世界は無情である 1
世界が終わりを迎えた日から約3ヶ月の時が流れた。
ラジオやテレビの放送も今は無くなり、ノイズの音しかしなくなっている。
外には数多の亡者が蠢いており、生きている人間を見ることは無い。例え見れたとしてもそれは亡者による捕食を受けている最中の、最後の断末魔をあげて助けを請うている姿くらいしかお目にかかれなかった。
日々の生活から余裕というものが消えていく中で僕達の生活も大きく変化した。
「チェックメイト」
と、いうことは無く亡者に満ち溢れたこの世界でも前の世界と同じように過ごしていた。
元私立陽山学園、現僕達の籠城場所兼我が家となっている宿直室で僕とメーレはチェスで遊んでいた。
と、言うよりは既に遊び終わっていたと言った方が正しいだろう。既に盤面は僕の駒であるポーンががメーレのキングの駒を囲んでおり、優勢を通り越して勝ち目が無いという状況にまで追い込んでいた。
「待って、待って待って」
「いや、待つも何も勝ち目なんか無いじゃん」
「だから待ってって!」
遊びだと言うのに鬼気迫る表情で自分の駒を見つめている。
しかしだからといってここから逆転することが出来るわけでも無く、ひたすらに難しい顔をしていた。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「ダメ」
「まだ何も言って無いじゃん!!」
「だからダメだって。メーレの事だからどうせ駒を戻してって言うんでしょ?」
「うぐっ!?」
どうやら図星だったらしく、眉間に皺を寄せている。
「ち、違うから! ただあまりにも不公平だから柘榴にはキング以外の駒を使わないでほしいだけだから!」
「いやに決まってるでしょ」
それのどこに了承出来る要素があるのか、僕には全く分からない。
「うぐぐ、かくなる上は…………そおい!」
メーレが突如立ち上がったかと思った瞬間、勢い良くチェス盤をひっくり返す。
置かれていた駒は宙を舞い、完璧に取り囲んでいた筈の布陣はメーレのちゃぶ台返しによって全てがひっくり返った。
「おーっと、今ので戦いは振り出しに戻ったよ!」
「戻らねぇよ」
散らばった駒を片付けながら僕は冷たい視線を向けるも、メーレは頰を膨らませて顔を逸らしていた。
相変わらず負けず嫌いだ、仮にもシスターやってたならもう少し負けを受け入れてほしい。
そう思っていると食欲をかき立てるような良い匂いが鼻腔をくすぐった。
「はいはい、遊戯はそこまでにしてこっちを手伝って下さいな。昼食のお時間ですよ」
手におたまを持ち、エプロンを付けた西瓜が台所から此方を覗いていた。
「はーい。僕は食器の用意とかするからメーレは飲み物の用意お願い」
「わかったよ。言っておくけど私はまだ負けを認めたわけじゃないからね」
「そう言ってる時点で負けを認めてるでしょ」
後ろでぎゃーぎゃー騒ぐメーレのことを無視し、僕はテーブルを拭いて皿を用意していく。用意が終わったら炊飯器の蓋を開けて、炊き上がったご飯を器によそいでいく。よそぎ終わったら鍋敷きをテーブルに乗せて準備完了だ。
メーレの方も水を入れ終わり、西瓜が台所から鍋を持って此方に歩いて来る。
鍋敷きの上に鍋を乗せ、蓋を外す。中には良い感じに出来上がったカレールーが沢山入っていた。
おたまでルーを掬いご飯にかけていく。スパイシーな香りを漂わせるカレーライスの完成である。
「美味しそうだね」
「そりゃあ普通に作れば普通に美味しい料理が出来ますわよ。創作料理だって味付けさえ変にしなければ食べられる物ぐらいにはなりますわよ」
「ま、それもそうか」
流石は料理が出来る人が言うと説得力がある。
と、いうかこのご時世に食べられないような味付けの料理は食物の無駄でしかない。
そう思いながらスプーンを手に取り、カレーライスを掬う。
「うん。美味しい」
