ターニング・ポイント
父に言われたとおり、第一王子としての仕事をするしかなかった。だがいくらやっても片づかない。残務がどんどん積み上がっていった。
ヴィルマンが新しい書類の山を持って、執務室に入ってきた。つい不満を漏らしてしまった。
「おい、仕事量が多くないか? いつからこんなに増えたんだ!」
「これまでと同じです。失礼ですが、殿下のペースが落ちているのです」
そのとおりだ。あれ以来仕事への意欲と集中力がなくなり、自分でも作業効率が著しく落ちているのは分かっていた。このままでは廃嫡されると分かっていても、心はどうにもならなかった。
そこへ若い官吏が入ってきた。
「殿下、大変です!」
「何事だ?」
焦燥している自分に代わってヴィルマンが訊く。
「昨日、デスハイム帝国がコレガ王国に宣戦布告、侵攻しました!」
それがどうした? 我が国が攻め込まれたわけではないだろう。そう思ったら、ヴィルマンが耳元で囁いた。
「コレガ王国はリリアンヌ様の祖母の祖国です」
そのことに気づいたかどうかは分からないが、官吏は続きを報告した。
「本日、コレガ王国は降伏しました!」
さすがにこれには驚いた。思わず書類に落としていた視線を官吏に向けた。
「馬鹿な! たったの一日で降伏しただと?」
自分より先にヴィルマンが驚きの声を上げていた。
「夜が明けると、デスハイムの大軍がコレガの王都を包囲していたそうです。なんの備えもできていなかった王都は半日で陥落、王族は皆殺しにされたそうです」
「コレガは国境をがら空きにしていたのか?」
「常識的に考えて、そのようなことはないかと……」
「そんなのは言われなくても分かる!」
「国境から王都までの距離は、抵抗がなかったとしても一日で進軍するのは不可能かと……」
言葉が出ないまま二人のやり取りを聞いていると、新たな官吏が執務室に入ってきた。
「続報です! デスハイム帝国は我が国を含む周辺国に従属を迫る使者を送りました!」
自分は第一王子だ。さすがにこれ以上黙って聞いているわけにはいかない。
「使者は我が国にも来たのだな?」
「はい。これ以上はここでは話せません。ファビアン殿下には至急陛下の執務室にお越しいただきたいとのことです」
父の執務室に入ると、すでに父とジェレミー、国の重臣たちが円卓を囲んでいた。
「陛下、遅くなりました」
そう言って自分も輪に加わる。
円卓には書簡が置かれていた。デスハイム帝国の国璽が押印された書簡だ。
「これが使者が持ってきた物ですか?」
「そうだ」
だが父の言葉に納得できなかった。
「国境の関所から早馬を飛ばしても、王宮に着くのは明日になるはずですが?」
「使者が現れたのは国境ではない。王宮の正門だ」
「なっ!」
「その書簡によると、帝国は大規模転移魔法の開発に成功したそうだ。使者どころか大軍も好きな場所に送り込めるそうだ」
とんでもない、いや、途方もない話だ。もしそんなことができるのなら、国境の守りを固めても意味はない。
このとき自分はようやく気づいた。重臣が一人欠けていることに。
「リリー……筆頭宮廷魔導士は? なぜここにいないのですか?」
「ここには呼んでいない」
「なぜですか? もっとも魔法に詳しい人間ですよ」
「リリアンヌ嬢にこの書簡を見せることはできないからだ」
「ですから、それはなぜですか!?」
「帝国はコレガ王族の末裔であるリリアンヌ嬢を、人質として要求しているからだ」
そう告げる父の顔は苦悩に満ちていた。