表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/52

プロローグ

 社会的立場を信用するのは浅はかだ。

 教師や親という存在が必ず物事を解決する術を持ちそれを行使する事を躊躇わないなら、僕はこんな事になっていないんだから。

 中身の抜かれた机とその上に置かれた底の抜けた花瓶。したたり落ちる泥水が僕の足元まで届いている。

 前にもやられた事がある。この泥水を雑巾できれいにふき取れば、次の授業でその雑巾をぶつけられるのだ。

 いや、今日は昼休みの後に体育の授業がある。濡れた雑巾を体操着の中にでも入れてくるか。もっとストレートに体操着で拭き取れと命令して来るのか。

 くすくすと笑っている声が聞こえる。声のトーンと方向から、笑っているのが吉野だとも分かる。

 教室の扉が開かれて学級担任の佐々木が入って来た。これから数学の授業なんだから当然だし、佐々木の授業の直前だからこんな分かりやすい嫌がらせを仕掛けたのだろう。

 佐々木が僕の机の上にある花瓶を見て、小さく噴き出した。


「佐々木先生、笑っちゃダメでしょー。一応教師だよー?」

「さぁ、なんの事かな」


 肩を竦めて誤魔化した気になっている佐々木が教卓へ授業に使う教科書を置いた。

 あぁ、こいつらの人生が滅茶苦茶にならないかな。

 と思っていたのが一年前。

 早くこいつらの人生を滅茶苦茶にしたいな。

 そう思っていたのがこの一年間。


「杉原さっさと座れ」


 佐々木が僕に指示してくる。

 僕が座るまで授業は開始されないだろう。そして授業ができない、と教室中の人間が僕に文句を垂れる。

 逆に、僕が座れば、示し合わせた様に「起立」と号令がかかるんだろう。座ってすぐに立つことを強いられる僕を全員が笑いものにする。


「杉原いつまで立ってるんだ。どんくさい奴だな。授業が始められないだろうが」


 佐々木がお決まりの文句を言いだした。

 クラス中の人間が同調するべく口を開いたその瞬間――僕は花瓶を手にして床に叩きつけた。陶器が砕け散る甲高い音が心地よく響く。


「――うんざりなんだよ、くそ野郎ども!」


 大声で吠える。廊下を駆け抜けた僕の声は確実に隣の教室にまで届いたはずだ。でも、誰も来ない事は知っている。

 そもそも、誰かが助けてくれるだなんて思うはずがない。そして、今となっては誰も来ない方が好都合(・・・)だ。

 一度も反抗なんてしたことがない僕の怒鳴り声に呆気にとられたクラスの人間が次の瞬間、喧嘩を売られた猿のように吠え返そうとする。

 僕は彼らの出鼻を挫くため、ポケットからそれを取り出した。


「この一年間のイジメの証拠は押さえた」


 さっきの怒鳴り声で喉が擦れ、それほど大きな声にはならなかった。それでも、僕の発言の内容が足りない頭に染み込んだクラスの人間が口を閉ざすのには充分だったようだ。


「このボイスレコーダーに録音してある罵詈雑言だけじゃない。携帯端末と隠しカメラで映像記録もいくつか残してある。お前らの顔と名前も全部控えた。ボイスサンプルも半数以上は揃ってる」


 誰がやったか分からないだとか、自分はやってないだとかの言い逃れは許さない。

椅子から腰を浮かせた奴がいた。ボイスレコーダーを始めとした証拠品を奪い取ろうと考えたのだろうけど無駄だ。今この瞬間も僕のポケットに仕込んだ小型カメラがすべてを録画しているから、殴りかかってくれればむしろ証拠が増えてうれしいくらい。

 だって、


「証拠は全部僕のパソコンに複製保存してあるし、いつでも送信可能な状態だ。どこに送信するか分からないだろうから、教えてやるよ」


 息を吸い込んで、僕は全員に聞こえるように宣言する。


「お前らの志望してる大学全部だ。何人かは推薦取ってるよね。SNSでベラベラしゃべりすぎなんだよ」


 半分はハッタリだ。流石に全員分を調べきるのは無理だった。まぁ、ネットの掲示板にでも流せばそれで終わりだけど。

 推薦を取っている奴の顔が青くなる。イジメがばれたなら推薦取り消しも有り得る。人生設計は滅茶苦茶だ。


「お前らの人生はお前らが終わらせたんだよ。ツケを払え」


 僕の逆襲に思考が追いついていない奴、どうにかして立場を逆転しようと思考を巡らせる奴、呆然としている奴、反応は様々だ。


「……お、おい」


 戸惑いがちな声に振りかえる。

 眼鏡を掛けた男子生徒が眉を寄せて何かを考えながらも僕を見ていた。推薦で志望大学に合格した生徒の一人、大飯田だ。


「なんで、証拠がある事を教えたんだ?」


 唯一、その疑問が浮かんだらしい。やっぱり頭の回転が速い。こいつに関してはイジメの証拠を集めるのも苦労したのを思い出す。要警戒対象の一人だっただけはある。

 そう、大飯田の言う通り、イジメの証拠を揃えている事をこの場で宣言するメリットはない。何も言わずにこいつらの志望大学へ証拠を送信すればいいし、それで気が収まらないならプリントアウトした録画映像をこいつらの家の近所のポストに投函してしまえばいい。

