モラトリアム
「結婚式を延期したいだと?」
自分の申し出に父は驚いた。
「はい。結婚式のことはまだ公にしていません。ワーズ公の理解が得られれば、延期は可能なはずです」
「理由を言え!」
「自信がないのです」
ここは気弱な振りをする。自信満々な態度で言っても説得力がないからな。
「リリアンヌはすでに筆頭宮廷魔導士として魔導省で多くの仕事をしているのに対し、自分はまだ帝王教育を受けている最中です。この状況で結婚したら、『妻におんぶされた王子』と笑われるでしょう」
『妻におんぶされた王子』とは『王妃におんぶされた王』をもじったものだ。四代前のダニエル王は無能で、政務を王妃が取り仕切っていたことから、そう揶揄されていた。アルベールの授業でも反面教師として何度も取り上げられていた愚王だ。
ダニエル王を引き合いに出したことに父は戸惑ったようだが、すぐに反論してきた。
「おまえとリリアンヌ嬢では才も適性も違う。比較すること自体が間違っている」
「父上が仰るのは正論です。ですが貴族たちや王宮の官吏たちはどう思うでしょうか」
父は別の方向から攻めてきた。
「なら結婚を打診したとき、なぜ断らなかった? リリアンヌ嬢が筆頭宮廷魔導士に就任したのは、それよりかなり以前なのだぞ」
「そのときは、自分の婚約者を箔付けするための名誉職だと思っていたのです」
「箔付けだと? 筆頭宮廷魔導士の地位より、大賢者の称号の方がはるかに権威があるのだぞ」
「そこまで思い至らなかったのは、確かに私の落ち度です。ですが現実を知ってしまった以上、自分に自信が持てません」
父はため息をついた。
「まさか男のおまえの方が婚前憂鬱になるとはな。それでおまえはどうしたいのだ? 婚約を解消したいのか?」
「まさか、いくらなんでもそこまで意気地なしではありません。帝王教育を終えて、政務に携わるようになってから結婚したいと思います」
おそらく父が譲歩できるギリギリの条件を提示した。婚約を解消したいなどと言ったら、確実に廃嫡にされるからな。
案の定、父は「おまえの言い分は理解した」と言った。
それから一週間後、父に呼ばれた。
「ワーズ公におまえの言い分を伝えたところ、『自分より先に説得すべき相手がいるだろう』と言われたよ」
それが誰かは言われなくてもさすがに分かる。
「リリーとの次の面会は来週です。その場で自分の口からリリーに伝えます」
面会ではリリアンヌの方から先に、結婚式の延期について切り出された。
「ファビアン様のお申し出については、父から聞いております」
これは予想外の展開だった。だが冷静に考えてみれば、面会で婚約者の口からいきなり聞くより、父親からあらかじめ報せておいた方がいいとワーズ公は考えたのだろう。当たり前の話だった。どうやってここから自分のペースで話を進めるか、大慌てで考えた。
「リリーに対してはすまないと思っている。自分が不甲斐ないばかりに」
「ご自身をその様に責めないでください。私も悪かったのです。もっと自分のことを話していればよかったのです」
「そんなことはない。魔導省の仕事には秘密にしなければならないことも多いのだろう。筆頭宮廷魔導士としての守秘義務を守ったのだから、リリーは悪くない」
ここはひたすら下手に出るしかないだろう。こちらから申し入れた以上、立場が弱くなるのは仕方ない。
「父は『待てるのは三年までだ』と申しておりました」
「三年?」
「はい。なぜ三年なのか訊いてみましたら、ファビアン様とジェレミー殿下が三歳差だからと申しておりました」
なるほど。もし自分がダメだったら、三年後に今の自分と同じ十五歳になったジェレミーと結婚させるということか。
「分かった。必ずそれまでにリリーの夫として、この国の王として相応しい男になってみせる。それまで待ってくれるか?」
「はい、ファビアン様」
ワーズ公が妥協案を出してくれて助かった。これで猶予期間が確保できた。どうやら自分はツイているらしい。
後はどうやって妃をマリーにすげ替えるかだ。最悪の場合は正妃をリリアンヌ、側妃をマリーにして、自分が王になってからなんとかすればいい。
しばらくは父もワーズ公も自分の言動を厳しく監視するだろう。迂闊なことはできない。難しい綱渡りになるが、絶対に乗り切ってやる。