#6 翡翠色の瞳の息子
ピアノの音を聞きながら、1人で食事を堪能し終えて、店を後にする。
退店する頃には、次々と演奏者が増え、セッションを奏で、店内は賑やかになっていた。
外は、もうすっかり暗くなり、少し肌寒い。
私は自分の腕をさすりながら、身体を温める。
歩いて帰ろうかと思うものの、マーテルさんが心配する様子が目に浮かんだ。
手を挙げて馬車を止めようとしたその時。
「あの…!!」
と後ろから呼び止める声が聞こえた。
振り返ると、そこにはノアさんが、慌てて店から出てきた様子で立っていた。
「あなたですよね。さっき、父さ…。あ、いや、ベン・シャルルと一緒にいたの」
「はい。ルナ・シュヴァリエと申します」
「あいつに、何かたぶらかされてるなら、辞めといた方がいいですよ。本当ろくでもない人なんで」
「はあ…」
「ったく、あの年にもなって若い女子に目がないとかやめてくれよ…」
どうやら、彼は何か思い違いをしているらしい。
「何か勘違いをされているようですけれど…」
「え?」
「彼は私の依頼人です」
「依頼人…??え、何の依頼を??」
「それは教えられないですが…、でも、1つだけ言えるのは、ベン・シャルルさんの寿命はあまり残されていません」
呆れた様子で聞いていた彼の瞳に一瞬動揺の色が走る。
「は…?何を言って」
「そして、あなたのことで何か心残りがあるように見えました」
「…」
彼は、何か心当たりがあるようで、押し黙ってしまう。
「ルナさんは、医者とか薬師とかそういう類の仕事を?」
「まあ、そのようなものです」
ベンさんの寿命を知っている本当の理由を説明することはできないので、そういうことにしておく。
「ああ、多分、あいつの心残りっていうのは、俺が店を継がないことだと思います」
「お店ですか?」
「はい。うちの家系は代々楽器の調律を仕事にしていて。それを継いでほしいってよく言われるんですよ。本当は兄に継がせるつもりだったくせに」
「そのお兄さんは、今は…?」
「死にました。あの大戦で。いつどこで死んだのか、詳しくは知りませんけど」
「…」
「俺は小さい頃から楽器に囲まれて育った結果、楽器を調律する方ではなく、演奏する方に興味を持ったんです。あいつの思い通りにならなかった」
彼は、父親のことを嫌うような言葉を吐く一方で、どこか葛藤しているようにも見えた。
先程、あんなに楽しそうにピアノを奏でていた人とは思えないほどに。
「でも、素敵でしたよ」
「え?」
「ピアノ。あなたの奏でる音は、綺麗で、でもどこか優しくて、暖かかった」
「あ、ありがとうございます」
彼は、心の底から嬉しそうに、でも褒められることに慣れていないのか、照れた様子で頬を赤らめる。その仕草は、年相応の青年らしいものだった。
「思い出したんです。殺伐とした戦場で、たまに音を奏でてくれる人がいて。楽器なんて高価なものはないので、そこらへんにあるガラクタを集めて音を出すのですが…。でも、すごく楽しくて…、あの音を思い出しました」
「…」
彼は目を開き、驚いた様子で私の方を見つめている。私は、思わず、自分のことを話しすぎてしまったことに気づく。こういう過去の話は極力人にはしないようにしていたのに。
でも、何だか、彼の演奏を聴いて、言わずにはいられなかったのだ。
「私はベンさんの心残りを解消するお手伝いをしたいと思っています。でも、あなたの演奏もまた聞きたい」
「…」
「それでは。何かありましたら、テ・レデオ社までお越しください。私はそこにいますので」
今度こそ馬車を探そうと、その場を立ち去ろうとするも、外の寒さに体が冷えたのか、クシュン!とくしゃみが出て来る。すると、後ろから、黒いジャケットをかけられた。
「使ってください」
「でも…」
「俺が寒い中、立ち話させてしまったので。それじゃあ、気を付けて、帰ってください」
そう言って、彼はお店の方に戻って行ってしまった。
少しの会話だったが、彼の行動からは律儀で誠実な人だということが伺えた。