姉
静けさの残る休日の始まりに、アラーム音がジリリと鳴り響く。
普段の土日であればかけないデジタル目覚ましのレバーを、強く押して止める。
時刻は8時半を指していた。
ひとまずカーテンを開けると、窓から朝の光が差し込んでくる。
その微弱な光でも、寝起きの目には刺激が強く、思わず体を仰け反らせる。
休日でこんなに早く起きたのは久しぶりだ。
いつもなら昼前まで寝ていられる至福の時間が、今日は無い。
明日はゆっくり寝ようとか思うも、山本に課された宿題を思い出し、はあ、と肩を落とす。
休日ですら休みにはならない。
寝ぼけ眼をこすりながら、一階の洗面所へ向かう。
顔を洗い、リビングのドアを開くとそこにはラノベお得意の可愛い妹、ではなく。
酔っ払った朝帰りの姉が、ソファに横たわっていた。
「はあ...」
呆れるように大きくため息をつき、姉の横を通り過ぎ台所のパンとカフェオレを取り出す。
そして再び、ソファの方へ向かい、リモコンのスイッチを入れる。
テレビの音が聞こえても、姉は目覚めない。
「...おい」
ソファに腰掛けたかったので、腕で姉の肩をつつく。
服は着替えずそのまま。
腰のベルトを緩め、腹の辺りを露わにして寝転がっている。
何とも無防備なその姿に、弟は少し心配になる。
女子も家だとこんなもんなんすかね。
俺と4つ違いの姉はもう大学3年になるが、その顔立ちにはまだあどけなさが残っている。
居酒屋に長くいたのだろう、服やバッグについた煙草の匂いが鼻をさす。
「んー?あー、湊か、おはよ。今何時?」
ふあーと無遠慮にする欠伸から、酒気を帯びた空気が漏れる。
「...酒くせえ。8時半過ぎだけど?」
「えー、なんか早くない?めずらしい」
と、家族にも意外な反応を見せられる。どんだけ暇だと思われてんだよ。
「てかまだもうちょっと寝るー」
そう言ってまた目を閉じようとしたので急いで引き止める。
「ちょっと待て。とりあえず風呂入ってこい。服臭えし、化粧とかも落としてこいよ、とりあえず」
「お姉ちゃんに偉そうだよ湊。昔はもっと可愛かったのにさあ」
「いいから早くいけ」
「...はーい」
姉は重たそうに腰をあげ、渋々洗面所の方へと向かっていった。
俺はようやく空いたソファに座り、パンの袋を開け、朝のニュース報道をぼうっと眺める。
姉ほどではないが、俺もまだ十分頭が起きていないようだった。
コメンテーターの話している内容が全く入ってこない。
てかこの番組久々に見たな。
普段この時間起きてないから。
俺が食べ終わってしばらくスマホを眺めていると、姉が風呂から上がってきたようだった。
そして髪をタオルで拭きながら、俺の隣に腰掛ける。
「いつ帰ってきたんだよ」
「6時くらい?ゼミの飲み会でさ」
「で、いつもの朝帰りコースか」
「そ」
「そんなアホみたいに毎週飲み会して楽しいか?」
姉は俺とは違い活発な方だ。
山本のタイプに近い。
中学、高校の頃から色んな事をやっていたように思う。
大学でもサークルやバイト、3年から始まったゼミと、今も充実した学生生活を送っているのだろう。
弟としては、会話を少ない単語だけで成立させてしまうウェイの民になっていない事だけを祈る。
にしたって、何をそんなに話す事があるんだか。
別に酒強くも無いくせに。
「えー、楽しいんだよオールって。ミナトもお酒が飲めるようになったら分かるよ、きっと」
本当に楽しそうに話す姉と対照的に、あえて分かりやすく引いてみる。
「何その顔ー」
少しムッとした表情を見せる姉は、今年で21になる。
見た目に残る幼さは別に良しとして、中身はそろそろ大人になってほしいものである。
16の俺を見習え。
「今日父さんと母さんは?」
「...父さんは多分ジム。母さんはパート」
「早いねー、ウチの両親は」
と、感心するように目を細める。
だが姉よ、今日は俺も早いのだ。
「悪いけどな、渚。俺も今日はそろそろ出るぞ」
「えー?それで早いんだ湊も。お姉ちゃんを一人にしないでー」
そういって肩に寄りかかってくるので、乗せられたその手をすぐに払いのける。
「うるせえ。準備してくる」
「何があるのさ今日」
「...体育祭の応援団」
何だか自分で言うのが恥ずかしかったので、言葉尻がしぼむ。
だが姉の耳にはちゃんと届いていたようで、
「え、それホント?!」
と、声を張り上げる。
「はいはい、もう良いってそのリアクション」
しっしっと手を姉の方に向ける。
学校で見飽きたからそれ。
「いやー湊がそんなのに参加するなんてねー。見にいこっかな、私」
「は、来なくていいって」
「ひどいー。私OBなんだけど?」
「卒業してから3年目でまだ来るか?しかも体育祭で」
「弟いるだもん、行く理由あるでしょ。友達誘っていくね!」
と、完全に行く気を見せるので、こうなった姉はもう止められない。
「はいはい」
忘れる事を願って、とりあえず洗面所の方へいく。
鏡には、いつもより一層締まりのない顔をしている、自分が映っていた。
一度部屋に上がって制服に着替え終わり、再びリビングの横を通り過ぎる。
渚はパンを口にくわえながらテレビを見ていた。
「じゃあ行くわ」
「いってらー。お昼は?」
「知らん、なんか買ってくれ、俺の分も」
「...まあ良いけど。なに?」
「あとでラインする」
「はーい」
玄関でローファーを履き、外へ出る。
土曜のこの時間帯、まだ家の周りは閑静に包まれていた。
自分で鍵を閉め、駅へ向かう。
欠伸を押し殺す事なく、思いっきり大口を開ける。
その間抜けな顔は、きっと誰にも見られていないはずだ。