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いつもはちゃんとドアから入ってくるのに慌てた様子で壁から突き抜けて現れたアリアにただ事ではないと察したヴァンが上司に事の詳細を説明すると直ぐに上司は何処かへと向かい、王子の元へ救護が来るのを待つ間アリアは傍にいる事にした。
鍛錬場に行くと他の人間達はおらずアリアはホッとしたが、物陰で王子が倒れている事に仰天する。
〔嘘、大丈夫?! しっかりなさい!〕
まさか離れている間に何かあったのかと傍に寄るが先ほど離れる前との外的様子に変化は無い。
しっかりと息はある事に胸を撫で下ろした。
〔よかったわ、ただの気絶みたいね〕
こんなに幼い子供なのにとアリアはすり抜ける手で王子の頭を撫でる仕草をする。
しばらくそうしていると鍛錬場に近付く多数の気配を感じた。
物陰から姿を現すと後ろに数人の兵を引き連れた上司の姿があったので草で宙に矢印を作り物陰へと案内する。
「ご苦労、精霊。後はこちらで何とかするから今日はもうフォレストの所に戻って良いぞ」
〔分かった〕
直ぐにヴァンの元へ戻ったアリアはヴァンの背に抱き着き、ぐりぐりと頭を背に押し付けた。
「王子の様子はどうだった?アリア」
〔よくわからないけれど少なくとも気絶してしまう位悪いのは確かね〕
「気絶か……酷い事するな」
〔ええ、そうね……私何も出来なかったわ〕
少なくとももしも自分が光の精霊ならば治癒の力をふるいこの少年の傷を癒すこと位なら出来るのに、と自らの力不足を嘆くアリアの頭をヴァンは振り返りポンポンと軽く撫ぜる。
「何もじゃないだろう、少なくともアリアはこうして王子の為に助けを呼べたじゃないか」
〔でも、もっと上手くやれば怪我をさせない事もできたハズなのよ?〕
「でもこれで王子は兄達と接触する機会が無くなるかもしれないぞ?」
〔え?〕
首を傾げるアリアにヴァンはニヤリと笑う。
「今の時代宮廷精霊術師の数で国力が決まるって言われてんだぞ?
一人失うだけでも大きな国の損失だろう。
ましてや身内とは言え王族の暴力によって希少な霊眼持ちが死ぬ様な事になってみろ、民衆からの支持率の降下に繋がる上に敵意ある者からしてみれば恰好の攻撃材料だ。
殺した兄達も継承権の剥奪はもちろん最悪処刑沙汰にでもなりかねない。
普通に考えても間違ってもそんな事にはならない様に何らかの処置が盗られると思うぞ。
例えば兄弟の接触を禁止する、とかな?」
〔じゃあ、もう酷い暴力をふるわれなくなるのね!〕
「多分な」
その言葉に安心した表情のアリアの頭をもう一度撫ぜるとヴァンは机に向き直り仕事を再開する。
アリアは邪魔しない様にとヴァンから離れ、その仕事姿をニコニコと見つめるのだった。
「おっさきーっす」
「おー、帰れ帰れ」
「お疲れ様でした」
机の上を整理しながらラノンを見送った上司はヴァンへと視線を向ける。
「フォレストは帰らないのか?」
「いえ、後少し片付けたら帰ります」
「そうか、では私は先に帰るとしよう」
「お疲れ様でした」
上司を見送り、アリアと二人きりになった部屋でヴァンはアリアへと手招きをする。
〔なーに?〕
ヴァンは首を傾げて近寄ったアリアの顎を掴むとその唇を奪った。
驚いたアリアのポカンと開いた唇の隙間から舌を侵入させアリアの舌を探り当てるとそのまま絡ませる。
その舌の熱さに思わず身を引こうとしたアリアだったがいつの間にか腰に回されていた腕により阻止され、それどころか更に引き寄せられるとより一層深く舌を絡ませられてゾクゾクとした感覚がアリアの腰を這い上がる。
暫く口内を蹂躙され、漸く解放されたアリアは荒い息でへたりと床に座り込んだ。
その様子にヴァンは首を傾げ言った。
「どうだ?」
〔ど、どうだって、なななにが!?〕
「制限を緩めたんだが特に変化はないのか?」
〔……へ?〕
そう言われてみればと自分の体を意識するといつもより力が溢れてくる様な気がするアリア。
試しにどれだけ緩められたのかと部屋の隅にあった花瓶に意識を向けると難なく浮かばせる事に成功した。
「取り敢えず子供1人なら余裕で浮かばせる位までは緩めたがあくまでも王子を守る為だから悪用はするなよ?
