7.ジュラハード大陸
――――目に広がるのは金色の草原、少女はそこに立ち尽くしていた。
周囲に生い茂る雑林の中に紛れることなくただ動くこともなく存在するものに少女は気づく。姿はこの世界の中心であるかのように一際輝き、風になびく鬣は透き通るように白い。
少女の前に姿を現した一角の獣は動き出す。
それは徐々に少女へと歩みより、獣は少女を通り過ぎた。
動けなかったわけでもない、動こうとはしなかった。その獣のあまりにも美しい姿に少女は見惚れていた。
獣が通り過ぎふとして少女は振り返る。
そこには、大英雄が歩いた魂の物語が道となり続き獣の姿はない。
少女はその道を一歩一歩あゆみはじめる、一歩一歩、一歩一歩、いっぽいp――――
少女は歩く最中に頭頂部に違和感を感じて頭上を見上げる、そこには自らの頭髪が逆立ち天井へと引き寄せられさらには少女は宙に浮き始めていた。
少女は自らの髪を手繰り寄せ喚きたてるが体はどこまでも天へと昇り続ける。上がれば上がる程耳に届く人の声、それは聞き覚えのある騒々しい声だ。
「――メだと言っている!ダメだ毛並みを整えるには常にケアが必要なのだ!風呂に入れろ!せっかくの毛並みが台無しだ!」
少女が重い瞼を開けるとそこには自らを抱えるバルハラの顔が、そして先ほどから喚きたてる声の主、青年貴族のパウエルが少女の髪の毛を鷲掴みにして吠えている。
「だから言っているだろう!貴様は男だ!男と女が共に風呂に入るのは特別な行為だと言っている!貴様が先日行った暴挙は私が目を離したのが悪いとはいえもう許さんぞ!」
「ふっざっけるなオナベ女!お前も男か女かわからんではないか!そんな男女の境なぞ我が気にすることではない!美しいものは常に美しくてはならない!この白い髪は何処までも輝くのだどこまでも純白なのだ!貴様に手渡しては本来の美しさが損なわれるばかりではないか!貸せ!いいから貸せ!吾輩が整えてやる!足先から髪の一本一本迄隅々にまで磨き上げてやるともさ!!」
「このへn――――」
「離せ変態!」
少女の右手拳が下腹部に吸い込まれ少量の唾液があたりに散らばりパウエルは壁に寄りかかり苦虫をかじる顔で少女を睨み付けその暴挙に驚きを隠せない。
「――何をする!白き少女よ!貴様が寝ている間どことも知れぬ野蛮な輩から身を守り!さらには毛並みのケアまでしてやった恩人に拳で恩を返すというのか無礼者!」
少女はまだ少し気だるく重い身体を起こすと少し歩いた先の鏡の前へと立ち尽くした。そこには自分でも見違えるほど、黒ずみ黄ばんでいた髪は彼の言う純白を表現し、いつの間にか整えられた眉を飾るその顔は真珠のように白く美しい肌の少女が写っていた。
そして少女が見覚えのない服を着せられそこからは名前も知らない花の香りが醸し出されている。
「――――これが、あたし?」
男が言うにはどことも怪しい全身鎧を着飾る野郎がなんとも美しく伸びる白髪の少女を抱えて一室に消えていくところを目撃したところからその少女の美しさを独り占めしているのが大変妬ましく自分が彼女を手入れしてやればもう数百倍は凛々しく美しい存在となりえるのに何者なんだと憤り強奪し、風呂に入れて彼の言うケアを行い貴族たちが用意されている特室の中へと囲っていたという話だ。
その後にこのオナベ呼ばわりされている女騎士バルハラが乗り込んできて共に眠り続ける少女を見守っていたらしい。しかし少女はこれまでにもう9日間も眠り続け、最初に青年がケアを行ってからもう1週間以上がたっているというのに女騎士の言い分で風呂に入れてやれないのは我慢ならんぬと青年はブちぎれているところだった。
ならば同じ女であるバルハラが入れてやればいいではないかと青年は言うがバルハラ曰く「寝込みにそのようなことなどできるわけがないだろう!」と青年の理解を越えた価値観に絶賛ケンカ中なのだ。
「――そう、一週間くらい別に平気なのに。それよりもあたしが寝てる間にお風呂に入れたってどういうこと?」
少女の発言に手で眼を覆いそのような発言を美しい君がするべきではないと猛弁する青年は自慢げにいかに少女を美しくビフォーアフターさせたかを語りだし、それはもう鼻高々に体の隅々まで汚れていた少女を「隅から隅まで洗いつくし!さらに王国秘伝の美容オイルを全身に!まさに浸からせるようにすりこんだんだ!」と豪語して少女の弾けるような肌つやを指さしそれはそれは嬉しそうだった。
「――それは私の身体に触れたって言う事よね?寝てる間に?」
青年は答えた。「多少はね」と、しかしそれは美のためであり私は王国最高歩の美のブリーダーである吾輩は如何わしい気持ちなど一切抱かずすべては美のために尽くしたのだと付け加えた。そして少女に歩み寄り右手を少女の頬をさするとまたも自慢げに「見てくれ、弾ける!弾けるぞ!美しい!!!」と恍惚に喜び喚く。
その後、少女の拳がパウエルの右頬にめり込まれ、しばらく彼が起き上がらなかったのは言うまでもない。
――――ブォオオオオオ!ブォオオオオオオ!
船の汽笛、それは航海が10日目の朝を迎えたという証、バルハラは壁にめり込むパウエルをよそに昇る朝日をながめついに来る時を声にする。
「見ろリナリー、あれがジュラハード大陸だ」
少女が寝ているその間に船は進み続け、それはすでに大陸の入り口までやってきてしまっていたのだ。少女もバルハラと共に窓に寄り添いその全貌を目にする。
拍子抜けともとれる見慣れたような山岳と、雲一つない青空が大陸を境に広がる黒い雨雲が不気味に二人を出迎えていた。