終わる日常と始まりの非日常 1
二月。それは一年の中で最も日数が少ない月。
卒業シーズンの丁度一月前で多忙な時期で雪もまだ溶け始めておらず、されど冬が終わりを迎えつつある季節でもある。世間ではバレンタインデーなる意中の男性に女性がチョコレートを贈ることがあるようだが、既にその日は終わっていた。
学生や新社会人を迎える人にとっては多忙な人も居れば、暇を持て余した人も居るだろう。
最も、高校一年生である僕達にとっては全く関係の無い話しで、今現在三人でカラオケを楽しんでいた。
個室内に響き渡るマイクが増幅させた歌声が鼓膜を刺激している。
今歌っているのは西瓜で、両手にマイクを持ち踊りながら歌っている。
「意外と西瓜ってこういうノリ好きだよね」
「お金持ちのお嬢様だからって態度を出さないからね。礼儀作法は出来るけど、本人が好きじゃないって言ってるし」
むしろ西瓜個人は庶民的な方が気楽で良いんだろう。
テーブルの上に置かれているフライドポテトを食べながら笑みを浮かべているメーレの言葉に同意しつつトマトジュースを飲む。
トマト特有の香りが喉を包み込み、鼻から出て行く。
カラオケの飲料水というものは値段が高い、がこういった場なのだからそこら辺は気にしないでおこう。
「にしても西瓜って歌上手いね」
「ああ見えて昔は『私、将来歌手になりますっ!』って言ってたから。実際アイドルだってやれるだろうし、一度スカウトされたこともあったしね」
「えっ、何それ初耳。それでどうなったの?」
「西瓜の両親が大反対して結局無かったことになったんだよ。いやー、あの時の西瓜は本当に見てられなかったなぁ」
僕の家にまで押しかけてきて一頻り泣き喚いたんだったな。最も、西瓜には婚約者も居るし下手にアイドルなんかになられたら批判とかも酷かっただろうし、仕方がない話のかもしれない。
最も、本人にしてみればたまったもんじゃないだろうが。
少なくとも僕としても西瓜の家庭環境は酷いから同情してしまう。
「ま、この話は無かったことにしよっか。西瓜もまだ気にしているし」
「うん。そうだね…………この話は止めようか」
テーブルの上に乗っかっているポテトをいつの間にか全部平らげている西瓜は手慣れた手着きで次の食べ物に手を付ける。
手を付けたのは明太子ピザでメーレは美味しそうに食べ始めた。
「…………まだ食べるの?」
「うん。今日はここで夕飯取ろうかなって思ってさ」
「あれだけ食べて夕飯じゃないの!?」
僕や西瓜も食べ物を注文したとはいえ、いくらなんでも食べ過ぎなんじゃないだろうか。
そんな視線を向け、つい驚愕の声を上げてしまう。
「うん。日本語だと腹六分目、くらいかな?」
「な、なんという胃拡張娘…………いや、外国人だから当然なのか?」
僕も多く食べる方であると自負しているけどメーレは大体三倍くらいの量を食べている。
正直それだけでも驚くべきことなんだけど、イタリア人である彼女にとっては普通の量なのかもしれない。
「そういやさ、外国人で思ったんだけど柘榴ってどう見ても日本人じゃないよね」
「唐突に失礼な事を言うなメーレは…………」
割と気にしている事を言われてちょっとダウナーになる。
とは言え、日本人にあるまじき白髪に緑色の瞳はメーレの目から見てもそうとしか見えないだろう。
「父方の祖母がルーマニアの人だったんだよ。それで孫の僕が遺伝でこうなったの」
「へぇ、でもそういうのって劣勢遺伝だから受け継がれないんじゃないの?」
「稀にあるらしいよ。劣勢遺伝の方が強く出る事は。そして珍しいけどこの瞳も天然ものだよ」
最も外見と瞳の色の両方が同時に出ることは結構珍しいらしいけど、関係無い話だろう。