「ちゃんといただきますって言いなさいな。でもまぁ、その言葉は作った人として嬉しくは思いますけどね」
得心いったのか誇らしげな表情をする西瓜を横目で見つつ僕はカレーライスを胃の中に流し込んでいく。
美味しい物だと食欲が進む。
特にこんな世界になってしまった後だと娯楽が食事やさっきやったボードゲームぐらいしか存在しない。
最も、僕達はかなり恵まれている方なのでまだマシだ。酷い所では食事でさえままならず、亡者の餌になる者も居るのだから。逆にこんな世紀末世界に適応して亡者を狩ることや異性との性交渉を娯楽にしている者も居るのだが、ここで暮らしている僕達にとっては全く関係ない話だ。
世界が変わってしまっても僕等の過ごす時間に大きな変化は無かったのだ。
「それにしても本当に美味しいよねー。私は料理が下手だから西瓜が羨ましいよ」
「ふふん。褒めてください、褒め称えて下さいませ!」
「相変わらず調子に乗りやすい安い性格しているなぁ、お嬢様なのに」
「あぁん? 文句があるなら食べなくても良いですわよ」
「誰が文句を言っているって言ったんだよ。良いとこのお嬢様なのに庶民派だなって思ったんだよ」
「あのですねぇ…………お金持ちだからといって毎日ステーキとか食べてるわけじゃないんですのよ? それに私だってハンバーガーとかも好きですし」
「昔からよく知ってるよ。何年幼馴染やってると思ってるんだ」
今まで生きてきた十六年間、殆ど毎日と言っても良いほど顔を見てきた相手だ。
正直親の顔よりも見慣れた顔である。
「本当に二人って仲が良いよねー。私も日本に来てから一緒に居るけどさ。実際のところ、二人って付き合ってるんじゃないの?」
「それは無い」
「無い、ですわね」
メーレの質問に二人揃って否定する。
「少なくとも私は柘榴を一人の男として見たことはありませんわね」
「そもそも西瓜って大の男嫌いだし、女の子が大好きだしね」
「ふーん、そうなんだー。てっきり付き合ってるのかと思ってたよ。普段から仲良いし」
「仲が良いのは認めますけどそこまでべたべたしているつもりはありませんわよ」
上品にカレーライスを食べる西瓜の言葉に同意をしつつ水を飲む。
他人から見たらそう見えるかもしれないが、僕達の間で恋愛関係に至るような出来事は存在しない。
「それに西瓜には婚約者が居たからね。傷物とかしたらダメでしょ」
カレーライスを食べ終えてからそう呟くとメーレの口からカレーライスが吹き飛んできた。
気管に入った影響か、物凄く咽こんでおりとても苦しそうだ。
隣で「わ、私のカレーライスがぁ!! あ、でもこれはご褒美なのでは」とバカなことをしている西瓜から目を逸らして顔に張り付いた米粒を手拭いで拭いていく。
「大丈夫? 水呑む?」
「ゲホ、がはっ…………の、飲むよ…………」
今にも空へと旅立ってしまいそうな程苦しんでいるメーレに水の入ったコップを渡す。
コップを受け取ったメーレは勢いよく水を呷り、深呼吸をして息を落ち着かせる。
「落ち着いた?」
「う、うん…………もう大丈夫…………」
胸を摩りながら深く、だけど浅い呼吸を数回ほど繰り返す。
「で、話を戻すけどさ。西瓜って婚約者居たの?」
ついさっきまで咽ていたとは思えない程の俊敏さでメーレは僕の方に顔を寄せて来る。
可愛い女の子にこうまで顔を寄せられると少し恥ずかしいのだが、メーレの方は全く気にしておらずさっきの発言の方が気になるようらしい。
他人の色恋沙汰は年頃の女の子の好物であると聞いたことはあるが、まさかメーレの好物でもあったとは思えなかった。
「あー…………言って良い?」
「別に構いやしませんわよ…………既に終わった話ですし」
念の為、話題の内容の関係者に許可を伺うと言っても良いと貰えた。
最も、既に終わった話である以上、どうしようもない話なのだが。
「うん。昔居たんだよ。昔って言ってもついこの間の三ヶ月前までの話なんだけど」
