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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

フライトマイヤーには敵対するな。

作者: 鷹村紅士

気持ち悪い男の描写があります。

ご注意下さい。


「ディオル様、私との婚約を破棄して下さい」


 婚約者、マリオン・クラブレッザ伯爵令嬢の言葉に、ディオル・フライトマイヤー侯爵令息は表情をひきつらせた。


 いつもなら柔らかい笑顔で、ディオルの好きなチョコチップクッキーを持参して来るマリオン。

 なのに今日に限っては笑顔もなく、服装も華やかなものではなく……まるで葬式にでも出るような雰囲気で屋敷に訪れた。

 一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたディオルだが、すぐに表情を引き締めた。

 何か事情があるのだろう。ならばきちんと聞いて、力になろうと思った。

 そして、言われたのが冒頭の言葉だった。

 マリオンは聡明で努力家だ。

 ディオルのフライトマイヤー侯爵家は国内でも筆頭と言えるほど豊かで広大な領地をもち、強大な影響力を持つ。

 そんな家の次期当主の妻となるのであれば求められる条件は王妃すら超えるほどの厳しいものだ。

 多くの令嬢が権力に引き寄せられて婚約者候補として選定にかけられ、ふるい落された。

 その中で唯一合格ラインに引っ掛かったのがマリオンだ。

 血を吐きながらも必死に必要なスキルを修得し、己をフライトマイヤー侯爵夫人に相応しくなるように改造していった。

 それは、愛ゆえに。

 幼い頃に出会ったディオルを好いた、マリオンが想いを貫き努力して、そして勝ち取った正式な婚約者という立場。


 なのに──。


「ほ、本気で、言って、いるのか……?」

「…………はい」


 フライトマイヤー侯爵家の者として、ディオルには婚約者選定とは比べ物にならない程の厳しい教育がなされてきた。

 それこそ、少しでも見込みがないと見なされれば継承権を剥奪され、逃走防止に奴隷紋を刻まれた挙げ句に道具として扱われる未来が待っている。

 それほどの経験をしてきたにも関わらず、ディオルの心は揺れた。

 揺れまくった。

 震えるディオルの問いを、マリオンは小さくだがハッキリと肯定した。


「何故だ? 何故……?」

「……私は、もう……駄目なのです。もう……! あなたの横には居られない!」


 涙を溢れさせ、感情の高ぶりのままに叫ぶマリオン。


「私は、もう、あの方なしでは……!」


 それだけ言って、マリオンは駆け出した。

 玄関で出迎え、そのまま話が始まってしまったから、マリオンはそのまま庭に停まっていたままの馬車に飛び乗り、「出して!」と御者へ叫ぶ。

 御者は歯を食い縛りつつ、ディオルへ一礼して馬車を発進させた。

 ディオルは呆然としたまま、馬車を見送った。


 それから、しばしの後。


「……デイモン」

「こちらに」


 ディオルの呼び掛けに、彼の背後に濃紺の装束に身を包んだ人物が唐突に現れた。


「彼女に何があったのか、徹底的に調べあげろ」

「御意」


 命令を受けた濃紺の装束──デイモンは受諾と同時に姿を消した。


(……あの方だと?)


 ディオルの心に、暗い焔が灯る。


(誰だ……俺からマリィを奪うのは……誰だ!?)


 ディオルはマリオンを愛している。

 そして知っている。

 彼女がどれだけの努力をしてきたか。どれだけの事をしてきたか。

 どれだけ自分の事を愛してくれているか。

 気高く、美しい彼女。共にいれば心が穏やかになり、執務が進む。甘党の彼のために至高のクッキーを作ってくれる。

 目尻を下げ、嬉しそうに笑う彼女が愛しい。

 あの笑顔を守るためならば、ディオルは世界を敵に回してもいいとさえ思っている。


(……必ず見つけ出すぞ)


