#8 ノア・シャルルの来訪
「只今、戻りました」
午前の通告を終えて、テ・レデオ社に戻ると、ソファで眠っていたレイモンドさんがむくっと起き上がる。
「おお、おはよう。ルナちゃん」
「もう、昼ですよ」
「ああ、もうそんな時間か。少しだけ仮眠しようと思ったのに…」
レイモンドさんは、元は軍人として部隊を率いるほどの立場だったものの、大戦が終わるのと同時に、軍を辞め、ユラリスさんと一緒に過ごしている。ただ、2人は結婚しているわけでも、付き合っているわけでもないらしい。
「昨日はどうだった?」
「え?」
「あいつの特徴に当てはまるやつがいたって。聞いたよ、ユラリスから」
私は自分の机に畳んで置いてあるジャケットを見つめる。
「全くの別人でした」
「はあ~~~だよな~~」
「はい。もともと期待はしていないですけれど」
「まあ、仮にあいつがこの町にいるなら、ルナちゃんのところにいち早く帰って来るはずだしな」
「…」
「どこかで生きてるなら、どうして戻って来ないのか…」
レイモンドさんは、彼が慕っていた先輩だった。
そんなレイモンドさんは彼が“生きている”と祈り続けることを今でも諦めていない。
「あ、やっと起きた。どうせ、また夜遅くまで遊んでたんでしょう」
カランコロンと入り口のドアが開き、ユラリスさんとアスランが帰ってきた。
「まあ、モテる男は忙しくてね~」
「35になって、そんなこと言ってるの痛いわよ」
「あ~、心が痛い!傷つくな~!」
ユラリスさんは、言葉ではそんなことを言いながらも、空になったレイモンドさんのコップに珈琲を入れて差し出す。この2人が互いのことをどう思っているのかはわからない。
でも他人には説明できないような信頼関係で結ばれているように見える。
「そうだ。ユラリスとアスランはどこに行ってたんだ?」
「警察への情報提供です」
アスランが答える。
「え、何の?」
「最近、若い人の遺体が増えているなと、思っていたんですけど。どうやら、それが同一犯による、若い男女を狙った連続殺傷事件なんじゃないかと。それで、ここ数か月の20代前後の遺体の情報をまとめて、提供しに行ったんです」
「ったく、相変わらず物騒な世の中だな…。お前ら2人も気をつけろよ」
「ルナは確かに心配ですけど。俺は大丈夫ですよ。もうそんな若いって年齢じゃないし」
「いやいや、俺はアスランの方が心配だけどな~」
「なんでですか?!」
「いや、だって、ルナはな~、意外に強いぞ?」
ユラリスは、父と息子のように戯れる2人を横目に、私の机の上にあるジャケットに気づく。
「それ、ルナの?珍しいわね。自分の服買うなんて、初めてじゃない?」
「いえ。これは昨日お借りしたもので…」
「ん?それ男物のジャケット?」
ユラリスの言葉に、レイモンドさんにいじめられていたアスランが衝撃を受けた様子で声を上げる。
「え!?」
「…?」
「うちのルナが男物のジャケットを持ってるって…?!誰のだよ」
アスランに距離を詰められ、問いかけられる。まるで、何かの尋問のようだ。
「それは、昨日の依頼人の…」
「すいません…」
私が正直に答えようとした時、カランコロンというベルの音とともに、まだ記憶に新しい声が聞こえた。
全員が一斉に店の入り口の方に目を向ける。
「あの…、あ!!」
そして、アスランに詰められている状態の私と目が合う。
「あ…」
私も同様に啞然としてしまう。
「え?ん?」
アスランは両者の顔を見て、困惑している。
「テ・レデオ社に、ようこそ。葬儀のご依頼ですか、身元不明の遺体の情報提供ですか、それとも…、そこにいるルナ・シュヴァリエに御用ですか?」
ユラリスが、場を整理するためにいつもお決まりの営業台詞を投げかける。
「はい。ルナ・シュヴァリエさんにお願いがあって来ました」
「もしかして、彼がそのジャケットの男だったり…」
レイモンドさんはどこかこの状況を楽しんでいる様子でボソッと呟く。
「そうです。彼がジャケットを貸してくださった人、そして、昨日の依頼人のベン・シャルルさんの息子さんです」
私は、受付カウンターにいる彼に近づく。
「私にご依頼とは…?」
「はい…。あの…」
「…?」
彼は言いづらそうに口ごもる。
「恋人のふりをしてほしいんです」
「え!!??」
後ろから3人の驚く声が聞こえてくる。
しかし、彼の眼差しは真剣で、どうもふざけているわけではないようだ。
「俺の夢のために。そして、あのどうしようもない男を満足させるために」