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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

物語のはじまり(1)

作者: 蘇芳
掲載日:2015/06/01

 主人公がずっとイジイジしてます。

 それでもよろしければ、どうぞ。

 珍しいことがあるな。

 陽が傾きつつある西の空に雲が流れていた。

 低い雲。

 高い雲。

 ふたつの雲はどうした風の加減でか、一つは南から北へ、一つは北から南へと動いていた。

 一つは灰色に。

 一つは薄紅色に。

 空は蒼からオレンジ色のグラデーション。

 胸が苦しくなる。切ないくらいに美しい夕暮れだ。

 俺はぼんやりと立ちつくし、雲の流れを見上げていた。

 一刻一刻と雲も空も色を変えていく。

 なんて世界は美しいのだろう。

 素直にそう思った。


 俺はキールの森の外れに一人で住んでいる。

 この森から先は精霊の領域で、その前に広がる草原からは人の領域だから、俺は人の領域の一番端に住んでいることになる。

 二年前にじいちゃんが死んでからは、俺一人になった。

 寂しくないと言えばウソになるが、一人だからイヤだと言う事もない。少なくとも生まれてこの方、両手で数えられる程度の人としか話したこともないし、たくさんの人―――すぐ近くの村にいる三十人程度しか見たこともない。

 とりあえず、月に一度はその村から薬屋のおじさんが来て、いろいろと世話を焼いてくれる。年に数回は俺も村に出かけるし・・・つまり、そんなに気にしてもいない。

 じいちゃんが生きていた時は、じいちゃんと二人で畑の薬草の世話をし、森に薬草を摘みに行くだけで良かった。でも、今は、すべてのことを一人でしなくてはならないので、ぼんやりしている暇はないのだ。

 俺は薬師をして生計を立てている。

 村の薬を一手に引き受けているので、作る量も結構な量になってしまうし、村には医者もいないから俺の責任も自然と重くなってしまう。

 もし、俺が薬を作れなくなったら、あの村はどうなってしまうのか・・・それが俺の生きている原動力になっている。


 本当は・・・じいちゃんが死んだ時、俺も死んでしまおうかと思っていた。

 じいちゃんは、何者かに殺されたんだ。


 じいちゃんが殺されたことは、俺以外、誰も知らない。

 今でも忘れられず、目に焼き付いている。

 一面の血の海。

 部屋の中が真っ赤に染まっていた。

 むせ返るような血のにおい・・・床に倒れていたじいちゃんの体にはナイフで切られたようなたくさんの傷があった。

 傷を見た瞬間、直感した。

 これは、魔法でつけられたものだ。

 じいちゃんは齢を取ってはいたけれど、弟子を取って剣を教えていたくらいだから、剣やナイフでやられるとは思えない。ましてや、どんなに剣の達人だったとしても、体中に傷をつけるなんてできないだろう。剣を使うなら一刀両断。狙うところは限られる。

 なんで?

 どうして?

