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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

むちゃぶり女王様

作者: Liz

 俺の最初の記憶。

 それは、とある少女との出会いだった。


「あなたのお名前は?」


「……」


 幼い彼女に聞かれても、俺は何も言えなかった。

 名前なんてものは、持ったことがなかったから。


「そう。名前がないの……」


 とても寂しそうに、少女はうつむいた。

 長く艶やかな黒髪が彼女の整った顔を隠し、しょんぼりと肩を落としていた。

 ところが……


「それじゃ、こうしましょう」


 とてもいいことを思い付いたように、少女は顔をほころばせた。


「あなたをアルザスって呼んでいい?」


 日の光のような眩しい笑顔を向けられ、俺は目を細めた。


「素敵な名前でしょ? わたしのご先祖様のお友達の名前なの」


 そう言って、少女は手を差し出した。


「わたしはメリスって言うの。これからよろしくね。アルザス」


 俺はしばらく小さなその手を見つめ、それが《握手》と呼ばれる行為であることを、ようやく思い至った。


「あ……ああ……」


 俺は恐る恐る、差し出された手を取った。

 とても小さく、とても温かな手。

 生まれて初めて手にしたその温もりを。


 絶対に放さないと、俺は誓った。



 ☆ ☆ ☆



「魔王を、ここに連れてきて」


 いきなり執務室に呼び出されたと思ったら、我が主メリス様にそう命じられた。

 大きな木製の机を挟んだ先に座る女王様は、たおやかな黒髪を持つ見目麗しい女性で、各国から婚約やら縁談の話がひっきりなしに舞い込むようなお人だった。

 二十歳になったばかりの若き女王は、外遊先では男女問わず各国の首脳どもを虜にし、会談した相手を容易く丸め込んでしまう。

 立ち振る舞いも完璧で、完全無欠の外面を持つメリス様は……


「聞こえなかった? 魔王を、捕まえて、ここに、連れてきて、欲しいの」


 たびたび俺に、無茶な要求をしてくる。


「魔王……と言うと、つい先日降臨したとされる奴ですか?」


 内心冷や汗をかきながら、俺は努めて冷静に言葉を返した。


「そう。場所はこのあたり。我がカディーネ王国の国境近くに降臨したと、教会から警告があったの」


 白い繊手が、執務机に広げられた地図の上を指し示す。

 地図には大陸の西半分、人類圏だけが描かれていて、メリス様の指はその隅っこ、王国の国境をほんの少し越えた先を指していた。

 カディーネ王国は人類圏の東の外れに位置していて、東の国境をなす深淵の断崖《奈落》の先、大陸の東側は俺たちとは異なる種族――魔族が支配する魔の国だった。


「君ならここへもたどり着けるでしょ。今すぐ出発して、降臨したばかりの魔王をとっ捕まえて」


「教会が察知しているなら、彼らに討伐させた方がいいのではないですか?」


「それじゃダメ!」


 俺の無難な提案は、電光石火で切り捨てられた。


「討伐するんじゃなくて、捕まえてって言ってるの!」


「あのですね……各国のエリートを集めた魔王討伐隊でさえ、たびたび敗北を喫するんですよ。そんな奴を、捕まえて来いと仰るのですか?」


 俺はできる限りの敬意をもって、メリス様の説得を試みた。

 魔王が魔族の王たる所以、それは純粋に個としての強さだった。

 肉体の強さや操る魔法の威力のみならず、強力な魔の波動が常に放たれ大地が腐り人は死ぬ。

 魔王とは、ただその場にいるだけで災厄を招く存在なのだ。


「まだそこまで強くないはずだよ。降臨したばかりなら、本来の力は発揮できないから」


(赤子のままの魔王だって、俺より強いんだが……)


 それを言っても、メリス様は止められそうになかった。


「《魔封じの首輪》を使えば、何とかできるでしょ。魔王の力だって封じられる国宝なんだよ」


「何とかなる……のですか?」


 俺はとても信じられなかった。

 《魔封じの首輪》は、その名の通り首輪型のアイテムで、魔族が内包する災厄の力を封じられるという。

 ただ問題は……


(それをどうやって、魔王の首にかければいい?)


