夢の人
この小説を書くに当たって、ビートルズメンバーの個性やエピソードなどを随所に入れ、また題名からインスピレーションを働かせて、それらを小説のモチーフとしたつもりである。しかし筆者には一つ心残りがある。それはポール・マッカートニーの個性を小説と結びつけて書くことが出来なかったことである。ジョージ・ハリソンならば努力と才能、チャンスをメタファーに。リンゴ・スターならば彼の温厚さを友情の形と絡めた。ジョン・レノンならば彼の人を惹きつけるカリスマ性に着目した。しかしポールについては彼の個性と結びつける小説を書くことが上手く出来なかった。そこで私はビートルズのメンバーを均等にこの小説群に登場させるために、彼への思いを徒然にここに紹介する。
ポール・マッカートニーはメンバー中で最も人気のある男だった。それは彼の甘いマスクが多くの女性に受けたからである。デビュー前のビートルズも会社側の意向で顔の良いポールを中心としたアイドルグループを作り上げようと狙っていたくらいである。
しかしポールに人気がある理由はそれだけではない。単なるアイドルの素質だけならば、これ程までに社会に影響を与えなかったであろう。飛び抜けたユーモアセンスや綺麗な高い声はもちろんだが、彼の最大の長所はメンバー内の誰よりも幅広い音楽性を持ち、音楽評論家をも唸らせる奇想天外な音楽センスを持っていたことである(エルビス・プレスリーとビートルズの違いはここにある)。
よくジョンとポールとではどちらが偉大か、という論争が起きるが(勿論どちらも偉大である。だからこんな論争が起こるのだろうが)、私の意見ではポールの方が偉大であると思う。確かにジョンの持つメッセージ性や社会性では——特に詩作では——劣るかもしれない。しかしノリの良いロックンロールに始まり、ロックとクラシックの融合、牧歌的フォーク、激しいハードロック、シンプルな子供向けソング、スカ、ジャズ、聖歌など、ポールのジャンルを越えた多様な音楽性はロック界のみならず、音楽が持つ長い歴史の中でも存在感を示し、際立つものがある。BBCニュースオンラインが1999年に実施した「過去1000年間に活躍した作曲家」の投票ではモーツァルト、ベートーベン、バッハを抑えて堂々一位に輝いた程である(五位はジョン・レノン)。無理のある投票ではあると思うが、これは大変な誇りであと思うし、それだけ社会に認められている証拠であろう。
またビートルズにおける彼の功績も見逃してはならない。特に後期では、ヨーコにべったりのジョンに変わって、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や『アビー・ロード』といった名アルバムを進んで作り(ジョンやジョージ・ハリソンに言わせると、『サージェント——』はそれ程たいしたアルバムではないというが)、映像の分野でも評価は二の次にして、テレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』や映画『LET IT BE』でも積極的に活動した。ジョンは「グラス・オニオン」の詩中で、ウォラスはポールだ、と中期のポールを評価していたが、後期になってくるとそのポールのリーダーシップを段々と煙たく思うようになっていった(メンバー内に亀裂が生じてきても、それでもレノン=マッカートニーは曲作りにおいては、互いの家に行き来するほど協力をし合っていた)。
結局居場所を失ったポールの脱退表明によってビートルズは終演を迎えるが、ポール・マッカートニーはソロやウィングスとしてもその後第一線で働き通した。しかし、ジョン・レノンという偉大なアドバイザーを失ったとたん、彼の評価は芳しくなくなった。創作において、好き勝手に作ると、独りよがりな作品を作りかねない。客観性に欠け、収拾がつかなくなるからである(そういう意味では、ビートルズが解散したということは、ビートルズの呪縛から逃れ、より個性的な作品が作られやすくなったということだが)。
また、ポールが起こした多々の事件によっても彼はしばしばマスコミから叩かれたり、評論家からは、ポールはバカげたラブソングしか書けない、と言われたりした。しかし私はポールのソロ時代の曲も好きである。「NO MORE LONLY NIGHT」を聴く度に、私はポールの偉大さに打ちのめされるのだ。
(完)