 ぐるぐるとそんな疑問が頭の中を回る。

 わけがわからなかった。

 呆然とする俺にじいちゃんは、言った。


 仇を討とうなどとは考えるな。

 相手を探すな。

 これは、罰なのだ。


 俺はじいちゃんの言っていることがわからなかった。

 じいちゃんから流れ続ける血だまりの床にひざまづき、ただ、狂ったように回復の呪文を叫び続けたけれど、それは自分への気休めでしかないと感じていた。

 俺は薬師だ。

 一見しただけで、その人が救えるか否かわかってしまう。

 じいちゃんは俺がなにをしても助かるような状態ではなかった。

 じいちゃんの命がこぼれて行くのが見える。

 俺の服はじいちゃんの血で真っ赤に染まった。

 じいちゃんは自分の腕から銀の腕輪を外し、首から水晶でできた護符を外して俺に押し付けた。

 じいちゃんも自分がもうダメだとわかっていた。

 ことりとじいちゃんの手が落ちる。


 そして俺は一人になった。


 冷たくなったじいちゃんをベッドに眠らせた。

 俺はベッドの脇に座り込み、じいちゃんの冷たい手を握っていた。

 何も考えられなかったし、何もできなかった。

 じいちゃんが死んでしまったことで、俺の心も止ってしまった。

 じいちゃんは俺の保護者で、師で・・・世界のすべてだった。

 何日そうしていたのかわからない。

 人間、飲まず食わずでも、けっこう死なないモノだとぼんやり思った。

 そして、本当にじいちゃんを眠らせてあげなくちゃと思った。

 家の裏に墓を掘り、じいちゃんをそこに埋葬した。

 木で作った十字架にじいちゃんの名を刻み、花輪を編んで供えた。


 あの日も良い天気だった。



 なぜだろう。

 最近、良く、じいちゃんのことを思い出す。

 思い出の中のじいちゃんは、やさしくて、きびしくて・・・俺の世界の全てだった。

 何から、何まで、ありとあらゆることをじいちゃんから学んだ。

 あ、そうでもないか。

 俺にはもう一人、俺の世界を揺らした人がいる。

 あいつの名はロードと言う。

 この大陸の中心にあるヴァルキアという大きな国の都から、じいちゃんに剣を習うためにやって来た。

 ロードが来るまで、俺はじいちゃんが剣を使うなんて知らなかった。


 ロードが来たのは、俺が三つの時だ。

 それから七年間、ロードはいつも俺と一緒だった。

 俺はロードが珍しかった。

 じいちゃん以外に知っているのは、月に一度来る薬屋のおじさんだけだったから、子供というモノを見 たことがなかったのである。

 ロードのすることはすべて面白かったし、俺の興味を引いた。ずっと後ろをついて回っていたのを覚えている。ロードも嫌そうにはしていなかったから―――後で聞いた話だけど、ロードも一人っ子で一緒に遊んだりする弟妹がいなかったのだそうだ。だから、ロードも俺の反応が珍しくおもしろかったらしい。

 ロードが修行を終えて帰ってしまった時は、寂しかった。

 俺は十歳になっていたし、だいぶ大きくなったと自分では思っていたつもりだったけれど、自分の小さな家ががらんとして広くなったように感じた。

 でも、その時にはじいちゃんがいた。

 じいちゃんは俺が寂しくないように、えらく仕事を言いつけて、そんなことを考える暇なんかないようにした。

 寂しなんてことは、忙殺された。

 じいちゃんは、いつだって俺のことを大事にしてくれた。

 そりゃ、厳しさのあまり「このクソじじぃ!」と、思うときもあったけれど、じいちゃんのことを思い出すにつれ、俺を思ってくれてのことだと理解できるようになった。

 ありがとうも言えなくなってからだ。

 多分、俺はバカなのだと思う。

 少しくらい薬が作れても、少しくらい魔法が使えても、じいちゃん一人すら、助けることができなかった。

 泣きそうだ。


 俺の世界はじいちゃんとロードでできている。

 そのじいちゃんが亡くなり、あとはロードだけなんだ。

 ロードに会いたい。

 ロードに会いたい。

 日々、俺の中で、思いが膨らんでいく。

 でも、俺はここから離れられない。

 じいちゃんとの思い出があるここを離れたくない。

 薬草だって手入れしなくちゃならない。

 俺がいなくなったら、あの村はどうなる?

 それに、最大の問題は・・・俺がヴァルキアの都までの道を知らないと言う事だ。

 ロードがどこに住んでいて、何をしているのかも知らない。

 俺にわかるのは、せいぜいが、村までの道のりだ。それだって、ここから三日はかかる。ヴァルキアの都までいったいどのくらいかかるのか・・・一人でそこまで行けるのか・・・もし、たどり着けたとして、ロードが俺のことを忘れていたら?

