二度目の婚約破棄
リリアンヌを呼んだのは、全ての方針が決まってからだった。
正確には、ワーズ公とリリアンヌの方から、父に謁見を願い出てきた。謁見の間に入ってきたリリアンヌを見たとき、思わず言葉を発してしまった。
「リリアンヌ・ワーズ、おまえとの婚約を破棄する!」
言ってから気づいた。自分はこの日を一日千秋の思いで待っていたのだと。
「殿下、婚約の円満解消ではなく破棄ですか?」
相変わらずかわいくない女だ。捨てないでくれと泣いて縋るのであれば多少の罪悪感は湧いたかもしれないが、婚約がなくなることを前提とした条件闘争をするつもりか?
「そうだ。おまえには責任をとってもらう」
「私になんの咎があると仰るのですか?」
分からなければ教えてやろう。
「その顔だ!」
珍しくリリアンヌが表情を露わにした。何を言っているのか理解できない、そういう表情だ。
「殿下が円満な婚約解消を申し出て下されば、私は潔く身を引くつもりでおりましたのに」
微妙に話が噛み合っていない気がしたが、自分の中の勢いは止められなかった。
「おまえのような醜女が殊勝なことを言っても空々しい。だが喜べ。おまえのような醜女にも使い道があるぞ。国の役に立ってもらう」
言っているうちに気分が高揚してきた。だから自分が周囲からどんな視線を向けられているのか、全く気づかなかった。
「婚約破棄された傷物のおまえに、新しい婚約者を紹介してやる」
自分がそう言った瞬間、タイミングを計ったかのように、ガチャガチャと音を立てて、帝国の鎧を着た集団が謁見の間に入って来た。
「ほう、この顔は確かにコレガの王族に違いない」
鎧の集団の中の指揮官らしい人物が、リリアンヌを見てそう言った。
「陛下、なぜデスハイムの兵がここにいるのです!」
ワーズ公が叫ぶ。
「お父様、セルジル従伯父様は、祖国を帝国にお売りになったようです」
そう言うとリリアンヌは周囲に視線を走らせた。この場にいる人間の顔を確認するかのように。視線を向けられた者の中には、顔を逸らす者もいた。
「そういえばご挨拶がまだでしたね。ごきげんよう、売国奴の皆様」
そう言うとリリアンヌはカーテシーではなく、軽い会釈をしてみせた。
「儂は従姪に嫌われたようだな。それに儂を王として認めるつもりもないようだ」
父の声には力がなく、苦渋だけが満ちていた。
「今の従伯父様にその資格がおありですか?」
「不敬であろう!」
父を侮辱されて、思わず大声で怒鳴った。
「よい。この場では何を発言しても一切を許す。リリアンヌにはそうする資格がある。儂と違ってな」
憔悴しきった父の顔を見たら、それ以上何も言えなくなった。
「分かってくれとは言わぬ。だがロニオンの民を守るには、こうするしかなかったのだ」
「帝国は軍隊を輸送できる大規模転移魔法を手に入れたのですね」
自分も含め、リリアンヌの言葉に全員が驚いた。リリアンヌは書簡の内容を知らないはずだ。
「なぜおまえがそれを知っている!?」
帝国の指揮官がそう言うと、リリアンヌは予想外の返事をした。
「私は帝国のマナーに詳しくないのですが、帝国では殿方は名乗りもせずに婦人に話しかけるのが当たり前なのですか?」
リリアンヌはデスハイムの兵が怖くないのか?
「……デスハイム帝国のメンヒェン男爵だ」
一瞬迷ったようだが、指揮官は名乗った。さすがに人質を気分で斬るわけにも行かないのだろう。リリアンヌはそこまで計算していたのか。やはりかわいくない女だ。
「あら、やはりドーベルク辺境伯の寄り子の方でしたか。身につけている鎧の紋章はドーベルク辺境伯家のものだったので、そうではないかと思ったのですが」
「ほう、ずいぶん詳しいな」
「ええ、当然ですわ。だってデスハイム帝国はロニオン王国の仮想敵でしたから」
「こっちは質問に答えた。今度はそっちが質問に答える番だ」
「知っていたわけではありません。簡単な推理です。コレガ王国でのデスハイム軍の異常な進撃速度は、ロニオン王国にも伝わっていました。それにドーベルク辺境伯の領地はコレガ王国との国境にありますね。その領軍はコレガ王国侵攻の一翼を担ったはず。先ほど男爵様は私の顔を見てコレガの王族の顔だと仰いましたから、男爵様もその一員だったのでしょう。コレガ王国が降伏してから三日しか経っていませんが、ここまで移動するのに普通なら二週間以上かかるはずです。魔法でも使ったと考えなければ説明がつきません」
「ふん、小賢しい女だ」
不本意だが、デスハイムの男爵に賛成したい。
「賢しい女はお嫌いですか? 私は男爵様に感謝していますのよ」
「感謝?」
「はい。先ほど申したのは私の推理、つまり憶測です。でも男爵様のおかげで、それが事実だと確認できたのですから」
リリアンヌにやり込められて、メンヒェン男爵の顔が真っ赤になった。だが言い返す言葉が思いつかなかったのか、リリアンヌではなく父に向かって言った。
「おい、約束どおりこの女はもらっていくぞ」
男爵のくせに、父に、我が国の王に、なんとぞんざいな口をきくのだろう。だがリリアンヌのときには怒鳴ったが、今の相手にはそれが悪手だということは理解できる。
「リリアンヌ、すまぬ。デスハイム帝国に人質として行ってくれ」
「帝国での私の立場はどのようなものになるのでしょう?」
「とりあえずは皇帝陛下の側妃として迎えられる」
「左様ですか。皇帝陛下は礼節と体面を分かっておられるようで、安心しました」
皇帝を持ち上げるふりをして男爵への嫌味か。騙し討ちで己を人質にした自分たちへの嫌味でもあるのだろう。
「従伯父様、機会があればまたお会いしましょう……その時は、私は宗主国の皇后になっているかもしれませんね」
その言葉を聞いたとき、背筋が寒くなった。もちろんそんなことは万一もないだろう。だがリリアンヌの表情を見、声色を聞いたら、それが実現するのではないかと錯覚してしまった。
リリアンヌは右手をメンヒェン男爵に差し出した。
「男爵様、エスコートをお願いしてもよろしくて?」
メンヒェン男爵は仏頂面をしたが、その手をとった。
エスコートされて謁見の間を出ていくリリアンヌの姿に、自分は軽いめまいを覚えた。婚約者だったリリアンヌは絵に書いた淑女のように振る舞っていた。だが人質となった今のリリアンヌは女帝のように振る舞っている。一体どちらが本物なのだろうか。