 ディオルは踵を返す。

 デイモンが情報を収集してきたら、すぐに動けるように準備するために。


 ◇◇◇◇◇


 薄暗い部屋に、耳障りな笑い声が木霊していた。


「ヒィーヒャヒャヒャッ! ウヒャヒャヒャヒャッ! ウヒッ! ウヒヒャッ! たまんねぇなぁ!」


 カーテンを締め切り、埃っぽい部屋は二つの人影があった。

 一人は聞くに耐えない奇声染みた笑い声を上げている男。

 つり上がった目、こけた頬、整髪油をふんだんに使ったのだろうか、焦げ茶色の髪がランプの光をギラギラと照り返している。

 もう一人は子供のように小柄な体躯を黒いローブで包み、フードを目深にかぶっているせいで顔は闇に覆われて見えない。


「イヒッ! イヒッ! イヒヒャッ! 最高だぁ! とーってもいい気分だぁ! あの女が手に入る! あのクソ野郎、ざまぁ見ろ! アヒャヒャッ!」

「うるさい」

「あ?」


 狭い部屋で延々と笑い続けられれば、反響した声で耳がおかしくなるのは当たり前の話だ。

 我慢しきれずといったローブ姿の人物の声に、唐突に笑うのをやめた男は、仰け反ったままの体勢で顔だけをローブ姿の人物へ向けた。

 光源はランプ一つ。

 陰影が強調される場所で、変な体勢から生理的嫌悪を覚える不気味な角度で顔だけを向けられ、ローブ姿の人物はビクリと身を竦ませた。


「おい、今うるさいといったか?」

「…………」

「おい? おいおいおい? 今俺様に意見したか? したよなぁ? したんだろぉ!?」


 全身を左右に振りながら男はローブ姿の人物に近づく。

 目は血走り、涎すら垂らしっぱなしの顔をグイと近付け、


「誰がお前を拾ってやったと思っているんだぁ? なぁ? この俺様だろぉ? なぁ? こ、の、バウチャー・コンドン様だろぉ!?」


 男、バウチャーは叫ぶ。


「随分と調子に乗ってるじゃないかぁ? なぁ? いくら心の広い俺様でもぉ、我慢できない事もあるんだぞぉ?」

「……!」

「んーまぁ! 今の俺様はとーっても気分がいいからぁ? 許してやらんことも、ないけどなぁ!」


 そう言いつつ、振るわれたのは平手だった。

 痩せているバウチャーだが、上半身を捻って勢いをつけられたそれはローブ姿の人物の頭をしたたかに打ち、地面へと叩きつけた。

 はらり、とフードが捲れた。

 現れたのは波打つくすんだ金の髪を持つ、皺だらけの老婆であった。

 左頬には三日月のようなアザがある。


「なぁ? 忌み嫌われる魔女? 見つけたら殺されるしか能がない魔女? お前、分かってるのか? 俺様が拾ってやらなきゃ死んでたんだぞ? なぁ? その恩を返すんだろ? だったら働けよぉ!」


 老婆に対して、情け容赦なく蹴る。蹴る。蹴る。

 しかし、体力が少ないようですぐに息が上がり、肩を激しく上下させてふらつき始めた。そのままよろけ、部屋に一つだけの木の椅子に倒れ込むように座った。


「……だから、働いただろう。お前の望み通りに」


 老婆にしては若い声だ。


「イヒッ! そうだぁ……そうだよぉ! イヒヒャッ! あぁマリオォン、俺のマリオォン、俺なしじゃ生きられなくなった可愛いマリオォン……俺に突っ込まれなきゃ生きていけないマリオォォン!」


 ……マリオン・クラブレッザ伯爵令嬢に起こった悲劇。

 それは、この男、バウチャー・コンドンの歪んだ欲望から始まった。

 バウチャーは男爵家の三男に生まれた。

 とは言え、コンドン家は弱小で名ばかりの貴族だ。先々代の当主はかなりのやり手で富を得ていたが、それ以降は先々代当主の富を食い潰しながら生活し、今ではちょっとした商家にすら負けるほどの没落ぶりだ。

