風が吹けば桶屋が儲かる 5
「ごめんね」
そう呟くと同時に僕の目の前に居た亡者の首が宙を舞った。
百合子さんは研究者だ。世界がこうなった原因である『V細胞』と『Zウイルス』について調べているとも言っていた。
しかしどうしてそこまで分かったんだろうか、その事について疑問を覚えていた。何故亡者になるのが『Zウイルス』に感染した者だと分かったのか。何故『V細胞』を有した人には感染しないのかということが分かったのか。
考えれば考える程に疑問が浮かび上がってくる。
だからあの時、僕はトイレに行くと言ったのだ。
当然嘘だと見破られないようにトイレにも行ったし、その後道を迷ったとも誤魔化せるようにしてもいた。そして僕はこの研究と実験室に入れられた亡者と亡者になっていない死体を発見したのだ。
それが意味する内容はつまり、百合子さんは人体実験をしていたということだ。
その後は言わなくても分かるように亡者にトドメを刺した。
正確には顔はまだ動いているが。
「首だけになってもまだ動けるのか」
亡者の恐ろしさに脅威を感じながら僕は刀を頭に突き刺した。脳が破壊されたことにより亡者の活動が完全に停止する。
今にも再起動して動きそうだが亡者は頭部、正確には脳を破壊さえすれば動かなくなる。逆に言えば脳を破壊しない限りは動く事が可能なのだが。
しかさそれは今はどうでも良い話である。問題なのはこの亡者と一緒に居た死体の方である。
「死体の方に問題は無い、ってことは多分この亡骸に『V細胞』が移植されているんだろうね」
死体に外傷は殆どなく、亡者になって動き出してもおかしくはない。しかし全く動いてないことからこの遺体こそが百合子さんが言っていたことの証明になるだろう。
要するに人体実験をしていたのだ、彼女は。
「……………っ」
世界は崩壊し、人の論理は役に立たないものになってしまった。守るべき法は失われ、己の身を守るのは自分自身のみ。
でも、だからといってこんな酷いことが出来るだろうか。
必要になったからしているのかもしれないし、そうでは無いのかもしれない。こんな事をしなくちゃならない理由だってあるのかもしれない。
だがどれだけ世界が酷くなっても、人としての尊厳を奪う事だけはしちゃならない。
「これは、あの二人には見せられないな」
西瓜もメーレも僕より心が強い。
でも二人は女の子だ。こんな世界になってからどれだけ無理をしているのか分からない。多分心のどこかを無理に押さえ付けて頑張っているのだろう。
これ以上無理をさせたら二人に負担ばっかりが掛かってしまう。
「…………僕が、百合子さんを殺すしかないのか」
正直に言ってそんな事は絶対にやりたくないし、やっちゃいけないと僕の論理感が訴えて来る。
でもやらなくちゃいけないんだ。
百合子さんがしていることが僕達にとって都合が良いこととは分からない。多分、人類の為にはなるのだろう。そこに僕等が居ないかもしれない。
それは駄目だ。僕一人なら兎も角、二人が美人的な目にあうのは駄目だ。
だって彼女達は女の子だから、どれだけ強くてと女の子なのだから。
「よし、やろう」
そう決心した瞬間だった。
遠くから一発の銃声が鳴り響き、僕の耳に届いたのは。
「っ、まさか…………!!」
僕の脳裏に最悪の未来が浮かび上がる。
そんなことになるとは殆ど思っていない。だが世の中100%と断言出来るものはそうは無いのだ。もしかしたら僕が考えたことの、最悪の未来すらも霞んで見えるぐらいに最低の未来だってあり得る。
亡者になっていない方の死体の脳天に刀を突き刺してから僕は実験室を後にし、急いで上階に戻る。
階段を駆け上がり、無我夢中で廊下を走った。
気が付けば三人が居るさっきの部屋の前まで戻って来ており、躊躇う事なく扉を開けた。
「二人とも!! 大丈夫!?」
扉を開けた瞬間、僕の視界に映り込んだのは二人の姿と頭から血を流して絶命している百合子さんの姿だった。
