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第10話 


 ただびとのまま終わる人生が、無性に嫌だった。


 社会の歯車ではいられなかった。自分が替えの利く人間であるのが許せなかった。だから、誰にも為せないことを、成し遂げたかった。


「本日お披露目しますのは、あらゆるものを陣と陣の間で転送する魔法──転移の魔法にございます」


 吐きそうだった。胸が苦しかった。自分で始めたことの癖に、何度も投げ出したくなった。

 そんな、血の滲むという言葉では足りぬ地獄の努力の果てに──私は、学会に立ったのだ。


 ざわりと、どよめく学者たち。

 興奮と緊張に動悸がして、眩暈に眩む。

 でも、大丈夫。練る間も食べる時間も惜しんだ実験は上手く行ったから。


 だから私は、足元の魔法陣へと魔力を込めて。


「……ぅ……」


 目を、覚ます。


 平衡感覚の壊れた路地に、布団代わりのボロ布が落ちている。

 徐に顔を上げれば、汚れた壁面に浮かぶのは、ぷつんと、魔力の光が途絶えたまほうじん。


「……ぁ、あ……!」


 震える手が葉巻に縋った。心は煙を求めてすぅと乾いた唇に吸い込んだ。

 とすれば吐き気も頭痛も遠のいて、身体は気持ち良く弛緩する。歪んだ視界には、驚天動地の歓声に揺れる学会が浮かぶ。


「は、はは……」


 その光景にほんの少しだけ心が温かくなった気がして、私は、虚ろに笑う。

 笑っているのに、人気のない寒空の路地裏で膝を抱える。


 私は今も、夢を見ている。



 ♦♦♦



 なんてクソみたいな未来を近所に人が引っ越してきた矢先に改めて突き付けてくるのだから、未来視とかいう能力は何から何までがクソであることに疑いの余地はないと思う。


 隣人が廃人堕ちする未来をまざまざと見せられるとか、これもう発狂ものだろ。今はまだなんとかカスのラインで踏ん張っているお姉さんがヤクに縋る様子を教えてくれるのはいいが、魔力量ゴミカスなオレにどうしろと言うのだ。


「しょう、ねん……?」

「チッ……面倒なことになったな」


 重い瞼を見開くカスねぇ。反して売人の男は、颯爽と路地裏から逃げ出す。さすがは闇の人間、退くべきところを理解しているらしい。


「はは……お姉さんの情けないところ、見せちゃったなぁ……」


 普段からカスみたいな醜態を晒していると思うのだが。

 弱々しく頬を引き攣るウィッカさんへ内心思いつつ、路地裏に落ちた危ないヤクへ右手のひらを向ける。


 やれやれ、こんなことのためにオレのゴミカス魔力を消費したくはないんだがな。ボンッ! 

 オレの魔力の弾丸は路上を抉り潰し、地面に落ちたヤクをこの世から完全消滅させた。


「ああ……! お姉さんの希望が……!!」


 へなへなと両膝を折って、抉れた路上に手を伸ばすカスねぇである。

 この世の終わりかというような有様だが、白い粉を使うとカスねぇが真の終わりに近づくので、必要な処置である。


……さて。


「まぁ……話ぐらいなら聞いてやるが」


 ウィッカさんはおずおずと、琥珀色の瞳を上目に覗かせる。


「……少年、奢ってくれる?」


 カスねぇはやはりカスだった。



 ♦♦♦



 怪我をしている野生動物(カスねぇ)を見つけたら、きちんと保護してあげないといけない。

 誠に不本意ながら青い悪魔から教わったそのことを胸に、現在、オレはウィッカさんの右腕を掴んでズカズカと街の大通りを歩いていた。


「安くてたくさん食えるのでここでいいですか」

「お姉さん……ここは食べ飽きたから、別のお店がいいな」

「コイツ……!」


 ここぞとばかりに、オレの腰に掴み掛かってくるウィッカさんである。弱っているフリをして、ちょっとでも良いものを食べようという魂胆だろう。


 バカクソ食べられるお店へ到着し、テーブル席に向かい合った。店員さんが慌ただしく、料理を次から次へとテーブルに運んでくれる。

 食べようとしたら、ずいと皿を取られた。おかしい。それはオレが注文した料理なのだが。

 カスねぇの満腹感に反比例して、オレのお財布は反比例的にやせ細っていく現状である。


「なかなかこのお店も美味しいね、少年」

「オレを財布か何かと勘違いしていないか……?」


 チャーハンをほっぺにかき込んだウィッカさんは、重い瞼をぱちくりとした。


「え? 少年はお姉さんのご飯製造機だよ?」


 許せない。もう二度と野良猫は助けない。食べかけの皿を強引に奪い取り、オレは競い合うように飯をかき込んだ。

 サッサと本題に移りたいところだが、そうは問屋が卸さない。

 オレは未来視のせいでウィッカさんが薬物中毒浮浪者系お姉さんへと進化した理由は知っているが、相手はヤクに縋るほど追い詰められた人間なのだ。地雷原は慎重に歩くべきである。