 そんな家に生まれたバウチャーは思った。


「貴族なんだから、贅沢できるはずだ!」


 最初は、幼い子供故の夢想だった。

 しかし成長してもその思いは消えず、家人の施した「いつか再び先々代のように」とのスローガンと偏向教育の果てに歪みに歪んだ。

 実力はないが目標だけが高い男。

 ただ、それだけならばまだ関わらないようにすればいいだけの話だ。

 実際、コンドン家には金はもとより人脈も信頼もなにもなかった。そもそも現当主の妻とて政略結婚でもなく、近隣の年頃の娘を拐うように連れてきて無理矢理子を産ませただけで、今はもう故人だ。

 好き好んでコンドン家に近付く者は誰一人いない。

 そんな家だが、腐っても貴族。

 王国の建国記念日に全貴族が城へと集められる慣習に従って登城した。

 そこで、バウチャーは一人の令嬢に一目惚れした。

 その令嬢こそが、マリオン・クラブレッザ伯爵令嬢だった。

 美しい彼女を自分のものにしたい。

 しかし、彼女には婚約者がいた。

 ディオル・フライトマイヤー。

 自分より高位の貴族の息子で、自分より金持ちで、自分より恵まれている男。

 バウチャーの心は嫉妬と劣情に支配された。


「マリオンを俺の女にする。それと、あのクソ野郎を泣かせてから俺様に謝らせて奴隷にしてやる」


 歪んだ男が歪んだ思想のままに突き動かされ、最早なりふり構わずに行動を開始した。

 高位の貴族家の名を騙って平民から金目のものを奪い、人を脅して手駒にし、そして外法に精通し忌み嫌われるとされる魔女の住む森を焼き払い、この老婆を捕らえた。

 奪った金で購入した違法品である【従属の拘束具】で逃げられないようにした後は魔女に命令をした。


「マリオンを俺様無しじゃ生きられないようにしろ。あとあのクソ野郎をずっと苦しめるような方法を考えろ」


 具体的な方針もなく、全てが他力本願。

 それでも魔女には、それを叶える手立てがあった。

 古より、魔女は師から妹子(でし)へと全ての技術を口伝にて受け継がせてきた。

 その内容は、今では失われてしまった秘術の数々。その中でも、奴隷紋などを始めとした刻印術と呼ばれる技術に、この小柄な魔女は精通していた。


 魔女ならば色々知っているだろうと短絡的に考えて暴走し、手っ取り早いからと魔女が住んでいると噂の森に躊躇なく火を着けた。

 そこにちょうど魔女がいた。しかも強制的に人を奴隷にできる刻印術に詳しい魔女が。

 バウチャーは自信を持った。

 マリオンは俺様の女になる! と。


 それからは刻印術の実験をする日々だ。

 脅して言うことを聞かせていただけの者たちに奴隷紋を刻み、絶対服従させた。

 そして男には苦痛を味合わせる刻印を。

 女には、バウチャーに依存する刻印を。

 魔女の持つ刻印を全部試して、その中から必、バウチャーの琴線に触れたものをピックアップして複合させ、出来上がったものが……。


「あぁぁ……早く来ないかなぁ……俺のモノを注がれなきゃ死んじゃうくらい苦しいのにぃ……ウヒッ! どこまで耐えられるのかなぁ……ウヒッ!」


 バウチャーの体液を体内に取り込まなければ激痛に苛まれ続ける、新型の刻印。

 これが完成した頃には、バウチャーの手駒は激減していたが、気にしなかった。

 実の親と兄ですらいなくなっても、気にしなかった。

 残り僅かな手駒でマリオンの行動を徹底的に調べ、菓子の材料を買いに自ら店に向かう時に狙いを着けた。

 魔女は顔を隠せば子供のようにしか見えない。そこで子供と錯覚させてマリオンに近付かせ、直接新型刻印を刻み込ませ、バウチャーの想いを綴った手紙を渡し、計画は順調に経過している。


