山本楓という少女
その後もトモヤスと本当に他愛もない会話を交わしていると、その少し古びた校舎に辿り着く。
創立70年とかなんとか。
おかげで7階建ての校舎の外壁は、遠目から見ても所々色褪せ始めていた。
騒がしい声が近付いてくるので何かと思っていると、どうやら正門をくぐった所で新しいクラス表が何人かの教師たちによって配られているようだ。
高校くらいになると、ここら辺もあっさりしてくるものだ。
小学生くらいであれば、始業式の中でいちいち担任の発表があって、それに周りがワーキャーと一喜一憂する所だろう。
しかし俺にとっては誰が担任になろうがどうでも良く、子供の頃から内心ただ早く家に帰りたいと願っていた事をふと思い出す。
そして、早く帰りたいと思う気持ちは今も変わらない。
現役帰宅部としての矜持が、俺にはあった。
何いってんだ。
受け取った紙から、自分の名前を探し出す。
あった。
2年4組。
「お、ミナトお前も4組?俺もー」
トモヤスが屈託の無い笑顔で笑う。
なんかコイツとは多分来年も同じなのだろうと、根拠も無くそう思った。
新しいクラスはもちろん自分にとって知り合いでない人の方が多かった。
当然、俺のコミュニティは前クラスの範囲内で収まっていたからだ。
それでも優しい面々のおかげで、何だかんだとこれからよろしく、といった挨拶を一通りは交わすことはできた。
正直またこうして一から人間関係を築いていくことはめちゃくちゃ面倒だ。
実際今日はいつもの5億倍は余計な力を使ったように感じる。
自分の名前、あだ名、前のクラス、入ってないけど部活、一日にこれほど何度も同じ事を話す機会ってこの時くらいしか無いだろ。
まず自分がこのやり取りに飽きる。そして
「もう、さっきもそれ言ってたわよ、おじいちゃん」
みたいなツッコミを自分で入れたくなる。
まぢ疲れた。
そうは言ってもこの高校という小社会で孤立するリスクを考えれば、多少の苦労はせねばと考える。
ぼっちはぼっちで、きっとそれなりに面倒はあるだろう。
そこそこ会話出来る程度に仲良くなって、文化的で健康的で普遍的でうんちゃらかんちゃらな生活が送れればそれで良いのだ。
これが結局一番楽でコストがかからない、俺にとっての理想形。
最小限の行動で、適度な結果を。無駄な努力はしない。
これが現代っ子の完成形。
嘘です。
HRは存外にサラッと終わり、俺は内心テンション高めに帰り支度をしていた。
早く家帰ってゲームやろうとか何とか考えていたその時。
フワッと香る甘い匂いが、今立ち上がろうかという俺の席の横を過ぎたと思えば、その正体が今度は手前に立っていた。
ふと見上げると、一人の女子生徒が、こちらを見ているのだった。
容姿は色白で、目鼻立ちは整っている。
肩あたりまでかかるくらいの黒髪は後ろを少しカールさせ、季節感のある緑色のカーディガンを、その細身の体に羽織っている。
いわゆるイケてるグループの雰囲気があって、端的に言えば、可愛かった。
そして俄然両手を後ろに回しながら、何かを言いたげな様子だったので、
「えと、何...?」
と問いかけてみる。
すると、その大きな瞳がより一層パッチリと開いたかと思えば、また伏し目がちに、
「高田くん、ちょっと話したい事があるから、3組の隣の空き教室に来てもらってもいい?」
と言い放ち、ササっと教室を出て行ったのだ。
あんな美少女がいきなりそういう雰囲気を出すものだから、周りも何かに気づいたようで、
「あれって、山本さん?」
「かえちゃん?!え?!」
みたいな声が聞こえてくる。
俺も一瞬固まっていたが、ハッと我に返りすぐさま隣の村上に尋ねる。
「え、あの子、同じクラスだよな...?」
すると村上は呆れたような顔で、
「おまえ山本さん知らねーの?山本楓さん。多分学年で一番可愛い」
と返した。
へえ、そうなんだ。
村上の評価はどうでも良かったが、確かに誰が見ても可愛いと言われるくらいの顔立ちではあった。
でも初見なのは確かなんだよな。
恋バナとか大体聞き流してたせいからかな。
よく話を聞いていないとは言われるが、それはただその時の会話の話題に関心が無くて、頭の中で他の事を考えているか、特に何も考えずぼうっとしているかだけの話なのだ。
十分ダメだね。
「で、そんな子が何で俺に用」
「いやそりゃお前、この流れワンチャンあるだろ、はよ行ってこい!」
と、村上が俺の肩をぐわんぐわんと揺する。
ワンチャン、ねえ。普段なら全く信用ならないこの言葉。
ワンすら皆無、そんな時にもお構いなしに使う事の出来る、汎用性に優れた非常に頭の悪い単語である。
魔法の呪文ワンチャン、イケルッテにかけられ結果見事己が爆発した男子学生たちが一体どれほどいるのだろうか、知らんけど。
だが正直さすがの俺でも今この状況であれば、それがまんざらでもない気がする事くらい分かる。
まあ待たせるのも悪いし、これは礼儀として、な。
ふう、ワンチャン。
理由づけを完了させた俺は、まだ揺すり続けていた村上の手を払いのけ、すくっと立ち上がる。
するとその様子を見続けていた周囲のおお...というような空気がこちらに波紋のように伝わってきて、その妙な恥ずかしさで身体中から汗が流れてくるのを感じた。
やめて、見ないであげて。
あらぬ考えが脳裏を過ぎり、それが余計に緊張を自覚させる。
だがそれでも呼ばれたのだから行くしかないと、そうして俺は全身を熱くさせながら、初日とは思えない謎の団結を見せるクラスメイト達に見送られ、教室の外を出た。