第10話 最強の番犬は街道を守る(タロウ視点)
チュンチュン、と小鳥の声がする。
ボク――タロウは、フランシスカのベッドの上で目を覚ました。
鼻をひくひくさせる。
うん。いい匂い。お日さまと、ミルクと、お花の匂い。大好きなフランシスカの匂いだ。
「ん……おはよう、タロウ」
フランシスカが目を開けて、ボクの頭をわしゃわしゃ撫でてくれる。
「クゥ〜ン(おはよう、フランシスカ)」
ボクはこの時間が大好きだ。
喉の奥を小さく鳴らすと、フランシスカは嬉しそうに笑って、ぎゅっと抱きしめてくれる。あったかい。
「さて、今日も忙しくなりそうね。私はカフェの開店準備。イフリーティアは果樹園。デーゼはパフェの研究……」
フランシスカは、ボクの目をまっすぐ見た。
「タロウは今日も『番犬』をお願いね。怪しい人が来ないか見ていてほしいの」
「ワン!」
番犬。
それは、とっても大事なお仕事だ。
ここはフランシスカのお家で、イフリーティアお姉ちゃんと、デーゼお兄ちゃんと、ボクのお家でもある。
だったら、守るのは当然だよね。
***
みんなが朝の支度を始めたころ、ボクは窓から外へ飛び出した。
空中でくるりと一回転すると、小さな体は銀色の巨狼へと変わる。毛並みに風がまとわりついた。
よし。パトロール開始だワン。
丘の上の家から、コナラギ村。
その先の街道まで。
そこが、今のボクの「お庭」だ。
潮の匂い。森の匂い。果樹園の甘い匂い。
今日も平和――そう思った、その時だった。
風の中に、嫌な匂いが混ざった。
鉄と、焦げた魔力と、怯えた人間の匂い。
(……あっちだ!)
ボクは一気に街道へ駆けた。
***
街道の曲がり角で、一台の馬車が止められていた。
その周りを囲んでいるのは、薄汚い男たち。盗賊だ。
「へへへ、積み荷を置いていきな」
「た、頼む! それだけは勘弁してくれ。これを失ったら商売にならないんだ」
御者台にしがみついている恰幅のいい男は、今にも泣きそうな顔をしていた。
馬たちも怯えている。
だめ。
ここはフランシスカのお庭の近くなんだから、悪い人はだめだ。
ボクは盗賊たちのど真ん中に、どすんと着地した。
「な、なんだぁ?」
「で、でけぇ狼……?」
「ば、化け物だ!」
化け物じゃない。番犬だ。
盗賊の一人が慌てて魔法を撃ってきた。
ボクは尻尾で、ぺしん、と弾いた。
「なっ!? 俺の魔法が……」
「ワン」
ボクは前足で軽く払った。
本当に、軽く。
それだけで盗賊たちは、まとめて空の彼方へ飛んでいった。
「ぎゃあああああっ!」
「ぶべらっ!」
「た、助け――!」
うん。静かになった。
***
「た、助かった……」
恰幅のいい男が、へなへなとその場に座り込む。
ボクが近づくと、一瞬びくっとしたけれど、悪い匂いはしない。怖がってるだけだ。
「ワフゥーン」
「……ワフゥーン?」
男はぽかんとしていたけれど、やがて何度も何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、神獣様。私はデニース商会のデニースと申します。少し離れた街で商いをしているのですが……」
よく分からないけど、デニースは悪い人じゃなさそうだ。
それに、馬車の荷台からはとてもいい匂いがする。
小麦粉。砂糖。お茶の葉。
それから、ちょっとだけ苦い、豆の匂いもする。
(これ、フランシスカが喜ぶ匂いだ)
ボクは御者台に前足をかけて、荷台をくんくん嗅いだ。
「ひゃっ!? し、神獣様?」
「ワフ?」
この荷物、ちゃんと守ってあげたほうがいい。
ボクは馬車の車輪に自分の匂いをこすりつけた。これで、この辺の弱い魔物は近寄りにくくなるはずだ。
たぶん。
……きっと、大丈夫だ。
デニースは目を丸くしたあと、ぶるぶる震え出した。
「こ、これは……加護……」
「ワン!」
「は、はいぃ……!」
なんだかすごく感動している。
人間って、たまによく分からない。
でも、せっかくだしフランシスカにも会わせよう。
きっと喜ぶ。
「ワフ!」
「え? い、行きます! ぜひ行かせてください!」
ボクは満足して尻尾を振った。
じゃあ、一緒に行こう。