「なるよー。だってアルザスは王国一の騎士なんだから。そうでしょ?」


 俺の苦悩を知らないメリス様は、屈託のない笑顔を浮かべていた。


「それに、こうすれば……ねっ」


 手招きされた俺が彼女の前に膝をついて頭を垂れると、立ち上がったメリス様は俺の肩に手を置いて、自らの胸元に手を当て静かに祈りをささげた。

 窓越しに降り注ぐ陽光を背に、祈りの言葉をつぶやく彼女はかつて存在した聖女、アリア様を思わせる雰囲気を持っていた。

 建国王ローダンと無二の親友アルザスが魔王を討伐したのち、アリア様はその祈りを以って、魔の力に汚染された大地を浄化し、緑あふれる国土に変えた。

 彼女は生涯独身を貫き、ローダン王やアルザス様と共に、我がカディーネ王国の建国と発展に尽力した。

 その高潔な魂は神の元へと召された後も、歴代の王女に奇跡の力をもたらすとされていた。

 もちろんメリス様もその一人であり、その力を最も強く発現できると噂されている。

 我が主は建国王の直系というだけでなく、聖女の生まれ変わりと称される、まさに尊きお方なのだ。


「うん。これでだいじょーぶ。聖女様の魂を受け継ぐわたしが成功をほしょーするよ」


 神への祈りを終えたメリス様は、満面の笑みを浮かべていた。

 その笑顔を向けられると弱い。

 自信に満ち溢れた彼女の信頼を裏切るなどできるはずもなく。


「まあ、何とかやってみます」


「うんうん、その意気だよ。期待してるぞ騎士殿♪」


 その依頼を、承諾するしかなかった。



 ☆ ☆ ☆



「ついに魔王を捕らえたんだって?」


「ええ……どうにか」


 メリス様に《魔王捕縛》を依頼されてから10日あまり。

 苦戦の果てに捕らえた魔王を収監した地下牢に、我が主を案内していた。


「さっすがー♪ アルザスはすごいよねー」


 上機嫌で俺より先を進むメリス様が、牢獄の一つをのぞき込んだ、その瞬間。


 凍り付いたように、動きを止めた。


「あ、あれが……魔王?」


 油の切れた機械のようにギギ……とぎこちなく俺の方を向き、震える手で牢の奥を指差した。


「ええ、そうです。間違いありません」


 俺は首肯して、その疑問に答えた。

 何度も殺されかけた相手を見間違えるはずがない。


「あの、ちっちゃい女の子が、魔王……なの?」


「そうです。紛れもなく、あれが魔王です」


 俺が再び肯定すると、メリス様の抱えていたものが、ついにはじけ飛んだ。


「いやああぁん! なにこのかわいい子!!」


 黄色い歓声を上げると、飛びかかるように鉄格子に噛り付いた。


「ひいぃっ!」


 突然響いた大声に怯えて牢獄の隅で縮こまり、目に大粒の涙を浮かべる魔王。

 白く長い髪、細く華奢な手足、母性をくすぐる幼い顔つき。

 ぼろ布を着こんだその姿は、年端もいかない愛らしい少女にしか見えなかった。


「ちょっ、邪魔よ! 今すぐ鍵を開けなさい!」


「いや、危ないですよ」


 鉄格子を揺らして命じるメリス様に、無駄とは知りつつ忠告した。

 たとえ10才ほどの女の子にしか見えなくとも、その内に秘めた魔力は人間をはるかに凌駕する。

 彼女が軽く手を振るうだけで、普通の人間なら頭と胴体が二つに分かれるだろう。


「いいからっ! あんなに泣いてるじゃないの!!」


「……分かりました」


 俺は諦めて指を鳴らし、鉄格子にかかっていた魔法鍵を外した。

 鍵が外れるや否やメリス様は鉄格子を押し開け、石壁の際で怯える魔王の前に身を乗り出した。


「ひぁっ……」


「ああっごめんね。脅かしちゃったよね」


 あまりの勢いに震えた少女に、メリス様は手をバタつかせて謝罪する。

 キュッと目をつむり、手足を抱えて縮こまる姿は、いたいけな幼女のように見えた。


「わたしはメリスって言うの。あなたのお名前は?」


 優しく話しかけながら魔王の前にしゃがみ込むと、そおっと慎重に手を伸ばす。

 目に涙を浮かべた少女は小刻みに震えていて、伸ばされた手から逃れようと身を引いた。

 鎖で壁に繋がれた太く武骨な首輪が、ガチャリと耳障りな音を立てて、逃げようとする少女の動きを妨げる。


「首輪も外して!」


「いや駄目ですって。殺されますよ」


「いいからっ! 今すぐ外しなさい!」


 興奮した眼差しのメリス様は、俺の忠告なんて聞いてなかった。

 目の前にいるのが人類の敵だということは、頭の中から抜け落ちているようだった。


「……はいはい。気を付けてくださいよ」


 俺は不測の事態に備えつつ、小声で解呪の呪文を呟いた。

 小さな音を立てて、魔王から魔封じの首輪が外れた、次の瞬間。


「ガアアアアアアアアアアア!!!!」


 女の子が獣のような雄叫びを上げると、メリス様を押し倒した。


「かはっ!!」


 背中を強かに打ち付け、息を詰まらせた彼女の細い首を引きちぎろうと、馬乗りになった魔王が手を伸ばす。

 その指先に形成された鋭い爪が、白い喉元へと突き刺さる寸前。


「ああくそっ! だからっ……!」


 思わず悪態をついた俺は渾身の力で拳を振り下ろし、展開されていた魔王の防護シールドを突き破って、その首根っこを掴んだ。

 その細腕に込められた魔王の膂力は恐ろしく強く、力任せにメリス様から引きはがそうとする俺に抵抗する。


「ギジャアアアーーーーーー! ブウウゥゥーーーー!」


