デビュタント
「ファビアン様、素敵なドレスをありがとうございます」
デビュタント直前の面会で、リリアンヌは礼を言ってきた。
「婚約者として当然のことだ。いちいち礼など言わなくていい。気に入ってもらえたかな?」
「はい。私にはもったいないくらいです。侍女たちも気合が入ってましたわ。ドレスに負けないように私を磨くのだと」
「それは楽しみだ」
婚約して七年が経ち、十五歳になったリリアンヌは年齢相応に女性らしくなっていた。自分と語らいながら時々紅茶を口にする所作は、公爵令嬢としても王子の婚約者としても立派なものだった。だが相変わらずぱっとしない地味な顔立ちで、化粧のおかげか多少は改善されたものの、お世辞抜きなら美人とは言えなかった。これを磨かなければいけない侍女たちは苦労するのではないか。
黒い髪は肌が色白なら映えるだろうが、リリアンヌは色白ではなかったし、黒い瞳は大きければ吸い込まれるような錯覚を生むが、リリアンヌの細い目ではどこを見ているのかよく分からず、話し相手を不安にさせるだけだった。
七年前にこっぴどく叱られてから、自分はリリアンヌの容姿について口を閉ざすようになった。だがそのことが両親をかえって不安にさせたらしい。ある日、父にこう言われた。
「リリアンヌ嬢は伝説の黄金の実が成る木だ。重要なのは実であって花ではない」
もちろん父は自分には言ったが、リリアンヌ本人やワーズ公爵夫妻の前では言わなかった。
「実は今日は大切な話がある」
「なんでしょう」
「父上から打診された。デビュタントがすんだら結婚してはどうかと」
リリアンヌは驚きで目を大きく見開いた。なんだ、やれば目を大きくできるのではないか。
「公爵家には明日使者を出すことになっているが、リリーには自分から直接伝えたかった」
「……うれしゅうございます」
リリアンヌはハンカチで目元を抑えている。
「準備には時間がかかるから、結婚式は早くても一年後になる。その後で立太子の儀も行うつもりだ」
我が国には『男は妻を娶って半人前、子を成して一人前』という考え方がまだ根強く残っている。なので王太子になるのは最低でも結婚後という不文律があった。
「さっきも言ったが、王家から公爵家への正式な打診は明日だ。今日は父上に許可をもらってリリーに話した。だから明日までは二人だけの秘密だ」
「はい、ファビアン様」
公爵家は喜んで打診を受け入れた。これで両家は一年後の結婚式に向けて動き出すことになった。だがその前にデビュタントがある。
正確にはデビュタントは社交界デビューをする女性のことで、彼女たちを祝福する舞踏会はデビュタントポールだ。だが現代ではどちらもまとめてデビュタントと呼んでいる。デビュタントポールは形式上は成人した貴族女性が君主に挨拶をする式典であるが、今ではお祭りと、良縁を求める貴族子女のお見合いの場になっている。口さがない者たちは貴族子女の競り市場などと言っているらしい。
そのため参加する女性は婚約者の有無が簡単に分かるようになっている。参加する女性は白いドレスを着用することになっているが、婚約者がいない者は純白のドレス、婚約者がいる者は白以外のアクセントが入ったドレスを着る。アクセントに使う色は婚約者の髪や目の色が多い。そのドレスは婚約者がプレゼントするのが習わしだ。ドレスを贈れないような甲斐性なしは婚約を解消されてもやむなし、というわけだ。
自分は挨拶を受ける側の一員として高座の席に座っていた。一人ずつ挨拶をしていたら時間が足りないので、下位の貴族の子女は最初に何人かでまとめて挨拶をし、高位の貴族の子女は一人ずつ挨拶する。今回の参加者の筆頭はリリアンヌだったので、リリアンヌは最後に挨拶することになっていた。
高座に座っている間は、王子に相応しい微笑みを顔面に貼り付けて、退屈な挨拶を受けていた。良縁を求めている貴族の子息なら鵜の目鷹の目でデビュタントたちを品定めするのだろうが、すでに婚約者がいる自分はその必要がない。最後に挨拶するリリアンヌにだけ、誰が見ても他のデビュタントとは明らかに違う特別な微笑みを向けるだけでいい。婚約者との関係が良好であることをアピールするのがこの舞踏会の自分の役割だ。
想定外が起きたのはリリアンヌの一人前だった。進行役が挨拶するデビュタントの名を告げた。
「クレマリア・メール嬢」
久しぶりに聞く名前にハッとした。同時に周囲が少し騒がしいことに気づいた。その理由はマリーを見てすぐに分かった。マリーは純白のドレスを着ていたが、右腕には黒い腕章を着けていたのだ。
高位貴族の子女はデビュタント前に婚約者が決まっているのが普通だ。これまで一人で挨拶していたデビュタントたちは、全員がアクセントが入ったドレスを着ていた。ざわついている貴族の子息たちは、純白のドレスと黒い腕章の意味を解釈しかねているのだろう。マリーに婚約者がいるのかどうか判断に迷っているのではないだろうか。
だが自分の心は別の意味でざわついていた。七年ぶりに見たマリーは、驚くほど美しくなっていたのだ。
「リリアンヌ・ワーズ嬢」
今度は婚約者の名前を呼ばれてハッとした。どうやら自分はマリーに見惚れてボーっとしていたらしい。眼の前で挨拶をする婚約者に微笑んでみせたが、自分でも表情が引き攣っているのが分かった。
挨拶が終わればメインのダンスの時間だ。一曲目は婚約者がいるデビュタントは婚約者と踊るのがルールだ。席から腰を上げたが、何故か重く感じた。
「一足早いファーストダンスだ。踊ってこい」
父にそう声をかけられたので、頷いてみせた。高座から降りてフロアで待つリリアンヌのところへ行く。
ワーズ公爵家の侍女たちはいい仕事をした。この日のリリアンヌは、今まで見たどのリリアンヌよりも美しかった。だがマリーを見た直後の自分には、くすんで見えた。
リリアンヌが纏っていたドレスは、自分の金髪に合わせて金糸の刺繍が施されており、自分の瞳の色に合わせて小粒のサファイアを多数縫い付けた青いラインが入っていた。光の加減によってはこれらが輝いて見えるようになっている。ダンスを踊ったときの演出効果まで考えたデザインだ。リリアンヌの前だが、もしこれをマリーが纏って踊ったらどうなるだろうかと想像してしまった。
ダンスの最中でリリアンヌから話しかけられた。
「ファビアン様、もしかしてお加減が悪いのですか」
「……なぜそう思うんだ?」
「お顔の色が優れませんし、ステップにいつものキレがありません」
「大丈夫だ。準備で疲れが溜まっているだけだ」
「大切な御身です。早めに休まれた方がよろしいのではないですか」
「心配をかけてすまないが、本当に大丈夫だ。予定どおり三曲踊るぞ」
笑顔が引き攣ってしまった分、ダンスで仲睦まじさをアピールしないといけない。一曲でダンスを終えたら、不仲の噂が流れるかもしれない。王族というのは、存外不自由なのだ。
一曲目が終わったところで、拍手が起きた。ここで拍手をするのが習わしだった。会場に拍手がこだまする中、笑顔を振りまきながら会場を見回した。だが探していたマリーの姿は見つからなかった。