第20話
喉が、渇いた。
頭が重くて、胃はキリキリと痛かった。
いったい何日の間、森の中を逃げ惑っただろうか。
息が掠れる。手足の感覚が消える。
オレは大地を這う力すら振り絞れず、やがて、森の切れ目を迎えたところで倒れ込む。
「……ぅ……」
遠く浮かぶ人の営み。ぼやりと浮かぶ希望の光。
けれどオレは手を伸ばすばかりで、もう、声すら叫べない。段々と身体の中心が冷たくなっていく。
そうしてオレは、人知れず死に絶えるはずだったのに。
「わっ……だ、だれ?」
声が、聞こえた。
徐に顔を上げる。
白っぽい紫色の髪を肩先に揺らした少女が、前屈みになって、オレを覗き込んでいた。
「だいじょうぶ?」
「…………!」
反射的に右眼を手のひらで隠す。
見られてはいけない。でも遅い。蒼穹の瞳は虹色を映した。あぁ、また嫌悪、
「その眼、宝石みたいできれい!!」
たぶん、それだけで良かった。
「村で見たことないし……あっ、怪我してるの?」
固まるオレに、そっと手が差し伸べられる。
嫌な表情も向けられることも、歪んだ愛の言葉を囁かれることもない。
少女は真っ直ぐに、オレを映してくれている。
だから、オレは少女の手を掴んでいいことを、理解できたんだ。
「た…………すけ、て…………!」
「うんっ! たすけるね!!」
蒼穹の少女に手を引かれて、オレは村の中心へと歩き出す。いや、引き摺り倒される。
やはり少女は青い悪魔なのだ。
その片鱗は出会った当初からあったというのに、初手でドストライクゾーンを射抜かれたオレは、もう少女に抗えない。
「師匠~っ! ボクの仲間みつけたーっ!!」
オレは少女のことを、信じてみようと思った。
♦♦♦
「わっ、その右手どうしたの……!?」
「オレには獣人の挨拶は少々過激すぎた」
「言ってる場合じゃないよ。ほら、回復してあげよう」
朝から気分はどん底だぜ。
オレはギャン泣き寸前に顔を歪めて紫色に腫れ上がった右手をブラブラすると、師匠はため息を吐きながら治療を施してくれた。
ピローっと山吹色の温かな光に包まれて、瞬く間に正常な肌色を取り戻すオレの右手である。
「オレはこの課外演習を生きて帰れるのだろうか」
復活した右手に頬擦りをするオレを眺めて、師匠はううむと顎に手を当てた。
「課外演習が始まる前からこれか。不安だ。今からキミのパーティーを変更しても、」
「師匠は心配性ですね。オレのこと好き過ぎです(笑)」
ハッ倒された。
気が付いたらいつもの風魔法とか、そういう次元じゃない。普通に物理で大地に叩きのめされたぞ……。
「し、師匠!? やり過ぎだよ……!?!?」
その衝撃は天地創造よりも大きく、ルルアまでもが口を開いて固まる始末である。
「まったく、少し気に掛けてやったらこれだ。これだから私のバカ弟子は……」
ブツクサ言いながらその場を立ち去る師匠。オレを回復するのを忘れているんだが、ちょっと待ってくれないか。
ピクピク地面に痙攣しながら腕を伸ばす。そして代わりに足を運んでくれるのは、大剣を背負った銀色短髪なミナさんである。
挨拶代わりにオレの右手を破壊する彼女が回復魔法をかけてくれるはずもなく、向けられるのは冷笑である。
「ハッ。随分とヨユーそうじゃねェか」
頼む。誰かあばら骨のイカれたオレを助けてくれ。
魔力量ゴミカスの人間以下から屋外訓練場のど真ん中で藻掻く情けない生物へと降格していると、驚愕から解放されたルルアが回復魔法をかけてくれた。
「やはり幼馴染……!! 信頼できる幼馴染はすべてを解決する……!!」
「嬉しいけど……これぐらい自分でなんとかして欲しいな」
無茶言うな。
そうこうしているうちにミナさんのパーティーは全員揃ったようで、彼女はオレに背中を向けながら、クイと手招きした。
「おい、行くぜ。オレたちも出発だ」
♦♦♦
ローリエ大森林。
大陸東南から西南にかけて、竜篭山脈を貫き広がる大陸屈指の森林地帯。
その全貌は未だ解き明かされず、その深奥には不死の泉が揺蕩うとも、異界への扉が眠るとも言われている。
正規員が普段から魔物討伐に出掛けるこの地が、今回の課外活動の舞台に決定されたのだ。
「最高だな……」
森の林冠から、陽光が淡く差し込む。
鳥のさえずりさえどこからか聞こえてきて、森中が素晴らしい自堕落日和であることに疑いはない。
美しい羽虫が飛び去っていく様子はまるで平和そのものだと言うのに、先頭を歩くミナさんは、背中から巨大な大剣を抜き出す。
「おい、ガキ共。オレ達にもっとも大切なことはなにか分かるか」
ミナさんのパーティーにぶち込まれたのはオレの他に、中級クラスと上級クラスから一名ずつ。彼と彼女はピンと背筋を伸ばし、ミナさんに答える。呑気に欠伸をしているオレとは正反対である。
「つ……強くなって周りを助けることだと思いますっ!」
「弱きに優しくある心じゃないでしょうかっ!」
そんなの自堕落することに決まっているだろ!
