予想外
議題はリレーの話に移り、俺に変わって山本が司会を始める。
「じゃあリレーの走順決めましょー」
はーい、と何人かのクラスメイトが返事をする。
しかし辺りを見回すと、あまり乗り気でなさそうな人たちの表情も目に映った。
そういう人達がいるのも当然だ。
運動が得意でない人、足の速くない人まで絶対参加なのだ、億劫だと思うのも無理はない。
なぜ全員で参加しなければいけないのだろうか。
自分の足に自信のある人間や、参加して楽しみたい人間だけに絞ればいいのではないのか。
リレーなんて一瞬の競技だ。
しかしだからこそ、その焦点は常に走者に向けられる。
どこで追い越し、どこで抜かれたかなどは一目瞭然で、負けた時の責任はその抜かれた側の人たちに重くのしかかる。
こうして目に見えやすい弱点があれば他人は責任を押し付けがちだ。
誰かのせいにすれば、自分は負けた責任から逃れられるから。
走る事が苦手な人にとって、参加するメリットなど一つも無いだろう。
それなのに、参加しなかったりあるいは乗り気でない態度を見せれば、それはそれで「冷めてる」だの「空気読めない」だのと、どこか悪者扱いをされる。
そういった風潮が、学校という社会には存在している。
何も学校に限った事ではない、この社会には多数派の価値観を、暗黙のうちに「正しい」と設定してしまう傾向がある。
誰でもない、その集団全体がそれらを決定付けてしまう。
だがそれはたまたま多数派であったという話に過ぎないのだ。
それでも社会から関わりを避けた人間がなぜかいつも「間違っている」という扱いを受ける。
集団で行われている事の方こそが正義に見えてしまうから。
だから大抵の人間は目立った抵抗をしない。
集団から離れまいと、なんとなくその流れに乗っかっている。
いくら山本側の視点で行動すると言っても、俺の中にあるこういった疑念を取り払う事は出来なかった。
俺も男子にしては特別足が速い方でもないので、正直面倒くさい。
「走順はどんな感じでいくんですかー」
と、一人の男子が山本に質問を投げかける。
それを受けて、山本はフッフッ、と企む様子を仕草で表わす。楽しそうだこと。
「それをここから決めたいと思います」
「決めるつってもどうやって決めんだよ」
クラスは全員で40人いるのだ、ここから残り時間で全ての順番を決められるとは思わない。
「もしかしてクジとかか?」
手っ取り早い方法を口に出す。
アンカーは確かに一番速い人間が走るというイメージはあるが、ぶっちゃけ後は適当に組んでも変わらないだろ。
「バカだねミナトくん」
「なんだと山本さん」
チッチと山本が指を振る。
普通の人間がそんなジェスチャをすればただ寒いだけだが、彼女がやるとなぜかしっくり来るような気がした。
「走順は勝つために大切な要素の一つだよ。リレーは足の速さだけが全てじゃない」
「...何か決め方があるんだな」
うんと、大きく頷く彼女。
その笑みには自信が溢れているようだった。
「みんな、これから残り時間を使って、グラウンドでやってもらいたい事があります」
残り時間はあと半分の25分ほど。
この時間はどの学年もLHRであるからグラウンドは空いていると思うが、一体何をやると言うのだろう。
彼女が口を開く。
「それは、鬼ごっこです」
「は?」
予想外の一言に、思わずこの時間一番の声とリアクションが出てしまった。