 だめだ、多分、ショックのあまり死ぬ。

 だから・・・怖くて会いに行かれない。

 薬草のこととか、村のこととか、そんなものは言い訳にしか過ぎない。

 俺が「行きたい」と言ったら、村の人たちは笑って送り出してくれると思う。これまでも薬屋のおじさんは、来るたびに村に住むように言ってくれたし、それが嫌ならロードのところへ行けばいいとも言ってくれた。

 でも、俺は森から出ようとしなかった。

 怖いからだ。

 ここ以外のどこにも俺が安心できるところはないんだ。

 人の感情に触れるのが怖い。

 知らない場所、知らない人に会うのが怖い。

 だから、村へ行くのも好きではない。

 俺の世界は、とても狭くて小さい。



 その人は、当たり前のようにそこにいて、俺を見るとやんわりと微笑んだ。


 碧い草の海の中だった。

 紅茶色の髪と瞳の青年が草の海に座って、近づく俺を見上げている。近くに荷物もなく、薬屋のおじさんが着ているような外套もつけていなかった。やわらかそうな若草色のシャツに深い茶色のズボン。足には足首までのブーツをはいている。

 月に一度来る薬屋のおじさんでさえ、風雨よけのためフード付きの外套は必ず着ていたし、背には食料や水なんかを背負っていた。

 この人は何も持っていないし、外套すら着ていない。

 俺の住んでいるところから一番近い村でさえ三日かかるのに、この人は遠くから来たようには見えなかった。

 まさか・・・・・魔法使い・・・・・・・?

 ざざざ。

 風が吹いて、草の海と俺の髪が揺れる。

 ざざざ。

 ざざざ。

 風がゆっくりと草原を渡っていく。

 恐怖で体が震えた。

 まさか、じいちゃんを殺した魔法使いがまた来たのか?

 今度は、俺を殺しに・・・?

 心臓がどくどくと音を立てる。

 頭から血の気が引き、冷や汗が吹き出す。

 青年は微笑んだまま、口を開いた。

 「すみません。旅の者ですが、足を痛めてしまったようです。手を貸していただけませんか?」

 穏やかで、やわらかい声だった。

 その声で体温が戻り、震えも止った。

 落ち着くために大きく深呼吸する。目を閉じ、開く。

 俺は薬師だ。ケガ人を前に、することは一つ。

 「あ、あの・・・大丈夫ですか?」

 俺は声をかけながら青年に近づき、肩を貸して立ち上がる補助をする。

 「すみません。お世話をおかけします」

 「いいえ。歩けますか?もう少し行くと俺の家があるので、そこまでがんばってください」

 「この辺りにお住まいなのですか?」

 「ええ、そこの森の端に」

 「では、こちらが、ル・メン様のお住まいですか?」

 え?

 俺は驚いて彼の顔を下から覗き込む。

 俺がチビなわけではない。この肩を貸している青年が、けっこうな長身だからだ。それなのにあまり重さを感じないのは、自分より小さい俺に負担をかけないようにしてくれているからだと思う。

 「祖父を・・・ご存じなのですか?」

 「あなたは、ル・メン様のお孫様ですか?」

 俺達はぽかんとして顔を見合わせた。

 彼がふわりと安心したように笑う。「私はサツキと申します。あなた様が生まれる以前に私の主がル・メン様と懇意にさせていただいていたようで、主の使いでル・メン様を訪ねて参りました」

