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第3章『はじめての』

料理人アリシアが王宮から追放されて最前線の要塞ポグレムに来てから2日経った

不幸中の幸いで使用人がアリシアに適当に詰めた荷物の中にアリシア愛用のスパイスボトルの箱と南国産の『帝王蜂の蜜石』が入っていたため今のところ兵士に多少ではあるが『前よりは』まともな食事が出せている

この『帝王蜂の蜜石』は複数の種類の蜂蜜と特殊な加工をしたナッツオイルを混ぜてから1年間煮詰めそれをさらに1年寝かせてから固め乾燥させてそこにさらに3年間という時間をかけて熟成させる

そんな『帝王蜂の蜜石』は栄養価が極めて高い

…どれくらいかと簡単に言えば今アリシアが持っている人差し指ぐらいの太さで長さ20cmの黒い棒状のそれからわずかひとかけらを一つの鍋に入れるだけで要塞内の兵士全員の栄養を補うことができるほどの代物である

そんな『帝王蜂の蜜石』は極めて希少であり 高額すぎるがゆえに国で買うことはあれど個人で誰かが買うことはなく彼女の所持している物も彼女が幼く宮仕えをする前に一度だけ南国に行った時に出会ったどこにでもいそうなおじさんからもらったものであった

今考えるとそのおじさんも一体何者だったのだろうか?と疑問に思うがそれはもはや確認する術などなかったのであった


しかし、そんな貴重で栄養価の高い『帝王蜂の蜜石』でもその場しのぎでしかなく、今あるものでもわずか数ヶ月持つかどうかである

第一に、この要塞にいるのはほとんどが兵士である

兵士の仕事にもよるが彼らは本来はよく食べる

それゆえに『少し物の浮いたスパイスでいい香りのする栄養価のあるお湯』ではなく、できれば肉などが必要だ


アリシア「うぅ…せめて…安い干し肉でも……いいから…ほしぃ…」


何気なく呟いた彼女ではあったが、無論何もしなかったわけではなく、アチャフには頼んでみたが、残念ながらそれらは届くことはなかった

その結果として料理とは言えない料理をしているため、『本来の調子』も出せないアリシアは、料理ができない不満といつ危険がやってくるかわからないという恐怖心から、いつも以上に手が震えていた


何気なく彼女は自身の『スカート』を強く握りしめた

現在の彼女は料理人の服ではないその服は、彼女の華奢な肩からふわりと広がり、膝下で柔らかなシルエットを描く

純白のエプロンが黒いワンピースのコントラストを引き立て、カチューシャから垂れる鈴のついたレースが、少しうつむき加減な横顔を額縁のように飾っている


―それはメイド服だった

元々出て行く時に着ていた料理人の服はその時無一文だった彼女の要塞までの旅費として泣く泣くそれを売り払ったのだ

そして本来、王宮使いの料理人ならばその誇りでもある料理服以外の…それも下級使用人の服なんてものを着せられた時には憤死するほど屈辱的なことであった

そんな使用人の嫌がらせであろう王宮の支給服にしては多少安いが頑丈に作られたメイド服にどのみち逆立ちしたって王宮に帰ることができないアリシアは渋々ながらも袖を通したのだった


ちなみに『帝王蜂の蜜石』は国一番の大商人ですら手に付けられないほどに高額過ぎて誰も買い手として名乗り出るものはなく真偽の査定こそしてくれても買取は断られてしまった


