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「私は隣の部屋に控えておりますので、ご用の際はそちらのベルを御鳴らし下さい」
食後に喉に効くからと用意させた蜂蜜紅茶をアリアに飲ませた侍女は食器とサイドテーブルを撤収し、ワゴンを廊下に控えていた別の侍女に引き渡す。
ドアが閉まると外から施錠がされる。
サイドチェストにベルが置かれ、では失礼しますと頭を下げ隣の部屋へと引っ込んでいく彼女を見送る。
一人になった部屋でアリアは何とか脱出出来ないものかと思惑する。
先程、ドアの隙間から鎧が見えた事から部屋の外には見張りの兵が控えているようだ。
外へと通じる扉の内側には鍵穴はなくこちらからは開けられなくなっている。
ドアの施錠はゆくゆく考えるとして、恐らくドアの施錠を何とかしても直ぐに見張りが気付いてアリアを妨害し、その間にレインに知らせが行く様になっているだろう。
鍵を開けて誰にも気取られる前に見張りを倒し、王宮から脱出する。
言うのは容易い。
受肉する以前のアリアであれば抜け出す事など容易であったが、今の状態ではまともに動く事も、精霊術が使えない現状では戦闘能力も持ち合わせていないため、見張りの兵を倒す手段も脱出する手段もない。
脱出の手段を持ち合わせていない今、できる事と言えば自分の置かれている環境の把握だけだ。
周囲を観察する。
視界から見える場所に先程の侍女が引っ込んで行った部屋の扉が見える。
あちらの部屋に脱出の手掛かりはないものか。
なんとか侍女が居ない隙を見計らって見に行かなければ。
隣室へのドア以外にもう一つドアがある。
そちらの様子を見に行くためにもこの足の邪魔な鎖を何とかしたい。
鎖の先がどうなっているのか確かめようと感覚の鈍い身体に鞭打ってベッドから降りようとしたが、相も変わらず腰から下に力が入らずべしゃりと床に座り込んだ。
食事も摂ったし起きてから時間も経ったからいけると思ったのだけれども全くいけなかった。
ベッドに戻ろうにも腕が震えて上手く力が入らないために這い上がる事も出来ず、ただただ疲れて肩で息をするだけに終わった。
仕方がなく、ベルを鳴らすと隣の部屋から出てきた先程の侍女が「あらあら」と言いながら床に座り込んでいるアリアをベッドの上へと移動させる。
「奥様、お体がまだ本調子では無いのですからあまり無理をなさらない様にお気を付け下さいませ。
もし、転んで頭を打ってしまったりしては大変ですわ」
「……ごめんなさい」
心配する侍女にしおらしく謝罪すると満足気に頷く。
侍女はアリアに一礼するとまた隣の部屋へと戻っていった。
迂闊にベッドから降りるとまた彼女の手を煩わせる事になってしまう。
それにあまり呼び出すとこの部屋の中で待機されてしまうかもしれない。
部屋の中の探索を行いたいが、満足に動く事の出来ない今、一先ずできる事は現状の把握だけだ。
手近で調べられる物と言ったらまず、この身体。
鏡などを見ていないため外見年齢は分からないが、肉体の発育からそれなりの年齢には達しているだろうと推測する。
今この身体に宿り主導権を握っているのはアリアだが、これまでの人生をこの身体で過ごしてきた者がいる。
本意ではないが横取りしている現状、この身体を本来の持ち主に返さなければならないのは確かだ。
この身体の元の持ち主の魂はどこにいったのかとベッドに横たわって目を閉じ、精神内部に意識を集中させ、探し回り漸く精神世界の深く暗い奥底に縮こまっているのを見つけた。
そっと優しく揺さぶるが怯え切って全く反応を返さない。
人間の魂は精霊の魂よりも脆弱だ。
アリアの魂が完全にこの身体に定着してしまったら最後、元の魂は消滅し、アリアは二度とこの肉体から逃げ出す事ができなくなる。
そうなる前に何としてもこの魂を起こして、アリアを肉体から追い出して貰わなければならない。
いかに人間の魂が精霊よりも弱くとも、この身体は本来彼女の物なのだから彼女本体が復活してアリアを追い出そうとすればアリアを追い出す事が可能になる。
何より、アリア本人が出たいと思っているのだから尚更簡単に追い出せるだろう。
この身体を追い出されたアリアの魂がどうなるかは不明だが、少なくともこのままレインに監禁され、みすみす好き勝手されるよりはマシだ。
「どうせ、ヴァンももういないしね……」
ぽつりと言葉を零し、自虐的な笑み浮かべる。
精霊の生物へと憑依についてはアリアも詳しくは知らない。