「イえヒヒャッ! フゥライトォマイヤァー……何が『敵対するな』だぁ? 何が『死神侯爵』だぁ? なぁーにが『触れ得ざる闇』だぁ!? 何も出来ないクソ野郎の分際でぇ! バカで十分なんだよぉ! バカでよぉ!」


 フライトマイヤー侯爵家はその強大さに比例するように敵も多いが、それらを圧倒する力を持っている。

 自衛できなければ、今ごろは(たか)られ、むしられ、奪われて消えていただろう。

 多くの敵が利権を奪おうとして、全てが消えていった。

 そうして、いつしかフライトマイヤー侯爵家とは敵対するなと言われるようになった。

 しかし、バウチャーは信じない。

 むしろだからどうしたと。


「俺様を殺せる訳がないだろぉ? だぁって、あのクソ野郎は何も出来ないクソ野郎なんだからよぉっ!!」


 魔女は一人悦に入っている目の前の男を、心の底から蔑んだ。

 自身の勝手な妄想を実現するために、外法に詳しい魔女が生理的嫌悪を覚えるほどの悪辣で外道な事を嬉々として命じる、狂人。

 それからすぐに、そんな狂人にいいように利用されている自分にも嫌悪感を覚える。


「ッハァ……次はぁ、あのクソ野郎だぁ。あのクソ野郎にマリオンと同じのを刻んでやるんだぁ……っひぁ!」


「黙れ狂人」


 声を共に、部屋が震えた。


 ◇◇◇◇◇


 ディオル・フライトマイヤー。

 フライトマイヤー侯爵家の嫡男にして、血族から『歴代最高』と称されるほどの男。

 彼は最初、実の父親である現当主からの教育に泣いて逃げてばかりだった。

 逆に、彼の弟たちは真面目に教育を受け、将来ディオルは継承権を剥奪されるだろうと誰もが思っていた。

 しかし、ある出会いが彼を変えた。

 フライトマイヤー家の離れで行われていた次期フライトマイヤー侯爵夫人の教育会。

 そこに参加していたマリオン・クラブレッザと、偶然の邂逅。

 幼き少年は少女の可憐さに目を奪われ、また少女も少年の涼やかな美貌に心を奪われた。

 侯爵家の誇る広大で手入れの行き届いた庭園の、色とりどりの花が咲く場所で、二人は話をした。

 子供らしい内容だった。

 時間も短いものだった。

 けれど、二人にとって色鮮やかに思い出すことのできる、大切な始まり。

 すぐにマリオンは迎えの者によって帰らなければならなくなり、そこで初めて、彼らは自己紹介をした。


「しょうらい、でおるさまとけっこんしたいです」

「ぼくも、まりおんといっしょにいたい」


 幼い二人の、大人からすれば他愛ない約束。

 それが、運命を変えたのだ。

 マリオンは教育係ですら心配して声をかけてしまう程に努力した。

 ディオルも、心を入れ替え、死線を潜り抜け続ける程の厳しい努力の果てに、フライトマイヤーの次期当主の座を獲得していた。

 その事が発表される時、ディオルは弟たちが反対すると思っていて、何かしてきてもすぐに対応できるように十重二十重(とえはたえ)の策を敷いていたが、満場一致でディオルに決定した。

 その時の親族の顔は、ひきつっていた。


『お前以外を選んでしまったら、我らはご先祖に申し訳がたたん』


 フライトマイヤー当主に求められる者は、情と非情を併せ持たねばならない。

 そして国王への忠誠と、圧倒的な力も。

 ディオルは愛を知っている。

 ディオルは敵を処分する心を持っている。

 国王への忠誠は、まぁまぁ。

 そして、歴代当主ですら持ち得なかった圧倒的な力を手に入れた。

 これで、ディオルを選ばないという選択肢は消えた。

 もし選択を間違えたのならば、消えていたのはフライトマイヤー家の方だからだ。

 そんな男の最愛に、手を出したら?

