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第1章 影の始まり

 その夜、月はやけに明るかった。


 都心の高層ビル群を見下ろす屋上に、風が唸りを上げて吹き抜ける。

 地上四十階。フェンス越しに見える街の灯りは、宝石のように瞬いていた。


 ――いや、宝石なんて綺麗なものじゃない。


 欲と嘘と罪でできた、ただの光の集合体だ。


 屋上の中央に、一人の男が倒れている。

 スーツ姿。三十代半ば。

 すでに息はない。


 だが、異様なのは死体そのものではなかった。


 男の周囲――

 コンクリートの床一面に、紙片がばら撒かれている。


 コピー用紙、メモ、写真、古びた領収書。

 どれも無秩序に散らばっているが、近づいて見れば、そこに書かれている内容は一様に不気味だった。


『社内不正の隠蔽指示』

『裏金の受け渡し記録』

『不倫相手への脅迫メール』

『事故を装った証拠改ざん』


 ――男が、生きている間に犯してきた罪。


 それらが、まるで影のように、死体の周囲に貼り付いている。


 風に煽られ、紙が一枚、宙に舞った。


 その紙を、白い手袋が掴む。


「……ふふ」


 低く、感情の読めない声が、闇に溶けた。


 男の背後に立つのは、異形。


 全身を黒で包み、顔には能面のような仮面。

 口元だけが、わずかに歪んだ笑みを形作っている。


 ――道化師。


 だが、赤い鼻も、派手な衣装もない。

 そこにあるのは、嗤っているのかどうかも分からない空白の表情だけだ。


 影喰いのピエロ。


 そう名付けられる存在が、ゆっくりと死体を見下ろす。


「君はね……ずっと、これを隠して生きてきた」


 拾い上げた紙片に目を落とし、淡々と続ける。


「優秀な社員。愛妻家。模範的な市民」


 ひとつ、またひとつと、紙を宙に放る。


「でも――影は、消えない」


 ピエロは、死体の胸元に手を伸ばした。


 何かを“奪う”ような仕草。

 だが、そこから血が流れることはない。


 代わりに、風が止んだ。


 街の音が、ふっと遠ざかる。


 まるで、この屋上だけが、世界から切り離されたかのように。


「だから、僕が食べてあげる」


 次の瞬間――

 男の“影”だった罪の数々が、風に乗って舞い上がった。


 紙が、写真が、記録が。

 渦を巻き、夜空へと散っていく。


 それはまるで、告白だった。


 この男が、どんな人間だったのかを、世界にばら撒くための。


 ピエロは静かに一歩、後ずさる。


 フェンスの向こう、はるか下の街を見下ろしながら、仮面の奥で首を傾げた。


「……次は、誰にしようか」


 その姿が、闇に溶けるように消えた直後。


 遠くで、サイレンの音が響き始める。


 赤色灯が、ビルの壁を照らす。


 だが、その光が屋上に辿り着いたとき、そこに残されていたのは――


 罪を暴かれた死体と、

 影だけを失った、空白の現場だった。


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