第1話 璃麻と滝矢
今日は最悪の日だ。
音無璃麻は憤慨していた。
せっかくオシャレカフェで過ごしていたのに、
「今時、方位士と結果師なんて、ダサいよなぁ。陰陽師みたいにむにゃむにゃってして、『鬼門』がどうとか……そんなことして家建てる奴、今どきいねーよ」とのたまう輩を目にしてしまったせいで、台無しだ。
手元が狂った振りして水をぶっかけてやった。
カップルだったようで女性の方が璃麻を見て「なんてイケメン……」と呟いていた。
それに対して璃麻は心の中で「女なんですけど……」と呟いていたが、表情には出さなかった。一応、「クリーニング代」として3万置いてカフェを出た。
今日はそんな些細なことで手間取っているわけにはいかない。
「結界師」として依頼するために、「めんどくさがりで天才の方位士」のところを訪問途中なのだ。
古びたオフィスビルのさらに古びた部屋の一角、設置されたボロボロの机で、2人の男が将棋を指している。
スーツを着た男と、作業着の男、スーツの男の方が依頼先の藤堂滝矢だ。
璃麻は、すうっと息を吸い込んで、できる限り大きな声でスーツの男に話かける。
「依頼状をたくさん送ったんですけど……!?」
怒りを抑えきれない声になった。
オフィスの主、藤堂滝矢は突然の来訪者、璃麻の方を見もせずにのんびり言った。
「いや、最近立て込んでて、難しいんですよ~」
「おっと、幸二さん。いい手だね。こりゃ、分からなくなってきましたよ」
スーツの男、滝矢が言う。
「いやいや滝矢さん、あんたもなかなか。初心者にしては。……いや、でもいいんかい?お客さんほったからして」
幸二と呼ばれた作業着の男が笑いながら言う。
滝矢は「大丈夫大丈夫〜そのうちお帰りいただけるんで〜」とのんびり言い、2人は、あははと笑いながら和やかに対戦は進んでいる。
盤の横にまわりこむと、イラついた手つきでその盤を手でなぎ払ったのは璃麻だった。
男たちの間に、沈黙が落ちた。滝矢は、璃麻の手によって床に散乱した駒をじっと見つめている。
やがて、諦めたように一つため息をついた。
「……あの、聞いてもらえます? 話」
璃麻によってぶちまけられ、ばらばらと床に散乱した駒をしばらくジッと見つめていたが、やがて滝矢は1つため息をつく。
「あのですね。師匠のお弟子さん、でしたよね?」
「音無璃麻といいます。私の方が弟子入りは後ですから、藤堂さんは兄弟子にあたりますね?」
「音無さん? 乱暴な人だなぁ。駒わかんなくなっちゃったじゃん」
はじけ飛んだ将棋の駒を丁寧に拾い、盤に戻す。どれがどこだったかは滝矢には分かっているようだ。すっ、すっと迷いなく戻していく。
「あ、璃麻でいいです」
「……りまさん? その依頼は受けないと言ったはずなんです。お師匠様にもはっきりね」
滝矢はきっぱりと言ってため息をついた。
彼は独立して業務を行っている「方位士」だ。そして彼女は「結界師」だ。
師匠の言葉を、信じれば。
本来ならば、自分だって、依頼があればなんなりと、どこへでも、というところだが……滝矢は思う。この依頼だけは気乗りがしなかった。
しかし、璃麻に回り込まれ、初めて璃麻の顔を見た。
「あれ?」
滝矢は呆けた声を出し、後ろを向いてブツブツ腕を組んだ。
「あー、男の子か。師匠、女の子って言ってたから……嫌だったんだよ。女の子は面倒……。
男の子ならま、いっか?いやでもなー」
璃麻に聞こえないかぐらいの小さな声でぶつぶつつぶやいている。
「ん? なんですか? ぶつぶつと」と璃麻が呆れた顔をする。
何気なく頬に手をやるが、その仕草のわずかな不審を見とがめた滝矢は、立ち上がると璃麻の腕をとった。
「君、なんだいこれ。精霊の傷だな。よく見りゃこっちも……そっちも」
璃麻の頬を指さす。
璃麻はとっさに頬を覆って傷を隠すが、その手の甲にも傷があるので意味はなかった。
「えーっと。精霊の扱いは、あまり上手くなく……」
「え、引っかかれたの。……相当だよこれ。これだけの力のある精霊を怒らせたって?
