第二章『新しい生活』
一ヶ月後、
鷹眼月の少し寒くなってきている昼頃にアリシア・ヴァンシィは西の辺境の要塞ポグレムへとたどり着いた
実際のところ今まで王宮の厨房の中でほぼ暮らしてきたような料理人でしかないアリシアにとって現在の世間のことなど知る由もない
ただ、要塞に行くまでの道中で色々と話を聞くことができた…というより耳に入れたくなくても入ってしまう。
内容は絶望的なものばかりで、
―「また『獣人』だってな」
―「そうそう、唐突に現れたって話だぜ!ギルドの銀級のリーズ・オズヴォンが言ってたけどよ『あれらはこの世界に存在しない』って話らしいからよ、あの『獣人』の軍勢…はきっと異世界からの『来訪者』に違いねぇよ
…正直、あんなに一体一体が強いんじゃ何もできずに人類の生活域のほとんどを奪われちまうってのっ…」
―「おいおい!黒金級冒険者様がそんな弱音吐かねぇでくれよ!ほら、景気づけに一杯飲んで明日も俺達人類のために頑張ってくれよ!」
―「ばーか!冒険者は世界を救う為にいんじゃねぇ!自由の為に居んだ!…まぁその自由の為に少しは頑張るかねぇ…」
とのこと
9日目の食堂のおばちゃん曰く、
―「この間も 近隣の町が陥落したんだってねぇ!怖いわぁねぇ~!そうそう!私の友人のところの旦那さんの知人がね恋人作ったんだけどそれがもぅー」
とのこと
12日目の傭兵の一団曰く
―「これから要塞ポグレムに行くってか?やめとけやめとけ!あそこは獣人の軍勢が攻め入って常に小競り合いが起こってる」
―「そうそう!いずれ本格的に攻め入る準備が進んで近いうちに起こるという噂があるらしいよ~、だからお嬢ちゃん、逃げちゃいな!」
とのこと
そして一昨日の要塞ポグレムの隣の町の宿入口前にいた自称、『賢者』のホームレスのおじいさんとその物影にいた暗黒教団の人曰く
―「このままいけば数年のうちに人類は敗北するであろうな…勇者選定ノ儀を行うにも聖獣様もまだ目覚めておられないというのに…」
―「あんた、そこの『賢者』から話を聞いたんだろ?
…じきに世界は『獣人』によって終わる、だからよ、最期くらい家族と居ろよ…こんな汚れた仕事しかしてねぇ俺には…もう居ねえからよ」
とのこと
それらを聞いたアリシアはそれらの話を思い出すたびに天を仰ぎたくもなった
…というか仰がないと今まさに目から涙が出て泣きそうだった
何よりこれからの生活圏である要塞がどこよりも危険な最前線であり 自身の命も危ういということを考えるとなおのこと顔は青ざめ、震えが止まらないのだ
しかし、今回の場合は王太子直々の命令なので断ることも逃げることもできないし、そもそも 今の世界のことを考えれば、数年後にはどこもかしこも危険地帯になるのは目に見えることであった
アリシアはため息をつきながらも要塞ポグレムに駐屯している兵士に話しかけ、いくつかの質問の後、手続きの書類に1枚1枚サインをしていく
そうしてやっと手続きが終わり彼女は要塞の中へと足を踏み入れたのである
彼女に対応した兵士はとてもかわいそうなものを見る目でアリシアを見る
それもそのはずで
彼女の体躯は華奢で小さく細い。
それを見れば明らかに戦闘職の見た目ではない
そして何より最初の時点でも言ったが、顔を青ざめ、震えが止まっていないところを見ればなおのことである
彼女に対応し案内する兵士、名をアチャフと言う
アチャフはアリシアをなるべく怖がらせないように話しかける
アチャフ「えっと、それで アリシアちゃん長旅で疲れてるところ申し訳ないんだけどできれば今日から仕事をしてほしいんだよね」
アリシア「…っひゃいっ!」
アチャフが話しかけるとアリシアは肩をはねさせそれを見たアチャフはさらに申し訳なくなった
一応、怖がらせないようにとかぶっていた兜を外し右横髪だけ伸ばしそこだけ編んだ癖のあるくすんだ赤毛の後頭部を撫でながら話しかける
アリシアは少なからず怯えきっていたが余裕がある時にアチャフを見れば高い身長の割に少し幼いようにも見えるそばかすのある顔に緑色の瞳を持つタレ目、といった顔にあどけない優しい声色とそれらをちゃんと認識できていたのなら少なからず安心したかもしれない