禁術であり、今までの前例が少ないからだ。
前例では、受肉させる際に依り代となる肉体の魂が受肉する魂の邪魔をするため、受肉させる肉体を眠らせる等して意識を失わせるのが前提だと言われている。
前任者の魂が邪魔だからと言って、依り代にどれだけ新鮮な魂の抜けている死体を用意しても、受肉した者は生命活動を復活させる事ができず、受肉した瞬間にその対象も死ぬ。
実際に受肉させられて持ち主の魂が奥底で縮こまっているのを見てなるほどとアリアは頷く。
本来の持ち主の魂を奥底に押しつける様にしてアリアの魂はこの身体に入っている。
一つの肉体に魂は一つしか宿らないものだ。
内部は許容を越える魂を迎え入れた事で破裂しそうな程パンパンになっており、意識が無く抵抗をしない状態でなければ、本来存在しない別の魂を押し込める事などとてもではないができないだろう。
現に奥底に押しのけられている魂はアリアの魂の重みに押されどんどん萎んでいっている。
この魂が萎み切り、消えた時がアリアがこの身体に定着してしまう時だと見て間違いない。
『受肉したばかりの今はまだ魂が器となっている肉体に馴染むまでは倦怠感があると思いますがそれも2、3日したら馴染んで楽になります』
レインはそう言っていた。
魂が萎んでいく速度から見ても猶予はそれ位だろう。
なんとか目を覚まして貰わなくてはとアリアは縮こまる魂に優しく声をかけ続ける。
『ねえ、起きて』『貴女を傷付けるつもりはないの』『貴女を助けたい』『怖がらないで』『このままでは取り返しがつかなくなってしまうわ』『お願い、起きて』『勇気を出して目を開けて頂戴』『決して危害を加えない』『諦めないで』『まだ間に合うわ』『貴女を失いたくない』
傷付いている魂をこれ以上傷付けないように触れない様に気を付けながら優しく、優しく決して傷付けない、助けたいのだと主張して声を掛け続ける。
『貴女はまだ助かるわ』『私もここから出たいの』『このままでは貴女は消滅してしまう』『そんなことしたくないの』『お願い、目を覚まして』
どれ程時間が経っただろう。
優しく、優しく話かけていると漸く縮こまっていた魂が少しだけ反応した。
ここで焦ったらまた閉じこもってしまう。
じっくり、優しく声を掛ける。
『誓って貴女を害する気はないわ』『この暗い場所から貴女を引き上げたい』『私の手を取って』『さあ、怖がらないで』『縮こまった身体を伸ばして』『俯いた顔を上げて』『手を伸ばして』
縮こまる魂がゆっくりとアリアの伸ばした手へと触れようとした時。
「アリア、目を覚まして」
忌まわしい声が聞こえたと思うと折角宥めた魂は怯え、更に奥底へと沈んでいってしまった。
声を無視して魂を追おうとするが、レインの声がする度にどんどん委縮していく魂の様子に今はこれ以上深追いするのは悪手だと判断する。
舌打ちしたい気持ちで目を開くとベッドに腰掛け、うっとりとした表情でアリアの寝顔を見つめるレインの姿があった。
「ふふ、仕事を終えて帰るとアリアが待っていてくれるなんて本当に夢みたいで嬉しいです」
そう言って頬を染め蕩けた顔をするレイン。
誰もが振り返る美男子に熱く愛おしそうに見つめられたら誰でもときめくだろうがその表情を見るアリアに沸くのは憎悪だけだ。
別に待ってなどいない。
むしろ永遠に帰って来なくていい。
ふーと鼻息を吐き、再び目を瞑るアリアにレインは笑みを深める。
「ああ、そんなに無防備に僕の前に身を投げ出しているなんて本当に堪らないですね。本当に夢の様です。
これが本当に現実なのか確かめさせて下さい、アリア」
不穏な空気を感じ慌てて目を開くと胸元を緩めながらアリアの上へと覆いかぶさるレインが見えた。
「ちょっと!!何してるのよ!!」
「アリアの存在を確かめるんですよ。大丈夫、昨日は余裕が無くて僕だけが気持ちよくなってしまい、あまりアリアを気持ちよく出来ませんでしたが、今日はそんな事にはなりません。
一緒に気持ちよくなりましょうね」
「誰もそんな事頼んでいないわ!!触らないで!!」
一緒に気持ちよく等とほざいているが現段階ですでに気持ち悪い。
身体を這いずる手に嫌悪し、精霊術を使おうにもやはり魔力が体内でグルグルと回るだけで上手く使えない。
ならばと物理で引き剥がそうと抵抗するもいとも容易く抑え込まれてしまう。
「ああ、アリア。本当に可愛い」
ふざけるな!!とそう叫ぼうとするアリアの口を自身の口で塞いだレインは昨日に続き心行くまでアリアの身体を貪った。




