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第17話


 それはまるで、見えざる何かが無数の手でオレの身体を雁字搦めにしたような感覚だった。


 どういうわけかオレは紫色の瞳から目を離せずに、拳を振り絞ったまま固まっている。


「……ッ!?!?」


 マジに何が起きたんだ……。


 誠に不本意ながら殴り掛かる寸前とかいう最も筋肉が汗水垂らす状態で硬直したオレ。

 思考はあくまでいつも通りを演じているが、外面のオレはそれはもうびっくりするぐらいに目を見開いて口を魚みたいにパクパクしている。


 妖しく光った紫色の瞳は、ニヤリと、嫌に細みを帯びた。


「……へぇ。サキュバスの呪術を喰らってまだ抗えるなんて……すごい意志力ね、アンタ」


──呪術。それは魔族の中でも一部の者にしか使えぬ、魔法ではない何か──。

 基本的に各一族で秘匿された術なので、その詳細をよく知る外部の者は少ない。

 

 よく分からんがオレはサキュバスの呪術に掛けられたようだ。そしてお陰様で動けなくなった。

 つまりはそうだね。その結果が意味するところはね。


「で~も」


 アイシャは大きく、その左脚を振り上げる。


「動けないんじゃあ、意味ないわよねぇ!!」

「が……は……!!」 


 ズドンと腹部を突き破る重い一撃。クソッ! 受け身が取れないからって好き放題しやがって!! 

 アイシャはオレを蹴ったり殴ったり、終いには火の玉で的当てなんか始めて高笑いする。蒸し風呂じゃあ決して味わえない熱量に身体中は痛くて熱くて、オレはもう泣き喚きたい気分である。


「いい気味だわ。このペンダントのお陰で呪術の力は膨れ上がったし、向こうところ敵なしね」


 アイシャは黒い宝石のペンダントを手のひらに掬い上げて、うっとりと微笑んだ。


「クラスメイトの女子は魅了で支配済み。男の子はみーんなアタシ自身の魅力で骨抜きにするつもりだったけど……邪魔するアンタが悪いのよっ!!」


 火竜の鉤爪みたいな一撃が、一秒後の未来にオレを襲った。

 こんなん喰らったら蒸発しちまうぞ……。頼む! だれか助けてくれ!!