 人のものとは思えない唸り声を上げ、手足を振り回して暴れる少女。

 赤く光る眼差しには強烈な殺意が満ち溢れ、歪めた顔には理性の欠片も見られなかった。

 巨大な牙へと変化した歯をむき出しにして、噛み付かんばかりに俺を睨みつける少女の額に、魔力が急速に集まっていく。


「ちいっ。させるかよ!」


 上位魔法の起動を察した俺は、大惨事を引き起こされる前に、暴れる魔王を片手で捕らえたまま首輪を行使した。

 その首に巻き付いた《魔封じの首輪》は、内包された力を存分に発揮。

 発動直前だった魔法はかき消され、膨張し続けていた魔力も霧散し、魔王は無力な少女へと逆戻りした。


「ご無事ですか?」


 手足からも力が抜けて、大人しくなった少女を床におろすと、俺はメリス様の様子をうかがった。


「う、うん。ちょっとびっくりしただけ」


 襲われた瞬間、とっさにシールドを作り上げたのだろう。

 強かに打ち付けた背中や頭に傷はなく、脳震盪とかも起こしていないようだった。


「御覧の通り、《魔封じの首輪》を外せば、彼女は手が付けられなくなります」


 魔王は、生贄となる者の肉体と魂を使って現世に降臨する。

 流れ込む莫大な魔力の奔流に飲み込まれ、贄となった者は例外なく理性を失い、溢れ出る破壊衝動に突き動かされるままに破壊の限りを尽くす。

 その力が定着し、王として魔の国の頂点に君臨するようになるには、10年以上の歳月を要するとされている。


「危険ですからこの場で処分するか、教会かオレリア王国に差し出しましょう」


「ダメよ! 彼女はここにいるの!」


「ですが、強硬派や教会が何と言うか……」


「そんなのいつものことじゃない。勝手に言わせておけばいーよ」


 ため息交じりの俺の反論も、メリス様には通じなかった。

 人類社会の7割は魔族せん滅を掲げる主戦派だ。

 彼らは日々、魔族とその王を倒す方法を研究し続けている。

 その旗手たる教会とオレリア王国は、魔族を捕らえるまでもなく処刑する。

 残りの2割は中立派で、魔族との融和派は1割にも満たない。

 そして、我がカディーネ王国は融和派の筆頭であり、教会や主戦派の他国から有形無形の非難と干渉を受け続けていた。


「それに、あいつらが何かしてきても、君が追い返してくれるんでしょ?」


「はい?」


 あっさりと無茶な要求されて、顔が引きつるのを自覚した。


「だからっ、もし教会が直接手を出してきても、君がちゃちゃっと追っ払ってくれたらそれでいーの。後はわたしが上手くやるから」


 魔族せん滅を掲げる教会にも主戦派の国々にも、魔王と対抗できるだけの戦力がある。

 そんな彼らと真正面からやり合う危険を理解しているはずのメリス様は、あっけらかんと言い放った。


「いやー……さすがにそれは」


「ほうほう。できないとでも言うのかなー?」


 メリス様は、ためらいを滲ませた俺を挑発するように見上げてくる。


「騎士叙勲の時の、命に代えてもわたしを守るっていう誓いは何だったのかなー?」


「……」


「それに10年前だって……」


「はいっ分かりました。何とかしてみせます!」


「うんうん。その意気だよっ」


 見上げる視線に耐えきれず、ようやく届けた俺の返事に満足したメリス様は、とても嬉しそうにうなずいた。


「それで、魔王を捕まえておいて、これからどうするつもりなのですか?」


 危険極まりない魔王を国内に留め置いて、もし何か間違いが起これば、メリス様の権威は瞬く間に失墜する。

 魔封じの首輪だって完全ではない。

 解呪の呪文で外せるし、外部からの力で破壊もできる。

 もしそうなれば、犠牲者なしでの制圧は不可能で、この国が滅びることだってありうる。

 そんな悪夢のような事態を避けるためにも、今後の計画や予定を聞いておきたかった。


「そんなの、決まってるよ」


 メリス様は、力なくへたり込む少女の髪を愛おしそうに撫でた。


「彼女とお友達になるの。これからは仲良くしようって約束するために」


「……は?」


 大切な主の言葉を、すぐには理解できなかった。

 一言一句聞き逃さなかったはずなのに、上手く咀嚼できなかったのだ。

 魔王と仲良く。

 無謀とも言えるその考えを聞いたら、誰もが呆れて言葉を失うだろう。


(それができるなら苦労は……)


 俺だってそうだった。

 魔の国を支配するのは混沌だ。

 弱き者は全てを失い、強き者が全てを手にする。

 法も秩序もなく、ただ力による支配がはびこっている。

 その混沌の頂点に立つ魔王が真の力を発揮すれば、150年も続いたカディーネ王国の歴史は終わりを迎え、この地は魔族の手に落ちるだろう。


「本当に、そんなことができるとお考えですか?」


「できるよー。聖女の力を侮らないで」


 根源的な疑問をあっさりと切り捨てたメリス様は、力を封じられた魔王の小さな身体をギュッと抱き締めた。


「これから忙しくなるから、アルザスも手伝ってね。お願いっ♡」


 自らの進むべき道を見つけたかのように目を輝かせ、弾むような声でお願いされたら、俺の返事は一つしかありえなかった。


「……微力ながら全力を尽くします。我が主」


「そうそう。それでこそわたしの騎士だよっ♪」


 メリス様はとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 出会った時と変わらぬ、魅力あふれる輝く笑顔。


