第二章〜Herds・Disintegration〜(III)
*
「ふぅ。」
あの一件の後、カオス卿の館にある自分の部屋に戻ったルアはベットに仰向けに寝そべり、溜息をついた。
約1年間にわたるスピリット=ソーン家への潜入。その任務からようやく解放された。
それでもルアの表情は曇っていた。
その原因は2つある。
第一に、エドワード・スピリット=ソーンの暗殺は失敗し、ローズ・スピリット=ソーン、リウム・サラマンダーも仕留めそこない、つまり任務は失敗であったといえるからだ。
そして第二の原因は――
「こんなに失敗していたら、お義父様に嫌われてしまうわね。」
義父とはカオス卿の事である。
生まれてすぐに、両親を亡くしたルアはカルムに保護され、その後カオスの養子として迎えられた。
実はルアという名前はカオス卿が付けたものである。
物心つく前からルアと呼ばれていたために彼女自身も本当の両親から貰った名前を知らない。
しかしルアにとって両親から貰った名前など、どうでもいい事だった。
名前というものは個人を識別するための記号でしかない。
何より彼女は現在の義父から貰ったこの名前が気に入っていた。
何故ならルアは義父に親子愛以上の感情を持っていたからである。
そのため、カルムには複雑な感情を抱いていた。
「それにしても、この“禁断の果実”の効き目には驚いたわ。」
ルアはそう言うなり、自分の胸元に下がっているネックレスの宝石をつまみ上げ、目の前にかざした。
毒々しいまでの真紅の輝きを放つその塊は凝固した血液を連想させる。
“禁断の果実”、それはカルムの作り上げた魔力のこもった宝石である。この宝石は全ての魔力を無効化する力を持っている。すなわち、対魔術戦ではこれをつけている限り無敵といえよう。
ただし“禁断の果実”は実は未完成で、重大な欠点を持っている。
ルア自信もカルムから「欠点がある」と告げられてはいるが。それが何なのかまでは聞かされていない。
「こんなに絶大な効力を発揮するというのに何が欠点なのかしらねぇ?」
*
「んっ…。」
ローズが目を覚ますと、そこはリデルの部屋だった。
気を失う前の記憶が曖昧でよく思い出せない。
ポツリ、ポツリ――
何が悲しいのか分からない、それでも涙が零れる。
止めなく溢れ零れ中々止まらない。
それでも心の奥底で大きな過ちを犯したのではないかという罪悪感に駆られていた。
ローズは自分が情けないと思った。
傷つかなければいけないのは自分なのに、いつも傷つくのは周りの人たち。いつも誰かに護られてばかりで、何もしてあげられない。こんな自分をどうして恥に思わずいられようか?
スピリット=ソーン家の跡取りしての器も無に等しい。
‘無力’という言葉がローズを苛み、蝕み、罪悪感と化して彼女を涙の海に沈める。
ドクン、ドクン、ドクン
考え事のストレスからか動悸がした。
―心臓の音…そういえば…―
虚無という悪夢の中で母の声を聞いた気がした。いや、暖かいあの声は紛れもなく幼い日に聞いた母の声だった。
ローズはハッとし自分のドレスのポケットを探った。
チャリン
美しい金属音と共にポケットから出てきたのは鍵の形をした飾り気の無いペンダントだった。
それを見てローズはホッと安堵した。それはローズの宝物であり母の形見である。
『ローズ、これをあげるわ。大切になさい』
そう言って母が自分の首にペンダントを掛けてくれたのは果たして何年前のことだろうか?
涙が、止まらない。
幸せだった日々を思い出すということは、今のローズにとって苦痛でしかなかった。
―幸せなんて、もう…私にはないから……―
周囲の人に迷惑をかけているというのに笑っていることなど出来ない。ましてや幸福を追求することなんて尚更だ。
もしかしたら自分は疫病神なのかもしれない。周囲の人が不幸になるのは私のせい?
ローズの頭の中は負の感情が渦巻く。
どうすればいい?答えは簡単だ。
吸血鬼の牙、本来は血を吸う為にあるそれは血を吸わないローズには必要ない。だが手首の脈を貫くには十分すぎるほどだった。
「みんな……ごめんね…」
バンッ!!