 これまでにじいちゃんを訪ねてきた人は、それこそ片手で数えられる。薬屋のおじさん。ロードとロードのお父さん。そしてじいちゃんを殺した奴。それだけだ。

 だから、俺はじいちゃんを訪ねてくる人がいるなんて、思ってもみなかった。

 俺はしばらく無言のまま動けずに、彼の紅茶色の瞳を見つめていた。

 風がなっている。

 視界がゆるりと揺れた。

 「おっと」

 倒れそうになった俺を彼が抱き止める。「大丈夫ですか?」

 「だ、大・・・丈夫・・・・」

 足を怪我した人に俺を抱えてもらうなんて、怪我が悪化するだけだろう。

 俺はぶるんと頭を振り、両腕をつっぱって、お客人から離れようとしたけれど、視界は揺れる一方で、腕に全く力が入らない。

 「全く大丈夫そうじゃありませんね。急ぎましょう」

 そう言って、お客人はひょいと俺を抱えるとさっさと歩き始めた。

 ちょっと、待て。

 「あ、いや、本当に大丈夫」

 「いえ、全然、大丈夫じゃありませんね。どう見ても、私より、あなたの方が重症ですよ」

 「でも」

 「私の方は大丈夫です。後で癒しの術でもかけていただければ問題ありません」

 「でも・・・」

 気持ちとは裏腹に俺の視界はどんどんと狭くなっていく。

 あ、やばいな。

 そう、思った時には意識が果てていた。



 気がつくと、自分の部屋のベッドの上に寝ていた。

 頭がぐらぐらする。

 部屋の中は陽の光で満ちていた。

 キラキラと光がカーテンをすべり、床に落ちている。窓が少しだけ開いていて、風がやさしくカーテンを揺らし、俺の髪と頬を撫でた。

 何故だろう。いつもより部屋の中が明るく見えるような気がする。

 今は夕方だろうか?それとも朝だろうか?

 まだ、めまいがするけれど、気分は悪くない。

 俺はベッドから体を起こすと、窓の外に目を向ける。

 森の梢に陽の光が透けて、さらさらとこぼれている。

 どのくらい眠っていたのだろう・・・・・ああ、ちがう。倒れたんだっけ。めまいがして倒れるなんて、いつくらいぶりだろう?

 そうだ。あの人はどうしただろう?

 紅茶色の髪と瞳のお客人を思い出す。

 上掛けを払い、ベッドから降りると、自分が寝着でいることに気づいた。自分で着替えたとは思えないから、あのお客人がしてくれたのだろう。妙に気のつく人だ。

 見れば、俺の脱がされた服は、椅子の上にきっちりと畳んで置いてあった。

 俺は厚手の上着をはおり、部屋を出た。

 台所はスープのにおいがしている。

 ロード曰く、俺の家は小さくいらしい。一人で住むには十分すぎる広さだが、廊下などない。俺の部屋、じいちゃんの部屋、薬草を調合する部屋、薬屋のおじさんが泊まる客間の四部屋で、それらの中心に台所があり、俺のほかに誰かがいる時には台所のテーブルで話をするのが決まりだ。