 俺が守りたいと願ったものだった。



 ☆ ☆ ☆



 魔王捕縛からしばらく経ったある日。

 周辺国と教会には使者を出し、魔王を捕らえた事実としばらく国内に留め置く旨を通知していた。

 色よい返事があったのは北の隣国、中立派のカイラス王国のみで、他の国々からは非難と抗議の山が届き、教会からは速やかに処刑せよという通達が来ていた。


「こんなの気にしなくていいよー」


 女王様の明確な意思の元、我が国はそれ以降の措置は取らなかった。

 彼らが次に打ってくる手ははっきりしていた。

 魔王を討伐する部隊を編成して派遣してくるのだ。

 そいつらが到着するまでにはしばらくの猶予があるはずで、その間に俺たちがすることは……


「さあさあ、シーラ様。今日も勉強を頑張りましょう」


 メリス様によってシーラと名付けられた魔王を、教育することだった。

 王宮の一角にある俺の自室。

 大して広くもない部屋には俺と、首輪をかけられた小さな少女と。


 教育係に任命されたメイド、カリンが仁王立ちしていた。


 万が一の事態に備えて、俺がすぐ駆け付けられる場所――主に俺の自室が勉強場所となっていたのだ。


《勉強……しなくちゃダメですか?》


 頭の中に、シーラの幼い声が響く。

 彼女は言葉に頼らずとも自らの意思を相手に伝え、相手の意思を理解する能力があるらしい。

 だからカディーネ語を話せなくても、シーラとの意思疎通は可能だった。


「ダメです。感応力だけに頼ってはいけません。少なくとも会話と読み書き計算ができるようにと、メリス様から言いつかっております」


《うう……》


 涙目の少女は、椅子の上で小さく縮こまっていた。

 力を封じられた魔王は、気弱な女の子にしか見えなかった。

 事務仕事をこなす俺の傍らで、カリンによる丁寧で少し厳しい授業が行われた。

 昼過ぎから夕方にかけてみっちりたっぷりと講義が続き、満足したカリンが温かなお茶を淹れてくれたころには、シーラは机に突っ伏するほど疲れ果てていた。


《やっと終わりました……》


 両手で包んだカップを啜りながら、シーラはポツリと呟いた。

 そうしていると魔王としての威厳の欠片もなく、見た目相応の少女のように思える。


《明日も明後日も、ずっとやるんですよね?》


「そうだな。人間社会で過ごすには、ある程度の常識は必要なんだよ」


 実際、シーラは何もできなかった。

 文字の読み書きどころか、言葉も何一つ話せなかった。

 服の着方や食器の使い方すら知らなかった。

 牢獄から解放した初日は手掴みで主菜やサラダを頬張り、皿に口を付けてスープを喉に流し込んでいた。

 癇癪を起こしたり物を壊したりしないだけマシなくらいで、とても人と交わって生きていけるとは思えなかった。


《ボクは……ここにいていいのでしょうか?》


「それが我が王の意思だ。その首輪をしている限り、自由にしてていい」


 魔封じの首輪は、シーラの理性を維持するのに必要だった。

 もう一度試した時も、外した途端に叫び声を上げて暴れ始めた。

 理性は莫大な魔力に押し流されて、破壊を求める本能に突き動かされてしまうのだ。


《でも、ボクは魔王、なんですよね。またみんなを傷つけちゃうかも……》


「そうだな。君を止めるには勇者の力が必要だろう」


 悪しき力を封じる。

 それが勇者の能力であり、魔王を討伐するのに必要な力だった。

 その力を覚醒する者は極めて少なく、数十年に一人現れるかどうかだった。

 偶然生まれる勇者に頼るばかりではなく、希少な力を人の手によって生み出そうと、世界中で様々な研究が行われている。

 魔封じの首輪もその産物の一つで、100年以上前に聖女アリア様が偶然、勇者の力を付与することに成功したのだ。


「魔王に対抗できる力を得ようと、その首輪以外にも、勇者の細胞を赤ん坊に植え付ける研究とかも行われたんだ」


《そんなのっ……!》


