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第21話 偽りと裏切り

 翌日。

 私は一睡もできないまま、約束の時間を迎えた。


 鏡を見る気にはなれなかった。

 代わりに両手の甲を見る。

 そこにあったはずの契約の証は、もうない。


 ないはずなのに、何度もその場所へ視線が落ちた。

 ないことを、身体がまだ理解していないみたいだった。


 胸の奥の穴だけが、相変わらず冷たい。


 村の広場には、朝から人が集まっていた。

 マルタさんがミシャちゃんを抱き寄せ、トマスさんが前に立ち、ガランさんは杖を握りしめている。

 そこに、まだアリアの姿はない。


 みんな、昨日のままの暗い顔だった。


 私は一歩、前へ出る。

 足が重い。

 でもここで迷ってはいけない。

 私が迷えば、みんなを巻き込む。


 やがて丘の下から、馬蹄の音が聞こえてきた。

 豪奢な馬車。兵士たち。縄にかけられたデニースさん。そして、馬車から降り立つ見慣れたはずの男。


「さあ。答えを聞かせてもらおうか」


 レオン王子は、昨日と同じく尊大に顎を上げていた。

 私は拳を握る。


「私は、あなたの元に戻ります」


 村人たちの間に、重たいざわめきが走った。

 ミシャちゃんが、小さく息を呑むのが聞こえる。


 ごめんね、と思った。

 でも口には出さない。


 レオンは満足げに口元を歪めた。


「ほう。ようやく現実が見えたか。では、精霊王たちも我が軍門に降るのだな」

「それはできません」

「何?」


 私は、まっすぐ王子を見返した。


「私は、彼らとの契約を断ちました。もう、私と精霊たちの間に主従契約はありません」


 一瞬だけ、場が静まり返った。


「これで、この村も、私も、国際法違反者ではなくなりました」


 昨日から何度も何度も考えた。

 これしかないと思った。

 私がここを去り、精霊たちもいなくなれば、少なくとも王子は“国家級戦力を抱えた違法な村”という口実を失う。

 村は助かる。

 そう、信じたかった。


 レオンは私の言葉を聞いて、数秒だけ黙った。

 それから、ゆっくりと笑った。


「そうか。ならば、話は早い」


 その笑みを見た瞬間、背筋が冷えた。


「では、この村には消えてもらおう」

「な……」


 私は息を呑んだ。


「約束が違うではないですか!」

「約束?」


 レオンは心底おかしそうに首を傾げる。


「何のことだ。この村は、我が国の危険因子を匿い、違法な戦力の拠点化に加担したのだぞ? 私が見逃せば、証拠隠滅と受け取られてもおかしくはない」


 文官が、いかにももっともらしく頷く。


「殿下のおっしゃる通りです。秩序維持のためには、再発防止措置が必要かと」

「なっ……!」


 昨日、私に「考える時間」を与えた時点で、もう決めていたのだ。

 私が従おうが従うまいが、最初からこの村を消すつもりだったのだ。


「やれ」


 王子の命令で、精霊魔法士たちが一斉に詠唱を始めた。

 赤熱した魔力が集まり、いくつもの火球が村人たちへ向けられる。

 朝の空気が、一瞬で戦場の匂いに変わった。


「撃て!」


 火球が、村人たちめがけて放たれる。


「皆、伏せて!」


 叫んだ、その瞬間だった。


「炎の魔法を使うなんて、千年早いですわ」


 凛とした声とともに、飛来した火球が途中で弾け飛んだ。

 紅蓮の炎が逆巻き、王子側の魔法を飲み込んでいく。


「イフリーティア!」


 燃える髪を揺らし、炎の精霊王が私たちの前に降り立つ。

 次の瞬間、銀色の巨影が地を蹴った。


「ガルルッ!」


 タロウだ。

 獣王の姿になった彼が魔法士たちへ飛びかかり、その陣形を一瞬で崩す。


「こいつらは、最初からこの村を消すつもりだったようだ」


 低い声とともに、デーゼが現れた。

 影のような黒ずくめの男たちを、まとめて地面へ叩き落とす。


「村の西側に伏せていた。お前が契約を切っていようがいまいが、こやつは村ごと燃やす腹積もりだったらしい」


 地面に転がった男たちは拘束され、呻き声を漏らした。


 最初から。

 全部、仕組まれていたのだ。


 でも――


 戻ってきてくれた。


 イフリーティアの炎が見えた瞬間、膝から力が抜けそうになった。

 タロウの咆哮が、こんなにも頼もしく聞こえたことはない。

 デーゼの声が届いただけで、終わらなかったのだと、本気で思ってしまった。


 もう一度だけ、間に合うのだと。

 本当なら、それだけで泣きたいくらい嬉しかった。


 だからこそ。


「みんな! だめよ!」


 私は叫んだ。


 だめ。

 戻ってきたら、王子の狙い通りだ。


「これは、レオンの思う壺なの!」


 レオンは、待っていたと言わんばかりに笑った。


「フハハ! そうだ。それでいい」


 懐から取り出されたのは、黄金に輝く手鏡。

 王家の切り札、『隷属の鏡』。