 じいちゃんに勉強を教えてもらうのもここだったし、ロードと遊ぶ計画を練ったのもここだった。

 パチパチ。

 薪の爆ぜる音がかまどからしている。かまどには鍋がかけられていて、そこからスープの良いにおいがしていた。

 ぺたぺたと素足のままで台所に入ると、お客人はいつもロードが座っていた席にいて、俺を見てにこりと笑った。

 「具合はいかがですか?」

 「まだ少し、めまいがしますが、もう大丈夫です」

 お客人は立ち上がると俺に椅子をすすめる。

 「そうですか。でも、もう少し休んでいたほうがよろしいのでは?とりあえず、お座りください」

 俺はうなずいて、彼の言葉に従う。

 俺は自分の席―――彼が座っていた向かいの椅子に座る。

 「勝手にスープを作らせていただきました。気がつかれたらお腹がすくと思いまして・・・少し、召し上がりますか?」

 「いえ・・・あの、ボクの方こそ、ご迷惑をおかけしました。足の具合はいかがですか?」

 「失礼とは思いましたが、調合室に湿布がありましたのでいただきました。湿布を貼ったらだいぶ痛まなくなりましたよ。流石のお薬ですね」

 お客人は右足を少しひきずるようにして歩き、俺の向かい側に座った。

 テーブルの上で手を組み、うつむき加減に息をつくと、彼はまっすぐに俺を見た。

 綺麗な紅茶色の瞳だ。

 「ル・メン様はお亡くなりあそばされたのですね」

 小さなつぶやき。

 俺はしばらく何も言えず、彼の瞳を見つめていたけれど、小さくうなずいた。

 「はい・・・せっかく訪ねていただいたのに・・・すみません」

 「謝らないでください。あなた様が謝ることではありませんよ」

 いや。俺のせいだ。

 俺がもっと強くて、能力があったら、じいちゃんを死なせはしなかった・・・

 「いつ、お亡くなりに?」

 「一昨年です・・・」

 「一昨年・・・ですか?では、二年もここにお独りで?」

 俺が無言でうなずくと、彼は大きくため息をこぼした。「もっと早く来るべきでした」

 俺は何と言うべきなのかわからず、俯き黙って座っているしかできなかった。

 ことこと。

 ことこと。

 鍋の中でスープが煮えている。

 静かだった。

 ただ鍋の立てる音だけが部屋にあって、明るいのにまるで真夜中のような静けさだった。だからと言って、イヤな感じは全くしなくて・・・・無言で俺を見つめているだろう彼からは草原のにおいがした。

 「私はサツキと申します」

 顔を上げると、彼はまっすぐに俺を見て微笑んだ。

 彼の笑顔は、草原を渡る風のようだと思った。

 「あなた様はどのような名をお持ちですか?」

 変な聞き方だなと思ったけれど、自分がまだ名乗っていなかったことに気づいて、慌てて口を開いた。

 「ラセンと言います」

 「『再生する(ラセン)』」

 え?

 今、サツキさんの言葉が重なって聞こえたような気が・・・

 「良いお名前ですね。では、ラセン様」

 「様はやめてください!」

 俺は身を乗り出し、慌てて声を大きくする。「ボクはただの子供です!様なんてやめてください!ラセンと呼んでください!」

 「それはできません」

 え?

 全否定?

 俺の全力拒否を更に全否定し、サツキさんはにこりと悪びれなく笑う。

 「私の言葉には力があります。あなた様と同じように・・・言霊となっては耳障りなだけですから、呼捨てになどできません。これだけは私のケジメですので、ご理解ください」

 「いや、あの・・・良くわからないのですが?」

 「では、こう、お考えください。私は主の懇意にされていたル・メン様のお孫様を呼捨てになどできる立場ではありません。主に怒られてしまいます。ラセン様には慣れていただくしかございませんね」

 明るく言い切られ、俺は言い返す気力を失った。

 多分、この人には何を言っても反論されるだけだ。

 「・・・わかりました。サツキさんは祖父を訪ねていらしたのでしょう?祖父が亡くなってしまったので、祖父への用事はボクが代わりに引き受けます。どのようなご用件でしょうか?」

 「私はル・メン様に用があったわけではありません。あなた様の祖父であるル・メン様に用があったのです」

 「あの・・・おっしゃることがわかりませんが・・・・・?」

 俺の頭の回転が悪いのか、この人の話がわかりにくいのか、俺には判断できない。だって、俺が会話したことがあるのなんて、じいちゃんとロードと薬屋のおじさんと奥さんと雑貨屋のおばちゃんだけだからな。

 だから俺は眉をひそめてサツキさんの紅茶色の瞳を見つめているしかできない。

 「私がお会いしたかったのは、あなた様の方です」

 「ボク・・・ですか・・・?」

 俺はきょとりとして、サツキさんを見てしまう。

 「はい」

 サツキさんはにこやかに笑って、やんわりと目を細めた。「あなた様が五歳くらいのころ、お会いしたことがあるのですが・・・覚えていらっしゃいませんね?」

 俺はうーんと斜め上を見て記憶をたどる。もの覚えは悪い方じゃないと思うけれど・・・大体、この人の瞳と髪は村でも見たことがないから一度会えば忘れないと思うけど・・・記憶にない。

 だから俺はぺこりと頭を下げる。

 「すみません。覚えていません」

 「そうですか。それなら結構です。ところで、これからラセン様はどうなさるおつもりですか?