璃麻くん……だっけ?自分でできないなら、それなりの方位士を連れていくんだね。……死にたくないでしょ?」
璃麻は唇を噛んだ。もう何度も言われた言葉だし、返す言葉も何度も繰り返す。
いつか、いつかこの言葉を言わなくて済むようになりたい。
「私に付き合ってくれる方位士さんなんて……いないんです」
「訳ありなの? ……うーん困った……。僕も今、協会の方と付き合いないから、紹介できる方位士も……」
頭を掻く滝矢に、璃麻は勢いよく首を振る。
「いや、滝矢さんがいいんです。滝矢さんに絶対お願いしろって、亡き師匠だって……!」
困った。滝矢は頭を抱える。
この彼、方位士も付けずにやばいヤマに向かうわけ?
死なれたら、寝覚めが悪いなぁ。とぼんやり思う。
「今回だけにしてくださいね。じゃ依頼の詳細を……」
滝矢が言い終わらないうちに、璃麻は滝矢の腕をつかみ出口に向かう。「ありがとうございます! 詳細は、外に車を待たせてるので、そちらでっ」
ずるずる……と半ば引きずられるように滝矢はオフィスを出た。
* * *
郵便局員佐伯の証言としては以下のようなものだった。
郵便局員の佐伯は、雨の降る中を郵便車を走らせていた。
手ひどいミスをやらかしてしまい、取り戻しに走っている最中だ。
佐伯は、つい数時間前、間違えて空き家の届け済みの家に郵便物を投函してしまったのだ。
それも大量に。
経緯はこうだ。
その家は3か月前からだれも住んでいないのだが、持ち主が郵便物の停止届を怠っており、まだ大量に郵便物が届く。
その郵便物は局長判断で留め置かれていたのだが、それを佐伯は「投函漏れ。すわ一大事」とばかりに早合点ですべて投函してしまったのである。
夕方になって局長が血相を変えてやってきて発覚し、佐伯が郵便車を走らせているわけである。
しかし、折り悪く、正午から降り始めた雨は次第に横殴りの豪雨となり、視界は不良で佐伯は舌打ちする。
時折、バンパーが、ガラスをこすり合わせたような不快な音を立てる。慎重にミラーを確認しながら走行する。
新人の佐伯の、ハンドルを握るその手つきはおぼつかない。
神社の脇の、車一台何とか通れる小道をゆっくり走り、そのうち目的の家が見えてきた。
時刻は19時を少し回っていた。
降り続く雨の中、カッパを着て車から降り、家の門をくぐって玄関に走る。
手には大きなビニール袋を2枚持っている。
慌てて切り込みから手を入れ……、入れようとして佐伯はピタリと手を止めた。
郵便物が、ない。
7通あるが全て薄いハガキだ。てっきり切り込みの先の受け口に落ちていると思っていたが、切り込みを開けて中を覗いても1つも見当たらない。
さりとて床に落ちているかというと、そういう気配もない。すりガラスの向こうには何も見えない。
もっと奥に落ちてしまったのだろうか。困ったとばかりに扉を引くと、すうっと引き戸が横に開いた。
うれしい気持ちと不用心さにあきれる気持ちが胸に去来する。ひとまず佐伯はそのまま体を滑り込ませて中に入る。
目をこらして床をみるが、やはり郵便物はない。
焦りがじわじわと心に浮かんでくる。
ふと手が離れた際に、切り込みポストの蓋が、かたん、と乾いた音を立てた。その音の余韻が妙に耳に触った気がした。
誰か、持って行ったのだろうか。
気味の悪さを覚えて困惑し、もうあきらめようと外に出た。
何気なく側面についている窓を見ると、小さく灯がついているのが見える。
やはり誰かいるのか。
「すみません!榊郵便局のものですが」
勇気を出して声を出す。
ジジジ、と奇妙な音が奥から聞こえた。
知らず背筋を強張らせたが、その後は相変わらず静寂である。物音ひとつしない。
ここで、佐伯ははっとする。
まてよ。自分が配達をしたのは雨の降り始めた正午過ぎではなかったか?
それから今まで、雨は激しく降り続き、小さな池の様な水たまりを地面にいくつも作っている。
対して、玄関先の土間は「濡れていない」
慌てて外を見るが水を含んでドロドロとした粘土状になった土には、佐伯の足跡だけがついている。
さぁっ、と背筋が寒くなる。
再度外に出ると、もう灯は消えていた。
追い打ちをかけるように、いよいよ気味が悪い。
玄関の扉を閉め、速足で門に急ぐ佐伯は、ふと周りの景色に目を向けた。何気ない石の置物、外付けの郵便ポスト、乱暴に置かれた農具やじょうろのようなもの……。
何だか、郵便ポストがゆがんでいるような、目の錯覚だろうか。
とたん、ぐらりと視界が回るような気持ちの悪さを覚え、駆け出した。
佐伯は車の中で盛大に嘔吐した。
ずぶぬれになったカッパからするすると水が垂れ、座席をじわりと濡らしていた。




