キーツという少年
「行ってきます!」
キーツという名の少年はそう言って家を飛び出していった。
「いってらっしゃい」
それを見送るファマドという中年の男は新聞を見ながら、手を振って送り出す。
家を飛び出したキーツは、肩からかけたカバンを躍らせながら道を走り、王立総合学院行きのバスの停留所に向かい、ちょうど到着していたそれに飛び乗った。
キーツは一息つくと、手すりをつかんでカバンから分厚い本を取り出した。その本は魔道具論と名づけられた本で、およそキーツのような年代の少年が読むものではなかった。
だが、キーツはその本を片手で持ち、集中して読み始め、バスが王立総合学院に到着するまで顔を上げることもしなかった。
そしてバスが学院に到着すると、本をしまってすぐに校舎に向かう。それは小等部から中等部、高等部から大学まで同じ敷地内にある巨大なもので、初めてではまず迷うところだった。
ここに通ってるキーツは迷うことなく、最初の授業が行われる教室にまっすぐ向かう。それからその教室に入ると、すでに席はかなり埋まっていて、キーツは後方の席に座ってノートとペンを取り出した。
キーツの周囲の学生達は年上ばかりで、浮いてるように見えるが、キーツも周囲も特にそれを気にするような様子はなく、当たり前の様子で講義が始まった。
講義が終わると、キーツはノートを閉じて講師のところに向かった。講師であるディエスタはそれを見ると、眼鏡の位置を直してそれを迎える。
「どうしました、キーツさん」
「少しわからないところがあったんですけど、質問してもいいですか?」
「いいですよ。ここではゆっくり聞けませんから、研究室に行きましょうか」
「はい」
二人は並んで教室を出ると、そのままディエスタの研究室に向かった。ドアが開けられると、中は大量の本が本棚に納まらずに床にまで高く積み上げられていて、かなり雑然とした様子だった。
その中を机のある場所まで歩き、ディエスタは重ねてあった椅子を一つ取ると、自分の椅子の近くに置いた。
「座ってください、何か飲み物でも?」
「いいえ」
「では、始めましょうか」
それからキーツが質問し、それにディエスタが答え、さらにそこから話が広がっていくようなことが何度か繰り返された。時間は瞬く間に経過し、すぐに次の講義の時間が迫り、ディエスタは壁の時計を見上げた。
「そろそろ次の講義の時間ですよ」
「あ、はい、わかりました。ありがとうございました」
キーツは立ち上がって頭を下げながらそれだけ言うと、慌てた様子で研究室から出て行った。それを見送ったディエスタは一つためいきをつく。
「本当にすごい子ですね。これからどれだけのことをすることになるのか」
ディエスタは仕事に戻り、キーツは講義を順調に受けていった。だが、昼の食堂でそれは乱されることになる。
「キーツ、あなた今日もお弁当なの?」
キーツより少し年齢が上で、従者を伴った少女、レミが声をかけてきた。キーツは自分の弁当箱から顔を上げると、軽く頭を下げる。
「こんにちは、レミさん」
「う、相変わらずマイペースね。まあいいけど、エルシア」
「はい、王女様」
レミにそう言われると、従者である眼鏡をかけた女性、エルシアは昼食の包みを取り出し、キーツの隣に置いた。レミはすぐにそこに座ると、その包みを広げる。
「豪華なお弁当ですね」
「当然でしょう」
それから二人は並んで昼食をとった。二人の弁当箱が空になったころ、レミはあらたまって口を開く。
「ところでキーツ、論文は進んでるの?」
「ちょっと行き詰ってますね。なにしろ先行研究もあまりないので」
「そうでしょうね。でも、私のところに来れば資金も時間もあるのよ」
「僕はまだ学生ですから。それに、ちゃんと学院を卒業するのはおじさんとの約束ですし」
キーツの言葉にレミはため息をついた。
「王室の援助で好きにするよりも、今の保護者さんに義理立てするのね。でもまあ、あなたならそう言うと思ったけど」
そして、レミは弁当箱を元通りに包むと、立ち上がった。
「気が変わったらいつでも言ってくれていいわよ」
それだけ言うと、エルシアを伴ってその場から去っていった。キーツも自分の弁当箱をしまい、次の講義のある教室に向かった。
夕方、今日の講義が終わったキーツはバスに乗って自宅に帰ってきていた。そこにちょうど買い物籠を下げたファマドも戻ってきたところだった。
「ただいま戻りました」
「お帰り」
ファマドは笑顔でキーツを迎え、家のドアを開けた。キーツはまず自室に行ってカバンを置くと、すぐに台所に行って、夕食の準備を手伝い始めた。
「今日は学院のほうはどうだったかな?」
「特に変わったことはなかったですけど、レミさんと会いました」
「王女様ね。またあの話だったのかい?」
キーツがうなずくと、ファマドは笑みを浮かべた。
「まあ、学院を卒業したら考えてもいいんじゃないかな。研究のためにはスポンサーは大事だからね」
「でも、僕の研究に必要なのはお金じゃないんです」
「経験、だろうね。そろそろ学院も休みに入るし、何かいい機会でもあれば、ね」
ファマドはそこで言葉を切り、天井を見上げた。
「いい機会っていうのは、なんです?」
「なに、もうすぐわかるよ。色々考えてはいるから」
そう言って笑顔を浮かべるファマドに、キーツは特に何も聞かず手を動かし続けた。それから夕食ができて食卓につくと、ファマドは食べ始める前に口を開いた。
「さっきの話だけどね、近いうちにちょっと変わった知り合いが来るんだよ。まあ、精霊の研究をしてる変わり者なんだけどね」
「精霊の力? それなら学院でも研究してる人はいますけど」
「そういうのとは違うんだよ。なにしろ大昔からやってて、今は弟子もとってるようだし、おもしろいことも考えてるみたいだからね。楽しみにしておくといいよ」
「そうなんですか。いつ頃来るんですか?」
「もう少しかかるね。まあさっきも言ったけど、学院が休みに入る頃になるかな。おっと、そろそろ食べよう」
二人はそれからはてきとうな雑談しながら食事を済ませ、後片付けはファマドがやり、キーツは自室に戻って今日の復習を始めた。
それが一通り済むと、今度は昼にレミに言われた論文を取り出し、最初の一ページ目を眺めた。魔力の制御と操作と題されたそれは、現在マジックカートリッジと呼ばれるエネルギー源をより複雑かつ効率的に使えるようにするための理論だった。
だが、それは途中で行き詰っていて、今もキーツの手は動かない。しばらくそうしてペンを握っていたが、それを机の上に放り出してしまった。
そして、机の端に置いてある小箱を開け、その中にある緑色の小さな石のようなものをつまみあげた。
「これだけじゃ足りないんだよな…」
キーツはそうつぶやきながら、つまんだ緑色の石をスタンドの下に持って行き、しげしげと見つめた。それは光を反射して光るが、それ以上のことはなかった。
「これが使えればもっと便利なものができるのに、うまくいかないな」
キーツはそれから机に肘をついて、大きくため息をついた。