ローズの牙が自分の手首に食い込む寸前に部屋の扉が開き、それと同時に時が止まった。
*
傷口から溢れる血は中々止まらなかった。
自分の魔術が鈍っているわけでもない。回復の呪文が間違っているわけでもない。
「どうしたものかしら?」と呟き、リウムは苦笑した。
呪文が駄目なら唄に変えてみる。リウムの周りに優しい風が吹いた。
それでやっと出血は止まった。
「何てことでしょうね。呪文ではなく唄を使う破目になるなんて。」
“唄”と名の付く魔法は“呪文”を何十倍にも強化したものであり、その効果は強力である。
本来ならこの程度の傷は呪文で十分なはずである、それも魔女の中で随一の魔法の使い手といわれるリウムの魔法である。効かないはずが無い。だが、効かないのだ。
リウムはそっと傷口に触れてみた。
そこには何故か魔力の断片が残っていた。
ローズは魔女との混血ではない。ローズの母は普通の人間だった。それだからこそ他の吸血鬼たちに軽蔑の眼差しでローズは見られているのだ。
リウムも何度もローズの母に会っているので間違いない。
それでも傷口に魔力の断片が残ってる。ただの人間が魔術を教えられるわけが無い。そしてスピリット=ソーン家は吸血鬼の長を務めるほどの家系だが、魔術に優れていると言う話は聞いた事が無い。
まさか姉さんが?いや、それは有り得ない話だ。一回教えただけで魔術を行使できるものなんて魔女でもそうそう居ない。リウムでさえ蝋燭に火をつけるという簡単な魔法を習得するのに丸一日かかったのだから。
分からない。どうしてローズに魔力を帯びた攻撃が出来るのか全くわからない。
となると、本人に聞いてみるのが一番である。
昔のことは思い出せないだろうし、思い出したくないだろう。それでも、記憶の奥底を覗くことくらいは出来る筈だ。
思い立ったら、即行動……というわけで、リウムは自室を出てローズの部屋に向った。
長い廊下を歩きながら頭の中を整理する。
まずは何から話そうか?どんな風に話を切り出そうか。
そろそろローズは目が覚めているはずだ。
―目が覚めている…?まさか!―
そうだ、私はなんて重大なことを見落としていたのだろう。
目が覚めた彼女は何を思うだろう?自分の意思であの状況を切り抜けたということは少なからず記憶が残っているに違いない。
きっと彼女は自分を責めるだろう。そして、そして彼女は自分を傷つけずにはいられなくなる。命を絶とうとするかもしれない。そうなってしまう可能性のほうが高い。
嗚呼、私は何て馬鹿なのだろう。ローズの傍にずっとついているべきだったのに。
ドレスの裾を翻し、リウムは急いでローズの部屋に向う。
―ローズ、どうか無事でいて。この嫌な予感がどうか外れますように!―
部屋の前に着くなり、リウムはその扉を乱暴に開け放った。
そこに見たのは悪い予感が現実へとなる直前の風景。
ローズの吸血鬼としての牙が手首に勢い良く突き刺さろうとしている。
考える暇は無かった。
リウムはローズに向って人差し指を指す。
指先から目標に向かい、目には見えない魔力が放たれ、時が止まった。
一切の呪文をカットする無詠唱の高速魔術。
もしも、リウムがこの魔術を使うことが出来なかったら、手遅れになっていただろう。
リウムはそっとローズを抱きしめ、魔法を解いた。
ローズは何が起こったのか分からないという表情をしたが、すぐに全てを理解声を上げて泣きはじめた。
「どうして…ひくっ……どうして止めたの?わ、私なんて…居たって…ぐすっ…迷惑なだけだもん……」
泣きながら訴えるローズをギュッと抱きしめリウムも涙を流した。
何でこの子は、こうも自分を責めてしまうのだろう。ただ混血だというだけで周りに軽蔑の眼差しで見られ、苦しんでいる。母も父もあんな目に合い、祖父さえ危ういというのに誰も手を差し伸べてくれない状況を彼女はどんな風に受け止めているのだろうか。
守ってあげたいと思っていた。だけどそれは「思っていた」の範囲から出ていなかったのかもしれない。何もしてあげられていなかったのだ。
彼女の苦しみも、悲しみも何も分かち合うことが出来ていなかったのだ。
「リウム、泣いてるの?」
泣いているはずのローズがいつしかリウムを気遣っていた。
―こんなにいい子なのに、何で、どうして!!―
普通の人間として生まれていればこんな目には合わなかったのかもしれないのに。
それは今更願ってもどうにもならないことである。
悔しくてもどうにも出来ない。
だから、今からでも何かローズにしてあげられることを考えよう。少しでも彼女が以前の無邪気な明るさを取り戻せるように。もう危ない目には合わないように。
「ううん、大丈夫よ?」
ローズにこれ以上心配をかけないように、いつも通りにリウムはそう言った。
決して人前で涙を見せない、気丈な魔女リウムとして。
ローズの頬に伝う涙をハンカチでそっと拭いてやり、リウムはローズの目を見てにっこりと微笑んだ。