「心配するな。その手の研究は、もうやってない。全て失敗した挙句に、研究の存在そのものが抹消されたんだ」


 嫌悪を露わにするシーラに、俺はなだめるように言った。

 人工的に勇者を生み出す研究は、そのほとんどが上手くいかずに断念されていて、資料や被験体も廃棄されていた。

 現在の各国の研究は、勇者覚醒が起こる確率を高める手法に重点が置かれている。


《それじゃやっぱり、ボクは早くいなくなった方が……》


「メリス様はそうは考えていない。君と友達になりたいそうだ」


《トモ、ダチ……?》


 シーラは初めて聞いた言葉のように、ぎこちなく繰り返した。


「そういうのは誰もいなかったのか? 魔王になる前とかに」


《生まれてからなんて、何も覚えてないです。暗い中でずっと寝ていたような感じで、目が覚めたら、あなたに捕まっていたんです》


 シーラはとても悲しげに首を振る。

 彼女の人生は王に捧げられるために始まり、俺が捕らえなければ、捧げられた瞬間に終わりを迎えたはずなのだろう。


「だったら、今からでも友達を作ればいい」


《え……?》


 意味が理解できないと言うように、シーラは目をパチクリさせた。


「せっかく君が君として目覚めたんだ。これからたくさんの友達を作って、君の人生を全うすればいい。メリス様はそう望んでいる」


《でも……》


 幼い魔王は視線を落とし、とても小さな声で呟いた。


《ボク、怖いんです。こんなにも親切で優しい人たちを、ボクが傷つけるんじゃないかって》


 自分のことを告白する少女の声は、恐怖で震えていた。


《力が解放された時、ああなったらボクには止められないんです。周りが見えなくなって、何もかもを壊したくなって……身体の中にある力を使ってしまうんです》


「そのことなら、心配しなくていい」


 俺は彼女の前に膝をついて視線を合わせ、今にも泣きそうな少女の瞳をまっすぐに見つめた。


「もし君が、俺たちの国に危害を与えそうになったら……」


 静かに、しかし明確な殺気を込めた声で告げる。


「俺が、君を殺してやる」


 低い声で脅かそうと、怯えさせようと、警告したつもりだったのに。


《……っ!?》


 シーラは目を見開き、息を呑み込んでから。


《はいっ。ありがとうございますっ!》


 とてもとても、嬉しそうに声を弾ませた。



 ☆ ☆ ☆



「遠慮はいらないから! ドーンと来て!」


 遮るものが何もないだだっ広い空間に、メリス様の声が響き渡った。

 王宮に隣接する練兵場。

 公務が終わった後の夜、星空に包まれた広場で、俺はメリス様と対峙していた。

 白銀の鎧に包まれた細身の身体。

 その手には国宝《討伐者の剣》。

 青白い光を帯びたローダン王の愛剣が携えられていた。


「死なないでくださいよ」


 俺は自分の愛刀をゆるりと振り上げた。

 刀身が真ん中から折れた片刃の剣。

 敵を切るには不向きであっても、俺はずっとこの剣を愛用していた。

 身体の内で練り上げた魔力を刀身へと流し込むと、刃が赤熱し始めた。

 そうして、火炎系の魔術の発動準備を整えると……


「はあああっ!!」


 気合一閃。

 裂ぱくの気合を込めて、剣を振り下ろした。

 切っ先から放たれた火球が、メリス様目掛けて一直線に走る。

 彼女が剣を掲げて防御姿勢を取った直後、身の丈よりも大きな火の玉が激突。

 爆音と共に周囲に衝撃波が走り、大気をビリビリと震わせた。

 周囲に広がった爆風が土煙を舞い上がらせ、俺の視界を奪う。

 俺は剣を引き、周囲を警戒。

 メリス様の気配は消えていない。

 そもそも、あの程度の爆発で倒れる御方ではない。


(右か!)


 煙の幕を突き破り、矢のような光が迫る。

 派手な輝きを放つ白光を、剣を振り上げ迎撃。

 眼前に迫った魔法の光を両断。

 二つに分かたれた光は、俺の左右で暴発。


(違う! 本命は……)