 世界と言うのは理不尽なもので、オレの断腸の思い(このままだと本当にそうなる)を聞き入れてくれる天使はどこにもいない。

 けれど天使の代わって青い悪魔は、オレを助けてくれるようだった。


「ア、アイシャちゃん……もうやめてよ……! ただの喧嘩だよね……? シアン死んじゃう……!!」


 ふらりと、救いを求めるように手を伸ばすルルア。

 ただの喧嘩(ルルアの生死を巡ったガチの戦闘)で血みどろになったオレを見て、今にも泣き出しそうに声を震わせる。


「……ボク、ちゃんと大人しくするから! アイシャちゃんより目立ったりしないから……!!」

「……あっ」


 まずい。青い悪魔のナチュラル畜生な部分が出てしまった。


「…………は? アンタ、なに上から目線に立ってんの?」

「すまない。このコミュ障はそういう生物なんだ」


 だから見逃してくれ。眉間に深い皺を寄せたアイシャ必死に懇願するも、すべてが遅い。


「あくまで自分が一番って……そういう態度がねぇッ! 虫唾が走るほど鬱陶しいのよッ!!」


 竜の叫びかと思うほどの金切り声が、人気のない四階を震撼させた。


「……ぁぁぁぁあああッッ!!!!」


 アイシャはぐしゃぐしゃと、艶やかな髪を両手に掻き毟る。引き千切る。その唇から血を滴る。

 それは見ているこちらが絶句するほどの癇癪で──何か、あまりに酷すぎやしないだろうか。


 アイシャの胸元に揺れる黒い宝石が、仄かに光っている。


「支配……支配支配支配支配ッ!! ぜんぶ壊して潰して、アタシのモノに……ッッ!!」


──まさか、或いは。


 気が付いたところで、身体は呪術に縛り付けられている。

 周囲の火の魔素はアイシャの魔力と融合し、やがては巨大な火竜の鉤爪を構築して。


「まずはアンタが、一人目──」


 炎を纏った一撃は、しかし、世界を凍てつく大氷塊によって相殺された。


 暑くなったり寒くなったり……フッ、これだから外は嫌になるぜ。

 なーんてオレが霧の中で余裕を見せられるのは、すべては、オレの後ろに控える最強の幼馴染がその気になってくれたからである。


「……なんのつもりかしら、独りぼっちのルルアちゃん」


 ルルアは俯きながら、ポツリと、声を零す。


「……ボクは……みんなと仲良くて。だから、今度はちゃんと頑張ろうって決めて……」


 なるほど。目を合わせなければ、呪術の原因と思われるアイシャの瞳を見なくて済むということか。

 ルルアにしては頭を使った戦術だな。


「でも──」


 瞬間、ルルアはキッと、決意の籠った蒼穹の瞳を睨み上げた。


「──これ以上、シアンを傷付けるなら……アイシャちゃんとは、仲良くなれなくていいッ!!」


……ん? それだとオレの二の舞に──。


「アンタは手ずから追い詰めるつもりだったけれど、もういいわ。喰らいなさい」

「──ルルアッ!!」


 あのバカッ! 思って声を飛ばすも、既にルルアはアイシャへ猪突猛進している。

 アイシャは可哀想な子を見るように、その瞳を光らせて。


「『《魅了』」


 

 飛び出す無色透明の呪術は、しかし、ルルアにぶつかる前に弾け飛んだ。



……は??? ズル過ぎだろコイツ……。


 

「な──ッ!?!?」


 妖しく光った紫色の瞳が、小さな火花を走って光を失う。

 まさかの呪術無効化。世界に愛され過ぎた現象に驚愕を禁じ得なかったのはアイシャも同様であったらしい。


 思わず硬直してしまった彼女に、拳を振り絞ったルルアを喰い止められる道理はない。


「これで──おしまいッ!!」


 ルルアの拳はアイシャの腹部を深く穿ち、と同時に、黒い宝石を砕き割った。



 ♦♦♦



 ルルア暗殺事件をなんとか未遂で解決して、一週間、オレは世界の理不尽さをホトホト突き付けられていた。


「ルルアちゃん。助けてくれてありがとうね!」

「それにごめんなさい。あんなことしちゃって……」

「う、ううん! ボク気にしてないよ!!」


 とうとう女子にも囲まれて、少し恥ずかしそうに頬を掻くルルアが教室にいる。


「……クソッ! 頼む、青い悪魔に戻ってくれ……!!」

「君は主張がコロコロと変わるね」


 アイシャの呪術で支配下に置かれて、ルルアへシカトを決め込んでいた女子軍団。

 それがルルアの手によって解放されたことで、つまりはルルア=自分たちを救ってくれた良い子になったわけである。


 そして肝心なことは、その神話にオレの姿はない。オレは机に突っ伏しながら、嬉しそうにはにかむ青い悪魔の横顔を盗み眺めた。


「本当に許せない。オレが汗水垂らして頑張ったという事実がすべて青い悪魔に吸われている。やはりアイツは悪魔だ」

「まぁ、君としてはルルア嬢が受け入れて貰えて一安心といったところなんだろう?」

「貴様はアレの厄介騎士みたいなものだからな」

「揃いも揃ってなんだお前ら、面貸せよ」


 オレはレッシュとシリウスを連れて中庭に出たが、二人のお遊びみたいな魔法に倒れ伏す結末となった。


「空は青いな。世界はいつだってオレを愛していることを教えてくれる」

「なにポエムに浸っているんだい、私の可愛い弟子よ」

「女神歴355年、晴れ。今日は空を見上げていると、友達のいない枯れ木に声を掛けられた」


 オレには事実を日記に付けるという日常的行為すら許されないらしく、魔女の暴風のような風魔法によってギルド長室へと連れ去られてしまった。

 雑な暴風送還に目を回してギルド長室をひょこひょこ歩いていると、師匠に肩を掴まれて今度は縦に振られる。平衡感覚は戻ったが、この人はオレなんだと思っているのだろう……。