「僕が産まれた時は相当驚いたらしいよ? 他の兄弟は黒髪だったのに僕だけ白髪だったんだからそりゃ当然かもしれないけどさ。父さんやお爺ちゃん曰く僕は若い頃のお祖母ちゃんの生き写しって言われたこともあるし。ほら、これお祖母ちゃんの若い頃の写真」
そう言ってメーレにスマートフォンの写真を見せる。
当時十三歳の祖母の写真で、その姿は今の僕と全くと言っても良い程に瓜二つだった。
写真を覗き込んだメーレは僕の顔とスマートフォンの画面を交互に見始めた。
「えっ、これ自撮りじゃないよね? どうみても瓜二つなんだけど」
「あはは、悲しい話だけどこれお祖母ちゃんの写真なのよね」
付け加えると背丈や体格もこの写真のお祖母ちゃんと同じだったという。
更に付け加えるのであるならば年々お祖母ちゃんに似てきている、とお爺ちゃんから言われたこともある。
「本当に男性ホルモン仕事していないね」
「だ、大丈夫! これから、きっと、多分仕事するんだよ。二十歳になる頃には身長190センチメートル超えの超絶イケメンになっている筈―――――」
「夢はね、叶わないから夢って言うんだよ」
「叶う夢だってあるんだ!! 僕の夢だって叶う筈、むしろ順当に行けば普通に成長する筈なんだ!!」
僕を生暖かい視線を向けるメーレに対し、涙目になりながらもそう言い放つ。
何故か仕事をしない、というか放棄している、していたところで最低限の働きしかしない自らの男性ホルモンを恨んだとしても何ら不自然じゃない。
そろそろ仕事をしても良い頃だ、むしろ遅過ぎるだろうに。
せめて声変わりはしても良い筈だ。
「柘榴ってさ、本当に男の子なの? 本当は女の子だったりしないよね?」
「なんて失礼な事を言うんだこの女」
「いや、その外見で男だっていう方が無理あるんだよ。本当はさ、股に生えていないんじゃない?」
「あるよ! あるからね! 僕だって男の子なんだからちゃんとあるよ!!」
いくらなんでも流石に女の子扱いは酷過ぎる。
学校でも着替える時には男子からは女子扱いされて女子の部屋に放り込まれそうになったり、教師からも我慢しろと言われたり、妥協した結果僕一人だけ別の所で着替えることになったりと散々な目にあっているというのにこの期に及んで女の子として見られるとか本当に辛い。
「ふぅ、歌いきりましたわ…………って、二人で何を言い争ってるんですの?」
歌うことに集中していたのか、此方の騒ぎを今初めて気付いたような顔をして西瓜が此方を見てくる。
「西瓜は幼馴染なんだから知ってるよね? 結局柘榴って男の子なの? 女の子なの?」
「だから僕は男だって何度も言ってるでしょ!! 西瓜もお願いだからメーレに言ってやってよ」
「まぁた下らない事で言い争いをしているんですのね」
「下らなくなんか無いからね! 僕の性別は下らない事じゃないからね!!」
かれこれ何度も間違えられた僕の性別。産まれた時には病院の先生や看護師に間違えられ、家族からも「実は女の子なんじゃね」と言われたこともあるがそれでも僕は男の子である。
だからこそ幼馴染でもある西瓜に証明してもらいたかったのだが、ここまで興味無さげにされるとは結構ショックだ。
「ま、幼馴染をフォローしておきますと…………柘榴は確かに男の子ではありますよ。ぶっちゃけ妊娠も出来るんじゃないかって思いますが」
「出来ないよ!」
「うるさいですわ。兎も角、柘榴は下の毛も生えてこないですが男の子なんです」
「さらりと人が気にしていることを言うなよ…………」
さめざめと涙を流す。
おかしいな。今日は確かカラオケだった筈なのに、なんでこんなに涙が出てくるんだろう。
「あ、あはは…………ゴメンね」
「謝るくらいなら疑わないでよ。僕だって男の子なんだから、そういうのは割と傷つくんだよ…………」