 鼓膜を揺さぶる衝撃に晒されながらも、俺はその存在に気付いた。

 光の背後に潜んでいた《バインド》。

 俺が反応するよりも早く、敵を拘束する木の枝が大きく広がる。

 無数の枝が生き物のように動いて俺にまとわりつき、手足を封じにかかる。


「くそっ。邪魔だ!」


 全身を封じられる前に、体内に込めた力を発散。

 手と足に絡みついた枝の群れを粉砕。

 消えたメリス様の姿は、探すまでもなかった。

 地を疾走する影が迫る。

 半円を描く刃が、俺の頭を狙ってくる。

 俺は反射のみを頼りに、渾身の一撃を折れた剣で受け止め、はじき返す。

 彼女の動きは止まらない。

 剣を弾かれた反動を利用して半回転。

 飛翔。

 今度は頭上から斬りかかる。

 俺は身体をひねって肩口への軌道を外す。


「っ!!?」


 驚愕に見開かれる瞳。

 大振りの斬撃に流され、メリス様の体勢が崩れる。

 俺はがら空きになった彼女のわき腹に拳を当てて。


「ふんっ!!」


 軽い気合と同時に、手の中に握った力を開放。

 拳に生じた衝撃波により、メリス様の小柄な身体が吹っ飛んだ。


「くうっ……」


「陛下!!!」


 地面を転がり、かろうじて受け身を取ったメリス様に、背後に控えていたヒーラーの女性が駆け付け治療に入った。

 大きく息を吐いた俺は力を抜き、鞘にしまった剣を携えて我が王へと歩み寄った。


「ご無事のようで何よりです」


「だ、か、らっ!」


 治療もそこそこに跳ねるようにして立ち上がったメリス様は、俺に向けてビシリと指を突き付けた。


「何なのよあれ! 手加減は無しって言ってるでしょ!?」


「むちゃ言わないでください。俺に王殺しになれって言うんですか」


 最後の一撃。

 俺が渾身の力を込めれば、鎧の下で内臓はズタズタに引き裂かれ、致命傷になっていた可能性もあった。


「この程度でわたしが死ぬわけないでしょ!? バカにしてるの!?」


 怒りを露わにするメリス様は、わき腹の痛みを感じてないかのように叫ぶ。

 さっきのだって加減したとはいえ、体内を揺さぶられているはずで、その場で嘔吐してもおかしくないのに。


「いえ。とんでもない。俺はただ事実を述べただけで……」


「ぬわんですってぇ!!!」


 火に油を注いだことに気付いた時には手遅れだった。

 それからしばらく叱責を受けている間にも、俺は治療を終えたヒーラーの女性を下がらせた。

 荒ぶる主に怯えて縮こまっていた彼女が、一礼して逃げるように距離を取る。

 王は、強くなくてはいけない。

 それは我がカディーネ王国に課せられた使命だった。

 魔王が支配する領域に国境を接する王国は、いつ彼らの侵略を受けてもおかしくない状況だ。

 実際、100年前と50年前に2度の侵攻を受け、大きな被害を被っていた。

 いずれも全軍を率いた王様が親征を行い、激戦の末に魔王を討ち取り、敵の大軍を退けていた。

 その前例に倣い、歴代の王には国軍を指揮する度量と才覚と、個人としての強さが求められている。

 周りの者に守られるだけの指揮官には、兵士だって命を預けようとは思わないだろう。

 一通り怒りを発散させたメリス様は、急に真面目な顔つきになった。


「あのね……アルザス……」


(なんだ……?)


 彼女の神妙な声に、とても、嫌な予感がした。

 こういう時は、とんでもないことを言い出すことが多かった。

 優秀な女王様の頭の中で高速計算された結果がいきなり出てくるので、話題についていくのにも苦労するのだ。


「王に、なる気はない?」


(は?)