「さて、ここなら誰の邪魔も入らない」

「…………若人になにをするつもりだ魔女めっ!」

「キミの考えていることは大体分かってしまうのは、師匠冥利に尽きると言うべきかな」

「オレも師匠の年齢が200歳であることは分かるのでお揃いですね(笑)」


 なんて軽口を叩いて床を這いつくばり、師弟の絆を深めたところで。


「あの話ですか」

「そうだ。あの話の続きだ」


 戦後処理。

 より具体的に言えば──あまりに過激すぎるので、ルルア本人には告げなかった暗殺の件である。


「まずは残念な結果から伝えるよ。ルルアちゃんを狙った正体不明の暗殺者だけれど、その正体はアイシャちゃんではないし、その消息も掴めていない」

「そうか……」


 要塞都市ネオ・フロンティアを支配する魔女にさえ尻尾を掴ませないとなると、やはり相当な手練れである。


「ただ、毒針の方は既に確認済みだ。ウロミネの花を使った強力な毒だったよ」

「オレはなにも聞いていないぞ」

「それは聞こえているという意味だね」


 オレは急いで両手で耳を塞いだが、特段の意味はなかった。


「ウロミネの花の生息地は──」

「──大陸最西端、か」


 歴代魔王の残した魔瘴が消えぬ、激ヤバ地帯である。

 ってことはやっぱりこの度の事件って、カスねぇの時と同じで裏に……ウァァァッ! 助けて師匠~! エンエンエンッ!!


 オレは師匠の太ももに縋り付こうとしたが、普通に躱された。仕方なくその場で両膝をついてギャン泣きするオレを、なんとも言えない表情で眺めている。


「じゃあ、次はアイシャちゃんとお話した結果の方だけれど」

「なにか分かったのか」

「彼女は何者かに頼まれて、睡眠薬入りのクッキーをルルアちゃんに渡したそうだよ。それはこのペンダントを貰ったお礼代わりに、ね」


 ずいと、半壊した黒い宝石が差し出される。


「魔族の本能を駆り立てる何かが込められているね。魔族の血が流れる者が持つと、本能に引っ張られやすくなる。キミたちみたいな若い子なら尚更だ」

「なんだその洗脳専用道具は……」


…………ふーむ。やっぱりこれはアレだな。もしかしなくてもアレだ。

 見た目が違うから気が付かなかったが、アレだろう。魔族の血というよりは、魔瘴を濃く浴びた者に反応する……そうアレなのだ。


 アレとか言っているようによく覚えていない記憶の話なので割愛する。別に、話したくない過去とかそういうのでは断じてない。こともない。


「これが何なのかはどれだけ調べても分からなかったし、だけども自然物だとも思えない」

「誰かが作ったんでしょうか」


 師匠は赤い瞳でオレを見下し、大きなため息を吐いた。


「当然だ。この話の流れで確かめる必要があったかな? これだから頭の回転が鈍いヒトカス風情は。永きを生きる私たち妖精族に劣って困る」

「し、師匠……?」


 とつぜん冷徹に刺されたオレは心に大きな傷を負ってしまった。オレが胸を抑えながら後退る様を見て、師匠はわざとらしくハッと目を見開いて口元に手を当てた。


「おや、しまった。私もコレに影響されてしまったかな」

「日頃の仕返しだとしか思えない」


 こんな子供染みたことをするなんて、いつまで経っても精神年齢だけは血気盛んな森の枯れ木である。


「話を戻そうか。恐らくはこの謎の宝石をアイシャちゃんに渡した人物が犯人なんだろうけど、アイシャちゃんは肝心のその人のことが少しも思い出せないらしい」

「八方塞がりじゃねぇか」


 しかし、これまでの話を聞く限り、確かに分かることは一つある。

 それはアイシャはあくまで運搬人として、何も知らぬまま暗殺を手伝わされたということだ。

 となれば、彼女が個室をもう一度訪れようとしたのはその何者かに依頼されたからであり……或いは人的証拠さえも残さぬために、そこでまとめてアイシャをも毒殺しようとした……?


