新訳・桃太郎 ~おばあさんの日本一のきび団子~
むかしむかし、ある村でおじいさんとおばあさんが静かに暮らしていました。
ある日、桃から生まれた桃太郎が鬼退治を決意します。
しかし「一人じゃ無理だ。日本一のきび団子を作ってほしい」と言い出しました。
ただのきび団子じゃダメ。
食べた生き物が「命を懸けてもお供する!」と思ってしまうような、
完璧な日本一のきび団子でなければ……。
そこから始まるのは、鬼退治より遥かに過酷な、
おばあさんの長い長い試練でした。
おばあさんはただの普通のおばあさんのはずでした。
でも、彼女には誰にも言えなかった過去がありました——。
むかしむかし、ある村の外れでおじいさんとおばあさんが仲良く暮らしていました。
おじいさんは毎日山へ柴刈りに行き、おばあさんは台所仕事が得意な、ごく普通の老夫婦でした。
ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が「ドンブラコ、ドンブラコ」と流れてきました。
おばあさんはそれを家に持ち帰り、おじいさんと一緒に桃を囲みました。おじいさんが包丁を手に取ろうとすると、おばあさんは慌てて止めました。
「待って! この桃、ただの桃じゃない気がするの。
中に大切な命が入っているかもしれない……絶対に傷つけないで」
おじいさんは少し不思議そうな顔をしましたが、
「わかったよ。お前が言うなら、そうしよう」
と包丁を置きました。おばあさんは両手で桃をそっと包み込み、祈るような気持ちで集中しました。
すると——パカッ……
桃が自然に綺麗に開きました。
中から元気な男の子が「オギャー!」と飛び出してきました。おじいさんは目を丸くして喜び、
「おお、よく開いたな!」
おばあさんは汗を拭きながら、赤ちゃんを抱き上げて微笑みました。
「よかった……傷つかなくて」二人はこの子を「桃太郎」と名付け、大切に育てました。
桃太郎はすくすくと育ち、強く優しい少年になりました。ある朝、桃太郎が突然宣言しました。
「おじいさん、おばあさん。鬼ヶ島の鬼たちが村を襲っているそうです。僕が退治してきます!
でも一人じゃ無理だ。おばあさん、日本一のきび団子を作ってほしい。
食べた生き物が『命を懸けてもお供する!』と思ってしまうような、完璧なものを!」おじいさんは心配そうに言いました。
「桃太郎、無理はするなよ……」
おばあさんは少し顔色を変えましたが、静かに頷きました。
「……わかったわ。やってみる」それから、おばあさんの本当の試練が始まりました。最初に作ったきび団子は、いつものように丁寧に蒸した普通の団子でした。
桃太郎が一口食べて首を振ります。
「美味しいけど……これじゃ日本一じゃないよ」
二回目は甘さを増やしてみましたが、べたべたになって崩れてしまい、
「溶けちゃう。おばあさん、もう少し固めに」
三回目は香りを強くしてみたのに、今度は味が濃すぎて後味が悪く、
「一口で満足しちゃうからダメ。もっと食べたくなる味に!」
四回目、五回目……おばあさんは夜通し作業小屋にこもり、石臼を回し続けました。
手は血豆だらけになり、蒸し器の熱で顔は真っ赤に、腰は痛みでほとんど曲がらなくなりました。
失敗した団子の山が床に積もり、毎回桃太郎に味見をしてもらっては
「ここが違う」
「もっと日本一に!」
と指摘されるたび、おばあさんの心は削られていきました。
ある夜、おばあさんはとうとう小屋の床に崩れ落ち、声を震わせて泣きました。
「もう無理……私に日本一なんて作れるわけがないわ。
ただの普通のおばあさんなのに……桃太郎、ごめんね……
おばあさんは何もできない……」
おじいさんが心配して小屋を訪ね、
「お前、そんなに無理しなくても……」
と声をかけると、おばあさんは涙を拭きながら首を振りました。
「桃太郎が一人で鬼ヶ島に行ったら危ないのよ。
きび団子が日本一じゃなければ、誰もついてきてくれない……
それが一番怖いの」
おじいさんはただ黙って、おばあさんの肩を抱き、温かいお茶を運び続けました。それが、おじいさんにできる精一杯の支えでした。
失敗を重ねるうち、おばあさんは少しずつ「封印していたもの」を取り出し始めました。
古い小さな瓶、誰も知らない薬草、奇妙な銀の匙……。
近所の人には「ただの漢方よ」と笑ってごまかしましたが、小屋の中では夜な夜な不思議な光と香りが立ち上っていました。
何十回目かの挑戦で、おばあさんはとうとう決断しました。
「もう、これしかない……」
封印していた瓶から、一滴だけ黄金色に輝く秘薬を取り出し、
きびの生地に命がけの集中力で混ぜ込みました。
その瞬間、小屋全体が淡く光り、魂を揺さぶるような甘い香りが広がりました。完成したきび団子を一口食べた桃太郎の目が輝きました。
「おばあさん……これ、すごい! 体中に力がみなぎる……本当に日本一だ!」
おばあさんは疲れ果て、声もかすれながら微笑みました。
「よかった……これには、私の若い頃に学んだ禁断の秘薬が入っているの。
長年封印していたものよ。絶対に無駄にしないでね……」
桃太郎は大量の秘薬きび団子を腰に下げ、出発しました。
道中、犬・猿・雉が次々と「この味……命を懸けてもお供します!」と仲間になり、
鬼ヶ島での戦いは圧倒的な勝利に終わりました。
宝物を奪還して凱旋した夜、囲炉裏を囲んだ家族の団欒。
おじいさんはおばあさんの手を優しく握り、
「一番大変だったのはお前だったな……よく頑張ったよ」
と言いました。おばあさんは弱々しく、けれど誇らしげに微笑み、
「鬼より怖かったのは、自分の限界と向き合うことだったわ……
でも、桃太郎のためなら、何度でも錬金術師に戻るわ」
桃太郎は目を輝かせて、
「おばあさん、ありがとう。本当に日本一だったよ」
こうして、桃太郎の物語は、表向きは勇敢な少年の冒険ですが、実はおばあさんの長い長い苦悩と、何度も繰り返された失敗と涙の果てに生まれた「秘薬きび団子」によって、静かにめでたく終わったのでした。
めでたし、めでたし。
こうして、桃太郎は仲間たちと共に鬼ヶ島を平らげ、無事に村へ帰ってきました。
しかし村の人々が語り継ぐのは、勇敢な桃太郎の活躍だけではありません。
夜な夜な作業小屋で何度も泣きながらきび団子を練り直し、
手は血豆だらけになり、目が腫れるほど失敗を繰り返したおばあさんの姿。
そして、最後に一滴の禁断の秘薬を使って完成させた、
「日本一のきび団子」のこと。
鬼を倒したのは桃太郎と仲間たちかもしれません。
でも、本当の最大の試練を乗り越えたのは、
ただの普通のおばあさんだったおばあさんだったのです。
(おばあさんの苦悩を知っているのは、家族だけ。)




