例え結末が悲劇だとしても 4
「ここが三階のフロア…………」
亡者の姿は視界内には存在せず、ただひたすらに静寂のみで満ちた世界。
されど視界に映る光景には凄惨な惨劇が行われたとしか思えないようなものしか無かった。
床や壁、窓にべったりと飛び散って黒く染め上げているのは乾いて変色した血液。床に散乱するは大量の人間の骨や食べ残しとしか思えないような肉の欠片と思わしき残骸。そしてそれらが生きていた時に着ていたであろう今は汚れてしまった着衣類。
その全てがここに居た人達が生きていた痕跡なのだろう。
「覚悟、しておいてよかったな」
事前に覚悟していたのとしていなかったのでは大きな差がある。
だがそれでもこの光景は酷過ぎる。地獄としか言いようが無い。これでは生存者も期待できない。
「…………猟奇殺人の現場でもこうはならないよ。僕見たこと無いから分からないけど」
幸いなのは臭いは特にしないことだろう。
見た感じ排泄物は見える所には無い。多分トイレに投げていたのだろう。水は雨水を貯めて使えば良いのだから。
皮肉な話だが人数が減ればその分余裕が出来る。
「服とかは手、ついてないんだな」
より正確には服屋が結構な数並んでいるからだろうか。
兎も角、目当ての物はありそうだ。
多少埃を被っているが洗濯すれば十分に使えるだろう。
「…………出来ればあの二人には見せたくないなぁ」
女の子にこんな光景は見せられない。
だからと言って退かす気にもなれない。
「放置するしかないか」
結論を出して注意深く周囲を見渡しながらゆっくりと音を立てずに歩き始める。
見た感じ三階には亡者らしき人影はおろか、生存者も居ないように見える。僕達が使っていた階段には鍵が掛かっていた。多分開けようとしても大きな音を立ててしまうだろう。
結局のところ想像でしか無いが詰んでしまったのだけは分かる。
「現実ってクソだな」
これがゲームならば話は違ったのだろう。
しかし現実は違う。亡者に対する有効的な武器は存在しないし、食料だって手に入れるのすら一苦労。病気にだって気をつけないといけない。
ゲームだったらクソゲーもいいところだ。
「取り敢えず、服は見つかったし戻るか」
欲しかった物がある上に、見た限り周囲には亡者が居ないということを知れただけでも良しとしよう。
そう考えた僕は今来た道を戻ろう振り返る。
――――瞬間、遠くの方からグチャグチャと何かを咀嚼するような音がした。
「…………予定変更、音の出所を確認してからにしよう」
もしかしたら生存者なのかもしれない、と希望的観測をしながら音がした方向に足を向ける。
ここからだと多分直線距離で大凡50メートルぐらい先に居るのだろう。念の為拳銃を持っておく。
拳銃よりも刀の方が使いやすいし銃を扱う才能が無いのだが、込めてある弾丸は一発だけだ。
そもそもとしてこれを使う機会なんて訪れない方が良いのだが。
「気を付けて行こう。用心しておくに越したことは無い」
或いはここで引き返すのが良かったのかもしれないが、確認しない訳にもいかないだろう。普通に考えたら僕達がここに来たことに気が付いていないだろう。しかし何事も念には念を入れてとやらだ。
もし生存者が居て、何らかの方法で僕達の事を知り、学校まで来られたら面倒な事になる。
そうなる前に片をつける。
「…………我ながら物騒な事を考えてるな」
自分の中でさらりと始末するという方向に考えが向かっていったことに少しだけ罪悪感が湧く。
本当は自分で考えている通りの事にならなければそれで良いのだ。あくまで最悪の想像であって、もしかしたらそうならないかもしれない。
そう考えながら歩いていると音が鳴った場所に到着する。
「どうかバレませんように」
小さく言葉に出し、祈りながら僕は覗き込む。
視線の先には一人の男の姿が見えた。男は飢えた野獣を連想させるような目で人間だったモノに食らいついている。
しかし、その目付きは亡者のように虚ろでは無かった。
「っ、マジか…………」
目の前で行われている悲惨な現場に思わず吐き気を催さずにはいられなかった。
仕方がないということも分かっている。それでも人を買っている姿を目の前で見てしまった時に何もしないと言えるほど僕は強くない。
やめさせよう。食料だって一応はある。だからもう人を食う必要は無いのだと伝えなきゃ。
そう決意して男の前に出て行こうとした瞬間、男の姿を見て言葉を失った。
「…………本っ当、この世に神も仏も居ない。居たとしても性格が悪い奴しか居ないだろう」
そう呟きながら僕は姿を現して銃口を男に突き付ける。
「動くな。ゆっくりと両手を上げて立ち上がれ」
自分でも底冷えする程に冷徹な声で男に語り掛ける。
すると男は驚いた眼をして顔を上げる。
「…………あ、生きた…………人?」
