エピローグ 影の、その先で
春の午後。
大学の中庭は、事件など最初から存在しなかったかのように穏やかだった。
「……信じられないよね」
ベンチに腰掛けた青井柚葉が、紙コップのコーヒーを揺らす。
「少し前まで、あんなことがあったなんて」
「うん」
宵宮麗は短く頷いた。
スニーカーのつま先で、地面の影をなぞる。
影は、確かにそこにある。
だが、以前ほど怖くはなかった。
「麗さ」
柚葉が横目で見る。
「もう……首突っ込まない?」
「それは無理」
即答だった。
「でも、前よりは――ちゃんと考える」
柚葉は苦笑する。
「成長したじゃん」
「でしょ」
二人は、同時に小さく笑った。
◇
警視庁。
取調室の外で、宵宮美羽は書類に目を通していた。
淡々と、冷静に。
だが、ペンを置いた一瞬だけ、
母の顔になる。
「……無事で、よかった」
誰にも聞こえない声。
廊下の向こうでは、宵宮大河が電話を切ったところだった。
「……ああ。まだ、終わっていない」
低く呟き、天井を見上げる。
影は、続いている。
それでも――
「次は、負けん」
◇
拘置所。
久瀬美音は、面会室のガラス越しに、静かに座っていた。
もう、無理に笑う必要はない。
涙は、ちゃんと出る。
怖さも、痛みも、全部、感じられる。
「……また、来る」
そう言って立ち上がる。
その背中は、少しだけ前より大人びて見えた。
◇
夕暮れ。
街の雑踏の中で、宵宮麗は足を止めた。
ショーウィンドウに映る、自分の姿。
(……私は、探偵じゃない)
でも。
(影を見る目は、もう、閉じない)
スマートフォンが震える。
《変な噂、聞いた?》
見知らぬ番号。
だが、どこか、見覚えのある文体。
麗は、画面を閉じた。
「……またね」
誰にともなく、そう呟く。
影は消えない。
けれど、人は歩ける。
影と共に。
宵宮麗は、夕焼けの中へ踏み出した。
物語は終わった。
だが、世界は続いていく。
この物語は、
「悪とは何か」「罪とは何か」を
“断罪”ではなく“観察”として描いてみたい、
という思いから始まりました。
影喰いのピエロは、
単なる怪人ではありません。
彼もまた、誰かの影に呑み込まれた一人です。
主人公・宵宮麗は探偵ではありません。
ですが、影から目を逸らさない人間です。
それは特別な力ではなく、
「考えることをやめない」という姿勢そのものです。
この物語に、
完全な救いはありません。
けれど、
影と共に生きる覚悟だけは残しました。
もし読み終えたあと、
自分の影を少しだけ見つめてみようと思えたなら、
この物語は、役目を果たしたのだと思います。
――影は消えない。
それでも、人は前に進める。
ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございました。




