ラスボスはやっぱり腹黒だった
メンヒェン男爵に護衛されて帝都に行くことになったが、さすがに着の身着のままということはなく、自宅に立ち寄って身の回りの物を用意することは許された。それでも家族や使用人たちと別れを惜しむ暇もなく、慌ただしく荷造りを指揮することになった。
それが終わったら帝都に移動すると言われたのだが、実際に転移魔法で移動してみると、そこには長閑な風景が広がっていた。
「デスハイム帝国の首都は、ずいぶん寂れていますのね」
私がそう言うと、メンヒェン男爵の部下たちが剣を抜いた。
「悪いがアンタの行き先は帝都じゃない、地獄だ」
そう言うメンヒェン男爵は下卑た笑いを浮かべていた。
よりにもよってまさかのまさかとは。さすがにこれはないわー。デスハイム軍の指揮とか統率とか、どうなっているの?
「敵より多くの兵力を揃えるのが兵法の王道とはいえ、たかが女一人に一ダースの兵とは大袈裟な」
「殺す前にちょいと楽しませてもらおうと思ってな。俺は部下想いなんだ」
部下の兵士たちも下卑た笑いを浮かべた。
「人質は生きているから価値があるもの。勝手に殺して大丈夫ですの?」
「アンタに心配してもらう必要はない。上には色々と顔が利くんでな」
「そのお話、詳しく聞きたいわ」
「聞いてどうする?」
「いえ、私ではなく、そちらの方が聞きたいだろうと思いまして」
私はそう言って、気配がした方を振り返った。男爵や兵たちもつられて振り向くが、誰の姿も見えない。
「おい、誰も──」
私は男爵の台詞を最後まで聞かずに転移した。
私は帝都近くの街道の脇に出現した。街道に出て方角を確認する。大きな城壁が見えたので、そちらに向かって歩く。
街道は人や馬車の往来が多い。転移したところを人に見られなかったのは幸運だ。
三十分ほど歩くと壁門に並ぶ人の行列が見えた。その行列の最後尾に並ぶ。周囲の人々からはジロジロ見られた。王宮に参内するためのドレスを着た貴族の女が、伴も連れずに一人で平民に混じって行列に並んでいるのだ。目立ってしようがない。
一時間ほど待ってようやく私の番が来た。門番の兵は私の姿を見てびっくりしていたが、すぐに仕事に戻って私に質問した。
「名前は?」
「リリアンヌ・ワーズ」
「どこから来た?」
「ロニオン王国」
「入都の目的は?」
「結婚」
「結婚?」
「ええ、夫となる人がここにいるのです」
「……その人物が身元保証人ということでいいか?」
「はい」
「夫の名前は?」
「オスヴィ・フォン・デスハイム」
「はあ?」
「オスヴィ・フォン・デスハイム、この国の皇帝です」
門番の私を見る目が変わった。キ◯ガイだと思われたらしい。まあ、当然そうなるだろうな。
「私はロニオン王国の公爵令嬢で、セルジル王の従姪です。皇帝陛下に輿入れするために帝都に参りました。ドーベルク辺境伯の寄り子のメンヒェン男爵様が率いる部隊が護衛についていたのですが、転移魔法で移動した際にトラブルが発生したようで、私だけが帝都の近くに飛ばされたのです。仕方がないので歩いてここまで参ったのです」
私が一気にまくしたてると、門番は目をパチクリさせた。
「私の言うことを鵜呑みにできないのは理解できます。皇宮か軍のしかるべき地位の方に問い合わせていただけないでしょうか」
門番は目をパチクリさせるのを止めて、隣りにいた同僚と短く言葉を交わした。
「ちょっと待て」
彼はそう言い残すとどこかへ駆け足で向かった。
具体的な人物名が出たということは、事実確認の手段が出来たということだ。しかも私の方から事実確認を促されれば、一方的に法螺だとその場で決めつけるのは難しくなる。
すぐに上官らしい兵士がやってきた。
「レディ、こちらへ来ていただけますか」
私は門番たちの控室らしいところへ通され、もう一度同じ質問をされた。同じ答えを返したら、更に二時間ほど待たされた。
二時間後に現れたのは年配の男性だった。侍従のような服装をしている。
「侍従長のライムートです。リリアンヌ・ワーズ公爵令嬢ですかな」
本当に侍従だった。姓を名乗らなかったということは、平民なのだろうか?