ついさっきまで死んだ魚よりも死んでいた目をしていた男だったが僕の姿を視認した瞬間、生気が戻る。
「よ、良かった! まだ生きた人が居たんだな!? その恰好からすると外から来たんだろう!?」
男は非常に喜んだ様子で立ち上がり、覚束ない足取りで此方に向かってくる。
「来るな。頼むからまだそこに居てくれ」
「え、あ……………そ、そうだよな…………今の私なんかに近寄られたくなんか、無いものな」
僕の言葉に男は手を下げて乾いた笑いを漏らす。
確かに僕が男の立場だったとしても、近寄られたくないと思ってしまうのは当然だった。
何せ人だったモノを喰っていたのだから。
「あんたに聞きたいことがある。ここで一体何が起こったんだ?」
だが正直に言ってそんな事はどうでも良い。本当はどうでも良いことじゃないのだが仕方がなかったこととして受け入れる。
それにこの男の人の様子からしても決して本心でやった行いとは言えないだろう。
状況によってそうするしか無かった人の事を悪だと断じることだけは僕には出来ない。
だからこうなった経緯について聞こう。
――――ここに居た人達がどうしてこうなってしまったのかを、その最後を忘れさせないように。
「早く答えてほしい。時間も無いから――――きっと、貴方の方も」
「…………ああ、分かった。私が知っている限りの事を君に話そう。なら先ずはあの日からだな」
そして男は語り始める。
世界に亡者が出現してから今日に至るまでの日々についてを。
――――世界が亡者に出現した日の翌日、会社に向かおうとした途中で異常に気が付いたのだ。
亡者が出現した時間帯は夜、それも夜遅い時間だった。
だから男のように翌日になってから気付いたのもおかしくは無かった。詳しくは覚えていないが丁度僕達はその頃、学校でバリケードを作っていた時間帯だった筈だ。結局、夜中を通り越して朝日が少し見え始めていたから気付くのに遅れても仕方が無かっただろう。
だからと言って運命が男に優しくするかと言われればそう言うわけでは無く、気が付いた頃には亡者に満ち溢れた世界で必死に逃げ惑いながらこのデパートに辿り着く事に成功する。職員用玄関は使用することが出来なかった為、フロア内に存在する階段を使ってこの三階まで避難したのだ。
亡者のような理性が存在しない本能剥き出しの奴等の場合、階段を上りづらいと言う事を避難民の誰かが知る事に成功し、道具等をばらまいて階段を上りづらいようにしたらしい。
最初の内はそれで上手く回っていたようで、三階にある食品や持ち込んだ食品で飢えを凌いできた。
しかし、その生活も長くは続かなかった。
単純に避難してきた人数があまりにも多かったのだ。詳しい人数は不明だが約100人近くの避難民がこの三階に集まったらしい。
確かにそれじゃあ食料なんて全然足りないよ。足りるわけが無い。
それで食料を確保する為に何人かが立候補して他の階で食料を集める事にしたのだが、その内の大半が亡者の仲間入りを果たした。何とか無事に戻って来た人達も食料を集めることにこそ成功したが、避難民の大半を賄える食料だったかと聞かかれればそう言うわけでも無く、むしろ全く足りない状況に陥ってしまった。
食料を集めようとすればするほどに亡者になっていき、かと言って腹が満たされる訳も無い。
そして最初の餓死者が出た瞬間に―――――。
「――――もう、良いです。それ以上は貴方の方も辛いだけになります」
「ああ……………すまない、聞いてくれてありがとう。聞いてて不快な話になって済まない」
「いいえ。ある程度は覚悟していました」
そう、事前に西瓜が予想していた通りだった。
流石に病気に関して等考え過ぎな部分もあったが大体が予想していた通りだったのだ。
「……………くそがっ、こんなのあまりにも救われなさすぎるだろ」
やり場の無い怒りとどうしようもない絶望感に拳を握り締める。
この場に居た人達は決して悪い人では無かった。むしろ良い人達の集まりだったのだろう。
百合子さんのように望んで人の道を踏み外したわけでも無ければ、世界がこうなってしまうのを分かっていた上で自分達だけが助かるようにしていたわけでもない。何処にでも居る普通の人達だったんだ。
それがどうして、このような事にならなくちゃいけないのか。
「…………こんなのあんまりだろう、神様ぁ」
学校で過ごしていた時は何となく別の世界で起こった出来事のような感覚を抱いていた。
でも学校と言う安全圏から出れば現実は容赦なく僕達に突き付けて来る。
そしてこの人を見て抱いてしまった疑問が僕の中で突き刺さり、大きくなり始めている。
疑問というのは亡者についてのことだった。
「ありがとう。きみは本当に優しい人間だ。そんなきみにこんな事を聞くべきではないと思う」