 想像をはるかに上回ることを言われて、思考が停止した。

 あまりに突拍子がなさ過ぎて、聞き返すことさえできなかった。

 冗談、とかではなさそうだった。

 真剣な眼差しを向けてくる彼女を、笑い飛ばす気にもなれなかった。


「……俺が、国のトップに立てるとは思えませんが」


「そんなことないよ。アルザスはわたしや昔のお父様よりも強くて、わたしの仕事も手伝ってくれてるじゃない」


「個人の強さだけで、王にはなれないと思います。才能、正統性、カリスマ性、それら全てを備えた者がなるべきなんです」


「わたしにも、そんなのないよー」


 大げさに否定するメリス様には、その全てがそろっていると俺は思う。


「それに正統性と言ったら、君だって勇者の……」


「申し訳ありません。その話は」


「あ……ごめん、なさい。嫌だったよね」


 思わず語気が強くなってしまった俺に、メリス様は慌てて謝ってきた。

 地雷を踏みかけたことに気付けるのも、誰に対しても自分の非を認められるのも、彼女の才能の一つだと思う。


「とにかくっ、それで、ね……あのね……もし君にその気があるのなら、その……わたしと……」


「陛下!! アルザス様!!」


 うつむき加減のメリス様が何かを最後まで言い終わる前に、練兵場に響き渡る大声が俺たちの間に割って入った。

 転げるようにして駆け込んできた壮年の男が、火急の事態を告げに来たのだ。


「魔王討伐隊の方々が、陛下との謁見を求められています!」



 ☆ ☆ ☆



 王宮にある謁見の間。

 赤いじゅうたんと歴代王の絵画で彩られた豪奢な広間に、不釣り合いな来訪者を迎えていた。

 剣と鎧を身にまとった完全武装の男が3人。

 20代半ばと思われる若い男たちだった。

 彼らはいずれも剣呑な空気をたたえ、今にも腰の得物を抜きそうな佇まいをしていた。

 その他に、一歩下がったところに平服を着た女が一人、朗らかな笑顔をたたえて控えていた。

 彼ら魔王討伐隊は教会に選抜されたエリートで、人類圏での様々な特権を認められていた。

 そもそも、事前のアポイントもなしに一国の王に会うのも、武装したまま謁見に臨むのも、普通は考えられないことなのだ。

 彼らに相対するメリス様は簡素な若草色のドレスへ着替えを済ませ、一段高い玉座に収まっていた。

 彼女の傍には俺と数名の文官と。


 シーラが、連れてこられていた。


「※▽◆▲〇!!」


 3人の真ん中に立つ男――選ばれし勇者らしき男が一歩前に出て、俺には理解できない言葉でメリス様を糾弾し始めた。

 人類圏にはカディーネ語を含めて7種の主要言語があり、俺が理解できるのはカディーネ語だけだった。

 だからほかの言語で話されると、何を言っているのかはほとんど分からない。

 隊のリーダーである勇者の男は大切な我が主に指を突き付け、唾を飛ばしながら大声で叫び続けている。

 明らかに失礼な男の態度に対して、メリス様は落ち着いて対応していた。

 彼女は7つの言語全てをマスターしていて、母語のように流ちょうに話せる。

 だから他国から誰が来ようとも、通訳なしで交渉も謁見もこなせるのだ。


「+*□●~&#!!」


 冷静なメリス様とは対照的に、勇者の態度は次第にヒートアップしていった。

 時折、俺の隣にいるシーラを指差し、口角を上げて罵っているようだった。


「何を言っているか分かるか?」


《えっと……ボクを引き渡せって言ってて、メリス様がいろんな理由を付けて拒否しています》


「だろうなぁ……」


 俺はため息をつくと、鞘に収めた剣の具合を確かめた。

 魔王討伐隊の仕事は魔王の排除。

 それを否定し阻止することは、彼らにとっては人類への反逆だった。


「アルザス」


 さらに剣呑なやり取りが続いた後、メリス様は俺を指名した。


「魔封じの首輪を外して」


「っ!」


 簡潔な指示にも、俺はすぐに動けなかった。


「今すぐ、魔封じの首輪を解除して。シーラちゃんが人を傷付けないって証明するの」


 動揺してはいけない。

 3人の男たちはそれぞれの得物を抜いて、シーラに対する殺意を隠そうともしていない。

 下手な動きを見せれば、奴らにシーラを討伐する名目を与えることになる。


「かしこまりました」


 俺は玉座におわす女王に一礼すると、傍らの少女へ視線を向けた。


《お願い、します》


 対するシーラは決意のこもった眼差しで俺を見つめ、小さく一つ頷いた。

 少女は剣呑なやり取りに動じることなく、自らのすべきことを理解していた。

 解呪魔法、展開。

 俺の指先から鍵となる魔方陣が放たれ、少女の細い首を戒めていた首輪が、外れると同時に。


 爆発的な魔力の奔流が巻き起こった!


「シーラ!」


「シーラちゃん!」


「がああああああ!!!」


 俺たちの呼びかけに呼応するかのように、シーラは鼓膜をつんざく叫びを上げ、真紅の双眸で俺を睨んだ。

 少女の華奢な身体が変化していく。

 全身の皮膚が黒く染まり、手足が長く伸びていく。

 見開かれた目は真っ赤に染まり、歯は巨大な牙へと変化していく。

 背中から新たな腕が生え、複数の関節をもつ腕が、歪に曲がりながらまとわりつく。

 あたかも空気が帯電したかのように、漆黒の身体から無数の電がほとばしる。

 見る間に巨大化していくその存在はまさに、悪意の塊のような存在だった。


(ちっ、やばいか!?)