 答えは決まっている。


「バウチャー・コンドン。お前を潰す」


 薄暗い部屋のドアを吹き飛ばし、緩やかに入ってきたのは、ディオル・フライトマイヤーその人だ。

 軽装の鎧と剣を腰に装備した姿で、圧倒的覇気を纏った彼の登場に、バウチャーは腰を抜かしてへたりこみ、魔女は全身を震わせた。


『フライトマイヤーには敵対するな』。

 この言葉は正確ではない。

 正確には、『ディオル・フライトマイヤーには敵対するな』が正しい。


「い……イヒッ!?」


 バウチャーが何かを言おうとした瞬間、部屋の中の影から複数の人影が滲み出るように現れ、バウチャーを手早く拘束した。猿轡も噛まされ、簀巻きにされたバウチャーは虫のように蠢くが、すぐに上から踏まれて大人しくなった。

 暗殺集団『黒鉤爪』。

 大陸でも最も恐れられている、金を払えばどんなことでもやってのける闇の世界の住人。

 かつてはディオルを狙って来たが、一人を捕らえ、そこから罠を張り巡らせて徐々に取り込まれ、今ではディオル配下の影の集団に収まっている。

 デイモンという人物は、『黒鉤爪』の頭領である。

『黒鉤爪』の仕事ぶりを見届けたディオルは視線を魔女に向けた。

 子供のような小さな体躯に、皺だらけの肌。

 左頬には、三日月のようなアザ。


「なるほど。三日月の……欠けた月の一族か」

「!? どうしてそれを?」

「やはり魔女が関わっていたか。ライオリア、お前が相手をしろ」


 ディオルは魔女の問いには一切答えず、部屋の外に声をかけた。

 部屋の外には屈強な武装集団が控えていて、彼らが道を開けて部屋の中に入ってきたのは、ローブ姿の女。


「やはり、そうでしたか」

「ああ」


 魔女を見るなり、ライオリアは悲しげに目を伏せた。


「……あの拘束具を解除しても?」

「暴れさせるなよ」

「はい。もちろんです」


 許可を得たライオリアは滑るようにして魔女の側に。

 魔女は震えを強くして、


「もう大丈夫よ」


 柔らかい声ともに全身に絡み付いていた拘束具が外され、呆けたような顔をした。

 この拘束具は一度装着させられれば、装着させた者以外には外せない仕様になっている。

 バウチャーは外す気がないため、諦めていた自由。

 それが、こんな簡単に手に入った。


「……なん、で? どうして?」

「ふふ、この拘束具には魔女の(わざ)が使われているの。だから、知っていればこうやって介入して外すことなど造作もないの」


 それすなわち。


「あなたも、魔女?」

「ええ」


 ライオリアは笑ったまま、自身の顔を撫でる。

 すると、美女の顔が一瞬にしてしわくちゃな老婆の顔になった。


「ね?」

「でも……頬にアザが」

「そんなもの、化粧で隠しているに決まっているじゃない」


 ライオリアはローブの裾から布を取り出すと、水筒からの水で濡らして頬を拭った。

 そこから出てきたのは、丸いアザ。


「満月のアザ……正統魔女の!?」

「私は今代満月の魔女、ライオリア。あなたの名前は?」

「……三日月の魔女、オリエント」

「そう。オリエント。あなたはこれからやってもらわなければならない仕事がある。拒否権はないわ」

「……内容は?」

「あなたがとある令嬢に刻んだ刻印の完全除去」


 ライオリアの言葉にバウチャーが反応してビチビチと跳ねたが、ディオルの全力爪先(トゥー)キックが炸裂して動かなくなった。


「やります」

「そう。よかった。それ以降、あなたの身柄は私が預かる。大丈夫。あなた以外にも大勢の魔女が一ヶ所に集まって平和に暮らしているの。あの方の下でね」


 ライオリアはオリエントの頬を撫で、姿を偽る術を解除した。

 皺だらけの顔が、一瞬にして若々しいものに変わる。オリエントの正体は、幼い少女だったのだ。


「怖かったでしょう。もう大丈夫だからね」


 慈愛に溢れたライオリアに抱き締められ、オリエントは年相応の子供らしく泣き出した。