 それをしなかったのは多分、僕の甘さだ。


「……謝れ」


 お前らがまだ人間だと自覚してるなら。教室という猿山で悦に入ってるケダモノじゃないのなら。


「謝れよ。全部、やったことをそれぞれ包み隠さず懺悔しろよ! それをやった奴から証拠を消してやる――」


 僕が言い切った直後、教室の床がまばゆく光った。


「……え?」


 反射的に足元を見る。円形の不思議な模様が一瞬にして床に描かれていた。周囲の奴らの足元にも同じ大きさの、まったく同じ模様が描かれていた。

 青白い光を放つそれがひときわ強く光を発した次の瞬間、目の前が真っ暗になった。



 プールで頭を押さえつけられたときにも似た息苦しさ。階段で突き飛ばされた時の浮遊感。

 気が付けば、大理石らしき巨大な柱が並ぶ聖堂のような場所に立っていた。

 すぐに周囲を見回す。

 教室にいた人間が揃っていた。いや、担任の佐々木の姿がなくなっている。つまり、ここにいるのは生徒だけ。

 全員が予想だにしない急展開に狼狽えている。当たり前だ。ついさっきまで僕に断罪されていたのに、いつのまにか見たこともない場所に立っているのだから。

 全員の視線が僕に集まる。完全に主導権を握っていた僕の出方を窺うのは当然かもしれない。けれど、僕自身も状況の変化に混乱する側だった。

 どこのどいつが水を差したのか。

 その犯人が足音を高らかに響かせながら、聖堂の奥から歩いてきた。


「勇者様方、ようこそおいでくださいました!」


 赤いドレスを着た胡散臭い若い女が聖堂に声を反響させる。なんだこの金髪。趣味の悪い蛇のイヤリングを着けた時代錯誤の女は左右と後ろにこれもまた時代錯誤の兵士らしき男たちを連れている。大きな鎧を着こんだ、騎士のような男たちだ。

 勇者様発言といい、何がどうなっているのか意味が分からない。


「勇者様方、どうか我ら人類を魔物の手からお救いください。人類は今、未曽有の危機に瀕しているのです。特別な力を宿した勇者様方ならばきっと、魔物を生み出す原因をこの世界から取り除く事が出来るはずなのです!」


 ぶっちゃけ今はそれどころじゃない。

 それどころじゃないのだが、この状況を整理するにはこの怪しい女の話を聞くしかない。

 クラスの一人、戸江原が頭痛を堪えるように額を押さえながら口を開いた。


「勇者とかなんとかはひとまず置いておいて、俺らは元の世界に帰れるんですか?」


 元の世界?

 ここは異世界なのか。そうかもしれないとは思っていたけど、確証がない。鎌掛けも含んでの発言だろうか。戸江原ならやりかねない。

 怪しい女に視線が集中する。警戒するように、左右の騎士が前に出た。

 騎士の陰に隠れたまま、女が口を開く。


「はい、魔物を倒した暁には、我らが責任を持って元の世界へ送還する事をお約束します」

「珍しいタイプの異世界召喚だ」


 どこかずれた発言をしたイジメ傍観組の番川。

 しかし、女の言葉はまだ終わりではなかった。


「送り返すことは出来るのですが、すぐには難しいのです。勇者様方を召喚する際にも大量の魔力が必要であったため、二年かけて魔力を地脈から集めました。送還にも同じ時間がかかるでしょう」

「なら、無理に戦わなくてもいいって事ね」


 あからさまにほっとしたように呟いた桃木を振り返る。僕を階段から突き落とした殺人未遂犯でも命がけの戦いは嫌なのか、と皮肉が浮かぶ。

 二年がかりで魔力を集めるほど大掛かりな準備を行って僕たちを呼びだした連中が無駄飯食らいを飼うはずがないとは考えないのか。

 案の定、怪しい女が眼つきを一瞬鋭くした。クラスの何人かは表情の変化に気付いただろうけど、女はすぐに柔和な笑みを浮かべて首を横に振る。


「申し訳ありませんが、戦わない方は城を出て頂きます。当然、補償等は出来かねます」

「は? あんたらが無理やり連れてきた――」


 食ってかかろうとした桃木が近くに居た番川に取り押さえられる。

 女の注意を桃木から逸らすべく戸江原が質問した。


「戦うって言っても、死ぬかもしれませんよね?」


 ゲームのように勇者が復活する可能性を踏まえての質問だったのだろうが、鎧の男たちの苦笑を買う結果となった。


「当然、戦えば死ぬかもしれません。ですが、勇者様方はきっと勇気を持って人類を救ってくださると確信しています」


 何を身勝手な、と罵りたいところだが、桃木とは違って口にも表情にも出さないくらいの冷静さは残っている。

 だが、続く女の言葉に僕は心底ぞっとした。


「それと、この世界で死亡した勇者様は元の世界で――存在しなかったことになります」


 視線が僕に集中した。

 あぁ、最悪だ。

 僕は彼らの表情を見て、確信する。

 ケダモノ共が。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