***
コナラギ村の入り口まで来ると、荷車を引いていたトマスがこちらに気づいて手を上げた。
「おっ、タロウじゃねぇか。……って、後ろの商人さん、大丈夫か?」
「た、助けてもらったんです……この神獣様に……」
デニースは、まだ半分くらい腰を抜かしている。
そこへ、籠を抱えたマルタと、ぴょこぴょこ走ってきたミシャも現れた。
「タロウ!」
「ワン!」
ミシャが嬉しそうに抱きついてくる。
ボクは鼻先で木の実をころんと転がしてやった。
「わあっ、遊んでくれるの?」
「ワフッ」
デニースは、目をぱちくりさせていた。
「こ、こんな神獣様が……村の子供と遊んでおられる……?」
「神獣っていうか、フランシスカさんちのタロウだよな」
トマスが笑う。
「すげえ番犬だけどな」
「フランシスカお姉ちゃんの家族なの」
ミシャが胸を張る。
「そ、そんなすごい方が。では、そのフランシスカ様というのは、さぞ恐ろしい――」
違う違う。
フランシスカは、いちばん優しいんだ。
「ワン!」
ボクはくるりと向きを変え、丘の上の家へ向かって駆け出した。
「ま、待ってください!」
デニースが慌ててついてくる。
たぶん、これで大丈夫。あとはフランシスカが、きっとうまくやってくれる。
***
夕暮れどき。
空が赤く染まるのを見て、ボクはふと、遠い日のことを思い出した。
あの日も、空は赤かった。
ううん。あれは、血の色だったのかもしれない。
薄暗い獣の森。冷たい雨。
ボクの目の前には、血を流して倒れるお母さん――先代獣王がいた。
ボクが人間の卑怯な罠にかかって、ボクを守るために、お母さんは何も抵抗できないまま殺された。
「へへっ、でかいのが死んだぞ!」
「子どものほうは生け捕りだ! 高く売れるぞ!」
下卑た笑いを浮かべる冒険者たち。
ボクは網に捕らえられ、何もできなかった。
(人間なんて大嫌いだ。みんな噛み殺してやる……!)
憎しみで、心が真っ黒になりそうだった。
でも身体は動かない。お母さんの命は消えていく。寒い。怖い。
世界が絶望で塗りつぶされそうになった、その時だった。
「――許さない!!」
叫び声とともに、燃え盛る炎が冒険者たちを吹き飛ばした。
現れたのは、一人の人間の少女。
人間なのに、人間に本気で怒っていた。
彼女はボクを網から助け出してくれた。
でも、その時のボクはまだ人間を信じられなかった。
差し出された手に、ボクは噛みついた。
痛かったはずなのに、彼女は怒らなかった。
ただ、泣きそうな顔で、こう言ったんだ。
「あなたのお母さんを助けてあげられなくて、ごめんね。怖かったよね」
その声は、冷たい雨よりずっとあたたかかった。
それから彼女は、もう一度そっと手を差し出してくれた。
「今日から、私が家族よ」
その手が、血と泥で汚れたボクの前足ごと包み込んでくれる。
冷たい雨に濡れて、憎しみで凍りついていた胸の奥が、じわっと溶けていくのが分かった。
その時、お母さんの力が、銀色の光になってボクの中へ流れ込んできた。
そしてボクは、新しい名前ももらった。
タロウ。
気づけば、ボクはその手を舐めていた。
この人のそばにいたい。
この人の家族になりたい。
ああ、この人は違う。
この手だけは、絶対に離しちゃいけない。
魂が、そう叫んだんだ。
***
キッチンのほうから、大好きな声がする。
「――タロウ〜! ご飯できたよ〜!」
「ワンッ!」
ボクは全速力でテラスへ飛び込んだ。
そこにはエプロン姿のフランシスカがいて、今日も優しく笑っている。
「わわっ、こらタロウ、飛びついちゃだめよ」
でも、ちょっとだけならいいよね。
ボクはすりすりと甘えて、頭を撫でてもらった。
「ワン!」
「ふふ、そう。今日もお庭を守ってくれてありがとうね」
フランシスカはきっと、街道で何があったかなんて知らない。
でも、それでいいんだ。
ボクは最強の獣王だ。
だけど、今いちばん守りたいのは世界じゃない。
フランシスカと、お兄ちゃんと、お姉ちゃんと。
この家と、この村と。
みんなが笑っていられる、この毎日だ。
そのためなら、ボクはいつだって――
世界最強の番犬になれるんだから。




