ファースト・コンタクト
自分ことファビアン・ラスブロー第一王子とリリアンヌ・ワーズ公爵令嬢との婚約は、本人たちの意思を無視して両家の合意で決められた。当時はどちらも八歳だったから、本人の意思確認はないのが当然だった。
婚約が決まった後、王宮で婚約者との初顔合わせに臨んだのだが、相手をひと目見て失望した。
黒い髪に黒い瞳、そして低い鼻。黒いというほどではないが白くない肌は不健康そう。細い目はどこを見ているのか分かりにくい。全般的にのっぺりとした顔はメリハリがなく、印象に残りにくい。とにかく地味だ。他人に不快感を与えるほどではないが、ブサイクだった。
リリアンヌの付き添いはワーズ公爵夫妻だった。父親のワーズ公爵は父王の従弟で、父によく似た美形だった。母親のワーズ公爵夫人はシャトニー侯爵家から嫁いだ美人だった。この両親からどうやったらこんなブサイクが産まれるのか不思議だった。
だからというわけではないが、思ったことを口にしてしまった。
「おまえ、ブスだな」
そう言ったらリリアンヌは驚きの表情を見せた。
「カラスみたいにまっくろで、クッキーみたいにぺちゃんこだ。おまえみたいなしこめとけっこんなんてイヤだ。さっさとかえれ!」
気の弱い令嬢だったら泣き出していたかもしれない。だがなぜかリリアンヌは微笑んだ。
「まあ、でんかはとてもしょうじきでハキハキされていますのね」
思いもよらぬ返しをされて戸惑っていると、強く手を引っ張られた。引っ張ったのは自分の付き添いだった叔母のシャレル侯爵夫人だった。国王夫妻は公務があって顔合わせには出られなかったのだ。
「あら、殿下は目にゴミが入ったようですわ。手当をしなければ。失礼いたしますわ」
侯爵夫人はそう言うと、自分の手を引っ張って、その場から自分を連れ出した。
「いたいいたいいたい!」
引っ張られた腕が痛くて叫んだが、叔母は離してくれなかった。別室に連れて行かれて、ようやく手を離してくれた。
「おばさま、なにをす──」
抗議は最後まで言えなかった。頬を叔母に叩かれたのだ。
「たたいたな! ちちうえにだって──」
叩かれたことに対する抗議も、最後まで言えなかった。また叩かれたからだ。
自分は泣き出してしまった。痛かったからではなく、わけもわからず叩かれた理不尽さに感情が昂ったからだ。だが泣いても叔母の態度は変わらなかった。
「私はリリアンヌ嬢と公爵夫妻に謝ってきます。ここで反省していなさい」
叔母はそう言い残して、自分を置いて部屋を出ていった。
父は自分を叩かなかったが、かつて向けられたことのない視線は、叩かれる以上に痛かった。
「きちんと説明しなかった儂らも悪かったが、初対面の女の子に言う言葉ではなかろう」
父が怖くて母を見たら、母はハンカチを握りしめて泣いていた。
「おまえがそのような心ない言葉を口にするような子供だったとは……それに引き換えリリアンヌ嬢のなんと優しく聡明なことか」
そう言って母はさらに泣き出した。自分はどうしてよいか分からなくなり、オロオロするばかりだった。
「よいか、この婚約はおまえのためのものなのだ。おまえが王になるとき、その妃となるのはリリアンヌ嬢しかいないのだ」
オロオロしていたはずの自分は、この父の言葉にカチンと来た。
「マリーがいます」
「なんだと?」
「きさきはマリーがいいです!」
マリーとはクレマリア・メール公爵令嬢のことだ。自分の遊び相手になっていた貴族の子供たちの一人だった。金髪碧眼の愛らしい美少女で、自分は密かに思いを寄せていた。
「マリーとは誰のことだ?」
「マリーはマリーです!」
マリーのフルネームをまだ憶えていなかった自分は、そうとしか答えられなかった。
「陛下、よろしいでしょうか」
見かねた自分付きの侍女が助け舟を出してくれた。
「申してみよ」
「ファンビアン殿下が仰っているのは、メール公爵家のクレマリア様のことだと思います」
それを聞いて父はため息をついた。
「その歳で面食いか……いや、幼いからこそリリアンヌ嬢の良さが分からぬと前向きに考えるべきか……」
父はブツブツと呟いていたが、当時の自分にはそれは理解できなかった。