 ディオルは視線だけでライオリアに退室を促し、二人の魔女が部屋から消えた。


「さて、始めましてだな、バウチャー・コンドン。何も出来ないクソ野郎だ」


 溢れ出す殺意が、空間をも歪ませる。

 物理的な圧力を伴うそれに、バウチャーは目に涙を浮かべて震え出す。

 先程までの高圧的にして狂気的な態度は微塵もない。

 そこにいるのは、哀れで無力な愚か者。


「お前には、愛しい婚約者が迷惑をかけられた……そして、俺も、な」


 顎を掴む。

 ギチリと肉と骨が軋む。

 痛みに呻き声を上げるが、緩むことはない。


「お前にはこれから、じっくりと教えてやろう。自分が仕出かした事が如何に愚かなことだったか……理解して、絶望して、それから処分してやる」


 頭を床に叩きつける。


「安心しろ。出来るだけ長く苦しめてやるからな……」


 楽に死ねると思うなよ。


 ◇◇◇◇◇


「ん……んはっ、ディ、オル、さまぁ」

「ふふ、違うだろう? マリィ」

「あ……ディー」

「良くできました」

「ん……」


 あの婚約破棄宣言から早一月。

 ディオルの素早い行動によって混乱はほとんどなく、表面上は何事もないことになっていた。

 しかし、確実に変化していることがあった。


「ん……ディー、だめ……んん」


 騒動が終結してから、ディオルとマリオンは肉体的接触(濃厚なキス)が大幅に増えた。

 増えすぎて周囲が困るほどに増えすぎた。

 周囲からすれば、ディオルの婚約者への想いが暴走しただけだと思われているが、もう一つ理由がある。

 マリオンに施された刻印はすぐに除去できるものではなかった。なので段階を踏んで解除しばければならないのだが、その間マリオンが苦しまなくするために、刻印の内容を一部上書きすることにした。

 もちろん、相手をディオルにだ。

 その結果、朝から晩までイチャイチャする二人がアチコチで見受けられるようになった。


「「わぁ~」」


 そんな二人を扉の影から盗み見ているのは、騒動の中で保護された三日月の魔女オリエントと、フライトマイヤー家の末の弟であるパリオスだった。

 オリエントは刻印の除去をしなければならないから侯爵家の屋敷に滞在している。

 末の弟パリオスはもうすぐ王都にある幼年学校に通うためにしばらく前から屋敷に住居を移していた。

 二人とも同年代で、馬が合うらしくすぐに仲良くなった。

 ……だからこうして行動を共にして、好奇心の赴くままに覗き見をしていたりすることが多々あった。

 そして、


「子供にはまだ早いですよ」


 侍従たちによって撤去されるまでがワンセットである。


「んん……はぁ、ディー、もう、準備を、しないと」

「……もうこんな時間か」


 心の底から残念そうな口調で、一旦離れる二人。

 今日は第三王女の誕生祝賀会の開かれる日だ。

 これから着飾って王城に行き、パーティーに参加しなければならない。

 ディオルはフライトマイヤー侯爵家の代表として。マリオンはそのパートナーとして招待状が来ている。

 ちなみに、パリオスも招待されていて、そのパートナー役にはオリエントが選ばれていたりもする。


「仕方がない……準備をしよう。続きは……帰ってきてから、ね」

「……はい」


 そう言いつつ、二人は再び寄り添った。


・フライトマイヤー侯爵家

 国内でも最大の領地をもつ大貴族。

 他の貴族が没落したりなんだりして、放棄された領地を国が全部丸投げした結果、小国バリの勢力に。

 さらにディオルの頑張りによって最悪の暗殺集団、むくつけき傭兵集団、独自の技術を持つ魔女たちを取り込んで……もう独立でいいんじゃない? 


・クラブレッザ伯爵家

 娘が最高難易度の試験に受かってさあ大変! な普通のお家。




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