「でもそれならさ、髪の毛切れば良いと思うんだけど…………男の子なのにそんな風に髪の毛を伸ばしてたら勘違いされちゃっても仕方が無いんじゃないかな?」
苦笑いを浮かべながら僕の髪の毛の事を指摘するメーレに、僕は息を詰まらせる。
確かにメーレの言う通りだ。僕の場合容姿や背丈のこともあるが、先ず第一に女の子として見られる原因はこの長い髪の毛だ。
膝裏まで伸びた髪の毛は柔らかく、男のものとは思えない程に細い。
これを短く切れば少年にも見えるかもしれない。
「そうかもしれない、ってか間違いなくそうなんだけどさ。ちょっと約束があってね、これを切っちゃいけないんだよ」
メーレにそう言って僕はトマトジュースを飲み干した。
「その約束のせいで女の子扱いされているのに、切らないなんて馬鹿ですねぇ」
「馬鹿で結構。せめて最後のお願いくらいは守らなきゃいけないから」
呆れながら僕を見る西瓜の言葉に返事を返し、物思いに耽る。
事情を知っている為か、西瓜も呆れはしているものの同情に満ちた視線を向けている。
「ねぇ、約束って誰との? 私にも教えてほしいんだけど」
逆に事情を知らないメーレは興味深そうな顔をして僕を覗き込んでくる。
「うーん。ゴメンね、あまり話したくないことだから」
「…………そっか。それならこれ以上は聞かないよ」
だけどあまり教えたくない内容だった為、話を濁す。
メーレの方も察したのかこれ以上追及してこなかった。
「そういやさ、そろそろ帰る時間じゃ無いのかな?」
「あ、本当ですわね。もう少しで21時になりますわね」
何気無しにそう呟くと西瓜が持っていた懐中時計で時間を確認し、それが正解であることを告げる。
「じゃ、そろそろ帰ろうか。メーレ、もう帰るよ」
「ちょっと待って。この唐揚げ食べ終わってから――――」
「まだ食べていたのかよ…………ほら、さっさと食べて帰らなくちゃ。明日も学校あるんだし」
今も食欲を発揮しているメーレを急かしつつ僕はカバンを背負う。
その瞬間だった。今日の放課後、受け取った宿題を机の中にしまったままだったということを思い出したのは。
「あっ、そう言えば教室に今日の宿題置いてきちゃった」
僕のその発言に西瓜とメーレの二人は此方に視線を向ける。
「…………はぁ、全くドジですわね。残念ですが明日は一人で乗り切ってくださいな」
「大変だけど頑張ってね柘榴。私達には何も出来ないから」
「本当に斬り捨てるの早いなぁ…………」
あっさりと僕を見捨てた二人を見て遠い目をする。
しかしその気持ちは分からないでもない。何故ならばこの宿題は明日が期限で、しかも出したのがあのねちっこい富沢だからだ。
ただでさえ小言が多いあの富沢が出した宿題を忘れるようなことになれば、意味も無くねちっこい説教を受けることになる。
「二人ともお願いだから宿題コピーお願い! コンビニでアイスを奢るからさ!」
「真冬にアイスって…………まぁ良いですわよ」
「僕も良いよー! 折角だし沢山食べれるやつにしなくちゃ!」
「あ、ありがとう!! 二人とも!!」
持つべきものは友人だ、僕は改めてその事を理解し両方の瞳から涙を流す。
二人は僕の感謝を受けて笑みを浮かべながら自分の鞄をまさぐり始める。
「…………ん?」
「あれ、おかしいな…………?」
だが二人は鞄の中を弄っている際に同時に硬直した。
硬直はほんの一瞬の事に過ぎず、二人は鞄をひっくり返して出てきた中身を調べ始める。
なにやら不穏な空気を感じるのだが、僕はその事を指摘できずに二人の行動を眺め続ける。
暫くすると二人は立ち上がり、絶望に染まった表情をしていた。
「柘榴、メーレさん…………」
西瓜は意を決して話していると言わんばかりの顔をして僕達二人の肩を掴む。
「今から宿題を取りに戻りましょう」
どうやら二人も宿題忘れてきてしまったらしい。