僕がそう言った瞬間、興味津々と言わんばかりに目を輝かせていたメーレの顔が暗いものに変化する。
三ヶ月前、僕等にとって…………いや、世界中の人間にとって敵としか言えない存在、亡者が出現したのだから。
発生原因は不明でただ分かることは亡者に噛まれれば亡者になること、そして亡者は普通死ぬほどの損壊を受けてもその行動を止めないことの二つだけである。
それ以外は全く持って不明である。そもそも調べようにも調べる方法が無いのだから。
「ごめん…………軽々しく聞いていい話題じゃなかったね」
『亡者が出現したこと』=『婚約者も無事では無い』その事に気が付いたメーレは顔を俯かせる。
あの日から三ヶ月も経っているのだ。恐らく生きてはいないだろう。例え生きていたとしても再び出会う事はない。
そう思っているのだろう。だが事実はちょっと、どころかかなり違うのである。
「ああ、別に気にしなくて良いですわよ。はっきり言って私、あの人嫌いでしたから」
「更に付け加えるなら西瓜の婚約者っていうのが、その…………年齢が三十歳も離れたおじさんだったからね」
「…………えっ?」
僕と西瓜の説明にメーレは目を丸くする。
「よくある、所詮政略結婚的なあれですよ。うちの親は自分達の利益になる為に娘の私を売ったんです」
「西瓜って大の男嫌いなんでしょ? よく受け入れられたね」
「正直な話、これが私が男嫌いになった原因ですよ」
「ちなみに西瓜の婚約者は窓の外に居るよ。今は居ないのかもしれないけどさ」
僕がそう呟くとメーレは勢いよく立ち上がって窓に駆け寄る。
どうやら西瓜の婚約者がとても気になるらしい。とは言え、メーレは西瓜の婚約者の顔を知らないし見たことも無い。
その為、一生懸命に探しているようだが誰が誰だか分からない様子だった。
「仕方がない。僕も探すの手伝うよ」
「私は遠慮しておきます。あまり見たくも無い相手ですし」
カレーライスを再び食べ始める西瓜の姿を尻目にメーレの居る窓の所まで歩く。
宿直室は二階にある為、そこそこの高さから見下ろすことが出来、ある程度は外の情報についても確認することが出来る。
「何処に居るの?」
「えーっと、ほら、あそこあそこ。グラウンドで徘徊している頭が剥げたおっさんが居るじゃん。あのおっさんだよ」
僕が指を指した先には頭が剥げた肥満体系の男が徘徊していた。
着ているスーツは血が付いたボロ切れにしか見えない程ズタズタで、体色は青色に染まり眼も焦点が合っていない。
完全に亡者に成り果てていた男の姿がそこにはあった。
「へー、あの人がそうなんだ。なんか典型的なイメージ通りな人だね」
西瓜の婚約者の姿を確認できたメーレは納得したと言わんばかりに頷きながら、西瓜の顔を見る。
「でもここに来るなんて、西瓜の事を心配してたんだね。亡者になっているけど」
「心配はしていただろうね。心配、だけは」
生前の彼と面識があった僕は知っていることだが、西瓜の婚約者というのは本当に最低で下品な男だった。
幼かった西瓜に対し欲望に染まった視線を向けていたことも何度かあったし、僕に対しても向けられたことはある。と、いうかあの人は女癖が悪いのだ。その上若い女の子が大好きと。
西瓜からしてみればそんな相手に嫁ぐなんてこと、男嫌いでなくても絶対したくないだろう。
僕が最初にあの人がグラウンドで亡者になっている姿を見て、西瓜が助かったと言わんばかりの表情をしていたのも知っているし。
「メーレさん。おしゃべりはそこぐらいまでにしておいてさっさと食べちゃいますわよ。この後ちょっと運動もしたいですし」
「あ、うん。分かったよー」
一頻り自分の疑問を解消できたのか、メーレは西瓜の言葉に従ってカレーライスを食べ始める。
そんな中、僕は窓の外の光景を見ていて思い浮かんだ疑問を呟いた。
「―――――――なんか、数増えてないかな?」
つい先日よりも少しだけ亡者の数が増えていたような気がした。