「…………ええ、私達は大丈夫ですわよ」
「柘榴の方こそ、大丈夫?」
突然扉を開けて入って来た僕を見て、二人は安堵の息を漏らす。
一体何が起こったのか、何がどうしてこうなったのか等、聞きたいことは山ほど出来た。
だがそれ以上に二人が無事だったことに安心していた。
人が死んだという事実よりも先に僕は二人に怪我が無かったことに喜んでいた。
+++
あの後、僕達三人は地下室にあった三人分の死体を運んで、屋上から外に投げ捨てた。
室内に遺体があったら同じ部屋に居なくても気分が悪くなるし、何よりあのまま放置していたら腐敗してしまう。
詳しい知識は無いし、そこまで知らないが遺体を放置すると良くないというのは分かっている。
特にこれから暑い季節になるのだ。地下は冷房も効いているので急に腐ることは無いだろうが、不衛生にする理由も無い。
投げ捨てた三体の亡骸が地面と激突した音が聞こえた。
「…………っ、う」
人だったモノを高所から投げ捨てたという事実に思わず吐き気を催してしまう。
中学の頃、不良のレッテルを張られた事もあったし一歩間違えば人を殺していたかもしれない。でも、人を実際に殺したわけじゃ無いと言うのに凄まじい忌避感が僕の心を支配した。
亡者はもう人間じゃ無かったし、死体の頭を破壊したのも念には念を入れる故の判断だった。
だから投げ捨てる事も平然と出来ると心の何処かで思っていたが、全然甘かった。
冷静になって罪悪感が増していく。
「大丈夫…………?」
口元に手を当てて吐き気を堪えているとメーレが心配した様子で僕の背筋を摩る。
「あ、ありがとう…………もう、大丈夫」
死体を投げ捨てただけの僕でこれなんだ。実際に百合子さんの命を奪った西瓜の負担がどれだけのものなのか、計り知れない。
実際のところ僕は殺害した状況を見ていないし、後から殺害した理由も聞いている。
だが西瓜が殺したのは間違いないのだ。そして僕は今彼女が抱えているストレスを分かち合うことは出来ない。どれだけ綺麗ごとを抜かしても僕達の中で彼女だけが人を殺したと言う事実は変わらないのだから。
「西瓜…………」
「ん、どうしたんですの?」
「僕さ。この先どんなことが起ころうとも西瓜とメーレの味方だから」
僕が出来ることはこうした慰めにしかならない誓いだけだった。
でも、それでも西瓜の心が少しでも安らぐと言うならば何度でも言ってやろう。
この言葉が嘘にならないように行動でも示して――――、
「全く、この小柄な肉体でよくもまぁそんな男前な事を言うね。そんな事を言う口はこうだよ!」
「ふぎゃっ!? めぇ、みぇーりぇ…………きゅちにょはしひっぱりゃないで」
突然メーレに口の端を掴まれ、引っ張られる。
「おおぅ、もち肌…………! 手入れされていないのに見事なまでのうるおいボディ…………!」
「だから放せって! あー、もう…………メーレ力強いから痛いんだよぉ」
メーレの手を振りほどいて頬を摩る。
鏡で自分の顔を確認していないので分からないが、きっと今の自分の頬は真っ赤になっていることだろう。
別にほっぺを引っ張るのは構わないが、もう少し手加減をしてほしいと思う。
「ふふふ、ありがとうございます。柘榴」
そんな僕等二人のやり取りを見て西瓜は笑みを浮かべる。
世界は亡者に満ち、残された人類でさえ手を取り合うのではなく利用し合うような関係になってしまった。僕等三人は本当に恵まれた関係性だ。この三人で崩壊した世界に立ち向かう事が出来るのは本当に奇跡的としか言いようが無いくらいに。
この三人ならどんな苦難でも乗り越えて行ける。いつかは生き残った人達と共に力を合わせて復興することだって出来る。この時の僕はそう考えていた。
――――しかし、脅威は亡者と人類だけでは無かったことを僕達は思い知らされることになる。