「無駄枯らしがいると思ったら、期待の候補生じゃねぇか」


 最悪だ。

 地雷原を反復横跳びする奴が現れた。

 森の魔女に襲われたというのにまだ懲りていないらしく、包帯だらけの男はニヤニヤと悪口を叩いた。


「おい、ルーキー。つるむ相手は選んだ方が良いぜ。ソイツはもう駄目だ」

「ご指導ありがとうございます。では、店内でゲラゲラと笑う先輩とは仲良くしないでおきましょう」


 オレが包帯男と高度な舌合戦を繰り広げる中、カスねぇは忙しそうな店員さんを呼びつけた。


「ちょっといいかな店員さん。この料理に髪の毛が入っていたんだけどね? 商品を変えてもらたいんだ」

「そちらのライトグリーンの髪の毛はお客様のモノかと思いますが……」

「ちぇっ」


 駄目だ。カスねぇの方が圧倒的に迷惑客だった。もはや性格極悪お兄さんさえもが目を丸くしている。


「ケッ、かわいくねぇ候補生だぜ」


 男は悪態をついてオレ達のテーブルを離れた。地雷原の上でタップダンスを踏みながら、地雷を一つも踏み抜かなかった幸運な男である。


「店員さん。追加でデザートのこれとこれと、あとこれを──」


 そして、オレの苦労を他所にデザートを注文するお姉さんも幸福者である。無駄に汗水垂らして不幸なのはオレだけで、やはり世界はオレのことが大好きなようだった。

 

 他人の金だからといって散々しているウィッカさんは、ふと、頬杖を突いて夕暮れの窓辺を眺める。


「……なにも、聞かないんだね」

「ウィッカさんが怪しい取引をした原因は……転移魔法の失敗。そうだろ?」


 カスねぇはまじまじとオレの顔を見た。


「……少年、物知りなんだね」

「ウィッカさんが思っている以上には」


 ぜんぶ未来視とかいうクソ能力のせいなのだが。現地調査しろ? やだよ。オレは出来る限り自宅で自堕落していたいんだ。

 オレの後者な部分しか知らないカスねぇは、全てを諦めたようなどこか清々しい笑顔で立ち上がる。


「バレているなら、しょうがないや。お姉さんの秘密基地においでよ。良いコト教えてあげるよ」



 ♦♦♦



 Q:年頃の男の子が、「良いコト教えてあげるよ」と、目元やさぐれ重まぶたお姉さんに言われたらどうなるか。


 A:ホイホイついて行かないわけがない。


 そういうわけでオレはギルド併設の倉庫まで連れて、男女二人、密室、薄暗い倉庫。当然、何も起きない。

 オレはぼったくりバーよろしくの法外な金額をご飯屋さんで請求されただけの、悲しきショタだった。


「少年。これがね、お姉さんの作った転移陣だよ」


 壁一面に貼られた設計図と、机に積み上がった古びた書籍。

 それだけが放置された倉庫には、しかし、足元からオレを呑み込むような巨大な円形の陣を描いてていた。


 確か未来視によれば、転移の魔法というのは転移陣Aと転移陣Bの間でモノをやり取りする才能の塊みたいな魔法だったはずだ。つまりはオレの最も忌み嫌うべき存在である。


「よく知ってるね。もしかしてお姉さんの学会、見てたの?」


 ウィッカさんは割れたランタンを転移陣の中心に置く。そして、オレのゴミカス魔力量では到底補えない魔力を注いだ。

 転移陣は呼応するように、紫色の光を暗闇に淡く発し──しゅんと、途切れる。


 割れたランタンに、カスねぇの萎れた笑みが浮かぶ。


「うまくいく……はずだったんだけどなぁ……」


 それはない。

 残念だが、転移の魔法が完成するのは遥か先の未来なのだ。

 だから、ウィッカさんがどれだけ苦心を重ねようと、転移魔法が完成することは絶対にない。


「まぁ、転移魔法を完成させるのはアンタの子孫だから良いだろう」


 なんて慰めの言葉に意味などない。

 カスねぇは努力の結晶であるノートを、ドミノを崩すようにぺらぺらと捲る。


「お姉さんは才色兼備だったから、これまで失敗なんてしたことがなくてね、今回も、きっとうまくいくなんて根拠のない自信があった」


 才能がカス過ぎるあまり平時自虐なオレはもはや折れ曲がった精神を一種の芸術品へと昇華している(しないとやってられなかっただけ)のだが、生まれてこの方、真に世界から愛され続けていたウィッカさんはポッキリ折れてしまったようだ。


 その証拠に、壁一面の設計図はズタズタに切り裂かれている。

 転移魔法失敗が公になったあと、えっぐい発狂をしたらしい。


「違うか。実験中も、何度も何度もダメなんじゃないかって気持ちが過ったよ」


「でも、これが私の選んだ道だから。進むって決めたから。そうやって誤魔化し誤魔化しやってきたものが、ついには駄目になったんだ」


 その頼りないほどに弱々しく引き攣った笑顔の痛さは、オレにもよく分かる。

 選んだ道、信じた道が、失敗したその時。


 果たしてオレは、どうなってしまうのだろうか。


「耐えられないほどに辛かったか」

「それがお姉さんの全てだった」

「次を踏み出す力は振り絞れなかったか」

「どうすればいいのか分からなくなってしまった」


 とどのつまり、どん詰まりだ。

 クソ、思っていた十倍は面倒臭いなこのカスねぇ。まぁ、オレと同じタイプのスタンドなので、それもそうなのだが。

 そしてだからこそ、オレはカスねぇを気に入っているのである。


「分かるだろ、少年」


 ウィッカさんはどこか寂しそうに、オレへと別れの笑みを向ける。


「少年には、お姉さんの心は救えない」


「お姉さんを救えるのは、お姉さんだけなんだ」

「……」


 認めよう。

 オレには、カスねぇを救うことはできない。

 当然だ。オレは所詮、とある未来では魔王に至ってしまうような奴だからな。魔王が人を救うとかあり得んだろう。


 だけど。


 自分を救えるのは自分だけという発言は、納得できない。

 オレはスッと、制服の内ポケットに準備した封筒を抜き出して。


「いいや? ウィッカさんを救うのは──オレ達、有象無象さ」


 そう言ってオレは、ランク戦の果たし状を叩きつけた。




 今日のキーポイント。

 シアンくんとカスねぇは同じタイプのスタンド。

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