しかし今のアリシアはビビっている
それはもうビビリ散らかしていると言ってもいいほどである
決していじめてるわけではないのにもかかわらずまるでアチャフがアリシアをいじめているかのようにも見えてしまう光景にいたたまれないものがある
それともめげずに アチャフは アリシアを案内し続けてとうとう 彼女の『新しい職場』にたどり着いたのだった。
『ポグレム兵舎食堂』と刻印された巨大な肉切り包丁の形をした看板が入り口の横に貼り付けられた特徴的な食堂の入り口をくぐりここの人たちが食事をするための机や椅子の間を通る
そして厨房に入りその厨房の奥にある調理器具の棚と食料庫の扉を開けながら説明する
アチャフ「あー、えっととりあえず足りないものがあったら僕に言って欲しいな
…とは言ってもここは辺境だしここ最近は王都からもあんまり物が来なくなっちゃったから何もないんだけどね…」
そう言って アチャフは苦笑した
彼の言う通り要塞の状態はとても良くない
すでに備蓄はもうほとんど使い果たしており食材も残りわずかな塩や小麦と米、乾いた野菜、…干し肉に関してはもはや要塞内の兵士全てに料理として振る舞うにはあまりにも少ない
…そう、限りなく 『食材』がないのだ
アリシア「……ぁっ…ぇっと…アチャフ…さん
ここ最近の兵士は…どのようなものを食べていたの……ですか…?」
彼女は少し黙ってからアチャフに質問する
アチャフは黙って肩をすくめる
アチャフ「沸かしたお湯にひとつまみの塩と今ある食材を爪の欠片ほど削って入れてって感じかな…そうでもしないともう持たないからさ…」
アリシアは絶句した
こんなこと王都では全く無かったのだ
いつでもふんだんな食材があって王族や貴族はそれらを食して生活をしていた
時に残したそれを下げ渡され使用人たちが食べる
そこにはけっして『飢え』など無かったのだ
しかし、この要塞ポグレムの状況はその正反対であり常に兵士たちは飢えている状態である
そしてそのことで、アリシアは目の前にいる兵士のアチャフの顔色も悪いことに気づく
おそらくまともな食事を取れていないからなのだろうということが、説明されなくても分かってしまった
今は祖国を守るという強い意志だけで耐えているが、それらもそれほど長くは持たないだろうということが分かってしまう状態である
アリシア「……さないと…せない」
アチャフ「…?」
彼女は深く考え込み、顔を下に伏せ、何かをつぶやき始めた
アチャフは聞き取れず、少し耳を傾けて彼女のつぶやきを聞き取ろうとする
アリシア「…探さないと…『食材』…探さないと…料理人(私)がいるのに目の前に飢えてる人がいるなんて…、許せない…許せない、許せない、許せない」
その瞬間、アチャフの背筋に冷たいものが走るような気がした
それは研ぎ澄まされた刃物のようであり
深く暗い森の奥に潜む飢えた獣の顔を覗き込んだような
そんな感覚が彼の中に引き起こされたのだ
そしてそれを引き起こしたのは、目の前の小柄な少女であるということに、彼は信じられなかった
歴戦の兵士や傭兵、もしくは凄腕の暗殺者ならまだしも少なくとも目の前にいる少女のような人物が出すようなものではない
『殺気』、まさしくそれであった
アチャフ「あっ………アリシアちゃん!」
何か言わなくてはとそう感じて焦ったアチャフは少し大きな声で アリシアに話しかけた
すると、アリシアは大きく肩を跳ねさせる
アリシア「……っ!ひぅっ!!
……あっ…ごっ…ごめんなさい…!!
私、会話中に…考え事を…!…あわわっ…」
その瞬間、さっきまであった異様な威圧感は嘘のように霧散し先ほどまでの弱々しく怯えた姿の少女に戻り、ひたすらアチャフに謝ってきたが彼は冷や汗をかきながらも先ほどまでの同じ声音と表情で話すことに専念する
アチャフ「ま…まぁ疲れてるんだろうし…仕方ないよ!じゃ…じゃあこれからよろしくね!」
そう言って彼は彼女に握手をするのであったが
その手のひらは冷や汗で酷く湿気っていた