……これで力不足では無いだろう」
〔ええ!ありがとう、ヴァン〕
これで少しは役に立てると喜び勇んでヴァンに抱き着いたアリアだったがハタリと気が付いた。
〔でもだからってあんな、あんな、その……口付け、する必要性なかったんじゃないの?〕
「能力制限の制約の変更には時間がかかるし粘膜同士の接触が一番効率良いじゃないか、粘膜接触率が高い方が時短にもなるしな」
〔それは、うん、そうかも知れないけど……ううう〕
平然とそう言い放ったヴァン。
ただの抱擁や頬への口付けではあれだけ照れるのに何故効率を考えるとこういった口付けは平気になるのかと遣る瀬無い気持ちを抱きながら、あの情熱的な口付けに深い意味が無かった事を知り打ちひしがれるアリアにヴァンは不思議そうな目を向けるのであった。
次の日、上司から王子は肋骨にヒビが入っており兄妹たちからの接触を断つために絶対安静と判断されたと聞かされたアリア。
更に使用人たちによる職務怠慢や備品の窃盗などの調査が行われ、近々一斉検挙が挙げられ事になり、それに合わせて信頼のおける人物が王子たちの近くに仕える事になったと聞き胸を撫で下ろす。
「明日その人物が来る事になっているがその新しい奴が来てもお前の警護は続くからな」
〔ええ。それじゃあヴァン、行ってくるわね。仕事頑張って〕
「アリアもな」
いつもの様に頬に口付けを落とし王子の元に向かったアリアは風で室内の人間の位置を捕捉し、死角となる場所から頭を突き出して中の様子を見渡してからするりと壁をすり抜けて中へと入る。
物陰から除くと王子はベッドに寝ており、その傍で母親のアグネーゼ妃が刺繍をしている。
よくある一般的な風景と言った感じだ。
「勉強は教師の方がわざわざこちらにいらしてくれるそうですよ。
レインの授業姿を見る機会もそうそう無いでしょうし母も一緒にいても良いかしら?」
「母上が一緒に勉強してくれるのですか?嬉しいです!」
「あまりはしゃぐと怪我に障りますよ」
「はーい」
母親と一緒、それだけで至極嬉しそうに笑うその顔は年相応に天真爛漫としていた。
王子はレインというのね、と頷いたアリアはここで初めて王子の名前を知らなかったことに気が付くがヴァン以外にはさして興味も湧かないので特に何の感情も湧かなかった。
ふと、風の不自然な揺らぎを感じてそちらへ意識をやると空に細い針の様な物が浮いていた。
アリアによって空に止められた針の先には王子の姿があり、更に意識するとその反対の直線状に筒の様な物を手に持つ人間が居る事が分かった。
その人物は筒を口元へと運ぶと勢いよく息を吹いた。
すると筒の中から今空に浮いているのと同じ針が飛び出し、先ほどとさほど変わらない軌道で王子に向かって飛んで行く。
それを事も無げにアリアは止め、そっくりそのままその人物の足へと針を撃ち返す。
己の足に刺さった針に気が付いた人間は驚愕の表情のまま床に倒れ、ビクビクと泡を吐きながら痙攣を起こした。
その様子を鼻で笑ったアリアは壁をすり抜け、廊下に出る。
〔我が意を伝える者よ、今ここに現れよ〕
掌を上に向け、そう唱えたアリアの手の上に一匹の小鳥が現れる。
アリアが確保したもう一本の針を鳥に咥えさせると鳥はすぐさまその手を離れ、ヴァンに確保した針と襲撃者の情報を伝える為に飛び去るのを見送り、アリアは再び部屋へと戻る事にした。
その日は襲撃者が回収された以外は特に何も起こらなかったが、もしも今の王子たちの味方が居ない状態でまた襲撃される事があっても対処できる様にと明日信頼できる人物の選定が終わるまでアリアが付きっきりで王子の護衛を出来ないかと打診がきた。
『嫌よ、ヴァンと離れなければいけないなんて』
「大丈夫だ、フォレストは暫く泊りがけで仕事するから」
「えっ」
『うーん、それなら』
「えっ」
こうしてヴァン本人の意思は華麗に無視されアリアによる警護は延長される事になった。
夜
誰しもが寝静まり暗闇と静寂が広がる後宮の庭園の芝生を踏む者がいた。
その人物は庭園の中ほどまで行くと辺りを見渡し口を開く。
「精霊さん……そこに、いますよね?」
『あら、よく分かったわね?』
ふわりと姿を現したアリアに王子はホッとした顔をする。
「痛みのせいで見た幻覚だったらどうしようと思いましたが、やっぱり貴女が僕を助けてくれたんですね」
『そうよ、ほんとうはすがたをみせてはいけないのだけれども』『あのときはそうするのがさいぜんだったから』
「そうだったんですね、ありがとうございます」
『おさないこどもを守るのはおとなのしごと』
「大人の仕事…………ですか」
アリアの言葉に王子は眉をしかめる。
「一体、何が目的ですか?」
『もくてき?』
「何の見返りも無く僕を助ける理由が無いです」
『なぜ?』
「僕を助けても何も得をしないからです。
僕は兄妹たちの中で継承権が一番低いですし、助けても他の姉様や兄様たちの不評を買うだけですからね」
『わたしのもくてきはきみたちおやこをまもること』
「どうしてですか?」
『れいがんは、くにのたからだから』
「……母上から聞きました、僕の目がどれほど貴重なのかを。……やっぱり利用するためなんですね」
『それと、よわきものはまもられるものだから』
「フンッ……取ってつけたような理由ですね」
『きみをまもりたい』
「…………」
『どうおもうかはきみのじゆう、わたしはかってにまもるだけ』
「…………」
アリアの言葉に何も返さず、王子は踵を返すと自分の部屋へと戻って行った。
それを陰から護衛しつつ、アリアは二桁にも満たない幼い子供があれだけ人間不信を拗らせている現状に、その小さな体に一体どれだけの悪意をぶつけられたのかと王子の周囲の人間に怒りを抱いたのだった。




