今できること
トーラが訓練場を後にすると、途中の廊下で狼が座っていた。
「なに、あんたも来てたの」
狼はその言葉に同意するように軽く尻尾を振ると、トーラの横を歩き出した。そのまま一人と一匹は試験室まで行ってそこに入る。キーツはそれに気がつくと、手を止めて顔を上げた。
「新しい鎧ができたんですね」
「まあね、それにこれも」
トーラは左手首内側のエレメントタブレットをキーツに見せた。
「エレメントタブレットですね。動作はどうでしたか?」
「ちょっとテストしたけど、ばっちりだった」
「もう試したんですか」
「ま、軽くだけど」
それからトーラは手近な椅子に腰を下ろした。狼のほうはキーツの足元で横になる。
「それで、その作ってるやつはどうなの?」
「もう少しでテストはできそうなところまできています」
「ふうん、ところでもうすぐここの団長っていうのが帰ってくるらしいんだけど」
「そうなんですか、知りませんでした」
キーツの返答にトーラはため息をついた。
「そりゃ、ずっと閉じこもってたら知るわけないか。今日あたり団長が帰ってくるっていうんで、なんか色々忙しそうだけど」
「それでマーガレットさんや他の人達も今日は顔を見せてないんですね」
「言われるまで気づかないってさあ、いや別にいいんだけど。で、団長ってどんなのか知ってる?」
その問いにキーツは手を動かしながら答える。
「噂でしか聞いたことはないんですけど、医術に精通していて、いつも色々なところを飛び回っているらしいです。旅をしていてほとんど本部には戻らないとか聞いたことがあります」
「へえ、そんなのが帰ってくるんなら、忙しそうなのも納得ね。名前は知ってる?」
「ストッフェルさんですね。田舎では有名な人ですよ」
「ど田舎だから知らない…」
トーラは実験台の上に突っ伏し、キーツはそれと反対に手を止めて顔を上げた。
「せっかくだから、僕達も挨拶に行きましょう。普通なら無理でしょうけど、今の僕達の立場ならきっと会ってくれますよ」
「そうね」
キーツは再び手を動かし始め、トーラは体を起こしてそれを眺めることにした。
一方、アライアルはマーガレットと一緒に廊下を歩いていた。
「新兵器はすごいもんだな」
「そうでしょう、我らが技術部の最新の成果だもの」
「それで、俺達用には?」
「そっちはまだ開発中ね。トーラちゃんのものよりもデリケートで、もっと強力なものにする予定だから」
「じゃあそのテストは俺にやらせてくれよ」
「そうね、あなたとアテリイに頼もうと思ってるわ。それより、あなたは団長を迎えに行かなくていいの?」
そう言われてアライアルは何か思い出した様子だった。
「いけね、忘れてた。そういえば今日だったな」
「時間は守ったほうがいいわよ、副団長も一緒なんだから」
「あいつはうるさいからな」
アライアルは足早にその場を離れ、マーガレットはその背中を見送りながら笑みを浮かべた。
「あれが使いこなせたらどうなるか、楽しみね」
それからマーガレットはニッケルの働いている部屋に向かった。
「ニッケルはいるかしら?」
マーガレットが手近な職員に声をかけると、その職員はすぐに立ち上がり、ニッケルの執務室のドアを叩いた。
「ニッケル部長、マーガレット部長がお見えです」
すぐにドアが開き、ニッケルが顔を出した。
「マーガレット部長、どうぞこちらに」
マーガレットは招かれるままニッケルの執務室に入り、部屋の主よりも先に椅子に座る。
「こっちは順調よ。さっきトーラちゃんにエレメントタブレットを渡して、アライアルとテストしてみたけど、しっかり使えてたし、問題なし」
「そうですか。彼女は切り札になりうる存在ですから、その力が増したのはいいことですね。しかし、アライアル君は団長の迎えがあるのに、余裕ですね」
「あの子はあれくらいでいいんじゃないかしら。それより、団長が戻ったらどうするの? 私のほうは新しい装備を早めになんとかするけど」
「そのことですが」
ニッケルは机に肘を突いて両手を組むと、一つ呼吸をおいて先を続ける。
「最近、不審な出来事の噂、恐らく悪魔の仕業の事件が多くなってきています。バーブ部長がそれを抑えてくれていますが、何か実害が出れば混乱が起きる可能性があります」
「…その対策のために新装備を急げって言うのかしら?」
「そうですね。その新装備が本当に精霊の力を使えると証明できれば、多少のことなど吹き飛びます。誰もが初代の団長の伝説を思い出して、そこから勇気を得るでしょうね」
「それなら、トーラちゃんの聖剣でもいいんじゃないの」
「それと合わせてですよ。精霊の力を得たパイロフィストと、伝説の聖剣使いの末裔。その両者のインパクトがあればこそです」
マーガレットは何か言う前に天井を数秒間見上げ、大きく息を吐き出した。
「そういうのはわからないから、あなた達に任せるわ。でも、団長が戻ってきたらそういうことを本格的に始めるのは予想がつくけど」
「そういうことです。それまでは悪魔がこれまで通り何もしないことを願うしかないのは不本意ですね。こちらから仕掛けられればいいんですが」
「…それは手がかりもないし無理ね。伝説の勇者だったら可能かもしれないど。ああ、それともあの彼女、アクシャさんならね」
「ないものねだりをしても仕方ありません。とにかく、最善と考えられることに集中しなくては」
そこでマーガレットは立ち上がり、机に両手を置く。
「わかってるわ。そのためにも、こっちも急ぐから」
「頼みます。予算の心配はいりませんからね」
「いつもそれくらい太っ腹だと助かるわ」
「そうもいきませんよ」
二人は視線を絡ませ、声を出さずに笑うと、それぞれの仕事に戻るべく動き出した。
そしてその頃、ノーデルシア王国の女王、ヤエは議会に出席していた。パイロフィストから悪魔のことは伝えられていても、それだけというわけにもいかず、他にもやるべきことは沢山あるのだった。
ヤエは特に発言することはなく議会の様子をメモを取りながら見ていたが、そこにエルシアが近づいて耳打ちをする。
「…妙な気配? あなたがそう言うなら何かあるのでしょうね、警戒するように情報を伝達して」
「はい」
エルシアはすぐにその場から下がっていった。ヤエはまたメモを取るのを再開したが、その場の雰囲気が変わったのを感じ、思わず周囲を見回した。
そして、次の瞬間には議場の天井付近に空間の歪みが発生していた。