 「え?どう・・・って?」

 「ル・メン様が亡くなられたここで、これからもお独りで暮らされるおつもりですか?」

 紅茶色の瞳がまっすぐに俺を見つめる。

 「それは・・・・」

 俺は言葉に詰まり、視線を落としてしまう。

 返事ができなかった。

 俺はどうしたいのだろう?

 ここにいたいのか?

 それとも、出て行きたいのか?

 目を閉じると、いつもそこは草原だった。草の海というのは、ロードが教えてくれた。この大陸の端に海と言う大きな水たまりがあるのだそうだ。風に水面が揺れて波となり、岸に打寄せる。風が草に揺れるさまは、まるで寄せては返す波のようだと・・・俺の越えて行くことのできない草の海・・・ロードが草原を渡って行った時も、俺はただ見送るだけだった。

 「ボクは・・・あの草原の向こうには行かれません」

 「そんなことはありません。ラセン様が本当に望むならできないことなどありませんよ」

 サツキさんは少し考えるように言葉を切り、眉をひそめた。「ラセン様はまだこのキールの森から出たくないのではありませんか?」

 「・・・・・そうでしょうか?」

 俺はぼんやりと考える。

 俺はここから出るのが怖い。

 でも、だからと言って、出て行きたくないわけでもない。可能であれば、ヴァルキアの王都へ行って、ロードに会いたいし、自分の知らない土地を見てみたいと言う気持ちだってある。

 だけど、それは俺の中の恐怖には勝らないのだ。

 森の外へ行くのが怖い。

 「ラセン様がお望みでしたら、私がお連れしてもよろしいのですよ。私の主はヴァルキアの北東にあるルーシ・クールという小国におります。よろしければルーシ・クールにいらっしゃいませんか?ル・メン様のお孫様なら主も歓迎いたします」

 俺はびっくりしてサツキさんを見てしまう。

 この人はここから俺を連れだしてくれるというのか?

 「見ず知らずの方にそんなことを言われても・・・」

 「そうですね。では、お知り合いになりましょう」

 はい?

 俺は何を言われたのか全く理解できず、目をぱちくりとさせてしまった。

 サツキさんは何が楽しいのか、満面の笑顔でこう言った。

 「しばらくの間、こちらに滞在させていただきます。そうすれば、見ず知らずの人ではなくなります。ぜひ、理解しあいましょうね」

 あ、いや・・・あの・・・

 全く理解が追いつかない俺は、オロオロと口を開く。

 「でも」

 「ラセン様が見知らぬ者の言葉は信用できないとおっしゃられたのですよ。だから、私はそう、申し上げました」

 しれっとしてサツキさん。

 俺?俺のせいなの?!

 俺は混乱した。

 めちゃくちゃ混乱した。

 どうも話がかみ合っていない気がする。それとも、俺がわかりにくいと思っているだけでこれが一般的な話し方なのだろうか?薬屋のおじさんだって、ロードだって、ちゃんと俺にわかるように話してくれたじゃないか。

 そこで俺ははっとした。

 俺の判断基準は片手で数える程度しかない。彼らが俺に気を使って、一般的じゃない話し方をしていたとどうして言えるのか?これが一般的かもしれないじゃないか。いや、多分、一般的なんだろう。