彼も僕が抱いた疑問と同じ事を考えているのか、優しい笑みを浮かべた。
「だがそれでも一つ聞かせてほしいんだ。私は今、自分の身体を確認できないから」
「……………分かりました」
「ごめんね。きみにとっては辛い質問になるだろう。だがこれはしなくちゃいけないことで、やらなくちゃいけないことなんだ。無知で居た方が良いのかもしれないが、知らないままにしておいちゃいけないことだ。きみ達の未来にとって必要な事なのだから」
今まで僕は亡者という存在が死者、もしくはそれらに類似する『Zウイルス』に感染してしまった人間だと思っていた。それに間違いも無く、隠された真実というものも多分無いだろう。
ただこれは感染した人間の方に問題があるのだろう。
何故ならば―――――――、
「きみから見て、私はどう見える?」
「…………亡者にしか見えません」
少なくとも僕は右の脇腹が抉られている上に背中からいくつもの鉄パイプを生やしている人間を生きているとは思えない。
とてもではないが生きていられる筈が無い程の大怪我を負っているのに動くことが出来る彼は亡者にしか見えなかった。
彼は人間の頃の意思を持ったまま亡者になってしまった人間だった。
いや、そもそもとして亡者達にも意識はあるのだろう。それが彼ほど表に出ることが無く、自分の身体を動かすことも出来ないと言うだけ。
最もそれも仮説にしか過ぎないのだが。それでも亡者にも意思があるかもしれないという事を知ってしまった。
ある種、先入観を持っていた。だから僕は亡者を殺すことが出来た。何故なら亡者は本能だけで動いている生きた死体だから。
だがこれからは違う。もしかしたら心がある被害者かもしれないのだ。
その事実はあまりにも重すぎた。
「…………そうか、私は既に亡者だったのか」
乾いた笑みが静寂に満ちたこの空間に満ちる。
自分の事を人間だと思っていたのだろう。人間だと思ってずっと生き抜いてきたのだろう。
なのに人間ではない、人間を襲う化物になっていたのだと知ってしまったのだ。
その時に抱く絶望がどんなものなのか、僕なんかじゃ予想もつかない。
ここに来る前に西瓜が予想していた事よりも遥かに救いようが無い事実に思わず顔を顰めて目を背けてしまう。
「一つ、きみに頼み事をしたいのだが…………その前に一つ聞いても良いかい?」
「何を…………ですか?」
「きみは男の子なんだろう? どうして髪を伸ばしているんだい?」
まさか会って初日、それもまだ時間も経っていない相手に男だと分かってくれるとは思ってもみなかった。
こんな状況で、こんな場所でなければ素直に喜べたし嬉しかったのだが。
とは言え、髪の毛を伸ばしていることを聞かれるとは思わなかった。
「いや、聞かれたくなかった事なら言わなくても大丈夫だよ。そういう趣味だと言うことで納得するからね」
「あんた割と余裕あるだろう」
さっきまで僕を包み込んでいた薄暗い空気が少しだけ薄れた感じがした。
これを狙ってやっているのなら本当に気を使ってくれる良い人なんだと分かる。
実際、僕の事を気遣ってくれているのだから、少しでも明るくなってほしかったのだろう。
「まぁ、うん。あまり言いたくはないことなんだけど、でも貴方なら言っても良い気がする」
「そうか。それなら良かった…………」
「この髪は僕にとって自罰の証。そして死んだ弟の遺言でもあるんだよ」
弟が自殺したあの日、残した遺書に書いてあった言葉。
その言葉は「兄貴は髪を伸ばせば似合うと思う」という、僕に残したメッセージの中にあった少ない一文。
あいつからしてみれば遺書の中に含めた本当に何気無い文章だったのだろう。
だがそれでもあいつが残した思いだった。僕はそれを無意味にしたくはなかった。
それが僕が髪を伸ばすようになった理由。この長くなった髪を見る度に何もしてやれなかった愚かな兄貴の罪を決して忘れないようにする為の証だ。
「成程、それは家族との絆の証というわけなのか。不躾な事を聞いて済まなかったね」
「良いですよ。それで、貴方の頼み事と言うのは?」
「ああそうだったね。今の話を聞いて良かったよ。きみにならお願いすることが出来る」
男は小さく息を吐くと今にも崩れ落ちそうな足取りで歩き始める。
「もしで良い。もし、私の息子に出会ったら伝えてほしい事があるんだ」
この作品の亡者の定義。
・Zウイルスに感染している者の事を指す。
・亡者は基本的に二種類存在し、理性が無い良くあるゾンビタイプ、もう一つが人間としての意識あり身体を動かすことが出来るタイプ。ただし後者に関しては極めて稀有な例。
・亡者は決して動く死体というわけではなく、理性が無いように見えるが意識ははっきりある。身体も自分の意思で動かすことが出来ず、五感は正常に機能している。




