホール、そして夏組が今から使う、3階の体育館。
これをローテーションで回していく。
「おっ、ミナトが来た」
ようと手を挙げたのは、トモヤスだった。
俺も軽くそれに手を挙げ返す。
「まさかお前が土曜も来るとはなあ、絶対寝てると思ったわ」
そう言ってニシシと笑う。
「はあ、こっちは目覚ましまでかけたからな、今日は」
口を開くと出そうになった欠伸をふわあと吐き出し、気怠げに返す。
「なにそのやる気!わろだわ」
「わろではねえよ」
いや、実際わろではあるのかも知れない。
まともに行事に参加しない奴が、ちゃんと参加して、遅刻しないようにアラームまでセットしてんだから。
この変わり様は、確かに笑えるかもな。
でも今回俺は、途中リタイアは絶対にしないと決めたのだ。
ここで辞めるのは、自分へのテストにならないから。
ただし、変化したのは行動だけだ。
何も中身が変わったわけでは無いから安心しろ、トモヤス。
何の安心だよ。
「俺もう着替えたから先言っとくぜー、じゃ後で」
「はいよ」
勢いよく教室を飛び出したトモヤスをよそ目に、俺も自分の席に荷物を置き、着替えを始める。
帰宅部は体育着がしかないので、必然的にそれを着て練習という事になる。
ウチの体操着、ダサいんだよなあ。
かと言って、なんか格言みたいなのが入った部活Tシャツを俺が着るのもどうかと思うが。
準備は終わり、上履きの入った袋を提げて教室を出ようとすると、一人の女子と不意に目が合う。
松木紗綾、よく山本と過ごしている女子の一人だ。
「あ、高田くんおはよ〜」
と、こちらに手をひらひらと振るので、俺もどうもっと、会釈する。
なんか今のよそよそしかったかもな。
「えーなんか今の距離感じるよ、もっと元気だして!」
笑いながら言う彼女からは、どことなく俺に対する気遣いが感じられる。
決して怒って言っている訳では無いという事を相手に伝えようとする、やや過剰とすら感じられるまでの思いやり。
彼女の纒う雰囲気や振る舞いには、そういった優しさがあるような気がした。
そしてやはり、ちょっと距離があったらしい。
とは言っても、人間関係における距離の詰め方というのは難しい。
下手クソほど無理をして、すぐにその距離を詰めようとするものだ。
そしてそのあと後悔して、自分の方から遠ざかっていく所までがオチ。
行きすぎると、逆に後ずさりするのは困難である。
一度詰めてしまえば、それが基準になってしまうから。
だから俺はそんな事故を起こさぬよう、慎重に慎重に、後ろの方から様子を伺うのだ。
しかしそれもやり過ぎると、今のように距離を置かれていると、他人に感じさせてしまう。
なかなかどうして、本当に人間関係というものは面倒くさい。
「あ、すまん、今度から頑張る」
「今度からなんだ」
予想とは違う俺の返答に、ガクッとする松木さん。
その反応一つ取っても、人の良さが出ていると感じる。
そんな彼女の細やかな善意を、このまま俺の無愛想で無下にするのは何だか後味が悪い。
なので一つ、俺の方から会話を持ち掛ける事にした。