オレの魂の叫びは誰にも受け取られることなく、静かな森に木霊した。
「良い答えだが、違げェな」
やはり自堕落か。自堕落なのか。
ミナさん達ギルド正規員は一斉に、チャキリとそれぞれが得物を構える。
茂みの奥から──巨大な猪の魔物が数体、突進してきた。
「いいか。オレ達にもっとも大切なことはなァ──」
びゅんと、『銀狼』の繰り出す風を断つような大剣の一撃。
「──生きることだぜ」
イノシシを一体両断したのが合図となって、三人の仲間は魔法やら槍やらを猪へとぶち込んだ。
なんつー才能の暴力だ……。
才能の権化とも言うべき魔法攻撃の眩しさ。こんな理不尽を見せられたら、もう世界がやんになっちゃうよ。
「オレたちゃ生者だ。生きてこその賜物だ。生き残ることが最も大切だと、オレは思う」
「だから、テメェらみたいにわざわざ命を投げ捨てに来るガキどもを、オレはとんだ馬鹿だと思う」
間違いない。本当に間違いない。是非ともオレの青い悪魔と枯れ木にも同じことを高説垂れてほしい。
うんうん頷きながら、オレは野草図鑑を片手に雑草と薬草の区別もつかない謎植物と睨めっこする。
「必死で──生き残れるようにしろ。それが今日、オレがテメェらに伝えることのすべてだ」
「「はいっ!」」
オレとは違って二人の候補生はビシッと敬礼を構える。それから、魔力感知を使って課外学習の達成物になる魔素草を簡単に探し出す。
オレはあれでもないこれでもないとオレをぱっくんちょしようとする食人植物から逃げ出している有様で、はぁ、これだから優秀な奴らは困るぜ。こんなんオレの評価値最低確定だろ。
クソ過ぎる才能の差にブツクサ呟いていたところ、中級クラスの男子は、ふとミナさんに聞いた。
「では……なぜ、ミナさんはわざわざ命を危険に晒すギルドに……」
おい待て。その言葉はオレに効く。
「……ア? ンなの決まってんだろ──」
鈍色の瞳が、絶対零度の気配を帯びてオレを射抜いた。
「──刺し違えてでも殺したい奴が、いるからだ」
……これもう修復不可能な関係性じゃないだろうか。
なまじ未来の見えるオレは常人の十倍は諦めが早いのだ。
はぁ~、解散。終わりだ終わり。すみません師匠。今からでもオレのパーティーを変えてくれませんか。
と、泣きつく先の枯れ木は森の中だというのにどこにも生えていない。オレだけが時間のかかった野草採取が終わり、お次は実際の魔物との交戦。ギルド正規員が補助に入りつつ、中級クラスから魔物討伐を試みていく。
「次はテメェだぜ? 『虹眼』のシアン」
「その異名は傷付くからやめて欲しいんだが」
森の樹木に糸を張って、獲物を今か今かと待ち構えている巨大蜘蛛へと生身で立ち向かう。オレは魔力強化した拳で蜘蛛を貫いたが、粘着質な白い糸で身体中がべとべとだ。
もう今すぐお風呂に入ってベッドで安らぎたい気持ちでいっぱいなオレを見て、ミナさんは鬱陶しそうに舌打ちを鳴らした。
「なんだァ? そのふざけた戦い方は。テメェの得意な魔法を使えや、魔法を」
「オレは魔法を使えませんよ」
オレは魔力量ゴミカスなうえに、世界の魔素にも嫌われているんだぞ!
勘違いをされているようなので訂正してみたが、当然、聞く耳は持ってもらえない。
まぁ、とにもかくにもこれで課外演習は終わり。ならばあとは帰るだけ。よし、オレはギルドに帰らせてもら。
「おい」
終わった。
ギルド正規員にすら先立って街へ引き返そうとしたオレの肩を、ミナさんはグッと掴みかかった。
「テメェ、最上位クラスなんだろ? オレと一緒にちょっと奥で魔物でも狩ろうや」
「…………」
か……狩られるのは……オレだったァー!?!? となる気しかしないお誘いである。こんなんぜったい騙して悪いがだろ。嫌すぎるぞ。
「師匠は奥に行き過ぎてはいけないと言っていたが」
「ギルド長はテメェのママか?」
勘違いするな! 年齢不詳男の娘系師匠はオレのヒロインなんだっ!!
「ちょっと向こうに行くだけだぜ? ビビることもねぇだろ。なぁ、お前ら」
ミナさんは同意を求めるように、三人の仲間へ視線を送る。もちろん、ミナさんと仲の良い彼らは一同に頷く。世界はここぞとばかりにオレに厳しい。息ぜぇはぁとしてでも、ここから逃亡を図りたい気分である。
が、逃げることは許されない。
これは、せいぎとあくのものがたりなのだから。
「……では、ミナさんとのマンツーマンということで」
「おう。色々と教えてやんよ」
意を決して、ミナさんと二人きりで森の奥へと足を進める。次第に林冠が厚くなって、陽の光さえ差し込まぬ薄暗がりへと森の中は包まれる。
濃密な大地の香り。不気味な静けさ。やがては複雑な古木が姿を現し、幹の模様が怨嗟の表情にも思えるようになった頃のことだ。
苔だらけの地面に、狼の魔物の足跡を見つけた。
オレは屈んで、その状態を確かめた。
「……魔物の足跡ですね。比較的新しいです。この近くに──」
ひゅんと、オレの脳天をぶち壊す巨大な刃。
真っ白な髪が数本、大地に散る。
オレは大地を後ろに蹴って宙返り。
両手に握った大剣を地面に貫いたミナさんは──八重歯を剥き出しに、舌打ちを響かせた。
「……チッ。躱しやがったか」
「……やはり、こうなりますか」
もはや、その血走った鈍色の瞳を隠すことすらない。
ミナさんは身の丈よりも遥かに巨大な大剣を、上段に構える。
「たりめぇだろ……テメェの墓場は──ここだぜ」
大地を叩き割る一撃が、オレへと駆け込んだ。