「はい。ロニオン王国のワーズ公爵が長女、リリアンヌです」
「失礼ですが、身分を証明できるものはお持ちでしょうか」
「あいにく持ち合わせはございません。まさかあのような事故が起きるとは思ってもいませんでしたので」
「……そうでしょうな」
一見、困ったような表情を浮かべているが、声色からは困惑は窺えない。狸爺だな。
「でも証人ならいますわ」
「証人ですか? お知り合いがこの帝都に滞在なさっているのでしょうか」
「はい。この場ではお名前を明かすことはできませんが」
嘘は言っていない。名前を知らないから、この場以外でも明かせないだけだ。
「左様ですか。その方は帝都の何処に?」
「今はライムート殿の隣に」
その場に居合わせた門番たちは怪訝な顔をした。ライムートの隣には誰もいないように見える。
「……ワーズ様、皇宮にご案内いたします」
私は後宮の一角と思われる部屋に案内された。ライムートも一緒だ。
私はライムートの右隣に視線を向けた。
「そろそろ顔を拝見させていただけないかしら、証人様?」
私がそう言うと、視線の先に忽然と男性が現れた。
「参ったね。大賢者はお見通しか」
男性の声は魅惑的なテノールだったが、私は顔に気を取られた。
「まさか……皇帝陛下!?」
「へえ、知っていたんだ」
私は慌ててカーテシーをしようとしたが、止められた。
「畏まらなくてよい。ここは非公式だ」
皇帝本人にそう言われたら従うしかない。私は姿勢を元に戻した。
「何枚か陛下の肖像画を拝見しました」
「それは光栄だな」
「こちらこそ恐縮です。私のことを陛下自ら監視されていたとは」
「いつから気がついていたんだい?」
「ロニオンの王宮の謁見の間からです」
「全部バレていたのか」
皇帝は右手を額に当てた。
「転移魔法まで使えるし、君は想定外の塊だよ」
「転移魔法は帝国の独占物だと、いつから錯覚なさっていたのですか?」
色々と腹に据えかねることがあるから、このくらいの嫌味は言わせてもらうわ。
「手厳しいね……最初からだよ。いずれは漏れると思っていたが、まさか自分と同時期かそれ以前からの使い手がいるとは思わなかった」
皇帝はクスリと笑った。私と同じ黒髪黒目だが、顔面は桁違いに良い。今の笑顔を見たら、卒倒する貴族令嬢がいそうだ。
「もし私が転移魔法を使えなかった場合は、どうなさるおつもりだったのですか?」
皇帝は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐにそれは崩れた。
「ああ、あのチンピラたちに襲われそうになったときか」
「ご自分のお味方をそのように仰るとは……」
「味方だって?」
皇帝は露骨に不愉快そうな表情を浮かべた。
「ああいう手合は好かん。先帝は多少の戦働きができるというだけで放置してきたが、俺は違うぞ。綱紀粛正を徹底して、『蛮族の軍隊』などという汚名は返上してやる」
へえ、そんな汚名があったのね……納得だけど。でもその前に『ならず者国家』を返上した方が良さそうだけど。
「陛下、まだお返事を聞かせていただいてませんが」
「ああ、そうだったな。あんなチンピラ、一ダースどころか一グロスでも君の敵ではないだろう」
「私は人質ですよ。帝国の貴族や兵を傷つけるなど、できるはずがないでしょう」
「『敵ではない』という部分は否定しないんだね」
「話題をすり替えないでください」
「ふむ、引っかからなかったか。賢しい女は嫌いじゃない」
口説かれたみたいで、一瞬背筋がゾクゾクした。
「チンピラのあしらい方など、やり様はいくらでもあるだろう。俺だってざっと一ダースは思いつく。君なら一グロスぐらいは思いつけるんじゃないか」
「もし私が殺されたら、陛下はどうなさるおつもりだったのですか?」
「それを理由にチンピラたちを処刑する」
私を助けるつもりはあったのか、という質問だったんだけど。意図が伝わらなかった?
「……それだけですか?」
「それだけだ。死んだら君はその程度の人間だったというだけだ。失っても俺は惜しくない」
皇帝はニヤリと笑った。さっきのクスリとは違う意味で卒倒しそうだ。
「長旅で疲れただろう。専属の侍女は用意しているから、今日はゆっくり休め」
そう言い残して皇帝は後宮を去った。