 ぶるりと、背筋が震えた。


 これにて師匠からの情報共有はお終い。オレから共有できる情報は特にないので、解散。ギルド長室を発つべく翻る。


「シアンくん」


 三歩進んだところ、後ろから肩を叩かれた。

 振り返ると、師匠は真剣な顔つきで、ハッキリと言った。


「呪術を完全に打ち消せるのは──勇者の持つ『聖力』だけだ」


……やはり、そうか。


「彼女が呪術を無効化したという話が本当なら、ルルアちゃんは次代の勇者としての片鱗を見せたということだろう。次なる魔王の出現も近いのかもしれない」


 本当に、嫌な話である。どうやら女神メルリア様は、どうしてもあのコミュ障悪魔を勇者に選ぶつもりらしい。


「キミは、」

「オレはオレに出来ることをするまでです。嫌ですよ、ルルアの出発をただ見送るなんてのは」


 見送ったら二度と帰ってこないのだから、当然である。

 オレはオレの行動原理の根幹を淡々と述べただけなのだが、師匠はは金糸のポニーテールをさらりと払い、優しく微笑んだ。


「ふふ……そうか。キミは変わらないな」


 なんか、久しぶりにポンと頭を触られた。わしゃわしゃと髪を撫でられる。それ好き。師匠好き…………なわけないんだよなぁ。

 やはりこの魔女(♂)は狙ってオレを懐柔しようとしてきている節から本当に怖い。オレから差し出せるものなんてないぞ。

 軽く屈んでオレと目線を合わせた魔女の言葉を、ジッと待つ。


「シアンくん、キミは魔力量が驚くほどに少ない。戦闘センスは抜群でも、その事実は変わらない」


 ちなみに言うと戦闘センスもない。未来視とかいう不正を利用しているだけだからな。


「ここから先、どんどん辛くなるよ」



 ♦♦♦



 久しぶりに森の魔女に脳みそを破壊されてしまったオレは、一度安静を図るために寮へと帰還した。


「……はぁ」


 こうしてベッドの上で天井を眺めていると、今回の一件、至らなかった点が多々あることを振り返ってしまう。

 もっと上手く策を打てたはずなのに、ルルアを危機に晒してしまった己の不甲斐なさを思う。


「……オレは傲慢だった。調子に乗っていた」


 いつからオレはオレを過信していた? レッシュやウィッカさんに勝ったぐらいで、世界最強にでもなったつもりだったか? 

……そうだ。だから、第一位も倒せるだなんて驕りがあったんだ。


「あー……クソ、自分が嫌になる」


 天井に伸ばした手で目元を覆って、クソデカため息を吐き出す。再認識しろ。オレは雑魚だ。未来視を使えても、所詮は呪術一つで詰むようなゴミカスなんだ。

 嫌だがもっと努力しろ。使えるものはなんでも使え。いつまで我が身可愛さに甘えている? もっと力を。ルルアを守り抜けるほどの力を──。


『力が──欲しいか?』


 ふと、心の底から滲む不吉な声。遠い、遠い過去の遺物が、まだ頭の中に残っている気がして思わず舌を鳴らす。

 今日は誰も家にいない。だから、オレはオレの中のオレに、小さく呟く。


「……黙れよ。オレはお前の思い通りにはならねぇぞ──」

「クックック……」

「──魔王メーダ」


 返事はない。



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