 って、ことは・・・俺、ここから出てやっていける自信がない。

 俺は自分の考えに呆然としてしまい、ただ馬鹿みたいにサツキさんを見ているしかできなくて・・・サツキさんはそんな俺を見て少し寂しそうに言った。

 「私たちの想いはラセン様にはわからないのですね」

 「あの・・・それは、どういう意味ですか?」

 「言葉通りです。もっと早く、ル・メン様が生きている間にお会いできれば良かった。これでは、封印を解く術がない・・・」

 「封印・・・ですか?」

 「ええ。ル・メン様の封印を解いていただきたかったのですが・・・」

 じいちゃんのかけた封印か・・・俺には難しいだろうな。

 そう思ったけれど、とりあえず言ってみる。

 「それは、ボクでは無理・・・ですか?」

 「残念ながら」

 あ、やっぱり。

 即答されて、ちょっと気落ちする。

 そりゃ、じいちゃんの域にたどり着くなんて無理だろうけれど、少しくらいなら・・・とは思ったりして・・・

 ヘコんだ俺を見て、サツキさんは俺を慰めるように微笑んだ。

 「まぁ、後は、時間が解決してくれるでしょう」

 「時間が解決してくれる?」

 時間経過によって封印が薄くなるようなものなのか?

 「ええ。私たちにできるのは、見守ることくらいですね。封印が解かれなくとも、今はまだ問題がありませんから」

 「でも、祖父にその封印を解いてもらいに来たのでしょう?」

 俺の問いにサツキさんは一度視線を落とし、それから顔を上げてさばさばした口調で言った。

 「今回はあきらめます。先ほども言いましたが、いずれ時間が解決してくれますから、それまで待つしかありませんね。私は結構気長な方ですし、私にとって一年や二年はたいした時間でもありませんから」

 明るい口調のサツキさんに対して、俺の頭から血の気が引いて行く。

 この人・・・魔法使いだ。


 魔法使いは自分の能力によって命の長さも異なると言う。一年や二年、大したことがないと言えるなら、この人はかなりの能力者だと言うことだ。

 「あなたは・・・魔法使いなのですか?」

 声が震えた。

 多分、俺の顔色は青ざめているだろう。サツキさんが俺の顔を見て、怪訝そうな表情をする。

 「いいえ。私の仕事は・・・そうですね。こちらの言葉で言えば執事ですね。主の身の回りのことや仕事の補助をしていますので。魔法使いが、どうしました?」

 サツキさんの紅茶色の瞳におびえている自分の表情が映っていた。

 「・・・怖いんです。魔法使いが・・・」

 正直に言ってしまった。

 俺はじいちゃんをあんな風に殺した魔法使いが怖い。

 だから、森の外に出るのが怖いのだ。

 いつ、あんな魔法使いに出会うかと思うと・・・怖くて体がすくむ。

 「そうですか。私も魔法使いは怖いですよ」

 え?

 さらりとサツキさんがそう言ったので、俺はきょとりとサツキさんを見てしまう。

 「怖いんですか?」

 「怖いですよ」

 俺が問うと、サツキさんは当然と言うようにうなずいた。「怖いし、嫌いですね。まぁ、魔法使い全部がそうとは限りませんが・・・能力を持っているから、それを正しく使っているとは限りません。正しく使っている者もいれば、そうでない者もいます。正しく使っている者には好意を持ちますが、そうでない者は怖いですし、嫌悪します。魔法使いも千差万別です。色々な人がいますから、魔法使いだからと言って、すべてを怖がることはありませんが・・・」

 「そうですか」

 全ての魔法使いが悪人と言うわけじゃないのは俺も理解しているつもりだ。だけど、強力な魔法を使う人は、やっぱり怖い。

 「ですが、私も強力な魔法を使う者は怖いですよ。その人の心の持ちようだとはわかっていますけれどね。怖いものは、怖いです」

 俺の心を読んだみたいにしてサツキさんは苦笑する。

 俺が「そうなの?」と視線で問えば、「そうですよ」と視線が帰ってきた。

 「・・・そっか」

 「そうですよ」

 俺がそっと息をつけば、サツキさんはやんわりと微笑んだ。



 前後編のつもりが長くなりすぎたので、とりあえず(1)とつけてあります。

 タイトルつけるの面倒。

 タイトルなんて、そんなにさくさく思いつかないですわ。

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