第21章 影を抱いて、夜は明ける
夜明け前の空は、まだ青になりきれず、
濁った群青色をしていた。
その下で、すべてが終わろうとしていた。
◇
久瀬美音は、仮面を地面に置いた。
まるで――
それが自分の顔であったかのように、
そっと、丁寧に。
「……ごめんなさい」
最初に発した言葉は、
誰に向けたものなのか、本人にもわからなかった。
宵宮麗は、何も言えなかった。
言葉が、追いつかなかった。
目の前にいる少女は、
被害者であり、
加害者であり、
そして――兄を守ろうとした、ただの妹だった。
「私……」
美音の声は、かすれている。
「お兄ちゃんが、壊れていくのが、わかったんです」
御影朔弥は、地面に膝をついていた。
仮面は外され、
その顔は、ひどく疲れ切って見えた。
「……美音?」
初めて呼ぶ、その名前。
美音の肩が、びくりと跳ねる。
「……覚えてないよね」
美音は、笑おうとして、失敗した。
「私ね、ずっと……笑う顔しか、できなかった」
沈黙。
その重さが、夜気に沈んでいく。
「あなたが、影喰いのピエロだって気づいたとき……」
美音は、拳を握りしめる。
「怖かった。でも……」
声が、震えた。
「それ以上に、失いたくなかった」
朔弥の喉が、ひくりと動く。
「だから……私が、偽物になった」
麗は、ようやく理解した。
事件の“ズレ”。
影の微妙な違和感。
推理が狂わされた理由。
「……全部、私のせいだ」
朔弥の声は、空っぽだった。
「違う」
麗は、はっきりと言った。
「あなた一人のせいじゃない」
美音も、首を振る。
「……私も、罪を犯した」
二人は、同時に前を向いた。
そこに、警察の人影が迫ってくる。
◇
「御影朔弥」
低く、厳しい声。
鮫島ではない。
警察官としての、正式な声だった。
「あなたを、逮捕する」
朔弥は、抵抗しなかった。
ただ――
美音を見た。
「……ごめんな」
それだけを言って。
美音の目から、初めて、はっきりと涙がこぼれ落ちた。
◇
少し離れた場所で。
宵宮美羽は、すべてを見届けていた。
警部部長として、
一人の母として。
「……麗」
呼ばれて、麗は振り返る。
叱責は、なかった。
ただ――
静かな視線。
「今回は……」
美羽は、言葉を選ぶ。
「よくも、悪くも、覚えておきなさい」
「……うん」
短い返事。
宵宮大河は、遠くから二人を見ていた。
何も言わず、
何も命じず。
すべてを、胸の内にしまって。
◇
その頃。
どこかの暗い部屋。
モニターはすでに消え、
椅子だけが残っている。
「……惜しかったね」
誰もいないはずの空間で、
黒澤の声だけが、かすかに響いた。
「でも、面白かった」
次の舞台は、もう決まっている。
◇
朝。
大学のキャンパス。
いつもと変わらない風景。
「……ねえ、麗」
青井柚葉が、隣を歩きながら言う。
「もう、事件は懲り懲りじゃない?」
麗は、少し考えてから答えた。
「……うん。でも」
空を見上げる。
「見ちゃった影は、無視できない」
柚葉は、ため息をついた。
「ほんと、厄介な性格」
「今さらでしょ?」
二人は、少し笑った。
それでも。
影は、消えていない。
ただ――
向き合う覚悟が、生まれただけだ。
宵宮麗は、歩き出す。
影を恐れず、
影に呑まれず。
探偵としてではなく、
一人の人間として。
夜は、静かに明けていった。