 やはりそうか。

 心臓が、強く縮む。


「私の唯一の懸念は、貴様らがフランシスカの思惑通りに姿をくらませることだけだった。だが、これで終わりだ」


 レオンは鏡を高く掲げた。


「精霊王を縛る契約は、すでに消えた」


 鏡が、眩く光る。


「さあ、私の配下に入れ!」

「やめて――!」


 伸ばした手には、もう何の紋章もなかった。

 あの三つの温もりに触れようとしても、何も掴めない。


「フランシスカ様……!」

「クゥゥン!」

「主……!」


 三柱の身体が、ぴたりと止まる。

 風も、炎も、影も、一瞬で凍りついたみたいだった。


「……イフリーティア?」


 返事がない。


「タロウ」


 いつもなら、名前を呼べば真っ先に駆けてくるのに、動かない。


「デーゼ……!」


 皮肉の一つも返ってこない。

 それだけで、何が起きたのか分かってしまった。


 光が収まった時、そこに立っていた三柱の瞳からは、感情が消えていた。

 まるで人形だ。


 知っている。

 前世で何度も見た。

 王子の命令だけに従い、ただ世界を壊すためだけに在る、あのゲームの中の三大精霊王だ。


「み、みんな……」


 呼んでも、私の声は届かない。


「そんな……」

「素晴らしい……!」


 レオンが恍惚とした声を漏らした。


「力が、私にまで溢れてくる。これが精霊王の力か!」


 その時だった。


「ひどい!」


 小さな影が飛び出した。


「ミシャちゃん!」


 ミシャちゃんが、涙でぐしゃぐしゃの顔で王子を睨んでいた。


「おじさん! デーゼお兄ちゃんと、イフリーティアお姉ちゃんと、タロウを返して! みんなのお家は、あそこだもん!」


 小さな指が、テラスと果樹園を指す。

 昨日まで、みんなで笑っていた場所。

 今朝も、朝日を浴びて輝いていた温室。


「なんだ? このガキは」

「ガキじゃないもん!」


 震えながらも、ミシャちゃんは一歩も引かなかった。


 その時だった。

 タロウの耳が動いた。

 ほんのわずかに。

 けれど、私は見逃さなかった。


「……タロウ?」


 希望とは呼べないほど小さな揺らぎ。

 私の胸の奥で、何かがかすかに震えた。

 でも、確かにそこにあった。


 レオンは、冷たく鼻で笑った。


「ふん。ちょうど良い。精霊たちに最初の命令をしよう」


 何をする気――

 そう思った瞬間、背筋が凍った。


「このふざけた果樹園を、燃やし尽くせ」

「やめて!!」


 命令を受けたイフリーティアが、何の感情も見えない表情で果樹園へ向き直る。

 あの果樹園は、ただの設備じゃない。

 イフリーティアが初めて「育てたい」と言って、自分の炎で育んだ未来だ。

 苺の赤を誇らしげに見せてくれた朝も、そこで採れた果物でタルトを焼いて皆で笑った日も、全部あそこにある。


「燃え尽きよ」


 刹那、業火が走った。

 ガラスの温室が高い音を立てて砕け散る。

 朝露を乗せて光っていたはずのガラス片が、炎の中で無残に跳ねた。


 ミシャちゃんが目を輝かせて覗き込んでいたイチゴ棟が、赤い炎に包まれる。

 熟れた実がひとつ、地面へ落ちて、黒く潰れた。

 つるが黒く縮れ、葉が一瞬で灰に変わっていく。

 甘かったはずの匂いが、焦げ臭さへ塗りつぶされていく。


「いや……いやあああ!」


 自分の声とは思えなかった。


 その横で、タロウが一歩、ミシャちゃんの方へ踏み出した。

 牙が見える。

 村を守るために向けたことのない、獣王の牙。


「タロウ……!」


 けれど彼の足は、そこで止まった。

 耳が激しく揺れ、大きな身体がほんのわずかに震える。

 命令と、記憶。

 その狭間で軋むみたいに。


 デーゼの影もまた、テラスの方へ長く伸びた。

 看板へ。窓へ。吊るされたベルへ。

 まるで『帰る場所』そのものを覆い潰そうとするみたいに。


「やめて……お願い、やめて……!」


 けれど、三柱はもう私を見ていない。

 イフリーティアの炎が温室を舐め、タロウの唸りが大気を震わせ、デーゼの影が店の輪郭を黒く染める。

 私たちの手で作った未来が、音を立てて壊されていく。


 レオンはその光景に、心底満足そうに目を細めた。


「そうだ。国家に仇なす力など、こうして焼き払ってしまえばよい」

「違う!」


 叫んでも、届かない。


「あれは、あなたの言う“何もない辺境”なんかじゃない……!」


 喉が裂けそうだった。


「あそこは、私たちの家よ……!」


 レオンは一瞥だけ寄越し、興味をなくしたように言った。


「家? 笑わせるな」


 そして、短く命じる。


「次だ。村ごと消せ」


 その一言で、空気がまた凍りついた。


 まだ、終わっていない。

 終わるどころか、ここからだ。

 最悪は、まだ底を見せていなかった。

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