 俺は内心の焦りをねじ伏せ、腰の剣から手を放す。

 まだだ。

 まだ、彼女は手を出してきていない。


「シーラ! 思い出せ! 君が誰なのかを!」


 俺は切りかかる代わりに、彼女に呼びかけた。

 もし、シーラの意識が残っているなら、まだ間に合うはずだった。


「君はここで友達を作るんだろう! だったら力に呑まれるな! 自分を信じて、自分を保て!」


 俺の言葉が届いたのか……


 魔力の奔流が収束し始めた。


 周囲に満ちていた帯電が収まり、大気を震わせる波動が終息していく。

 凝縮していた魔力が爆発するように霧散し、瞬間的に吹き抜けた突風が収まると。


 幼い少女が、その場にへたり込んでいた。


「君は誰なの?」


「ボ、ボクはシーラ、です。メリス様とアルザスさんの、おともだち」


 幼い少女の姿に戻った彼女は、女王の問いかけにはっきりとした言葉で答えた。


《アルザスさん……ボク、やりました……よ》


 俺は腕を伸ばして、傾いでいく身体を受け止める。

 そのまま気を失ったシーラの顔には、やり遂げたことへの満足感が浮かんでいた。


「アルザス! 止めて!」


 いきなりメリス様に指示され、俺は振り向きざまに剣を抜き、頭上から迫った刃を防いだ。

 火花を散らして赤熱する刃で受け止めた聖剣の向こう側で、勇者の男が憤怒の表情で俺を見据えていた。

 さっきまではビビッて動けなかったくせに、シーラが無力になった途端に処刑しようと斬りかかってきたのだ。


「!@&$◆¥▼+!!」


 勇者はまたも、理解できない言葉で叫んでいた。

 意思疎通もできず、憤怒に歪めた顔で明確な殺意を向けてくるこいつの方が、魔族のようにも見えた。


「+*θ>γ@!$!!」


 相棒の剣士も加勢し、昏倒したシーラを狙ってくる。

 その後ろでは、魔術師らしき男が何かを唱え、勇者たちをサポートしているようだった。

 俺は彼女を背後にかばい、二人がかりの剣戟を受け続ける。


「%!#・/¥!!」


 どんなに言葉が理解できなくとも、奴らが俺を罵倒しているのは分かった。

 立て続けに繰り出される斬撃を、俺は余裕をもって受け止める。

 二撃、三撃と受け続け、背後への突破も許さず、赤熱した剣を真横に薙ぎ払い、二人まとめて振り払った。


「くそがっ!!」


 距離を取らされた勇者は忌々しげに俺が手にした折れた剣を見つめ、悪態をついた。

 短く単純な暴言を、俺は初めて理解できた。


灼刀(しゃくとう)、ですか。あなたはもしや……《廃棄物》なのですか?」


 傍らから声をかけたのは、後ろに控えていた女だった。

 討伐隊の4人の中で、その女だけがカディーネ語を話せるようだった。


「そうだ。それがどうした?」


 俺は静かに言葉を返し、赤く輝く片刃の剣を突き付けた。

 この女が俺の正体を知っていても驚かなかった。

 勇者に関する研究は、教会が主体となって行っているのだから。

 真っ二つに折られたその剣は、勇者研究の一環で生み出された、悪しき魔の力を切り裂く聖剣だった。


「なぜ《廃棄物》がここに? あなた方は全員、処分されたはずですよね」


「たまたまだよ。俺は偶然、陛下に救われた」


 研究が打ち切られた10年前。

 俺を含めた100人近い勇者の卵は、文字通り処分された。

 まるでごみを捨てるように、培養槽で育成されていた俺たちの息の根を止め、魔族との戦いで折れた灼刀と共に《奈落》の底へと投げ捨てたのだ。

 その虐殺をかろうじて生き残った俺は谷底から這い上がり、幼きメリス様と出会ったのだった。


「その棄てられた者から一つ、大事なことを忠告しておいてやる」


 俺は一足で距離を詰め、驚愕に歪んだ勇者の眼前に赤い剣を突き付ける。


「ちいっ!!」


 舌打ちをしながら、勇者は手にした聖剣を跳ね上げる。

 俺は落ち着いて柄を握った奴の手を掴んで、切り上げようとする斬撃を阻止した。


「俺にも勝てないようじゃ、魔王を討伐するなど夢のまた夢だ」


 そして。


 胴をへし折るように蹴り飛ばした!


 吹き飛んだ勇者の身体は援護しようと接近しかけた仲間を巻き込み、激突した男二人は石の床を滑っていった。

 残りの一人、後ろで別の魔術を練り始めた男に剣を投げつる。

 灼熱の剣先は魔術師の防護シールドをやすやすと突き破り、肩口へと深く突き刺ささった。

 うめき声を上げて膝をついた男の魔術は中断され、それ以上の抵抗を諦めた。


「まだやるか?」


 一瞬のうちに討伐隊を制圧し、ただ一人残った女に静かな警告を送ると、女は両手を上げてあっさりと降伏した。


「お前は、教会の者だな」


「はい。私は監察官として彼らのサポートを命じられています」


 余裕のある笑みを崩さないまま、女は自己紹介した。


「で、お偉い監察官殿はどうする? シーラを殺すのか?」


「いえいえ。私なんて弱っちい雑魚ですから、これ以上は何もしませんよ」


 揉み手でもしそうな物腰で、監察官の女はぺこぺこと頭を下げてくる。


「それじゃ、教会にはこれをどう報告する?」


「そうですね……今のところは(・・・・・・)、魔王が無害であることが証明されたわけで、彼らの振る舞いも問題となりましょう。これからの交渉次第ではありますが、シーラちゃんを貴国が保護することは認められるのではないでしょうか」


 女が告げた内容は、ほぼメリス様の思いに沿うものだった。



 ☆ ☆ ☆



「やったねアルザス♪」


 討伐隊の連中を追い払い、気を失ったままのシーラを彼女の自室に寝かせた後で、メリス様は声を弾ませた。


「監察官は、《今のところ》と言っていました。もしこの先、シーラが力を抑えきれなくなれば……」


 浮かれ切った主を諫めるべく、俺は最悪の事態を指摘した。

 あと10年もすれば、シーラの魔王としての力が完成する。

 今は不安定な魔の力が安定し、より強固に、より強大になるのだ。

 それでもシーラが自我を維持できるかは、誰にも分からない。


「そんなのなるわけないじゃない。アルザスは心配性だなー」


「いや、しかし……」


「それにもし、そうなったとしても、だよ」


 メリス様は身を乗り出し、挑発するような眼差しを向けてきた。


「わたし達が、シーラちゃんに勝てばいいんだよ」


「は?」


「魔族の行動原理は弱肉強食でしょ? 敗者は勝者に従うんだから、シーラちゃんも勝ったわたし達に従ってくれるよ」


「魔王相手に勝つと?」


 魔の国の王は、大陸の7割を占める領域を支配できる力がある。

 それだけ強大な力を持つ敵に勝とうなんて、普通の人間は考えもしないのだ。


「自信を持って。勇者と聖女が手を取り合えば、誰にも負けないから」


 胸を張り、偉そうにふんぞり返るメリス様。

 もうすでに自分の望みを果たしたかのように喜びをはじけさせる彼女は実際、この後の未来も思う通りに実現してしまうのだろう。

 そんな彼女を見ていると、胸の内にわだかまっていた小言も消え去るというものだった。

 勇者の力の片鱗を持つ俺と聖女の力を受け継ぐメリス様が力を合わせれば、本当になんとかなるのかもしれない。


「かしこまりました。全ては、御心の……」


「そーゆーのはいらないから」


 膝をつき、恭順の姿勢を見せようとする俺を、メリス様は引き留めた。


「わたしは、君と対等な関係でいたいの。おーけー?」


 彼女は忠誠を求める代わりに、右手を差し出してきた。


「これからもよろしくね。アルザス」


「……はい。こちらこそ」


 女王陛下と対等な者として握り返した、大切な女性の手には……


 10年前に感じたのと同じ、優しい温もりがあった。

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