メイド服を見たことで 少し前の過去を思い出してため息をつきながらもアリシアは完成した味の薄い スープのような物を火から離す作業をする

先ほど馬の鐘が鳴ったので昼食まであと数刻だろうしそろそろ食器を用意しようと兵士たちの食器の入った棚に近づいた


―そんな時だった


唐突に鐘がけたたましく鳴り響き始めた

途端に要塞内の兵士たちが慌て始める

この事態をアリシアはアチャフから聞いている


アリシア「っ…警報の……鐘…!?」


それはつまり『来るべきもの』がとうとう来てしまったのだ

それは人類の世界を終わらせようとその喉に噛みつき食い千切らんと攻め入る大敵―


『獣人』がやってきたのだった。


―要塞ポグレムに『獣人』の軍勢がやってきた

この要塞には兵士以外にも非戦闘員がいる為、避難する区画がある

アリシアを含むその一部の者たちは最小限の必要なものだけをもって避難区画へと足を急ぐ

その中で戦場を知らない一介の料理人のアリシアはたどたどしい足取りで走り、その手足は酷く震えていた

動悸は止まず息は切れ頭はほぼ真っ白だった

だからこそアリシアはこれが夢の中で目が覚めたら王宮の自室で日が昇る前から仕込みを始めて料理が終わったタイミングでいつものように使用人のシュミエラに罵倒される

それで彼女が去ると他の料理人たちに励まされるそうして昼頃になるとたまに来る王宮食堂の

常連のちょっとだけ偉そうな疲れ顔のおじさんたちに話しかけられて料理を褒められて少し嬉しくて

そんなこんなであっという間に1日が終わる

そんな毎日が来るって思いたかった…


アリシアは涙目になりながら走りふと外につながる窓を見てしまった

この時、他の者たちが見たならただの緑の丘の向こうに広がるように蠢く黒い影が見えていたのかもしれない

しかし、アリシアはそうはならなかった

彼女はなぜか視力はとても高い

王宮の厨房からあまり出ず、それほどの遠くなど見ない日常を過ごしているのにもかかわらずだ

その視力は裸眼で3km先でもはっきりと見えるほどだった


最初に彼女の目に飛び込んだのは大軍であった

人のような姿で二足歩行をして歩く者たち

一部のものは革鎧などをまとっていたが

あるものは上半身に何も纏わぬ者もいた

そしてよく見れば大半の者は服のように見える部位が体毛だったりした

武器を持つ者持たぬ者

そしてその軍隊の中でも一番目を引くのは彼らのその『頭部』であった

犬、鳥、豚、馬、山羊、猿、羊、牛、猫、と

皆、動物の頭であり彼らのその表情は大好物の食事前のはしゃぐ子供のように無邪気に目を輝かせ、あまりに純粋にして残虐な表情を見せていた

それはこれからとてもとても楽しいことが待っていると言わんばかりで笑っていた


アリシアは数日前、この要塞ポグレムに向かう道中『獣人』たちが陥落した町で何をしていたか命からがら逃げた……実際には遊び半分で逃がされた住民たちから話は聞いていた

彼らは人を『玩具』か『食い物』としてしか見てはいない

・時に花占いをするように人の手足の指、耳、目を時間をかけて千切りそれをその家族の口に突っ込み窒息して死ぬのを笑って見ていた

・時に広場に親子を集めて親の前で子どもを生きたまま食べてからその親をいたぶって遊んだ

・時に…時に…

―他にもあるがそれらは口にするのも、はばかられるほどのものである


そしてこれからアチャフなどの要塞ポグレムの兵士たちはそんな者たちと戦うこととなる

負ければ今挙げたような凄惨なことが自身にも振りかかることは明白であった


アリシア「…ぁ……ぁあ…」


アリシアは酷い目眩を感じた

アリシアは酷い息切れをした

アリシアは酷く震えた

アリシアは酷く動悸した

アリシアは―


アリシア「あんなに沢山の肉が…!

凄く、嬉しいなァ…!」


酷く『歓喜』した


その瞬間アリシアは駆け足で来た道を逆走し食堂へと戻った『ポグレム兵舎食堂』と刻印された食堂の看板はアリシアの身長と同じくらいの大きな分厚い肉切り包丁だ


しかし、看板用でありその重量や取っ手の形などは飾り物でしかないため人が使うよう設計などされてはいない

それでもアリシアはその包丁を見ると迷わずそれを壁から引き剥がすべく引っ張った

それは金具でしっかりと固定されていたが『今のアリシア』には関係なく簡単にその金具を引き千切り、石材の壁を砕きながら引き剥がした

この時のアリシアを見た者がいたならその怪力もそうだがきっと戦慄したであろう

なぜなら―


その表情は先ほど彼女が見た『獣人』と同じ顔をしていたのだから…


―――――――――――――――――――――――――…


アチャフは要塞内を走っていた

今は非常時であるので本来は『獣人』に対応しなくてはいけないのだが彼は部下に指示を出すと早々に現場から離れ避難区画周辺を走り回っている

なんてことはない避難区画に『一人』来ていない者がいたからだった


アチャフ「…どこに行っちゃったんだアリシアちゃん!」


もしかすると来たばかりゆえに道に迷っているのかもしれないと思い探したが見つからない

そこで彼は彼女がまだ 厨房にいるのではないかと予想して要塞の厨房側に足を向けた


たどり着いたアチャフは絶句した

なぜか食堂前の看板が固定されていたはずの箇所が砕け散っていて、そこにあったはずの看板は消え、壊れた金具と砕けた石材の破片が散らばっていたのだ

アチャフは一瞬固まったが慌てて食堂に入りその奥の厨房に向かうがそこにもアリシアの影は見当たらなかった

その代わりに厨房の台の上にはいくつかの砥石が置いてありそれらはだいぶ削れている

まるで何かしらの『巨大な刃物』を研いだと言わんばかりに…


それを見た瞬間にアチャフは、初日で見たあの弱そうな、青ざめながら震えていたアリシアが突如変貌して周りに殺気を放ったその時の姿を思い出した

…だからこそ予想が立ってしまった

それはあまり想像したくはなかったが、あの時の異常なアリシアならばもしかするとやりかねないとも思うのだ


あの避難区画の途中の道には窓がある

恐らくその窓からアリシアは『何か』を見たのだ

そしてここ最近、アリシアが何度もアチャフに出していた要望、『肉が欲しい』そう言ってはいなかったか?


そしてあの窓から見えたものは彼女の『要望』を満たすものではないのか?


彼女が探していた『もの』


―そう、『食材』が


アチャフ「…ははっ……嘘だろ?」


アチャフはほとんど無意識につぶやいていたが、それは普通の人がするよくある反応であった

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